柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

国上寺イケメン壁画

2019年09月16日 | 良寛さまのことなど
 いつもの「H飛鳥」からの帰り道、越後最古の古刹「国上寺」に寄り道をしていました。
「良寛さま」にお会いしたいことと、国上寺生き残り戦略であろう「イケメン絵巻」の壁画群を見たかった。

 ここ越後にかかわりのある五人の偉人、生きた時代も違う五人を空想のもと、様々なシチュエーションで一緒に過ごす様子。
この発想の「ご住職」、それを、かの「木村了子」さんとのコラボで生まれた壁画。本堂の四面をその壁画で囲ってありました。
その五人とは「謙信、義経、弁慶、良寛、酒呑童子」です。私はあまりの表現に絶句でした。















 五人の偉人たちの、空想の世界であれ、甘美というか官能的というか、イケメン偉人たちに圧倒されました。

 確か、ここ「燕市」では壁画の展示を許可しないとか、SNS上でも大いに話題となっていたようです。
大いに話題にしてほしいというご住職の戦略でもあるようです。
私たちの多く、特に若い人たちの「仏教ばなれ」を見据えた仏寺の苦悩も見えた気がしました。

良寛さまと書家のコラボ展

2018年09月05日 | 良寛さまのことなど
 さて、台風21号も通り過ぎてくれました。
今日、5日(水)は何事もなかったような、ここ新潟市秋葉区です。晴れたり曇ったりのお天気模様です。
今朝ほどは、家の周りなど台風対策をしていたものを元に戻す作業などで、ひと汗しました。

 関西方面の台風による被害の様子が、次々と報道されていました。
台風の恐るべきエネルギーとその破壊力の光景をまざまざと見せつけられました。ただただ心からのお見舞いを申しあげます。

 
 こんな時に場違いな記事を書くことに、ちょっと後ろめたさも感じています。
さりとて、久々の感動の冷めやらぬうちにと思っています。

 この日曜日(2日)、私たち二人はドライブもかねて長岡市和島の「良寛の里 美術館」を訪れていました。
新潟日報紙に紹介されていた「良寛と泉田佑子書展」でした。
「書家 泉田さん」もおいでになり作品への思いなどもお聞きできました。
和服姿のとても似合いの方でした。かつて「十日町市・初代着物の女王」にもなられていたようでした。
しかし、DVD映写で拝見した作品制作の姿・様子は、まったくの別人。表現者としての真剣さ気迫、そのものでした。

 良寛生誕260年企画展「花は咲く・すべての人々の心に愛の花を」がメインテーマ。
「花」の一文字を様々なバリエーションで表現された作品の数々。巨大なアクリル板の裏表に「花火」をイメージした作品などなど。
圧巻、圧倒の気迫あふれる作品群に魅せられたひと時を過ごすことができました。
作品を写真に撮ることは許されることではありませんので、残念ですが、仕方ありませんよね。

 常設の「良寛さまの書」の方も、久々にたっぷり拝見できました。手毬をモチーフにしたステンドグラスは、とても素敵でした。








「良寛さまと貞心尼」の出会い、これほど麗しい出会いはほかにあるでしょうか。
良寛さまは子供たちと「手毬をつくこと」が大好きでした。
 じつは、まだ書きたいことはあるのですが、この辺で区切りをつけないといけませんよね。それでは、後でまた。




帰り道での出会い

2018年08月24日 | 良寛さまのことなど
今日は24日(金)です。台風20号はたぶん佐渡沖の日本海を通過中でしょうか。
さいわいと言うか、雨も風も大したことがない状態です。しかし、上陸した地域では河川の氾濫も起きているようで、心痛みます。
 
 じつは、昨日、台風によるフェーン現象で、ここ新潟県では胎内市、三条市などついに40度Cを超える新記録となる超高気温となりました。
私ども新潟市でも限りなく40度C近い気温となり、外に出ると呼吸も苦しく、肌もヒリヒリというような、まさに危険な状態を実感できました。

