柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

湯殿山から米沢へ

2008年10月04日 | お出かけ
 このところ、私にしては珍しく、忙しい日々でした。そして、もう10月となっていました。

 先月末(29,30日)、山形県は「湯殿山神社そして米沢市へ」と450kmほどを走ってきました。

 湯殿山神社には、毎年参拝してくる慣わしが家内の実家にはあるのです。
今年も、私がドライバーを引き受けて、実家の兄夫婦、もう一人の姉、そして私ども五人が一台の車でした。
車中は「おしゃべりエネルギー」が充満、海岸線をどんどこと北へ走り、あっという間の「湯殿山神社」でした。

 この神社は「神社の様子を人に聞かせたり、写真に撮ることは禁止」です。
専用バスでさらに山奥へ。そして歩いて10分ほどで「奥の院のご神体」です。
さすがに「聖域」という風情です。お祓いを受け、さらに「湯のあふれるご神体」に登りました。これで、身も心も清らかとなったようでした。

 午後は、私の提案で「米沢市」経由で帰ることにしました。
私としては「天地人」ゆかりの米沢を案内したかったのでした。
 
 まず、「林泉寺」に案内しました。
ここには、柵に囲われた墓地に「上杉一族の奥方や家族の墓」があります。
また別の墓地の所には「上杉家代々の武将たち」のお墓がありました。

 その一角に「直江 兼続」とその奥方「お船(せん)」の墓が並んで建っていました。夫婦の墓が並んで建っているというのは特別のことです。
       

 すでに夕方近くとなっていました。
みんなで急きょ、ここ米沢で一泊することとしました。
姪から今宵の宿を「インターネット」で予約してもらって、ひと安心!
携帯電話とインターネットと便利な世の中です。

 そして、「上杉神社」へと到着です。
「上杉謙信と鷹山(ようざん)」を祭神としているようです。
「なせば成る・・・・」の格言が、「九代藩主・鷹山公」によるものであることを知り、一同感銘を受けることしきりでした。
かの「ケネディー大統領」も尊敬する日本人として挙げた「鷹山」なのでした。
困窮を極めた「米沢の復興」に尽くした名君であった人です。
          

          

 この後、「代々の上杉・米沢藩主の廟所」に行きました。
すでに、5時をちょっと回っていたのです。見学時間は5時締め切りでした。
ところが、私たちが新潟から来たことがわかると、案内の方が扉を開けてくれて、とても丁寧親切に解説をしてくれたのでした。
米沢の人々は「新潟の人」には特別な好意を持っていてくださることが、実感できたのでした。
 
 その夜は、米沢のホテルで夜景を見ながらやすみました。
さて、翌日、私どもは再び「上杉神社、上杉博物館」へと足を運んで、米沢を堪能したのでした。
新潟からの私たちに、地元高校生が親しく語りかけ、彼女たちが勧めてくれた「米沢ラーメン」がけっこうおいしっかったのもうれしいことでした。
とても気に入った「米沢」でした。

 午後になって、ようやく帰路に着きました。小国町経由でした。
旅を共にした皆さんから、「充実したよい旅だった」と喜んでいただきました。
次なる目標は、やはり「天地人」ゆかりの「上越市」という風に決まりました。