柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

年末のあいさつ回り

2005年12月29日 | 良寛さまのことなど
 我が家では、例年この時期にお世話になった親戚や檀家寺へのご挨拶に伺うのが習慣になっている。

 一昨日は近くの親戚へ、今日は三島郡の親戚と檀家寺「隆泉寺」へのご挨拶をしてきた。
我が家のお墓にも花を手向け手を合わせてきた。

隆泉寺は浄土真宗本願寺派ではあるが、良寛様のお墓があることでも知られている。
本堂はすっかり冬囲いされていた。

 私は、小さい頃からこの寺を通じて良寛様のことをよく知っていた。
今の私は、良寛様を心のよりどころのように感じるようになっている。

                 

 本堂の前には、托鉢姿の良寛様の銅像がある。
今日の良寛様は雪の中、さすがに寒そうであった。
風邪など召されないように!

 

2005新潟「第九コンサート」

2005年12月25日 | 音楽など
 昨日、吹雪の中を新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)コンサートホールに向かいました。

 午後2時開演です。
コンサートホールは満席となっていました。やはり「第九」を聞かないと年を越せないと思っている方が多いようです。今年で自主公演になって6回目のコンサートとなっています。

 新潟交響楽団、300人を越える新潟第九合唱団、指揮は新通英洋。
コンサートホールは、演奏ステージを囲むようにアリーナ形式です。
正面パイプオルガンの下の席は男性合唱のメンバー、ステージを囲むように両サイドの席には女声合唱のメンバーが勢揃いしました。

 今年は、はじめに新潟市の砂浜を詠った北原白秋の「砂山」を山田耕筰、中山晋平のそれぞれの作曲になる作品を後藤丹編作で「二つの砂山」として合唱付きで演奏された。
繰り返し押し寄せる合唱によるハーモニーと交互に聞き慣れたメロディーが現れてきました。うっとりと聞き惚れました。地元を詠んだすてきな詩があることにうれしさを感じました。

 いよいよ緊張の中にタクトが動き始めました。第九第一楽章の出始めはなぜか私もすごく緊張します。きれいに流れていきます。ほっとします。
 ちょっとテンポが速いかなと思うくらいで、音の流れに身を任せて、第二楽章くらいになると、うとうととなりました。
 第三楽章からは4人のソリスト達も加わり、いよいよ緊張感が高まります。
ついに第四楽章、力強いバリトンのソロが始まりました。一気に高揚した「歓喜の歌」がオーケストラと合唱団から次々と怒濤のように押し寄せてきました。
私の体も熱くなってきました。なんという崇高な曲なのでしょう。
まさにこの「第九は人類の遺産」だと思いました。

 コンサート実行委員会のみなさまに感謝します。
今年も第九が聞けました。幸せです。
来年もぜひぜひ聞きに来たいものです。

 4時に終了して会場を出ました。相変わらずの吹雪状態でした。
途中、クリスマスケーキを求めました。冬休み早々にやってきた孫とのクリスマス・イブを楽しみました。

アンテナに被害!

2005年12月23日 | アマチュア無線
 今日はとんでもないものを見ることになりました。

 実は、今朝ほどは我が家のアンテナ群には、昨夜の寒波と降雪のためアンテナエレメントなどにはかなりの着雪がありました。いつもの着雪よりも少し太い状態だなあ、位に思っていました。
さいわい、朝から日が差して次々と着雪も溶けては落下していました。
 
 ところがです。お昼近くにひょいとアンテナを見上げて愕然となりました。
タワー上のマストトップに取り付けてあるバーチカルアンテナ「CHA250B(コメット)」の7m長のエレメントのほぼ中央部で90度近くの角度で折れ曲がっていました。
何たること!
いやー、我が目を疑いました。

 着雪と風による加重にぎりぎり耐えていたのでしょうが限界を超えたのでしょうか。

 聞こえも飛びも今一ながら、確かに一本のバーチカルアンテナで3.5から50MHzでの運用は可能でした。確かに優れものではありました。今年の春、JN7TRHさんにご苦労いただきタワーに上げたものでした。
そのとき、彼から「ちょっとひ弱な作りのアンテナですね」と言う指摘をいただいていました。それにしてもという気持ちです。

