柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

日本海夕日ライン

2006年01月30日 | お出かけ
 昨日のことでした。
よいお天気に誘われて、三条市の「ハムショップ」まで出かけました。
帰り道はわざわざ遠回りしました。先週は荒れ模様で逆巻く怒涛を見ながら通った「日本海夕日ライン」を再度選んで見ました。

 選択は間違ってはいませんでした。ちょうど落日を迎えるタイミングに「なぎさ公園駐車場」に着きました。
 すでに巨大な大砲のようなレンズを持ったカメラを、がっちりスタンドで支えた何人かのカメラマンが、あちこちのポイントを占有していました。

 私は小さなポケット型のデジカメを取り出して、じゃんじゃん夕日を撮りまくりました。お日様はどんどん海面に近づいています。考えている暇はありません。
神秘的でさえある夕日は言葉には出来ないほどの美しさでした。


 

       

              

                      

モーツアルトの誕生日

2006年01月27日 | 音楽など
 今日はモーツアルトの誕生日だったそうです。

 今年は「モーツアルト生誕250年」にあたるということで、NHK/BS2で「まるごとモーツアルト入門」という番組がありました。
 真夜中には歌劇「魔笛」もあるようですが、こちらは時間的にも無理があるのでパスということにしました。

 すでに昨年から、モーツアルト、モーツアルトということで何かと話題になっていました。
にわかモーツアルト・フアンの私は、昨年ニューヨークで遊んだときに2度も「モーツアルトのコンサート」に出かけました。
 さらに「BEST MOZART 100」などという6枚組みのCDを車にセットして、走ればモーツアルトという状態になっています。

 たぶん、この一年間、日本では私のような「にわかモーツアルト・フアン」があふれ、コンサートもモーツアルト・コンサートがたくさん催されることでしょう。
悪いことではないと思います。
 いや、日本だけではなく世界中がそうでしょう。天才モーツアルトは短い生涯ながら、多くの人に愛されるすばらしい音楽をたくさん作り出しています。

 私も、しばしモーツアルトの音楽を鑑賞したり、その人となり知りたいと思っています。とても素敵なことだと思っています。

オリオン傾き

2006年01月24日 | 日々これ好日
 今宵は、エネルギー懇談会なる集いの新年会でした。

 夜8時頃の帰り道、凍てついてすべるので気をつけながら、そろりそろりと歩いていました。下ばかり見ながら緊張しての歩きなので結構くたびれます。
立ち止まり、ひょっいと空を見上げました。

 なんとあの懐かしい「オリオン」がちょうど南中を過ぎて、ちょっぴり西よりに過ぎた頃でした。そうか、春も近いのかな、などと感慨がわきました。
天頂あたりには雲も無く晴れているようで、ひときわ「オリオン」が際立っていました。

 オリオン舞い立ち・・・の歌が思わず口から漏れました。
それにしても、星空を眺めて季節の移ろいを感じたというのは、ほんとに久しぶりのような気がします。

 今宵は何かとても得をしたような気持ちでした。
ホリエモンは独居房での寒さに耐えていることでしょう。何を考えているものなのでしょうか。今宵の「オリオン」を見ることが出来たでしょうか。

冬の日本海

2006年01月23日 | お出かけ
 このところ、太平洋側に降雪・積雪があり、びっくりである。

 それに引き換え、少なくとも私の新潟では、このところ毎日お日様が顔を出してくれていた。
昨日の日曜日も大変よいお天気で、家で無線(トンツー)というのも不健康であると思い、急遽ドライブしようということになった。

 家内の姉妹夫婦の皆さんとの、ちょっとした旅行や宿泊による親睦会を例年行っている。今度は家内が当番である。前々から、候補地を考えていた。
そこで、兄夫婦を誘ってドライブがてらに下見をする先遣隊だ、ということになった。軽い昼食の後、出発。

 いろいろ考えたが、海岸沿いに南下して寺泊か出雲崎あたりまで、ということになった。
お天気はよし。ドライブ日和である。私の車チャレンジャーに二夫婦が和気あいあいのドライブで話も弾んでいた。