 ところで、「お盆の休暇」の締めくくりをしていないようで、気がかりでした。時期を失した感もありますが、書いておきたいと思っていました。

 あの日(18日・土)、ホテルをチェックアウトして「寺泊・魚のアメ横」まで出かけて、「鮭の切り身のパック」をいくつか求めました。
そして、再び出発点近くにもどり、ピザカフェに入りました。ここは「ナポリピザ協会認定の店」で、県内ではここ一か所のみだそうです。
4種類のピザを注文して、それぞれを5人でとり分けていただきました。もちろん、とてもおいしくいただきました。お店の雰囲気も素敵でした。




 私は、ここで予期せぬ出会いに感激していました。
お店のカウンターに何気なく置かれていた一冊の本。ちょっとお借りして、パラパラとめくってみました。
その本はごく最近出版されたばかりで、「良寛さま」が「野の花について詠まれていた和歌」を集めた本でした。
和歌などの解説は「本間 明」さん、挿絵の花の水彩画は「外山 康夫」さんでした。

 解説されている本間さんは、このカフェの近くの別荘地に「良寛百花園」で野の花を育てておいでになる良寛研究者でもあります。
私は、以前、その「百花園」を見せていただいていました。このカフェで拝見した本には「本間」さんのサインがありました。
また外山さんについては、秋葉区の県立植物園で「花の絵展示会」で、その作品は何度か拝見していました。
「外山康夫 野の花館」を「南魚沼市」で開設されている方です。これ以上は考えられないベストコンビでの著書ではないでしょうか。


 私は帰宅後、すぐに書店に注文、すでに手元に届いています。
これからは、私も敬愛してやまない「良寛さま」も愛でられたであろう「四季折々の野の花」などを撮ってみよう、そんな風に思っています。
思いがけない「良寛さま」との出会い・再会でしょうか、ほんとにうれしいものでした。

秋のお彼岸

2017年09月23日 | 良寛さまのことなど
 今日は、まあお天気もよかった、と言うところでしょうか。
このところ、お彼岸にお墓参りをするようになっていました。

 あの暑い炎天下でのお墓参りは、若い家族、長男家族に任せて、このしのぎ易いお彼岸の頃に、私たち夫婦はお参りです。
お彼岸の頃になると、我が家では「ムラサキシキブ」が見事になります。「ドウダンツツジ」は早くも色づきはじめています。




 我が家の檀家寺は長岡市和島の「隆泉寺」です。浄土真宗のお寺ですが、禅僧である「良寛さま」のお墓があります。




 真ん中のお墓が「良寛さまのお墓」です。左側は良寛さまの弟「由之さんのお墓」、右は晩年の良寛さまを支えた「木村家」のお墓。




 今年も爽やかにお墓参りができて、よい一日となったようです。
こんなことって、やはり大切なことですよね。季節・自然の変わり目でもある「お彼岸」ですね。

長岡島崎の「和み屋」

2017年07月27日 | 良寛さまのことなど
 22日(土)、寺泊でオープンガーデンを見せていただいてから、島崎の「和み屋」を訪れました。
さいわいお昼時の騒々しいひと時も済んで、お客も途絶えてとても静かな中で、昼食の「冷やし中華そば」をいただくことができました。

 写真でご覧いただけるように、ここはとても素敵な「良寛さまの歌」などが障子戸を利用して紹介しています。
















 わたしは、いつも毎年、お墓参りの時などに必ず訪れているお気に入りの「和み屋」なのです。
たっぷり時間をかけてのお食事の後は、「ガンジー牛乳」からの「ソフトクリーム」です。
ここでしか味わいない、濃厚でありながらソフトな味、他では味わいないものなのです。
同行の家内のお友達も、すっかり「和み屋」がお気に召したようでした。


 最後に、燕市の「ストックバスター」で、草取り用の「鎌のようなもの」を買いました。
これで、我が家の庭に生えてくる雑草と戦うつもりです。とはいえ、雑草の生命力にいつも負けてしまうのですが。