 忙しさに紛れて写真を撮っていないので、明日にでも撮ってここに載せようと思っています。     
               
それにしても、この状態では実に「格好悪い」のです。しかし、冬場とてもタワーには上れません。無惨な格好悪い姿をさらしているのは切ないのですが、やむを得ません。
春を待つよりしかたないようです。

大寒波の冬至

2005年12月22日 | 日々これ好日
 今日は冬至でした。
これから少しずつ昼が長くなっていくという希望の日でもありますが、季節の変化にはタイムラグがあり、これから冬本番になるのでしょう。

 昨晩からの大寒波で強風と「みぞれ」で夜があけました。
朝食後9時前に停電。なかなか復旧しません。
そこでラヂオで情報収集すると、下越地方を中心に新潟県内で65万戸が停電しているとか。
原因不明で復旧の見通しはない、ということが判明。

 それでもその内にと思っていたのですが、事情はかわりません。
電話はかけられない、携帯は電池が無くなる、ガスは使えない、
もちろんパソコンも使えない。
だんだん心細くなってきました。
一台だけ残っていた石油ストーブを物置から引っ張り出して、灯油を補給して暖をとっていました。
曇り空で家の中も暗いので、ローソクを灯して新聞を読みました。
 
 そこで午後になって、車を車庫から出すことにしたのですが、我が家は電動シャッターなので、停電では巻き上げることができません。
電動シャッターを非常時の処置で(非常用巻き上げの)鎖を取り出して、ガラガラ引いて巻き上げ車を出しました。大変な労力が必要でした。

 そして非常食や湯たんぽを買いにいきました。
どのお店やスーパーでも「単一乾電池、湯たんぽ、石油ストーブ」は開店直後に
売り切れたとか。まったく認識不足でした。

 それでも、食パンやバナナ、カップラーメン、ホカロンなどは手に入りました。
家内は来年の分にもなるくらい、たくさんのホカロンを買いました。
帰り道で車への給油をと、いつものガソリンスタンドへ。
しかし、手動ハンドルを回しての給油で10リットルしか売ってくれませんでした。

 家に戻ると、もう暗くなり始めました。
僕は急いで発動発電機(野外での無線運用に使っていた)を玄関前に設置、電源コードを家の中まで引いて、電灯をつけました。このような作業は慣れたものです。アマチュア無線がらみのことが役に立つというのはうれしいことです。
たぶんばっちりポイントを稼いだはずです。
旦那は偉いんだぞ!というところがポイントです。トホホ。

 4時半頃に一度、送電されたのですが再度停電、でも幸い5時頃には
安定送電となりました。
まったく電気のない生活というのは、それはもう大変でした。
今宵は、せめて「ミカンの皮でも入れた湯」にたっぷりと浸かろうと思う。

 そんな体験もよかったのじゃあないのかね、などと良寛さまが笑っていることでしょう。

大寒波襲来!

2005年12月18日 | 日々これ好日
 昨日から大寒波襲来の予報が出ていて、日本列島がすっぽりと覆われるとか。
明日も続くらしい。
 このように早々と降雪・積雪に見舞われることは近年珍しいことだと思っています。

 今朝ほどはそれなりの積雪となっていた。しかし、日中は晴天となりまばゆい光に満ちていた。
雪や着雪が溶けたり、落ちたりしない内にと飛び出して写真を撮った。

 冬囲いした松の木などへの降雪でまるでクリスマスツリーのようである。
              
               
 また、私のアンテナ群に着雪があり、まさに雪(氷)のアンテナとなった。
                 
 実は、美しいなどとも言っておれないことにもなる。
ここ越後の雪は しめり雪 であることが多い。着雪によりその重みでアンテナやワイヤーなどが折れたり、切断することもある。
 もっと雪深い途方では冬場にはアンテナを降ろして冬ごもりという所もあるようなのです。
                              