 阿賀野川に沿って下り、山ノ下地区から入船町まで信濃川河口の下に作られている「新潟みなとトンネル」を抜けた。
そこはもう日本海。海沿いを走る「日本海夕日ライン」を一路南下。まるで「シルクロード」を思わせるような砂丘の中を走る道でもある。
 やがて、信濃川を分流している「関屋分水」を超える。大河の流れと海水が激しくぶつかり合ってすさまじい波頭を作り出していた。

 途中、角田浜ではワイン蔵「カーブドッチ」に寄る。
ここは10年間にわたり、私たちも「ぶどうの木」のオーナーとしてかかわりを持ってきていた。今では大きな蔵となり、いくつかの施設を併設して、いろいろと楽しめるようになっている。
大きな古民家を移設改築した「まき小屋」というレストランに落ち着く。内部には名前の通りの「大きな薪」に火がついていて手作りソーセージなどを、その火で焼いて出してくれる。その美味しいことは天下一品であった。

 引き続き、海岸道路を南下。ここからは「越後七浦シーサイドライン」となっている。
角田山の麓を走る。この山は早春の「雪割草やかたくりの花」が見事である。
ダイナミックな岩の造形と海のコントラストを楽しみながら走る。さらに弥彦山の麓・野積の里でホテル「飛鳥」の様子などを、車から降りてフロントなどで調べたりした。

 この後、さらに寺泊に入り「魚のアメ横」や「日帰り湯」の様子などを見学。いずれも大変な賑わいであった。
しかし、先ほどの「ホテル飛鳥」が大変好感がもてたことと、いっそのこと今日はそこで泊まろうではないかと、相談がまとまった。
幸い、ベッドルームと和室のある部屋がとれた。下調べが本番にもなってしまったようなものであるが、おいしい「お刺身」や「温泉三昧」などで十分満足な一夜となった。

 ところが、夕方から夜半にかけて低気圧がやってきたようで、大変な荒れ模様となった。
朝風呂で窓の外を見ると、雪はたいしたことは無かったが、厳しい寒さで路面は凍結のようである。
ゆったりと時間とご馳走を楽しんだ後は、慎重な運転で帰宅することにした。

 来たときとは打って変わり、冬の日本海は牙をむき出して荒れ狂っていた。


        

衛星通信への工夫

2006年01月17日 | アマチュア無線
 我が家の例のグランドプレーン・アンテナ(50,144,430MHz)は、タワーの10mくらいの高さのところに設置してある。

 そのアンテナが最近、風雪の影響で垂直の状態から水平になっていた。
その水平状態が意外と衛星通信(Via VO-52)によかったのである。
ところが最近だんだんと受信シグナルも弱くなり、ほとんどQSOできなくなってきた。外に出て見上げるとアンテナは先端部を下に下げ始めて、水平状態からさらに30度くらい傾いてしまっていた。
春になってタワーに上れるまで待つより仕方ないようである。

 ところで、自分のダウンリンクを見つけることは、だんだん経験的に慣れてきて以前よりはうまくなってきていた。また、見失ってもすぐに再発見できるようにはなってきていた。
 しかし、この周波数関係はコンピュータ制御で、ラクチン運用が出来るように「ソフトとハード」がすでに存在する。簡単なハードというが僕の実力では,おいそれと言うわけにはいかない。

 そこで、送信周波数固定(435.250MHz)でシミュレーションしてみた。
その結果、
衛星が近づくとき
衛星が受け取る電波はドップラー効果で約10kHzプラスで435.260MHz。
それが衛星で2m帯に(逆ヘテロダイン)変換されて145.890MHzでこちらにやってくる。
当然ドーップラー・シフトがあり約3.5kHzプラスとなり145.893.5MHzとなって地上の我が家で受信できることになる。
 このようにして、衛星が地平線上に現れて(AOS)、しばらくはこの周波数近辺で聞こえることになる。

 衛星が頭上近く(Max.EL)を通過する前後で受信周波数は大きく高い方に13kHzくらい変化する。
手動での運用がかなり難しい時間となる。

 衛星が遠ざかるとき
衛星が地上から消える(LOS)までについてもドップラー・シフトを計算した。
詳しいことを避けるなら、衛星からの電波は145.906.5MHz近辺で聞こえてくることになる。