良寛さまお待たせ

2017年01月29日 | 良寛さまのことなど
 28日(土)の朝、寺泊の「ホテル飛鳥」から佐渡島の金北山の白い峰も見えてきていました。
帰り道については、いろいろと考えられましたが、ここまで来て「良寛さま」にご挨拶をしないというのは、無しです。

 チェックアウト後は「五合庵」を目指して走りました。
この時期の「月見坂」を登ってと言うコースは初めてでした。さいわいブルドーザーが除雪してくれていました。

 我が愛車「Wish」は力強く登ってくれます。途中、はやくも花咲かせている「蝋梅」を横目に、良寛さまも苦労された「月見坂」を一気に登りました。
雪の「本覚院」駐車場に到着。長靴などに履き替えて、しばしの登坂です。僅かな積雪とはいえ、人の歩いた跡がありません。










 息が弾む前にもう到着です。あら、うれしや! 人の足跡もない状態の「五合庵」。
お待たせしました「良寛さま」。ほんとにご無沙汰していました。




 「五合庵」は「炊くほどは 風がもてくる 落葉かな」の充実の空間とはいえ、厳しい寒さの冬の夜、いかに過ごされていたのでしょうか。
去りがたい気持ちを残しながら、私たちはつぎなる「寄り道」に向かいました。
「弥彦神社」に新年のご挨拶を、そんな風に思い車を走らせました。

良寛さまも行かしたろ

2016年09月18日 | 良寛さまのことなど
この日(10日・土)、ゆったりと過ごした「H飛鳥」をチェックアウト。
「大河津分水路」をちょっと遡ると、そこはもう「国上山(くがみやま)」と「国上寺(こくじょうじ)」への道に入ります。

 最近の私たちは「国上寺」への道路ではなく、「月見坂」を通り「本覚院」への道を車で登ります。
とても狭い道を曲がりくねりながら「月見坂」を登ります。
実は、この道こそ托鉢帰りの「良寛さま」が、夕暮れ時、とぼとぼと登られた道に違いないのです。

 「本覚院」駐車場に到着すると、すぐに見に行くのが「山頭火の句碑」です。
「青葉分け行く良寛さまも行かしたろ」。「うん、そうだよね」いつも納得しながら、「五合庵」への道を登ります。




 このたびは、あえて「モノクローム」撮影で五合庵に迫ってみました。





 この解放的な自然空間、そしてこの小さな庵の空間こそ、「良寛さま」を育んだものだったのでしょうね。
それは、厳しくもあり豊かなものでもあったに違いありません。

 じつは、撮ってきた画像を見ながら、ただでさえコントラストの強い日差し・木漏れ日の中での白黒撮影は無茶だったと反省でした。
もう少し、やわらかく初秋の光景を表現できなかったのか、やはりカラーでの撮影をすべきであったと反省しています。
友人のすばらしい白黒写真による表現に魅せられて、今回の試みだったのですが、写真表現の奥深さを改めて知らされました。

 この後、一気に「秋葉区」目指して戻りました。「柄目木庵」においでいただいた皆さんには、ほんとに「ありがとうございました」です。
近いうちに、また、今度は「秋色・秋の風情」を愛でに出かけたいと思っています。

「五合庵」を訪ねて

2014年10月03日 | 良寛さまのことなど
 道の駅「わしま良寛の里」で、昼食をいただき「ガンジーソフト」で心も体も満たされてしまいました。

 せっかくだから、久々に「五合庵」を訪れてみようと思いました。9月22日のことでした。
いつもは「弥彦山」の左隣に「国上山」を見ているのですが、今日は「国上山」が右手に見えています。


 その「国上山」の山麓から「月見坂」を通り「本覚院」まで車で登ります。すぐその上に「五合庵」があります。
この道こそ「良寛さま」が托鉢などの折に通られた道であろうと思いました。
途中には、さらに齢を重ねた良寛さまが住まわれた「乙子神社の草庵」への道もありました。