           
 今日は、それでも朝からがんばって、年賀状の印刷をしてしまいました。
後は、宛先の方に思いを寄せながら、コメントの一言を書き入れることになります。                 

我が家へ

2005年12月15日 | 旅行など
 この記事は12/13(火曜日)のことである。
ここは、「ホテル・リステル猪苗代」。窓からの眺めは白一色の銀世界。

 さて、居心地のいいベッドから起き出すことはつらいものがあります。
でも、今日は何が何でも新潟に帰らなければなりません。かなり遊んでしまったものですから。家の様子もとても心配でした。

 ホテルのレストランでの朝食は「バイキング」である。
僕はこのバイキング方式が大好きです。ちょうど混み合うひとときが過ぎたようで、ゆったりと時間をかけていただきました。
いつも結果的には和洋取り混ぜた様々な品を食べてしまいます。早い話が何でもじゃんじゃん食べてしまうのです。
特に食後のコーヒーのお替わりは うれしいものの一つです。

 いよいよチェックアウトです。
駐車場に行ってみるとごらんの通りの有様でした。


 長靴に履き替えて、スノーブラシを使って車に積もった雪を払って、暖気運転。
ようやくスタートできました。
さっそく、磐越道に乗り一路新潟を目指しました。
さいわい雪も降らず道路の様子もよく、思いの外早く我が家に到着できました。

 最後までお読みいただいた方がおいでになったなら、望外の喜びです。
ありがとうございました。

道草その2

2005年12月15日 | 旅行など
 この記事は12/12(月曜日)のことなのです。

 この日、水戸のユースホステルを出発、常陸太田市を目指しました。
実は、水戸黄門の「西山荘」は、月曜休館日だったのです。西山荘には入れなかったので、入り口付近の写真を撮ってあきらめました。

 この写真の竹林の後ろにかすかに移っているのが西山荘の屋根なのです。

 さいわい、西山荘を中心にゆかりの建物や公園は見ることができました。
なかでも茶室「晏如庵(あんじょあん)」は気に入りました。茶券を求めて一服のお茶をいただきました。眼下に見える池には薄氷が張っていました。

 次にかなり北上して、訪ねたのは「竜神大吊橋」でした。
歩道橋としては日本一だそうです。なんとも壮大な吊り橋です。375mの長さで、下のダムからの高さが100mもあります。
生活道路でもなく、渡るのに300円を徴収するとはいうものの、観光のための橋だとするなら、「なんで?」と素朴な疑問もわきました。

 さらに北上、有名な「袋田の滝」に到着。


 滝を見るためのトンネルをくぐり観瀑台へ。あまりの壮観さというか美しさに圧倒された。よく見えないかもしれないが、落下している水の一部が凍っていた。
季節ごとにはTVなどでも紹介されることのある滝である。一度は見ておきたかった。名瀑に違いなかった。

 さて、本日の見所は一応終わったようである。
明日の帰りを考えて、今宵の宿を探してみる。このようなことには我が女房殿は特異な才能があるようである。携帯電話が大活躍。猪苗代近くのホテルで、開業12周年というイベントで破格の料金で泊まれることになった。
 
 さあ、日の暮れぬ間に急ごう!
白河から東北道へそして、磐越道に入る。磐梯熱海あたりから雪景色に変わってきた。猪苗代磐梯高原ICで降りる。屏風のような形のホテル目指して走る。道路に一部圧雪が残っていた。三叉路で右折、我が車チャレンジャーの後輪が発進と同時にスリップして後部が大きく左に振れた。
あわてて4輪駆動に切り替える。うっかりして切り替えておくことを忘れていたのである。これでばっちり、走りが安定した。

 チェックイン。すぐに温泉に飛び込んだ。

道草その1

2005年12月15日 | 旅行など
 「オーロラグループ忘年会」の翌日(12/10 日曜日)のことです。
「たいらビューホテル」での朝食時、グループのコーディネーターXXHさん、相談役EUYさんと一緒になった。お二人とも市内在住なのに、わざわざ泊まっていただいたのである。ホスピタリティーに感謝!
 私たちの今日からの「道草道中」の相談に乗ってもらった。
いつも、帰り道はあちこち道草をしながら帰ることを楽しみにしているのである。
結果として、いわきから一路海岸線を南下して、水戸のユースホステル泊まりのコースとした。