 このようなわけで、事前に送信周波数固定を
435.235MHzから435.265MHzまでを1kHzごとに、
そのときのAOS、Max.EL、LOS に対応する受信周波数を見やすい一覧表とした。

 昨晩は検証をかねて、435.260MHz送信、対応する145.884MHzでワッチ。
衛星が現れて、トトトを打つと聞こえるではないか。我がダウンリンクが。
衛星のMax.ELを過ぎて、これまた145.897に移りワッチ。聞こえた!

 ダウンリンクがこのようにうまくキャッチできることが、衛星通信の第一歩でもある。
高度の低いVO-52のような衛星は一回のパスが長くて10分ちょっと。
比較的周波数変化の少ない、AOSの後、LOSの前がタイミング的にはGoodのようである。

 ただ、いかんせんプアーなアンテナには泣ける!なかなかQSOできない。
しかし、今はエネルギーを蓄えておこう。
送信固定はCQを出して呼んでいただくには、とても都合がいい。
しかし、CQを出している局を呼ぶときの工夫がこれからの課題かな?と思っている。

 冬の夜をこのように楽しみながら過ごしました。
お立ち寄りいただいた方で、この衛星通信のことでいろいろと教えていただける方がおられましたら、ぜひよろしくお願いいたします。

水平型グランドプレーン

2006年01月13日 | アマチュア無線
 久々にアマチュア無線関連の話題です。

 以前に紹介したように、昨年末の暴風雪により私の「短波帯用の垂直アンテナ」は途中から90度折れ曲がってしまいました。
 ところが、今年に入り今度は「超短波用の垂直アンテナ」の本体が、Uボルトの潤みのために90度まわって垂直から水平状態となってしまっていました。

 不思議なものです。
その「折れ曲がりアンテナ」で、何度かQSO(通信)をしてみました。
今までと遜色なく電波は飛んでいってくれているようです。
 さらに、超短波用のアンテナ、今や「水平型グランドプレーン・アンテナ」となってしまったアンテナでのQSOも、ちゃんとやれるではありませんか。多少通達距離が短くなってしまったかもしれませんが。


先ほどの垂直アンテナは50,144,430MHz用のアンテナです。
そのアンテナを使って昨年末には「VO-52という衛星」を経由した通信にチャレンジして成功していました。
この衛星通信では、430MHzで衛星に電波を送ります。そして衛星内で144MHzの電波に変換されて地上に降りてくるのです。
このために144と430MHzの両方が使えて便利なアンテナでした。

 ところが、お隣の家では微弱な弥彦山からのTV電波ではよく映らないので、近くに設置されている中継局からの電波を受信しています。
なんとこの中継局からの電波が、こともあろうに「垂直偏ぱ」なのです。
私の430MHzと極めて近い周波数のU-チャンネル受信に、私の電波がお隣のTV電波に影響を与えていたので、衛星通信をしばし休んでいました。

 そこで、あることに気づきました。
衛星通信を楽しむに「水平偏ぱ」の電波を使えば、お隣への影響はなくなることでしょう。私のアンテナはすでに「水平型」になってしまっていたわけです。
ひょっとして、うまくいくかもしれない、とひらめきました。

 さっそく、昨晩のことです。CALSAT32というソフトで衛星の現れる時間を調べて待機しました。
とりあえず聞こえてくるだろうか、という程度の期待ではありました。
 ところが聞こえてくるではありませんか、でも弱いな。
自分の電波が衛星から降りてくることを確認できました。そうなると聞いているだけという手はありません。
CQを出している局を呼んでQSO成立。相手に合わせるのが難しいのでCQを出すとすかさず呼ばれた。さらにもう一局。
 久しぶりの興奮であった。

 実は今宵も、先ほどのパスで2局とQSO。
しばしこのようなアンテナで楽しめるという発見は、とてもうれしいものです。
しかし、もともとグランドプレーン・アンテナでは性能的に不足しているようです。「559」程度のレポートが多い。無理も無い。

