柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

裏磐梯

2011年10月30日 | アマチュア無線
 先週23日(日)「ヴィラ・イナワシロ」で、みんなでそろって朝食。

 そのあとホテル前で記念撮影をして、「オーロラグループ」の皆さんは「JARL福島県支部大会」にむけて出発しました。

 ところで、ホテルから朝7時頃の「猪苗代湖」の写真を撮っていました。
周辺の山から流れ込んだ霧で、1時間後には湖面は霧で一杯になっていました。神秘的な光景に見とれてしまいました。





 私たちは、ゆったりとホテルでの時間を楽しんで、裏磐梯へのドライブとしました。
お日様がさすと言うほどでは無いにしても、雨も降らず、まあまあのお天気となりました。

 まずは、五色沼の「毘沙門沼」に到着しましたが、大変な人出で駐車場はすでに満杯でした。なんとか滑り込むことができました。





 裏磐梯は、まさに錦秋の佇まい、すでに落葉を始めているところもありました。
「檜原湖」周辺の「紅葉の様子」はたとえようも無く美しく盛りでした。









 帰り道となった「磐梯山ゴールドライン」では、葉を落とし枯れ枝状態のところが多くなっていました。
「八方台見晴台・駐車場」は超混み合っていて、車を止めることすらできませんでした。



 アマチュア無線の「オーロラグループ」の皆さんとの熱い再会に感謝しつつ、無事「新津」に戻りました。

懐かしの猪苗代

2011年10月29日 | アマチュア無線
 アマチュア無線家のグループ「いわき市のオーロラグループ」とは不思議な縁でした。

 今回の「3.11大地震」以来、その安否を心配してきていましたが、再会を果たすことができました。
磐越道開通を記念して太平洋側の「いわきオーロラグループ」と、にわかに結成された日本海側の「スカイウェーブ新潟」グループが、
ここ磐梯山の麓「猪苗代スキー場のロッジ」で、ふたつのグループがはじめて出逢ったのでした。それは1997年10月のことでした。

 以来、親しくお付き合いいただいて今日に至っています。再会はなつかしい思いでの「猪苗代」の地でした。
ホテル「ヴィラ・イナワシロ」に、オーロラグループの呼びかけで、私ども夫婦が駆けつけました。
この日(10月22日)は、あいにくのお天気模様でしたが、暮れなずむ「猪苗代湖や磐梯山」などの風情は格別でした。
互いの無事を喜び合い、私ども夫婦は最高のおもてなしをいただいてしまいました。














 「いわきオーロラグループ」は今年20周年を迎える名門グループです。
残念ながら私たちの「スカイウェーブ新潟」は、にわか仕立てのグループだったために、やがて消滅してしまいました。

 しかし、私ども夫婦はその後も「オーロラグループ」の企画する旅行、忘年会や移動運用などにも参加したりして今日に至っていました。

 さて、明日は「オーロラグループ」のメンバーは「会津若松市」での「アマチュア無線福島県支部大会」に出席します。
私ども夫婦は、お天気の回復を願いつつ「裏磐梯」散策、「磐梯山ゴールドライン」経由で新潟へ、そんな予定です。

瓢湖のハクチョウ1

2011年10月25日 | フォトギャラリー
 今年も「瓢湖」にハクチョウ達がやってきていました。

 この10月4日に、今年はじめて「瓢湖」に舞い降りていました。
なかなかその姿を撮りに行くチャンスが無かったのですが、21日、写真友達と早朝「瓢湖」で落ち合いました。

 先着していたお友達は、すでに何度か瓢湖に足を運んでいるようでした。連続撮影のシャッター音が聞こえていました。

 この日の風向きで、ハクチョウ達は朝日を背にして飛び立つこととなり、いきなり難しいスチュエーションとなっていました。

 まだ、眠気さめやらぬハクチョウ達も、やがて煌めきの湖面から次々と飛び立ちはじめました。











 「瓢湖白鳥を愛する会」のおじさんが、私のそばを離れずに、白鳥の生態を解説してくれていました。
親たちに置いてきぼりをくった灰色の「幼鳥」が、他のカップルに追い払われている姿とか。
そういえば、「しょんぼり」しているようにも見えて、かわいそうでした!