 EUYさんとSCYさんの乗る車に先導していただき小名浜に向かう。観光物産センター「ら・ら・ミュウ」で、たくさんの干物(いわき特産めひかり)などをおみやげにいただいてしまった。
私たちも、お正月用やおみやげ用にたっぷりと買い込んだ。ここのお魚類はとにかくおいしいのである。宅急便で発送していただいた。

 EUY、SCYさんたちとは6号線にでるまで車で案内をいただき、僕たちの車は一路茨城へと向かった。この間、私たちの無線のやりとりを聞きつけて、いわきの皆さんが次々と声をかけてくださった。その情の厚さに、思わずほろりとなってしまった。やっぱり来年も来よう!

 うっかり、勿来の関を通り過ぎてしまった。6号線も内陸部に入ってきた。
そこで、ぐいと左へハンドルを切り海岸線にでるべく走行していたら、突如予期せぬ場所に到着していた。
 なんと「岡倉天心記念館」ではないか。天心ゆかりの記念館や施設を一回り。
改めて天心のスケールの大きな人柄や活躍に目を奪われた。
写真は、天心が心の癒しを求めた空間「六角堂」である。彼は和魂洋才をもって、新しき日本画を目指し、横山大観はじめ多くの画家を育てたのである。
彼は「アジアはひとつなり」として東洋に軸足を置き、ボストン美術館でも活躍している。このようなことは、どこぞの国の首相も学ぶべきである。

 実は、天心堂は新潟県妙高市にもあり、天心のことはそれとなしに知ってはいた。今回は彼の著書「東洋の理想」と「茶の本」の2冊を求めてきた。
このような思いがけない出会いほど感激するものはない。

 次に、しばらく走ると「野口雨情記念館」があった。
ああ、この詩(童謡)も彼の作詞だったのか、というくらいたくさんのなつかしい童謡の数々。茨城にはすてきな方が輩出されて、今でも大切にされているんだなあ、と感じた。

 すこし、時間がかかったが一部常磐道も利用して、「大洗海岸」を目指した。
息子家族がよく出かけることもある海水浴場なので見てみたいと思っていた。
ホテルなども完備されていて、きれいな浜辺を見て安心する。

 ナビを水戸市の「偕楽園ユースホステル」にセット。暗くならないうちにと急いだ。水戸の中心部大通りを通過して、ようやく千波湖も近いYHに到着。
このYHは茨城県立青少年会館の4階部分の宿泊施設がYHになっていた。
 宿泊は私たち夫婦のほかに男女一人ずつの計4人であった。
ツインの部屋が利用できて、ぐっすり休むことができた。

いわきオーロラグループの忘年会

2005年12月15日 | アマチュア無線
 今日は朝からとてもよいお天気となりました。目の前の「五頭山」が銀色に輝いています。
同じ新潟県内でも、私どもの新潟市ではほとんど積雪はありません。けれども長野県境の「津南町」では積雪が2mを越えたとか。大変なことでしょうね。

 さて、先週土曜日には「いわきオーロラグループの忘年会」に参加してきました。このグループは来年、結成15周年を迎えます。
私たち夫婦はアマチュア無線を通じて、おつき合いが始まりました。すでに10年前後のおつき合いになるでしょうか。
 毎年、この時期に日本海側から太平洋側へのドライブを楽しんでいます。その年によっては、今年のように雪に見舞われてちょっと難儀をすることもありますが、これがまた楽しいことでもあるのです。

 かつては、100名を越えるアマチュア無線家たちが、オーロラGの呼びかけで毎年集まりました。さすがに趣味の多様化の影響はここにも押し寄せてきているようですが、それでも60名ほどの皆さんが参加されていました。浜通りの方々を中心に、中通り、会津などから、ほかに関東から、新潟からと言う風に、それはもう盛会となりました。
 私どもは毎年参加しているものですから、もうなつかしい顔顔となっています。ご挨拶にいとまがありません。