 春になったら、144,430対応の八木アンテナをタワーに上げようと思っている。そうなるとアンテナも衛星を自動追尾できるようにしたい。受信・送信もソフトを使って操作が容易に行えるようにしたい。
またまた夢が膨らんできました。

ウィーンの大通り

2006年01月12日 | 音楽など
 連日の雪害報道である。さぞかしお困りであろうと心からお見舞い申し上げたい。
新潟県でもここ新潟市は10cm程度の積雪である。数日間続いている降雪の無い日がありがたい。
こうして書いている今も日差しがまぶしいくらいである。
お日様、がんばってくださいね!

 昨日は今年の「New Year Special Concert」を「りゅーとぴあコンサートホール」で堪能してきた。
 今年はウィーンを代表するいくつかのオーケストラからなるメンバー(Corso Wien)による演奏会である。
Corsoとは「大通り」を意味するそうです。ウィーンの情緒や文化は、ウィーンの通りのあちこち(曲目)で、また、ウィーンのあちこちから来た楽人たちの演奏で楽しんだり味わってほしいということなのでしょうか。

 第一部はウィーンといえば、やはりモーツアルトやベートーベン、シュトラウス一家となろう。「モーツアルト」の作品から2曲であった。
 ディベルティメント ニ長調 K.136
 クラリネット協奏曲 イ長調 K.622
 特にクラリネット協奏曲は、CDで何度も聞いている曲であり、彼の最後の作品でもあり、とても印象深く聴くことができた。
クラリネットのソリストと指揮者、16人編成のオーケストラの息もぴったりで、クラリネットってこんなに素敵な音色だったっけ、と思いながらも気分はリラックス、リラックス。
リラックス効果故にお医者様お勧めのモーツアルトだと頷けた。

 休憩時には、みなさんホワイエで思い思いの軽食やドリンクをとられるが、これがまたコンサートの雰囲気をぐっと盛り上げてくれる。
初めてサントリーホールで、このような体験をしたときにとても新鮮なリッチな気分になったことを思い出す。あのときのことが、病み付きになるきっかけだったのかもしれない。

 さあ、第二部はパーカッションや管楽器もたくさんになった。
何曲ものワルツやポルカが次々と軽快に演奏された。でも、春を渇望する私の耳に「ワルツ・春の声」は何といってもうれしい曲であった。

 ついに、アンコールタイムとなった。
まだまだ、ほら、あの曲の演奏が無いじゃあないか。
そうですね。
ニューイヤーコンサートというからには「美しく青きドナウ」です。
もちろん「ラデツキー行進曲」です。すばらしっかたです。
みんなで拍手拍手で痛くなった手をさすりながら、会場を後にしたのでした。


 実は今度の日曜日に、地元新津でもう一度「ニューイヤーコンサート」が聴ける予定である。今度は地元アマチュアである新潟交響楽団の演奏で楽しむことになっています。

8mmシングル8 Again!

2006年01月10日 | 日々これ好日
 みなさん、矢口さん、こちらはJA0AAQ/羽入です。

 いやー、矢口さんから思いもかけず貴重なコメントを寄せていただきました。
とってもうれしく、そしてありがたく思っています。
断りも無く、こちらに再掲させていただきました。
 時代が変わっても、親父というのは子供のために何かを残したい!と思うものなのでしょうね。そのひとつが「成長記録」かな。時代と共にメデアは変わりましたが、親父族の願いは同じようですね。
以下は、お寄せいただいたコメントです。皆さん、懐かしいですね。いかがですか。


8mm (信濃池田送信所) 2006-01-10 16:42:08

Oh,懐かしい!!昭和30年から40年代に掛けて流行りましたね、当時テレビに一般人の出演賞品で必ず出たと思います。私も保育園の頃撮影したフイルムがあります。無声映画ですが、何を言っているのか想像するのも楽しい物です。