 「本覚院」を出て、ゆっくり山道を登ります。
子供たちの遠足だったのでしょうか、元気な声が響いていました。
「五合庵」に到着すると、右手の「国上寺」に通じる階段を子供たちが登っている状態でした。


 急にいつものように「五合庵」は静寂につつまれました。
数人の先生方が子供たちの忘れものチェックをされていました。


 この日のカメラには例の「魚眼レンズ」が装着されていました。
秋の温もりの陽ざしを浴びながら「五合庵」は、まぶしいほどでした。




 何度か建て替えられているとは聞いています。「五合庵」の中まで撮ってみました。
この空間こそが「良寛さまの世界」を生み出した、クリエイテェブな広さであったわけですよね。


 とはいえ、五合庵を取り巻く山々と自然、良寛さまを支えた地域の人たち、このすごく広い空間、人脈、
これらすべてが「良寛さま」の財産だったのでしょうね。豊かに過ごされたのではないでしょうか。

 久しぶりの「五合庵」はさわやかで素敵でしたよ。


 なおブログ「柄目木庵・収蔵庫」に「まちの駅・ぽっぽ」や「新津下越病院ギャラリー」に展示中の
私の写真作品を載せました。どうぞ、お立ち寄りくださいますよう、ご案内申し上げます。

良寛の里

2014年10月01日 | 良寛さまのことなど
 秋のお彼岸となり9月22日にお墓参りをしてきていました。

 我が家のお墓は、今は長岡市ですが「わしまの隆泉寺」の墓地にあります。
いつものように、丁寧に墓掃除をして、お参りをしました。

 本堂の裏手には、「良寛さま」のお墓を中心に「木村家」と「良寛さまの弟の由之」のお墓もあります。
そして、良寛さまのお墓にも手を合わせました。

 それからは道の駅「良寛の里 わしま」の一角にある「お休み処・和らぎ家」に立ち寄るのが、いつものパターンなのです。
とても素敵な、今風に言えば「カフェ」でしょうか。まさに「やわらぎ」のカフェなのです。




 たいていは、ここでお昼として、デザートは「ガンジースイーツ」をいただきます。
カフェと和室を仕切る「障子戸」は、私にとってはもう言うことなし、最高なのです。
カメラを構えた私のために、お店の女性がわざわざ閉めてくださいました。カシャリ、カシャリ。


 写真に撮ってきた3組の「障子戸」によるディスプレーは、いかがでしょう。




 特に、この最後の障子戸に紹介されているのは「良寛と貞心尼」の出会いの様子ですね。
なんとも、ほのぼのとした二人の様子に「やわらぎ」を覚えます。


 この後、どうしても「五合庵」にも立ち寄りたくなりました。

良寛さま2

2014年03月05日 | 良寛さまのことなど
 「本覚院」の駐車場にある案内看板です。
ほんとを言うと、この「月見坂」から「本覚院」経由の「五合庵」への道は、秘密にしておきたい気持ちです。
なかなか素敵な道なのです。特に足腰が弱くなってみると、ありがたい道です。
普段は、「国上寺」を通り抜けて「五合庵」への道をたどることが多く、帰りは「千眼堂吊り橋」から戻ります。


 うれしいことに「本覚院」には「良寛さまの詩」や「山頭火の俳句」なども紹介されていて、うれしくなります。




 「青葉分け行く良寛さまも行かしたろ 山頭火」、私たち夫婦も、良寛さま、山頭火に続いて「五合庵」への道を上りました。


 息が切れる前に、もう「五合庵」でした。うっすらと「雪化粧の五合庵」は格別でした。2枚も載せちゃいますね。




 近づいて、離れて、右から左から、後ろに回り、カシャリ、カシャリ。
ここを訪れるようになって「五合庵」の写真は、春夏秋冬それぞれに何枚撮ったのでしょう。

 ここに来ると、良寛さまの書「いろは」や「一二三」が思い出されます。
いつも初心に立ち返り、元気をいただき、リフレッシュして帰ることができます。

良寛さま1

2014年03月03日 | 良寛さまのことなど
 実は昨日の日曜日(2日)、午後になってからのことです。電話で予約ができました。
いつもの寺泊岬の「H飛鳥」に出かけ、そして、いつもの部屋に落ち着くことができました。
佐渡島も見えない曇り空の海ではありますが、海を一望しながらの温泉入浴は格別です。

