柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

「ぽっぽまちの駅」

2010年11月30日 | 日々これ好日
 
写真を撮り始めて、いまだに楽しめているのには理由があるようです。
それは、「いい仲間」や「いいグループ」との出会いにあるようです。それに「作品発表の機会」がけっこうあるからでしょうか。

 私たち5人の「PHOTOグループf」の第7回目の作品展が、「ぽっぽ まちの駅」で26日から始まっています。
「撮影」から「My プリント」まで、作品へのすべての過程(こだわり)を楽しんでいるグループです。


 今回、私は新潟市中央区のランドマーク「NEXT21 と ときメッセ」を被写体に選んでみました。


 いよいよ晩秋から初冬の風情となって来ました。
私は昨日の大荒れで「霰(あられ)」が降ったので、さっそく「スタッドレスタイヤ」に交換しました。




 「追記」
  忘れるところでした。
 実は、このBLOG[柄目木庵」は、今月で「満6年」経ちました。自分でもよく継続できたものだと思っています。
 2004年11月17日に書いた「初日の記事」は、今もって私の「思い」です。
 やはり、読んでくださる方がおいでになる、これが継続へのエネルギーです。みなさま、ほんとにありがとうございます。

 これからも気張らずに、書けるときに気軽に写真や書き込みをしていきたいと思います。
 どうぞ、これからもお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

奈良への旅(本願寺)

2010年11月29日 | フォトギャラリー
 
いよいよ今日(20日・土曜日)は新潟に帰る日となっていました。

 昨日は、ホテル(ペンションと言うべきか)のご主人の「アンプやスピーカーシステム」を試聴させていただきました。
「アルテックやJBLの大きなシステム」がデンと置いてあり、弦楽曲を静かに聴きながら、オーディオ談義を楽しみました。
また、同宿のご夫婦と「奈良での旅」について会話も弾みました。これらこそ旅の醍醐味でありました。

 ホテルの朝食後、すぐにチェックアウトして三条通りを「JR奈良駅」に向かいました。
「快速・みやこ路」に乗車、小一時間で「京都駅」到着。
目の前に「タワーホテル」がありました。私の退職翌日に宿泊して家内と一緒に京都で遊んだ思い出のホテルでした。


 予約している東京行き「のぞみ」の時刻まで3時間ありました。
駅前の有名ポイント行きのバス乗り場は、すでにすごい人、人でした。
こうなると一番頼れるのは自分の足だけです。さあ、ピンポイントで行けるところはどこか?

 「烏丸通」へと歩き出すと巨大な「東本願寺」が現れました。






 こうなると「お東」だけではどうも片手落ちということで、堀川通りに移動して「(西)本願寺」を訪れてみました。
いずれの本願寺でも、再来年(平成24年)は「親鸞聖人750回忌」と言うことで建造物の修復などに力を入れているようでした。
まことに巨大な圧倒される大伽藍です。










 いよいよ「奈良・京都」ともお別れです。
新幹線「のぞみ、とき」を乗り継いで新潟駅。やはり新潟の味が恋しくなっていました。
お刺身かお寿司ですね。その日は「お寿司」で大満腹、いつかまた、こんな旅がしたいね、そんな気持ちになっていました。

 思い出すままに書き連ねてきたら、思いがけず長期間に及んでしまいました。
お付き合いいただいた皆さんには、心から感謝申し上げます。ほんとにありがとうございました。

奈良への旅(法隆寺)

2010年11月28日 | フォトギャラリー
 バスで「法隆寺」に到着です。広い参道を南大門を通り中門に向かいます。
多くの休憩所、食堂、お土産さんなどが続いていて、懐かしさが蘇ってきました。

 「中門と五重塔」の姿は一幅の絵のようです。
「法隆寺」は「金堂と五重塔」が左右に並んでいるのが特徴のようです。後ろの「講堂」は補修中でした。
「飛鳥時代」の姿を今に伝える世界最古の木造建築は、さすがに威風堂々たるものでした。 