 今年は会場が割烹「正月荘」となり、高級感がありました。
 司会の方により手際よく、開会の挨拶、代表の挨拶、コンテスト表彰などと続き、乾杯。このときすでにかなりアルコールの試飲は進んでいる各局長さんたちでした。
 この忘年会では、各人が持ち寄ったアマチュア無線用の機器をなどのオークションがあり、名物イベントとなっています。私もほしいと思った物に値札を入れておきました。賑やかに、和気藹々と笑いのうちにいろんな物が引き取られていきました。私も「2トラ3パチのオープンリール」型のテープレコーダーがほしかったのですが、さすがに置き場所のことが心配になり値札は入れませんでした。
 私は何人かの競争相手がいたのに「2m八木と7MHzモービルホイップ」アンテナを手に入れることができました。
2m八木アンテナは衛星通信に使うつもりで入札したのです。

 この後、みんなで記念写真を撮り、さらに山のような賞品目指しての抽選会となりビンゴゲームが始まりました。毎年これが楽しみです。
昨年は「コーヒーメーカー」をゲットしている実績がありました。
 そして、なんと女房が一番上がりとなり「アウトドアー用毛布」、私が九番で「旅行バッグ」があたりました。もう、言うことありませんでした。

 予定通り忘年会は終了しましたが、皆さんまだ余韻を楽しみたいようです。
ちゃんと安い料金で二次会が用意されていました。EUYさんにつれられて「いわきの夜のネオン」を鑑賞しながら二次会場「銀のスプーン」に到着。

 大いに盛り上がり、楽しいチャットはつきることがありませんでした。
でも、ちょっと文章が長くなりすぎました。
せめて写真で、二次会が終わってもまだ別れがたい皆さんの様子をお見せしましょう。

 

冬型の気圧配置

2005年12月14日 | アマチュア無線
 今日はここ新潟市(旧新津市)でも、一日雪がちらついています。
屋根の上は白いのですが、道路などの積雪はありません。午後2時で気温は2度Cです。

 ところで、このところ冬型の気圧配置が続いているようです。
黒部のOMさんからも、お家の前の除雪の様子が写真で届きました。

 アメリカ東海岸からも、小さなスノーマンを作って遊んでいる孫たちの写真も届きました。あちらも雪が降ったようです。
きっと、クリスマスに間に合うようにサンタさんが降らせたのかもしれません。

 しばし、この柄目木庵も留守にしていましたが、昨日無事に戻っていました。

 そこで、いささか日にちがたってしまったのですが、先週末土曜日(12/10)に「いわき」に出かけたことから紹介してみます。
 当日も冬型の気圧配置でした。午前10時過ぎに新津ICから磐越道に入りました。福島県との県境に近くなるにつれて、まさに冬景色一色となりました。
トンネル、トンネルでようやく会津坂下です。ここでいったん降りて、49号線にでてすぐのところに「みやま茶屋」があります。
ここで早いけどお昼ご飯です。いつものパターンで「あんこ餅」をいただきました。すこぶるおいしくてたまりません。

 ぼそぼそと降る雪の中、再び磐越道へ。ところが会津若松ICで再び49号線に降ろされてしまった。降雪のため事故多発と除雪のために道路閉鎖となっていた。
磐梯熱海まで49号線走行となった。
猪苗代湖と磐梯山に挟まれたこの地域は、名だたる吹雪や地吹雪の名所である。
道路の氷結・圧雪それに一寸先も見えないくらいの吹雪となっていた。超のろのろ走行で長蛇の行列となって進んでいる。

 いささか運転も長時間となりくたびれてきていた。一瞬の吹雪の晴れ間に道路脇に喫茶店を発見。駐車場の積雪30cmくらいの中に突っこんだ。
この辺は「志田浜」、夏には猪苗代湖で遊ぶ人たちでにぎわうところである。
「おちば」という喫茶店の内部は白壁によりレトロな洋風仕立てとなっていた。
とてもすてきな雰囲気であり、いただいたブレンド「風」というコーヒーは粗挽きの爽やかなのみ心地のものであった。