 今朝ほどの目覚めもさわやか、ここでの朝食のバイキングもお気に入りです。
コーヒーをお代わりしながら、今日の帰り道のプランを考えました。

 そうなんです。何度もこの「H飛鳥」に来ながら「夕日撮影」にばかり夢中になっていました。
それこそ、ごぶさたしていました。久々に「良寛さま」にご挨拶しようと思いました。

 車から春の霧に隠されながらも「国上山」の稜線が見えました。
今日は、まず「月見坂」を上って「本覚院」を目指しました。


 良寛さまも托鉢の行き帰りには、上り下りされたであろう「月見坂」、その途中に見事な「蝋梅」を発見しました。




 やがて「本覚院」に到着しましたが、ぐいぐいと坂道を上ってきたから標高が上り、昨夜の雪で屋根や山茶花が白くなっていました。




 「良寛さまの歌碑」をみて、懐かしさがこみ上げてきました。
春よ!早く来なさいよ。良寛さまも待ちかねておいでだったのでしょうね。

 「やまぶきの花をたおりておもふどし かがす春日はくれずともがな」 良寛



お彼岸の中日

2013年03月20日 | 良寛さまのことなど
 歳を重ねると、人並みに「仏心」が沸いてくるとでもいうのでしょうか。
ご先祖さまに、ときどき思いを馳せるようなことが多くなったかな、そんな気がしています。
今日は「黄砂プラス」の飛散がひどくて視界も不良、それでも「お墓参り」に出かけてきました。

 墓石に水を掛けながら、日ごろの無沙汰を詫びながら、きれいに仕上げ、しっかりとお参りをしました。
それでも、手を合わせ「南無阿弥陀仏」を何回か繰り返すと、気持ちが落ち着くと言うか爽やかになります。

 私のところは、長岡市和島の「隆泉寺(浄土真宗本願寺派)」が菩提寺です。
なぜか、禅宗のお坊様であった「良寛さまのお墓」のあるお寺です。
そのためでしょう。私は幼いころから「良寛さま」をとても身近に感じながら育ってきました。






 このクロッカスは、木村家の「良寛さま終焉の地」の石碑の前に咲いていました。


 「立春」が暦の上で「春のはじまり」とするなら、「春分」はまさにほんものの「春が来た」、そんな風に思える時季ですよね。
それにしても、今年は「山茶花や侘び助」の花が、今まで見たことも無いほど見事に咲き競っています。
また、いずこでも「桜の花の開花」が、かなり例年より早いと言うような予報が出ています。

 まあ、素敵なことなのでしょうが、今年が異常気象になる前兆だとするなら不気味なこととなりますよね。
ちょっと、心配しています。

久々の五合庵

2012年12月07日 | 良寛さまのことなど
 いきなり初雪となった12月1日でしたが、その翌日久々に「五合庵」に立ち寄ってみました。

 このところ、もっぱら五合庵への近道を利用しています。
また、この道は国上山の麓の集落から「月見坂」を、「本覚院」まで登ります。
おそらく、この道を「良寛さま」も登られたであろうと思っています。

