柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

ご無沙汰していました。

2005年04月28日 | 日々これ好日
 このところちょっと出かけることがあって、留守にしていました。

 留守中のことや、旅の後処理などでバタバタしていました。ようやく落ち着きました。
非日常を楽しんで、日常に戻るのにはそれなりの時間を必要とするのは、歳のせいでしょうか。性格的なものなのでしょうか。

 4月18日から21日まで、「沖縄・八重山諸島めぐり」の3泊4日の旅でした。
この旅は昨年の計画で、家内のお友達と3人で出かけることになっていたのですが、昨年の台風で実現しませんでした。
今年、すでに沖縄本島の旅を経験している僕たちでした。でも、今度は八重山諸島ということで、再度の計画実行となっていました。ところが、直前になって一番に楽しみにされていた家内のお友達が病に倒れられました。ちょっと長引きそうな容態でした。その方の分までも楽しんできましょう、ということでキャンセルせずに参加しました。
写真はピンぼけですが、西表島から由布島へ水牛車で渡るところです。バックは西表島です。
 いずれ、思い出の八重山諸島をレポートしたいと思います。

 さて、八重山から帰ったその日の夜がなんと「りゅーとぴあ」での「千住真理子」さんのヴァイオリンコンサートでした。
お兄さんの「千住 明」さんもステージに上がりトークで妹さんをサポートされたり、そして名器ストラディヴァリウスを弾きこなしての名曲の数々は、ほんとにすばらしいものでした。

 24日(日曜日)には、上野で長男家族と落合って、スカイライナーで成田空港へ。
ホテル日航では、アメリカから一時帰国した次男家族とディナーを楽しみました。3人の孫を含めて総勢9人でした。
あまりに賑やかで、回りの外人さんたちからちょっと睨まれたりしながらも、時間を忘れるほどの集いとなりました。
 翌日には、無事成田空港からアメリカに戻る家族を見送って帰途につきました。

 ようやく落ち着いたとは言うけど、今晩は「ALL JA コンテスト」です。
せめて、参加証くらいはゲットしたいものです。皆さん、よろしくです。
そして明日からは長男家族と過ごすゴールデンウィークが始まります。

ちょっと留守にしています。

2005年04月23日 | アマチュア無線
 このところちょっと留守にすることが多くなっています。

 南の島に遊びに行ったり、また明日は久しぶりに日本に帰ってきた子供家族と成田で一緒に過ごす予定です。西表島や竹富島は忘れられない素晴らしさでした。

 それでも今日は満開となった近くの桜の花(新津一の堰跡)を満喫してきました。カメラを忘れて携帯電話のカメラで撮ってきました。のちほど現像?してみましょう。古木が全身一杯に花をつけた様子は豪華絢爛という表現がまさにぴったりですね。

 私がこの「柄目木庵」を開設して半年ですが、それ以後に発行された「良寛さま」に関連する本が何冊もあります。みんな読むようにしています。良寛さまに惹かれる方がこんなにもおいでになるなんて、とってもうれしくなります。

 CQ誌の5月号には「こだわりの移動運用を始めよう」という特集記事が載りました。
執筆されているほとんどの方から、たくさんQSOサービスをいただいています。その中でとてもよく存じ上げている3人の方がいらっしゃってうれしくなりました。
JH0RNN/五十嵐さん、ほんとにアクティブで、まさにハムライフを楽しまれている方です。
JR0QWW/井口さん、いつもいろんな工夫をされ、チャレンジ精神旺盛な方で、ドクターでもあります。
JN7DIY/岡田さん、いつもは7MHzSSBでサービスいただくのに、つい最近CWでのサービスをいただきました。いつもお世話になっている「いわきオーロラ」の若手メンバーです。

 ちょっと留守がちですが、とりあえずの近況報告でした。
ぜんぜん書き込みをしないと、何とはなしに落ち着きませんね。生活の一部になってきているようです。
お読みいただき、誠に有難うございました。

ようやく開花

2005年04月17日 | 日々これ好日
 肌寒い日があったりして、当地では遅れに遅れていた桜の花がようやく開花のようです。
私が勝手に開花宣言をしました。昨年よりは一週間も遅れたと思います。