 50年代にはいると家庭用ビデオが登場し、現在テレビ局で使っているような大きいカメラに、今の若者なら腰を抜かしそうな位重くて大きい携帯ビデオデッキを担いで親父が小学校の運動会を撮りました、当時VHS/βの戦争をやっていた頃です。今のようにニッケル水素なんて高尚なバッテリーがありませんから羊羹の形をした鉛蓄電池を2本持って撮影、しかもカメラはサチコン、ビジコン等の撮像管(CCDの個体でなくて真空管)を使用する重い体力との勝負でした。実際中学に入ってカメラとデッキを自転車の荷台に付けて中学まで持っていったが、自転車のフレームがしなったのを覚えています。

 その後完敗したソニーが8mmビデオなる物を開発し、「パスポートサイズ」と銘打って出たのが昭和60年代、爆発的に売れたのですが、ビクターもこれに真似してまたまた違う規格のVHS-Cを出したが大失敗、ソニーの独壇場となりました。しかし8mmの撮影機もこのくらいだったような・・・その後HI8の登場、各社も追随したのですが、ここからがソニーの独壇場で、8mmになって撮像管からCCDになり、バッテリーもニッケルカドミウム、ニッケル水素となりました。撮影モニタも小型ブラウン管からカラーブラウン管となり、液晶パネルへと進化、そして平成になってからデジタルビデオが登場しました。
 当時結婚してビデオを仕入れたのがこの時代、HI8のソニーのTR900でした。スペックは白黒モニタの手振れ防止付き(ナショナルが採用したデジタルではなくて現在主流となってるキヤノンなどが採用している機械補正方式)これを担いで妻とヨーロッパに行ったものです。喜んで撮っていると現地でテープが少なくなり、購入したらやたらと高い。しかし不思議なことに120分とうたっているのに150分くらい撮れる。理由はヨーロッパはパルなのでNTSCに比べ走査線が若干多くその分長くなったのだと後で気が付きました。確かにテープには”PAL”と銘記してあります。
 子供が保育園に上がった頃まで私のビデオは現役でしたが、とにかくお遊戯会などは凄い!。奥さん連がビデオを三脚に付け、何十台もカメラの列を作っているのには圧倒されました、しかもその9割がソニーで、ああいうところにソニー以外のビデオを持っていくと恥ずかしい、と言うことがよーーく解りました。
 その後、愚妻が「モニタが大きくてカラーの方が良い」などと贅沢なことを言いだし、どこで貯めたのか最新型のデジタルビデオを購入してしました。電池はリチウムイオンとなっていて、小さいくせに私の物より2倍も長く撮れる優れものでした。
 頭にくるのはメモリーステックなる独自のメモリを使って撮影できること、ですから、今なら980円で買えるUSBアダプタも当時パソコンのスロットにメモリーステックが入るスロットはソニーしかなく、一度もパソコンでは見ることができませんでした。 ちなみにモニタ画面のタッチパネルに使っている無色透明の導電性フイルム(詳しくしはスパッタリングフイルムという)は当社別工場の生産品です。
 現在は磁性体に記録する方式ではなくて半導体が主流のようでますます混沌としてきましたがどうなる事やら・・・・ 
 しかし、子供が生まれるとどうしてないお金を叩いて、どの家庭でもビデオを買うのが不思議です。 少子化になると売れ行きも落ちるからメーカーさん大変ですね。

 そう言えば、8mmのフイルムに混じって「エマニエル婦人」なんてのがありました。実は内容知らないんです、当時テーマ音楽こそは誰もが知っているフレーズで流れていたのですが、その内容は未だかつて解りません。 でも今、その方もエマニエル婦人でなくて、エマニエルおばさんになっているのでしょうね。

ゴミネタで失礼しました。話がそれましたがあまりの懐かしさに感動しました。

 ところで、8mmの撮影は16コマでしたか?ビデオカメラの同期と合っていたのでしょうか?