 大空に舞え上がったハクチョウ達は、近くの田んぼの落ち穂「こしひかり」を求めて飛び去っていきました。







 昨シーズンは、500mmのレンズを使いこなせませんでした。
ファインダーにハクチョウの姿をとらえることすら満足にできませんでした。
ましてや、ピントをしっかりとか、構図や露出などの基本的なことが、ぜんぜん駄目でした。
今年は、基本的なことに専念してみたいと思っています。

我らハム(アマチュア無線家)

2011年10月24日 | アマチュア無線
 私の所属するアマチュア無線クラブ「JARL新津クラブ」では、今年度の「地区研修会」をもちました。
 10月16日〔日)、会場は秋葉区市民会館でした。テーマは「VCHアンテナの製作」です。

 私たちスタッフは9時から、会場の準備設営をしたりして10時を待ちました。
私は,この日受付とお弁当注文など、皆さんの活動を支える裏方に徹しました。

 やがて、講師のJA0BETさん、それにアシスタントとして「ときの広場」の面々が駆けつけてくれました。
その人たちは手際よく、本日の製作に関わる材料「線材やポール」などの準備をしてくれていました。

 ぞくぞくと工具箱片手に集まってきた「シニアのハム達」、でも今でも「ラヂオ少年達(Young in Hearts!」なのです。
そのことは、以下に紹介する写真で、もう説明の必要はないでしょう。まさに少年の日々に戻っての一日でした。















 講師の方、アシスタントの皆さんのご指導をいただきながら、そこはベテランハム達です、
「7MHzのVCHアンテナ(ローディングコイル、給電点などに工夫)」の製作やチューニングに夢中になっていました。

 完成したアンテナで試験電波発射、見事コールバックをいただきました。感動の一瞬となりました。

 私もその仲間の一人「かつてのラヂオ少年達に栄光あれ!」という思いでした。
今回の研修会をサポートしてくれた「ときの広場」の皆さんのBLOGには、ここ「柄目木庵」からリンクがあります。どうぞ!
 今回、このBLOG「柄目木庵」での記事に使わせていただいた数々の感動の写真は
ハム仲間JG0GJGさんのご好意によるものです。ここに記して、感謝申しあげたいと思います。

奥只見湖(銀山湖)

2011年10月21日 | 日々これ好日
 丁度一週間前、「奥只見湖」の紅葉はどうかな、ということで出かけてみました。

 小出ICから「湯之谷」「大湯温泉郷」を経由して、延長22kmにも及ぶトンネル(シルバーライン)を走りました。
「奥只見湖」は、かつての銀山をその湖底に沈めています。そのために「銀山湖」とも言われています。
なにしろ、その貯水量は人造湖としては日本最大級で「黒部ダム」などの約3倍となっているそうです。

 かつては電源開発工事用のトンネルでしたが、今では「シルバーライン」として観光用に提供されています。
近年、このシルバーラインから定期観光遊覧船で湖を渡り「尾瀬」に至るルートが人気のコースになっているようです。

 ほんのりと「紅葉」が始まっていましたが、鮮やかな状態にはちょっと早かったようです。
私たち夫婦は、奮発して遊覧船に乗って見ました。














 実は、お天気は今日までで明日は雨模様と予報されていました。
帰りには、ゆったりと温泉三昧を楽しもうと湯の里・大湯の、とあるホテルに泊まることができました。

三条の良寛さま2

2011年10月19日 | 良寛さまのことなど



良寛さまは、「宝塔院」のご住職とじっこんの間柄となられて、ここにしばらく逗留されたこともあったようです。






 私たちは、やがて「三条市立図書館」に到着です。
じつは、この地点が「三条の良寛の道」出発点でもあります。
私には、思わず手を合わせたくなる「良寛像」でした。




 図書館の裏手に回ると、小さな神社「日吉神社」がありました。
そこには「焚くほどは・・・」の、あの有名な歌碑がありました。




 この神社の反対側にある小学校は「三条小学校」です。
じつは、紛れもなく私の母校です。
あの木造の校舎のイメージは全くありませんでしたが、「五十嵐川の流れ来て・・・・」と校歌がすらすらと出てきました。
懐かしさも、極まれり、でした。


 改めて、三条の人たちが「良寛さま」を如何に敬慕し大切な人としていたか、と言うことに胸を熱くする思いでした。
訪ねてよかった「我がふるさと」でした。

三条の良寛さま1

2011年10月17日 | 良寛さまのことなど
 すっかり秋も深まってきました。
しきりに良寛さまのことなどに、思いを寄せる今日この頃です。
落ち葉と暮れなずむ「五合庵」の風情を、ぜひ撮ってきたい、そんな気持ちなのです。

 さいわい、今月初め高校の同窓の皆さんからお誘いをいただき、
「三条の良寛さま」の史跡巡りということで、いそいそと出かけていました。
写真などが整理しきれないままに、ここに載せることになってしまいました。