 私のいつもの散歩道には何本もの桜の木が何種類か植えられています。
ソメイヨシノはもう満開に近いようですが、色の濃い「しだれ桜」や「八重桜」は、3分咲きくらいで、これからというところです。
 でも、咲いたということでホットしました。

 日本全国、ここ数年どこでも桜の木が好んで植えられたように思います。
数年ならずとも、日本全国すべて桜の名所ばかりになる日も近いのではないでしょうか。これって、悪くないですね。なにしろ日本人は桜の花が大好きなんだから。そういう僕もですが。

花を追いかける!(その3)

2005年04月16日 | お出かけ
 続きです。

 午後には、さらに家内の姉と妹の二人を加えて4人で加茂市の「加茂山公園」に「ゆきつばき」を見に行ってきました。

 ここでは、実に多くの「ゆきつばき」の園芸種が植え込まれ紹介されている。
さいわい、お花の方は見ごろであった。こんなにも種類が多いのかとびっくりさせられた。

 なお、遊歩道に沿った山の斜面には「ゆきつばきの原生種」を多く見ることができる。
それなりの形に成形され、管理されている園芸種は、その樹形も、お花の美しさも申し分ない。
しかし、山の斜面に見られる「ゆきつばき」は、雪の重みで斜面に横たわっていたその身をようやく雪の下から立ち上げたのは、つい最近のことなのだろう。
けなげにも花を咲かせるその姿を「ほんとに美しい」と見たのは私だけだろうか。

 写真は、園芸種の植え込みのコーナーに植えられていた原生種である。

花を追いかける!(その2)

2005年04月16日 | お出かけ
 以前、新津秋葉湖周辺の水芭蕉の画像を紹介したことがあった。

 ちょっと時間が過ぎたけど、去る13日水曜日、午前中は五泉市の「水芭蕉公園」、午後には加茂市の「加茂山公園」へと、お花観賞のはしごをした。

 関係の皆さんの並々ならぬお手入れがあったとは思うが、水芭蕉があれだけ広い湿地にびっしり咲いているというのは、初めて見た。
なんとも形容できないくらいである。純白の気高ささえ感ずる水芭蕉の群生に声も出せずにいた。

花を追いかける!

2005年04月15日 | お出かけ
 北蒲原の紫雲寺町は「レンギョウの花の町」でもあった。
 
 人づてに聞き及んで、ぶらりとでかけた。町並みのどの家にも「レンギョウ」が植えてある。
木立であったり、生垣であったりさまざまではある。
きれいに刈り込んで整形されたものから、伸び放題のものもある。概して伸び放題のものが天衣無縫に伸びた枝振りがいかにも「レンギョウ」らしく、黄金色の鮮やかさはすばらしい。

 紫雲寺町の通りをはずれて、別の町に移るととたんに「レンギョウ」は見れなくなり、紫雲寺の住民の方が、レンギョウによせる思いをいっそう強くした。

 私は、今から15年くらい前に「韓国」に旅したことがあった。
早春の韓国を彩っていたのが、やはり「レンギョウの花」であった。その鮮やかさに「韓国の花」なのかなと思うほど印象が強かった。
あの頃に比べ、韓国の発展は目を見張るばかりである。
 以前には、韓国のアマチュア局との通信(QSO)には「あなたは日本語がお上手ですね」は禁句であった。当時日本語をしゃべれると言う背景には屈折した気持ちがあったものと思われる。いまや、日本語を学ぶ方も多く、気軽に日本語でQSOしていただけるようになってはいる。
とはいえ、ぎくしゃくしたわだかまりが完全には払拭されていないようでもある。

 グローバルな私の趣味(アマチュア無線)が、ささやかながらも友好に寄与できたらと思っている。

片栗の花

2005年04月11日 | お出かけ
 前回の私の記事に、山形出身の方からコメントやトラックバックをいただいていた。
このところ気温はぐんぐん上がっている。花の命は短い。
とても気になっていた里山・護摩堂山の「かたくりの花」。

 昨日は女房から声がかかった。ふたりで午後からいそいそと出かけた。「あじさい茶屋」のおじさんに声をかけると「今日は咲いているよ!」と返事があった。
頂上下の北斜面に沿って、どんどん下がって行き、再び登りコースとなる一帯。