 「大宝蔵院」で、数々の「国宝級の仏像や宝物」などが見学できました。
この中には平成10年に落成した「百済観音堂」の中に「百済観音像」が安置されていました。
実は、この春、「新潟県立近代美術館」で私たちは「百済観音像」のレプリカを拝見していました。
わが女房殿は、高校の修学旅行以来この「百済観音像」の美しさの虜になっていたのです。
彼女は、今日のご対面を、ずっとずっと楽しみにしていたようです。尋常でない感激ぶりでした。


 西の伽藍を出て東の伽藍に移りました。美しい「夢殿」です。またもや、高校時代にタイムスリップしてしまいました。


 さて、お隣には「中宮寺」があります。
それこそ高校時代から、美しきものそれは中宮寺の「半跏思惟像」と思い続けてきていた私です。
やはり「新潟県立近代美術館」での「奈良の古寺と仏像展」で、本物の「国宝菩薩半跏像」を拝見していました。
高鳴る胸を押さえながら、中宮寺の門をくぐりました。


 その昔、私の記憶にある「中宮寺本道」とはあまりに違っていました。古ぼけ煤けた本堂ではありませんでした。
池があり、その中の列柱の上に本堂は建てられていました。極楽浄土をイメージしたものでしょうか。

 しかし、本堂の一番奥にあの「半跏思惟像」(私はこのようにお習いしたように記憶しているのですが、「菩薩半跏像」というようです)が
静かに静かにおいでになりました。なんという魅力的な「微笑みとお姿」でしょうか。思わず手を合わせていました。


 私たち二人の「奈良への旅」も、まだまだ訪れてみたいところは山ほどです。
しかし、一応この辺で一区切りと考えています。
これから「興福寺」の近くのホテルに戻り、明日の予定を検討することとしました。

奈良への旅(唐招提寺)

2010年11月27日 | フォトギャラリー
 私たちは「薬師寺」から「唐招提寺」に向けて歩きました。
やがて「南大門」到着です。

 著名なお寺ですから、みなさんもよくご存知と思いますが「拝観券」の裏面に紹介されている文言を、そのまま載せてみます。
「唐招提寺は天平宝字三年(759)、唐の高僧鑑真大和上によって創建されました。鑑真大和上は聖武天皇の願いに応じて来朝を決意されました。
井上靖の名作「天平の甍(いらか)」にもあるように、五度の失敗にも屈することなく来日してわが国に戒律を伝え、大和上の称号を賜りました。
その後、戒律を学ぶ道場として、当寺が創建されました。
以来、1250年、律宗総本山としてその法灯を今に伝えています。金堂は代表的な天平建築です。」

 南大門から金堂へ、鐘楼を見て講堂へと進みました。










 金堂の正面に並ぶ8本の列柱は、エンタシス列柱となっています。
遠くギリシャの建築技法が、日本にも伝えられたものなのでしょうか。
「会津八一」は「大寺のまろき柱の月かげを土に踏みつつものをこそ思え」と詠んでいます。


 境内は、モミジの紅葉が見事でした。私たちは門前の食堂で昼食としました。おばあちゃまの手作り「親子丼」はおいしかった。


 このあと、歩いて「西ノ京駅」まで戻り、電車で「筒井駅」まで行き、そこから「法隆寺」行きのバスに乗りました。

奈良への旅(薬師寺)

2010年11月26日 | フォトギャラリー
 この日も快晴となりました。まずは近鉄奈良駅から「大和西大寺」へ、そこで乗り換えて「西ノ京」で降ります。
歩いてすぐに「薬師寺」となります。そこは裏門みたいなものですから、表の「中門」にまわって境内に入りました。