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 ここから、再びJA0AAQです。
 コマ数はどうも思い出せないのですが、16コマだったのではないでしょうか。
デジタルビデオでスクリーンを撮影するときに、縞模様の入ることを心配したのですが、実はまったく入りませんでした。
 今回のことで、高価なのですがデジタルのすばらしさを実感しました。

 どうぞ、興味のある方、経験のある方、遠慮なくコメントをお寄せください。





新春美術展

2006年01月10日 | 日々これ好日
 例年この時期、新潟市の三つのデパートで「新春美術展」が開かれる。
 
 毎年見に行くことを楽しみにしている。今年は昨日までの連休中を避けて、今日思い切って見に行ってきた。
幸い、あまり混雑することもなく、じっくりと各会場をまわることができた。

 まず「新潟三越」では、亡くなられる105歳まで現役で絵筆を離されなかった女性日本画家の「小倉遊亀」展である。
 伝統的な殻を破り、大胆なデフォルメと無駄をそぎ落としたような力強いその画風。
菩薩像はじめさまざまな画面には一貫して暖かい人間的なぬくもりを感ずることができた。

 すぐ近くの「新潟大和」会場では、「香り立つ日本の美」と題して、大観、古径はじめ現代作家までの作品の数々が並んでいた。
いずれの作品もまさに「日本の美が香り立つ」ものばかりで圧倒される。
昨年の末に訪れた茨城「岡倉天心記念館」、そしてそこで大観以下の人たちが合宿研鑽したということを思い出した。新しい日本画の原点であったのだろう。

 信濃川にかかる万代橋を渡り「新潟伊勢丹」へ。
ここでは「四大浮世絵師展」と題して、これまた世界的に有名な「写楽、北斎、歌麿、広重」の作品の数々。
 諸外国の画家たちにも強力なインパクトを与えた日本の浮世絵である。
世界に誇りうるすばらしいオリジナリティー、そして江戸時代の豪華に豊かな文化に目を見晴らされたのである。

 多くの人たちが、引きも切らさずに次々と会場を訪れている。
そして静かに鑑賞している。この至福のひとときがもてることが何か貴重なものに思われる。昨晩TVドラマで見た「かの国」ではどうなのだろう。

TV三昧の一日となりました。

2006年01月10日 | 日々これ好日
 昨日のことでした。結果的には、ほとんど一日中テレビを見ていたという一日になってしまいました。

 「NHK総合」朝の8時半から「夢の美術館・アジアの仏ベスト100」。
ニュースや他の番組もはさみながらも午後の3時頃までの放送でした。
ビデオの2時間を3倍モードで念のため録画しながら見ました。
 仏教のことと、次々に紹介される仏像と仏師の人となりなどの紹介は、まさに圧巻であり圧倒されました。仏への深い帰依なくしては仏像は生まれなかったことでしょう。一体一体の顔立ちや表情になんとも言えない慈しみが感じられます。 

「NHK」の午後7時半から「クローズアップ現代」。
「大好き!モーツアルト生演奏」でした。アイネクライネナハトムジークを聴きながら番組が始まりました。モーツアルト大好き人間の方々をゲストとしての番組。ノーベル賞受賞者の「物理学者・小柴先生」のモーツアルト論を聞きながら先生の魅力的な人柄を感じた。あのカミオカンデを見学したことが思い出されました。
 何を隠そう、私の車(CD10連装のチェンジャー内装)には、新春からすでに「モーツアルト・ベスト100」のCDが6枚セットされているのです。
 モーツアルト生誕250年の今年、私のような「にわかモーツアルトフアン」が増えて、関連の企画がたくさん催されることでしょう。いいことですよね。楽しみです。
実は明日、「コルソ・ウィーン」のコンサートに行くんですよ。
第一部はモーツアルトなんです。第二部はウィンナワルツです。

 そして夜、9時半から「テレビ新潟・TeNY」で拉致被害者の曽我ひとみさんのご主人「ジェンキンスさんの”告白”」のドラマ化されたものが放映された。
 私はすでに話題となっていた「告白」は読んでいた。
ニュースとして放送されていた画面なども取り入れられてドラマは生々しく展開された。改めてこの不条理な事件に憤りを覚えた。
なんともやり場の無い怒りがわいて来る。この地球上に未だに国際社会に背を向ける国のあることはとても残念なことである。