 元気を出して走行。磐梯熱海から再び磐越道へ。阿武隈高原SAまでは雪や吹雪であったが、「いわき」へ一気に駆け下りはじめるとどんどんお天気がよくなってきた。いわきの市街地に入り、無線での誘導をいただきながら、無事に今宵の忘年会会場に到着。ホテルにもチェックイン。

 この続きは、また後で。

BLOGを読み返してみて

2005年12月09日 | アマチュア無線
 ひょんなことで、昨年の12月の柄目木庵BLOGの記事を読み返してみた。

 イヤー、今更ながらけっこう一生懸命書いていたんだなあ、という感じでした。
昨年は大きな事件がいくつもありました。そして雪が意外と遅く降って、降ったと思ったら根雪になってしまったんだな、ということがわかりました。

 ところで、明日は 日本海側から、はるばる太平洋側に行きます。
恒例のアマチュア無線グループ「いわきオーロラグループ」の忘年会なのです。
なぜか、毎年親しく寄せていただき楽しみにしているイベントなのです。
大勢のみなさんとの懐かしい再会がたまらないのでしょうね。

 たぶん、帰りにはいつもあちこちと道草を楽しんできているので、この柄目木庵もしばし不在になります。
帰りましたら、ずっこけたおみやげ話のいくつかはご紹介できるのではないかと思っています。
人呼んで、ぼくら夫婦を「まんたら夫婦」と呼んでいます。いつも、何かずっこけて、へまをしていて、このことがトレードマークとなっているものですから。

 では、しばしおやすみです。

ロジェ・ワーグナー合唱団

2005年12月07日 | 音楽など
 昨晩、私たちのコンサートホール「りゅとぴあ(市民芸術文化会館)」に、アメリカを代表する「ロジェ・ワーグナー合唱団」がやってきた。

 男女それぞれ10人からなるコーラスは、とても気品があり 力感のある美しいハーモニーを響かせてくれた。
時には、アメリカンらしいユーモアや動作も交えて。  
とてもレパートリーが広く、さまざまな分野のなつかしい曲の数々を堪能できた。

*フォスター歌曲集より 
「なつかしきケンタッキーの我が家」「金髪のジェニー」「草競馬」
「夢見る人」「故郷の人々」「おお、スザンナ」
*開拓者の歌 
「 ひとりぼっちのカウボーイ」「峠の我が家」「リラの萌える頃」 
「寂しい草原に埋めないで」
*黒人霊歌 
「深い川」「行け、モーゼ」「揺れるよ、幌馬車」「ジェリコの戦い」
*ベスト・クラシックス 
「主よ、人の望みの喜びよ」「ラルゴ(ヘンデル)」 
「アヴェ・アヴェルム・コルプス(モーツアルト)」「野ばら」
「アヴェ・マリア(グノー)」
*世界の歌
「ダニーボーイ」「スカボロ・フェアー」「サンタルチア」「ローレライ」
「愛の喜び」「夏の思い出」
*クリスマスがやってくる 
「もろびとこぞりて」「きよしこの夜」「ジングルベル」「クリスマス聖歌」
「サンタが街にやってくる」

 「りゅとぴあ」にはパイプオルガンがあります。「主よ、人の(バッハ)」と「ラルゴ(ヘンデル)」はパイプオルガンの演奏で歌われ、それはもうすばらしかった。

 私たちは、年末24日新潟交響楽団「第九コンサート」。
そして新春11日には、ウィーン・フィルのメンバーによる「コルソ・ウィーン(ニューイヤーコンサート)」の予定です。
 今年もそれなりに音楽のある生活ができたことを感謝しています。

初雪

2005年12月05日 | お出かけ
 昨日はとてもよいお天気だったので、いつものフルコースを楽しんできたのだが、今朝ほどは一転、初雪となっていた。

 昨日は、久しぶりに護摩堂山へ。木漏れ日の中を気持ちよく散策できた。
いつものように、下山の後にはホテル小柳で温泉につかり、ロビーで新聞を広げてコーヒーを飲む。これがたまらない。