 私にとっては、とても思い出深い「薬師寺」です。およそ半世紀前のことでした。
この寺の「薬師三尊像」は「薬師如来」を中心に「日光菩薩、月光菩薩」の三体からなります。
当時、若い僧侶であった「高田好胤」さんの説明もあり、三尊像の健康的な魅力に惹かれていました。

 中門の外から、「東塔、西塔」の上部が見えました。その昔、実は「西塔」は無かったのです。


 さっそく目に飛び込んできたのは「東塔」でした。外人美術評論家の「フェノロサ」をして「凍れる音楽」だと表現させた塔です。
 

 「金堂」の後ろに見えるのは「大講堂」です。
 どきどきしながら50数年ぶりの再会「薬師三尊像」でした。ふくよかな「日光菩薩、月光菩薩」にメロメロでした。
どこの寺でも、さすがに「仏像など」の撮影は厳禁です。「撮りたい!」、でもかなわぬことですものね。
 

 「西塔」の再建はじめ、金堂、中門、回廊、大講堂などの修復は、最近ようやく終わったばかりのようでした。
たしかに、50数年前のたたずまいとは、かなり違うかな、という印象でした。
 これは「西塔」です。奥に「東塔」も見えています。


 「大講堂」です。薬師寺はもっとも典型的な伽藍配置となっているようです。


 薬師寺の「白鳳伽藍」から「玄奘三蔵院伽藍」に移りますと、「玄奘塔」、その後ろに「大唐西域壁画殿」がありました。
この寺は法相宗の寺であり、始祖・玄奘三蔵と言うことでした。
また壁画殿には「平山郁夫画伯」の30年に及ぶ「三蔵法師求法」の精神を描いた大壁画があり、圧巻でした。


 このあと、数百メートル歩けば「唐招提寺」です。てくてくと歩き出しました。奈良散策は基本的には歩いてこそです。

奈良への旅(平城宮跡)

2010年11月25日 | フォトギャラリー
 私たち夫婦二人の奈良散策も、二日目の午後となりました。

 現在の奈良市中心部から、バスで1300年前の中心地「平城宮跡」にやってきました。
今年は「平城遷都1300年」の節目であり、さまざまな「記念祭」が行われていました。

 この平城宮が予想以上に広大であることにびっくりしました。
天皇はじめ官僚たちの勤務する館なども多くあって、政治の中心・官庁街でもあったようです。

 まずは入り口「朱雀門」、一番奥には「第一次大極殿」、両者の間を外壁が取り巻いていました。
これらが復元さていたのですが、実際の遺構は、この何倍かになっているようでした。






 「大極殿」は鮮やかな朱色でした。屋根には「しび」が上がっています。
内部には「玉座」がありました。このような玉座から「聖武天皇」により「大仏造立の詔(みことのり)」があったのでしょうか。








 ここから「奈良時代」が始まったわけです。

 さて、私たちは午前中には「奈良公園」、午後からは「平城宮跡」を訪ねましたが、
とにかく、どちらも広大な敷地です。私たちの「歩数」は「2万歩」をはるかに超えていました。
さすがに帰りのバスの中では「ウトウト状態」でした。

 明日は、「西の京」、それに時代を遡り飛鳥時代「法隆寺」にまで足を延ばせるでしょうか。

 今年、私たちが「奈良への旅」を思い立ったのは、もちろん「平城遷都」の節目であるということでもあります。
さらに、新潟市から長岡市に変更になりましたが、今年「新潟県近代美術館(長岡市)」で「奈良の古寺と仏像展」がありました。
私たち二人は、このとき拝観した数々の仏像に深く感銘を受けました。
このことが「奈良への旅」を思い立ったもう一つの訳でもありました。

奈良への旅(興福寺)

2010年11月24日 | フォトギャラリー
 私たちは「東大寺」「春日大社」とまわり、一度出発点であった「興福寺」に戻りました。

 ここ若草山の麓に立つ「興福寺の五重塔」は、多くの世界遺産(国宝)の中でも奈良を代表するランドマークだと思います。
やはり「猿沢池」からの姿が一番ではないでしょうか。再び湖畔でカメラを構えました。