8mmシングル8

2006年01月08日 | 日々これ好日
 この「8mmシングル8」をご存知の方がどのくらいおいでになることでしょう。

 昨今の若いカップルは子供の誕生に合わせて、8ミリビデオ撮影機などを購入したりしているのではないでしょうか。
 実は、私も今を去ること40年前に長男誕生にあわせて、当時の富士写真から売り出されていた「シングル8」なる8ミリフィルム撮影機とその映写機を買ったのでした。
 以来12年間にわたって子供2人の成長記録なるものを撮っていました。
途中からカラーフィルムになったりしていました。


 時にはホームシアターよろしく映写会などもしてきたものでした。
ところが、時うつり子供たちも大きくなり親の手から離れました。
そしてそれぞれの家庭を持つまでになっています。メデアも時代と共に変わってしまいました。
何十年もの間、そのフィルムは日の目も見ずに保管されていました。

 このお正月休みの間に、帰省中の長男から自分の子供(孫)に自分の小さい頃の様子を見せたい、という提案があった。急遽映写会ということになり、道具一式を引っ張り出した。
 映写機は電源を入れても動かずあわてたが、回転部分のグリスが固まっていたようで、手で何度か回転させてからスイッチを入れたら無事動いてくれた。

 第一巻を装てんして映写機のスイッチを入れる。
カラカラと音を立てながら無声のフィルムが次々と懐かしい場面を映し出していく。
生まれたばかりの長男が、このフィルムを見ている孫とそっくりである。
みんなで興奮しながら、あれはどうだった!これは!と次々と解説が入る。

 今宵の映写会は時間も遅くなり、ここまでと打ち切り、その後真剣にメデア変換を考えた。インターネットで調べると、かなりの専門店でフィルムからビデオやDVDへのメデア変換をしてくれるようだ。しかし、かなり高額になるようだ。
 何本ものフィルムをつないで一年一本に編集してあった。12巻もある。

 よく日の晩も映写会の続きとなった。
長男が持参したデジタル撮影機でフィルム映写の画面を写してみると言う実験をした。
 大変な発見であった。
まず思いのほかデジタル撮影機が優秀で、スクリーン上の画面をとても鮮明に撮影できたことであった。
次に、見ているものが勝手に次々と画面の説明やら、思い出を語ることなどがそっくり録音されてしまっていた、さらに映写機のカラカラという音も入っている。

 スクリーンを撮影したものをテレビ画面上で再生してみた。
フィルム上で鑑賞するより、解説や歓声、それに映写機のカラカラまで入り、なんともいえないレトロな雰囲気ですばらしい映像となった。

 これで、何十年と埋もれていた我が家の「文化財?」が、いずれDVDとなり、それぞれの家族にも配布できるめどがついたようである。よかった!

 私の新しいノートパソコンに何巻分かを入れてもらった。メモリーに記録する最新の撮影機にはこんなことは、なんでもない当然の機能なのであった。
 私は、ノートパソコン持参で女房の実家にでも出張映写(パソコン画面で)に出かけようと思っている。

「玉手箱」を買いました。

2006年01月08日 | 日々これ好日
 今年の初売りには某量販店で、新しく「ノートパソコン」を買いました。

 長年活躍してくれてきた「私の初代ノートパソコン」は「DynaBOOK」でした。
Windowsも95、98、Meと載せ換えてきたのですが、対応するメモリーももう無いということで、超のろまな動作への我慢もここまでということで、このたびの引退をさせることにしました。

 今回は、長男に同行してもらって機種選びをしました。とても心強く頼りになりました。数多いノートパソコンのなかから、大きく分厚く、しかし、必要な周辺装置が内蔵されているものを選びました(実はB5型のような小型が高いのです)。スペックもそこそこです。

 その昔、私のパソコンは「富士通のワンボード・トレーニングキット」から始まりました。いわゆる「68系」から始まったわけです。
何台ものパソコン(自作も含んで)を経由して、再び「富士通FMV」との付き合いとなりました。

 ちびっこ台風(孫)も去りました。心落ち着けて新パソコンの諸設定に取り組みました。
パソコンの初期設定、インターネット接続(無線LAN接続)、Windows Update、ウィルス対策ソフトの設定、パソコン自体の(メーカー)アップデートなどと続いた。