 その日は、三条市「鍛冶道場」に集合、同窓の方のご案内ではじまりました。


八幡宮」、ここは5月の三条祭りでは境内でのサーカス小屋や夜店が並んでいたものでした。
今でも、こころ踊るなつかしい思い出がよみがえってきました。いまは静かな境内がいっそう郷愁を誘いました。






 同じ、八幡宮の一画に、こんな紹介もありました。すばらしくて、すごい人がいてくれたものです。うれしくなりました。
萩の花が、未だに咲いてくれていました。
「泉薬寺「定明寺」「乗蓮寺」「宝塔院」と回りましたが、三条生まれの私にも、あたらしい発見の連続でした。








 訪れる人とて無くなった無縁墓の石塔が、一隅に整理されていました。

カキノモト

2011年10月12日 | 日々これ好日
 秋になり、ちょっとうれしいもの、それが「カキノモト」です。

 僕はなぜか「トマト」そして「カキノモト」が、好物なのです。
夏には「トマト」さえあれば、食はどんどん進みます。ちょっぴりの塩を振りかければ、もうGOODです。

 この時期、「カキノモト」がどんどん店頭に出てきました。
このおいしさを知らない人は「菊の花」を食べるなんて、などと眉を寄せてしまいます。
「カキノモト」にはいろんなレシピがあるようですが、「おひたしにちょっとのお醤油」、これに尽きますね。




 まだ「女郎花」が咲いていたり、散歩道は秋の花々でうれしくなります。
手持ちカメラで、「コスモス越にまん丸お月様」も撮ってみました。








 あれよあれよと、日が暮れていくようになりました。

白い彼岸花

2011年10月11日 | 日々これ好日
 この日曜日(9日)、ご近所のお花畑に「白い彼岸花」を発見しました。
家にとって帰り、カメラ担いで舞い戻りました。
はやる心をセーブしながら撮ったのですが、残念ながら一緒に咲いている「赤い彼岸花」は、すでにしおれていました。
構図や背景に苦心しました。引いてみたり、アップで撮ってみたりしましたが、どうもうまくは撮れなかった。




 同じお花畑に咲いていたお花ですが、何度お聞きしても、その名前を覚えて帰れませんでした。
ちょっと、むつかしい名前でした。それにしても私の頭のメモリーは、すでに情けない状態のようです。







彼岸花と戯れて2

2011年10月07日 | フォトギャラリー
 「彼岸花と戯れて」その2回目を載せてみます。いかがでしょうか。
















 ほっと一息、和む画像を入れてみました。


 実は昨日(6日)、雨上がりの我が家の庭の隅っこに目をやると、まさか、まさかでした。
今年は我が家の彼岸花は途絶えて咲くこともないのだろう、そう思っていました。
でも、間違いなく「彼岸花の芽」のようです。
よそさまの彼岸花が盛りを過ぎたというのに、我が家の彼岸花はようやく芽吹きです。これは感動ものですね。

彼岸花と戯れて1

2011年10月06日 | フォトギャラリー
 ご近所の宅地や土手際のあちこちに「彼岸花」が、妖しい姿で咲き乱れていました。

 この花を好まない人も多いようです。
でも、私や多くのカメラマンにとっては、引きつけられる被写体でもあるようです。

 私も、この妖しげな毒々しい風情の魔力のようなものに惹かれていました。
私は、彼岸花の前で、腹ばいになったり、横向きに寝そべったりしてシャッターを切っていました。
まさしく、私はいつのまにか彼岸花の魔力の世界に入り込んでいたようでした。












 彼岸花の「イメージ画像」は,もう一度・次回もご紹介する予定です。
妙なものにお付き合いいただき恐縮です。すみません。

 ところで、我が家の庭に咲く「カクトラノオ」の花も、どんどん上の方に花が移ってきて、まもなく咲き終わるようです。


 同じく庭の「フイリヤブラン」の蕾から、小さな小さな花が見えてきました。
じつは、何年もたっているのに、このような小花を見つけたのは、はじめてでした。


 世の中「マクロレンズ」と言うことになっていますが、いろいろとお花などに迫ってみると
ニコンの言うように「マイクロレンズ」の方が、正しい表現なのでは、などと思えるのですがいかがなものでしょうか。

雪国植物園3

2011年10月05日 | フォトギャラリー
 やはり、手入れをされているとは言うものの、多種多様な植物をたくさん見ることができる、これは素敵なことですよね。

 今回も「雪国植物園」の中での散歩です。癒やされて過ごしました。












 次回は、今や盛りの「彼岸花」を再度載せようと思っています。
なにしろ、ご近所のあちこちで見かけるのです。撮ってくれと言わんばかりでしたもの。