 待ちかねたように、その大きく反り返らせた花びら。慎ましやかにしかし精一杯の生を主張しているようだ。つかのまの華やかさも、もうすぐ樹陰に消えることであろう。

 「数咲いて  花かたくりは  一つづつ」 五十嵐椿水

 カタクリの花の群落や個々の花々を時の経つのも忘れて、写真に収めた。40枚近い写真の中から今日は女房の撮った写真を載せさていただく。女房へちょっぴり感謝の念もこめて。
 また、まだまだ知名度も低く訪れる人も少ないこの北斜面は、茶屋のおじさんの並々ならぬ手入れの結果であることもお伝えしておきたい。

早春の護摩堂山

2005年04月07日 | お出かけ
 今日は午後から雨の予報であった。
しかし、降る様子も無いし、日差しが出てきた。
実は前々から「護摩堂山のかたくりの花」を、ぜひ見に行こうと楽しみに思っていた。
お昼過ぎ、それっとばかりに飛び出した。

 しかし、登り始めてすぐにへたばった。下着から上着まで冬物のままであった。
途中の東屋で休憩してうんと薄着にした。ようやく快調に登ることができた。
 しかし、「かたくりの花」には早すぎたようだ。角田山などよりは一週間くらいは遅れて咲くのだそうだ。そのかわり、人手で植えられた多くの「雪割草」が見事ではあった。鉢植えの「かたくりの花」もあった。しかし、どうも凛としたものが感じられない。
 頂上近くの「あじさい茶屋」のご主人と一時間くらいもお付き合いして、彼の「アジサイやカタクリ、雪割草」などの管理の難しさ、盗掘のことなど、苦労話に付き合った。彼の言うとおりなのであろう。ほんとにご苦労様である。

 それでも登る途中、見事に咲いている「サンシュユ」を見つけた。今年も咲いてくれたね。思わず「ありがとう」と口から出た。
帰りは、例により「ホテル小柳」での温泉とコーヒーブレークをばっちり楽しんで来た。

春の日を楽しむ

2005年04月07日 | 日々これ好日
 昨日のことである。全国的に暑い一日となり、甲府などでは25度Cを超えたとか。
ここ新潟市でも22.5度Cとなった。

 私のキックボードによる怪我の「抜糸」予定日であった。新潟大学歯学部に電車で出かけた。抜糸も終わり、その他の傷も順調に治っている、ということでありほっとした。
病院を後にして外に出た。あまりにもお天気がよくさわやかなので歩くことにした。

 歩いてすぐに白山神社。そこから古町通りを歩く。
途中「考古堂書店」がある。医学書専門店であり、同時に「良寛」関連の書籍を多く出版している出版元でもある。そのコーナーには「良寛さま」の本がこんなにもあるのかと思うほど並べられている。このところ新しく出た本はほとんど買っているし、今読んでいる「貞心尼・ののはら ゆみ著」を読みきってしまうまでは、しばらく本は買わないことにしている。それにしても、かくも多くの人が良寛さまについて本を書いているということは、やはり良寛さまに魅せられてのことだろうなあ、などとうれしくなった。

 柾谷小路に出て(新潟市では何々通りというと比較的細い道、小路の方が幅広の道である)、新潟駅方面に向かう。途中「信濃川」に架かる「万代橋」を渡る。かつての「新潟大地震」にもびくともしなかった文字通り万代の橋である。
 新潟はもともと「堀とその岸辺の柳」、そして海運の「湊町」であった。その堀はことごとく埋め立てられてしまったが、人々の「柳」に寄せる思いは強く、近代的なアーチ橋「柳都大橋(りゅうとおおはし)」や「市民芸術文化会館リュートピア」にその名を刻んでいる。

 これからの「豊かな潤いのある新潟市」に発展させるためにも、市内を流れる大河「信濃川と阿賀野川それを結ぶ小阿賀野川」などを利用した「水上交通」の復活などが真剣に考えられていいのではないか、などと春の日差しを浴びながら万代橋の上で思ったのでした。

うれしい発見

2005年04月05日 | 日々これ好日
 我が秋葉山は、いわゆる新津丘陵の北端である。
家から歩いてほんの15分ほどでその秋葉山である。その山間に小さな「秋葉湖」がある。
周辺に毎年、清楚な姿の水芭蕉が咲いてくれる。
年々、その数が少なくなり心配していた。
どうしたことか、今年は例年に無くとても多くの水芭蕉がひっそりと花を咲かせていた。
訪れる人も無く、とてもよい雰囲気であった。