 さいしょに「五重塔と南円堂」を収めてみました。






 境内に入って行きますと、「中金堂再建」の工事などで、落ち着かない雰囲気でした。




 美しい姿の「南円堂」にお参りをして、三条通に下りて「近鉄奈良駅」に向かいました。


 この後、近鉄奈良駅近くのバス停から「平城宮跡」へと向かいました。

奈良への旅(春日大社)

2010年11月23日 | フォトギャラリー
 なつかしく若草山とお土産屋さんなどをキョロキョロ見ながら歩いて、それに鹿さんたちに見送られて「春日大社」に着きました。
それにしても参道に並ぶ「石燈籠」は半端な数ではありませんでした。
2月節分の日にはすべての灯籠に火が入る「万燈籠」は、どんな風になるのでしょうか。

 朱塗りの社殿に入ると、これまたいろんな燈籠、燈籠でした。春日大社とは燈籠のお社でした。
















  さて、この後万葉植物園の前にある、すてきなレストラン「春日荷(にない)茶屋」で「柿の葉寿司と万葉粥」でお昼としました。

奈良への旅(東大寺)

2010年11月22日 | フォトギャラリー
奈良での二日目、快晴になりそうでした。
この日は「奈良公園」散策とし、午後からは「平城宮跡」を訪ねようと思っています。

 猿沢の池脇の階段を登り興福寺五重塔を、ひっくり返らないように注意しながら見上げました。
どこから見ても絵になる五重塔です。
いよいよ散策のスタートです。奈良公園を歩き「東大寺」に向かいました。

 静かな公園内の紅葉を愛でながら、やがて「南大門」に差し掛かると、
なんと早朝にもかかわらず修学旅行生で、ごった返していました。




 「鏡池」に映る「大仏殿」を何枚も撮りました。










 およそ半世紀前、私はここ東大寺で、子供たちの息災祈願の「かわら」に記名して奉納していました。
今回は、家内が3人の孫の息災祈願のため「かわら」に記名奉納しました。

 春を呼ぶ「お水取り」の行事が行われる「二月堂」にも足を運びました。
来春、TVでの放送を見逃さないように見ようと思っています。 




 私たちは「手向山八幡宮」の前を通り、「若草山」経由で「春日大社」に向かいました。

奈良への旅(奈良町)

2010年11月20日 | フォトギャラリー
 今回は、夫婦ふたりの気まま旅「奈良への修学旅行」をご紹介しましょう。

 「平城遷都1300年」、このような企画に、なぜか弱い私です。
行ってみたいね、この一言を家内は大切にしまっておいたようです。私は気にかけながらも、忘れていました。

 もう11月、行くならこの時期です。急遽計画を立てました。詳しい予定は電車の中で考えることにしまた。
上越新幹線、東海道新幹線と乗り継いで京都、そして「奈良」に到着しました

 「JR奈良駅」から「三条通り」、その途中にお菓子の老舗店舗で「よもぎ餅」をついていました。
「ハイヨ!ハイヨ、ハイヨ!ハイヨ」、つきあがったお餅にあんこを入れた「よもぎ餅」をさっそくいただきました。




 やがて、あの懐かしい「猿沢池」、半世紀以前の思い出の「構図」でカシャリ。


 3泊をお願いしているプチホテルはこの近くですが、チェックインもせずに「奈良町」散策としました。
まずは世界遺産「元興寺(がんこうじ)」、格子戸の家並み、古都奈良の風情を感じるお店や喫茶店が、そこここにあります。
喫茶店では、こちら奈良のシニア女性の上品な会話(奈良弁)に思わず聞き入ってしまいました。