 はっと息を呑むような美しい液晶画面、内蔵されている無線LANアダプタ(外部からは見えない)のスマートさ、マルチメデア対応のスーパーマルチドライブ、さらにフロッピードライブもありで泣かせる仕様である。
 何よりも、現時点では小気味よくさくさくと動くことが感動ものである。
そして家の中をあちこち移動してみて、「うん、ここでも使える!」などとご満悦である。

 この2代目ノートパソコンは初代を引き継いで、主として趣味のアマチュア無線関連での使用を考えている。
 まず。ロギングソフト「Hamlog」をここに移そうと思う。「Zlog関連」「AJA関連でAJAPA5」、それに衛星通信関連で「K-SAT」なども必要だろう。
その他いろいろと便利なソフトなどで「データセンター」を構築していきたい。

 たかが道具箱されど夢を詰め込める「玉手箱」でもあると思っている。
ただ、それらの夢が煙りとなってしまわないようにと願っている。

護摩堂山を楽しむ

2006年01月04日 | 旅行など
 今日の朝は、新雪がうっすらと積もり白一色となっていた。

 年始の挨拶に来た私の弟もお昼近くには帰っていった。
お日様も顔を出してきた。こうなるとじっとしている手はない。
すぐに車で護摩堂山を目指した。
そして30分後には登り始めていた。

     
          
               

 実は、ちょっと出発が遅かったことと、登山途中には雪景色に見とれて写真をばちばち撮っていたら、なんのことはない時間不足となり5合目で引き返すこととなった。しかし、里山ながら冬山を十分に堪能できた。
もちろん、ふもとの湯田上温泉のホテルでたっぷり温泉に浸かり、湯上りのコーヒーをいただいて帰ってきたことは言うまでもない。

元旦は晴天なり!

2006年01月02日 | 音楽など
 皆さんのお正月はどのように過ぎていますか。
 元旦はとってもよいお天気でしたね。

 元旦の昨日は、あんこ餅に雑煮を2個ずついただきました。
昨年の暮れに、家内の実家でついてもらった餅を、やわらかいうちに孫が適度な大きさに切ってくれました。そのせいか、殊のほか美味しかったように思います。

 午後からは家内が借りていたビデオ「続・ある愛の詩」をウオーキングがてらにレンタルビデオショップまで歩いて返却してきました。
帰りに、喫茶店「雨の樹」が元日からオープンしていましたので、コーヒーをいただいてきました。
このお店は2日,3日とお休みなんだそうです。元旦の喫茶店とはなんとも粋なことではないでしょうか。うれしい発見でした。

 夜、NHK総合で衛星中継の「ウィーンフィル・ニューイヤーコンサート2006」があるのでテレビに釘付けで聴きました。最後のアンコールの定番、「美しく青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」はやはり何度聴いてもしびれますね。

 はっと気づきました。9時から50MHzAMでのロールコールがあったのでした。
あわてて2階のシャックに駆け上がり無線機のチューニングをしましたが、すでに何も聞こえませんでした。
せっかくの今年始めてのロールコールには欠席となってしまいました。
キー局は、寒い中「角田山」に登って、そこからのキーステーションを勤められたはずです。いやー、申し訳ないかぎりです。

 どうも今年も、こんな調子で「づっこけながら」の生活となりそうです。

謹賀新年

2006年01月01日 | 日々これ好日

 

  みなさま、明けましておめでとうございます。 

 今年も皆さまにとリましてよい年であることを願っています。

今までどおり「柄目木庵(がらめきあん)」への来訪を心よりお願い申し上げます。

 さて、快晴の元旦を迎えております。新しい一年を健康で元気に過ごしたいものです。  

    心に残るQSO(無線通信)を体験したい。 

    小さな旅をたくさん心がけたいと思っています。

       いろんなところに出かけて、人や自然に触れてみたいものです。

     心癒されたり、勇気をいただけるコンサートを楽しみたい。

 

  このようにささやかな希望ですが、新しく一歩を踏み出します。

 皆さん、今年もどうぞよろしくお付き合いのほどを心からお願い申し上げます。