 ところでこのところ毎日来て鳴いてくれる鶯があっという間に、上手に鳴くようになっていた。
木蓮のつぼみを大きくなってきている。
いよいよ「越後にも春なんだ」と思うと、とってもうれしくなり、わくわくしてしまう。
いつもの年よりずっと感じるこの気持ちはどうしてなのだろう。

春の音

2005年04月03日 | 日々これ好日
 今日は、昨日の晴天から一転、春雨の朝を迎えた。

 我が柄目木庵は周りに大邸宅ガ多く、大きな庭に樹木が多い。竹林も目の前である。
我が庵は小さくとも、すべて人様の庭は我が庭、あの秋葉の山も借景で我が山である。
今朝は、今年初めて鶯の声を聴いた。まだまだ練習中とみえて、とてもじゃあないが美しい鳴き声とはいえない。そのうちに聞き惚れるようになることだろう。

 昨日のことである。
 とてもお天気もよく、気分さわやか。怪我の治り具合も良いし、ちょっと出かけてみようと、いつものウォーキングに出かけた。
それとなく、春の息吹を探している自分であった。「柳、ねこやなぎ、ゆきやなぎ」の芽吹きがうれしい。それにまもなく沈丁花の匂いが楽しめそうである。さすがに、白梅。紅梅も盛りをちょっとすぎたかな、というところである。
 
 じつは歩きながら、「春が来たことの実感」は、草花や樹木ではなく思いがけないものであることに気づいた。
 団地などの道端に乗り捨てられた何台もの小さな子供自転車。その近くの広場で何人もの子供たちが、「きゃっきゃ、きゃっきゃ」と甲高い声を出して遊んでいた。
まさに春、これぞ春!だと思いました。

 昨日、それでも「新市誕生移動運用」のサービスをされている無線局から、いくつかの「新市」をゲットできました。10MHzはコンディション的に結構苦しかった。
その上のバンドはなおさら、あきらめてほとんどが7MHzでサービスしていただきました。
秋田由利本荘市、栃木さくら市、岐阜海津市、大分豊後大野市、宮城東松島市、新潟妙高市、静岡伊豆の国市、徳島阿波市などでした。JCC700のCnfmも時間の問題となったようです。
ただし、申請するのはちょっと大変だな、というところでしょうか。

またもや大実験!

2005年04月01日 | 日々これ好日
 昨晩から今日(4月1日)にかけては「新市の爆発!」で、それはそれはもう大変なことだったのではないでしょうか。この週末はもちろん当分収まらないのでしょうね。
いずれ私もおこぼれを頂戴しようと思っていますが、今は気持ちがダウン状態です。

 先月末から、楽しみにしていた埼玉の孫(少学3)がやってきました。
昨年から、「冬囲い」の解体を手伝わせていました。
今年は、「パリ・ダカールを疾走したパジェロエボリューション」のラジコンカーがご褒美です。
 
 その孫の「キックボード」を借りて、スーと滑り出したとたんに悲劇が生まれました。
あの小さなキックボードの車輪は、小さな障害物でも乗り越えられませんでした。
前のめり、しかも顔面の口を中心にしてコンクリートの地面に激突!
唇切損、前歯3本奥の方に曲がる、多量の出血。
 ピーポーピーポーに乗り、大学は「口腔再建外科」に運ばれました。
唇縫合、歯列矯正、頭部CTなど、それはもう大変でした。

 せっかくの「新市誕生」どころではありません。
半分開く口の中にストローやスプーンで流動食を流し込んでいます。

 驚いた埼玉の長男が駆けつけてくれました。心強いものですね。
さすがにアメリカ在住の次男家族には、心配させないように知らせてありません。

 井口さんや羽賀さん、他の皆さんにいただいたコメントにお返事をと考えましたが、
こんな情けない状態なのです。「年寄りの冷や水」とはよく言ったものですね。
米国ライセンスへの挑戦は、おおいに魅力はあるものの、気力不十分です。
身近なところで、ささやかな挑戦を楽しみたいと思います。

 みなさん、私はすぐに元気になります。
4月早々に、とんでもないお話で大変恐縮でした。
みなさんには、気持も新しく新年度のスタートを切られますことを願っています。