 暗くなってから、再び「興福寺五重塔」まで戻りました。ISO感度をぎりぎり上げて、手持ち撮影でした。お月さまにお気づきでしょうか。


 ホテルにチェックインして、さっそく明日の予定を練りました。そう「奈良公園」散策です。何しろ「修学旅行」ですから。

加茂市水源地2

2010年11月16日 | フォトギャラリー
 たくさん撮ってきた「加茂市水源池」での写真。
第2弾は、実はちょっとドギツカッタリ、白とびなどの失敗作をあえて並べてみました。
どうも、私自身も自信などもちろん無いのです。こんな表現もありなのかなあ?てな気持ちなのです。












 このへんで、ちょっと一休みして、しばしのお出かけを楽しんできます。

加茂市水源地

2010年11月15日 | フォトギャラリー
 過ぎ行く秋の風情を満喫させていただいています。
昨日は、アマチュア無線の「新津クラブ」の移動運用の日でした。

 この日は企画にあたった方が、私の写真の大先輩でした。気をきかせて時期や場所を選んでくれました。
本来の無線運用だけではなく、私の写欲をみたしてくれる配慮をしていただいたのです。

 モミジの木の下で、「きのこ汁」の調理が進む中、私はすこしもお手伝いせずに写真ばかり撮らせていただきました。
ここは加茂市の加茂川の最上流にあたり、「粟岳」の麓です。二つの大きな水源池が二段になってつながっていました。

 山肌はすでに木々の葉が落ちていました。曇天状態で撮影には厳しいものがありました。
池のまわりの「もみじ」ももう最後です。触れればハラハラという状態でした。
写真の先輩に、ファインダーを覗いていただいたりして、いろいろとアドバイスをいただきました。 















 おいしい「きのこ汁」を、こともあろうに3杯もお代わりしてしまいました。
もみじ色に染まりながらの野外での食事は最高でした。

長谷川邸(旧越路町)

2010年11月14日 | フォトギャラリー
 「秋葉写真クラブ」の最後の撮影ポイントは、同じく旧越路町の豪農の館「長谷川邸」でした。

 どういうわけか、「黄色の楓」を写した写真が多くなり「もみじ園」の華やかさと対照的となりました。
「越後最古の民家」にふさわしい風情だったように思いました。












 私たちの撮影の日は、お天気予報ではよくなかったのです。
それが「もみじ園」に到着すると、雨も上がりました。「宝徳稲荷」「長谷川邸」と、青空の下で撮影できました。
ところが、新津への帰路につくと、またもや雨模様となりました。なんというべきか、不思議な一日でした。

青空と朱色

2010年11月13日 | フォトギャラリー
 「秋葉写真クラブ」の撮影場所の下見、このときは快晴でした。「もみじ園」のあと「宝徳稲荷」が撮影地の候補でした。
私は始めて訪れたのですが、この「宝徳稲荷」は全国版なのだそうです。
何と言っていいかわからない、私にとっては不思議な世界でした。

 ここでは、鮮やか過ぎる「青空と朱色」そして「構図」、そんな観点からシャッター切ってみました。













もみじ園

2010年11月11日 | フォトギャラリー
 この日(9日)は昨夜から大荒れのお天気でした。
全国的によいお天気だというのに、新潟県だけが大荒れ予報だったのです。

 私たち「秋葉写真クラブ」のマイクロバスは、区役所前を予定通り出発。クラブ員以外の方の参加もあり総勢15名でした。
長岡市の旧越路町にある「もみじ園」に到着すると、さいわいにも雨も止んでいました。なんとラッキーなことでしょう。
とはいえ曇り空なので、「下の方(地面)にも目をやること」と先生のアドバイスをいただき、みんな「もみじ園」に突入しました。

 なんと、下見に来たときとは大違い、燃え上がるような真っ赤なモミジ。
落ち着け!落ち着け!と自分に言い聞かせながらも、はや興奮状態でした。夢中でシャッターを切っていました。














いつまでたっても、設定ミスをしたり、構図を考えることも無くむやみにシャッターを切っている、このような状態から抜け出せない私でした。