 本覚院に車を止めて、本覚院にお参りをして「五合庵」への道を上ります。






 ちょっと登って、上を見上げると「五合庵」の屋根が見えました。
今回は、ちょっといつもと違った撮り方を心がけたのですが、どうもどうも、でした。








 一度、雪に埋もれた「五合庵」を撮ってみたいと思っているのですが、きっと大変なことでしょうね。
撮る前から尻込みしているようでは、無理ですよね。

個人展「五合庵」を終わり

2012年08月26日 | 良寛さまのことなど


 私たちの写真グループ「PHOTOグループF」では、今年から「グループ展」の他にメンバーによる「個人展」が企画されて
います。会場はいつもの秋葉区本町通「みちの駅・ぽっぽ」です。

 今月6日(月)から、お盆休みをはさんで、この24日(金)まで私の「個人展・五合庵」がありました。
この「柄目木庵」のブックマーク「柄目木庵・収蔵庫」から、ご覧いただけるようになっています。

 とても小さな「個人展」でしたが、自分なりの「良寛さまによせる思い」を表現できたかな、そんな風に思っています。
じつは、この個人展を機会に改めて「良寛さま」のことなどを書物などで学んでいるところです。

 高校時代のお友達が、それならばと千葉からプレゼントしてくれた「北川省一著・良寛遊戯」を読み終わりました。
良寛さまに魅せられた人は数えきれません。いずれお会いすべき「故・北川氏」ではあったと思いました。
良寛さまを通じて、じつに多くの方と出会えることに、うれしさを禁じ得ません。

 そして、その「北川さん」のご子息「北川フラム編・いま、そこにいる良寛」を目下読んでいるところです。
「良寛さま」によせる多くの皆さんの「文章やコメント」が、たまりません。

 さらに、NST放送「良寛入門講座」全8回講座に通っています。
全国良寛会副会長・新潟大学名誉教授「加藤 僖一」先生が講師をされています。

 私にとっては、良寛さま」なのですが、多くの人は「良寛さん」のようです。さらに「良寛さ」とも。
いつか私にも「良寛さん」と呼べる日がくるといいなあ、と思っています。



 私の「個人展」と入れ替わり「PHOTOグループF」の第14回展が開かれています。

 私の作品は「柄目木庵・収蔵庫」のほうでも、ご紹介しています。よろしくです。

ぶらり五合庵

2012年07月18日 | 良寛さまのことなど
 この7月に入ったある日のこと、ぶらりと「五合庵」を訪ねてみていました。

 「PHOTOグループF」のメンバーがひとりずつ作品展(早い話が個展)を持つことになっていました。
この8月中旬に、私の順番となっています。それとなしに「構想」を練っているのですが、私は何の写真を
展示すればいいのだろうかと、悩み続けてきていました。

 そこで、思い切って「五合庵」に出かけてみたという次第でした。

 今回も「国上寺」経由ではなく、「本覚院」を目指しました。そのすぐ上が「五合庵」なのです。
なんと、「本覚院」までのぐにゃぐにゃ坂道が「月見坂」というそうです。うれしい発見でした。
たぶん、「良寛さま」も,こちらの道を上られることが多かったのではないでしょうか。

 前回はまだ残雪の「本覚院」でした。「山頭火」の句碑も健在で、うれしくなりました。




 例により、あちらから、こちらから「五合庵」をカシャリカシャリ、でももう一つ満足のいく写真になりませんでした。




 思い切って、一度「国上山」麓に戻り、再度「国上寺」への道を登りました。
途中、歳を重ねられ体力的に不安を覚えられた良寛さまが、移り住まわれた「乙子神社草庵」に寄ってみました。
ここでは、多くの人を、そして私も魅了されている「漢詩碑」があります。読み下し文を撮って来ました。




 最後は「朝日山展望台」での、「良寛さまと童たち」の像です。


 思うような写真は撮れませんでしたが、収穫もありました。
私の「ひとり展・個展」は「五合庵」をテーマに「私の良寛さまに寄せる思い」のようなものを表現してみたい。
そんな風に心が決まると、帰り道はなんとも軽やかでした。

 いずれこの「柄目木庵」でも発表できるでしょうが、会場の関係でわずかな枚数の写真でまとめる予定です。