 しかし、今朝ほどは寒いと思いながらベッドを離れて,外を見たら屋根など白くなっていた。今年の初雪となった。
 午前中に用があり新潟市の中心部まで出かけたが、どこのタイヤショップもガソリンスタンドも車,車である。タイヤ交換の順番を待って道路にまではみ出し交通の妨げとなっているところまであった。

 シャーベット状のわずかな積雪はすぐに消えるであろうが、本格的な降雪も近いということである。
 実は、冬枯れで見晴らしのよくなった登山道、風雪のため片側にだけ雪の張り付いた樹木など、また小動物の足跡なでもあったりして、結構冬の里山は味わいがある。
今年も大いに楽しんでみたいと思っている。

夜半の嵐

2005年12月02日 | アマチュア無線
 昨夜から、すでに雷鳴が鳴り響き、今朝ほどは雨模様。
せっかく掃き清めた庭に、かなりの落ち葉が舞っていた。それにしても今年は雷の発生が異常に多いのではないかと感じている。

 昨日(12/1)、きれいになった庭の写真を撮って、このBLOGにも載せたのだが、
実はその写真の上のほうにはすばらしい「青空」と「松の雪づりの頂上」そして「我がアンテナ」があったのです。
何のことはない、こちらも皆さんにぜひ見ていただきたいと思っているのです。
まるで子供みたいですね。

 昨日、無線通信の交信証明(QSL)カードが届きました。
2ヶ月に一度の配達があります。
いつも待ち遠しいもののひとつです。例によりビューローからは宅急便できました。
いつもより少なく100枚ちょっとくらいです。
でも、外国からのカードが10枚以上ありました。僕の場合はこれでも多い方なのです。
 それらのほとんどが2004年の交信によるものです。
ずいぶん早く交換できることに、びっくりです。実は今までは3年くらいはかかっていました。
 USA、ポーランド、オーストラリア(Queensland)、スイス、中国、台湾、韓国、ロシアなどでした。交信を思い出しながらデータを処理することは、とっても幸せなひと時になります。
 また、昨年の「All ASIAN DX CW」コンテストの参加賞(参加証明)も届いていました。

 近いうちに、11月分のアクティビティー・レポートをKCJ(全国電信同好会)に、そしてカードを印刷して「アマチュア無線連盟のビューロー」に届けることになります。
これが、いずれ交換の形で帰ってくるわけです。
アマチュア無線家にとっては、このQSL(交信)カードの交換は、IT技術が進歩したこの時代でも、とても大切なものとなっています。

小春日和の一日

2005年12月01日 | 日々これ好日
 一日中快晴になった。このような日には、山口百恵さんの「コスモス」を思い出します。すてきな曲でしたよね。

 おかげさまで、シルバー人材の方二人により我が家の庭の樹木の冬囲いが終わった。仕上がりも立派で、さすがに手馴れたものである。とてもすっきりして気持ちがいい。
ただ、あちこちに吹き溜まりになっている落ち葉が相当な量になっている。
そこで、今日は私が落ち葉掃きに精を出した。

 実は、我が家の庭に集まってくる大部分の落ち葉は、ご近所の大木の何本かがその源である。ケヤキの大木の落ち葉は半端ではなく、ゴミとしてごみ収集車に出すには多すぎる。そこで、庭の隅に積んで「堆肥づくり」をしている。
腐葉土が出来上がるとプランターなどに花を植えるときに利用している。
腐葉土の中に、カブトムシの幼虫なども入れたこともあるのだが、いつの間にかいなくなり、成虫になったことを確認したことはない。

 それにしてもよいお天気である。
調子に乗って、ガラス窓のガラスに水をかけては、スポンジの付いたブラシでガラス磨きもした。ちょっと早いが、お正月の掃除のつもりである。

 やり慣れない久々の作業で腰が痛くなってきた。
               この辺で終了としましょう。