柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

「いわき」のサムライたち

2006年05月29日 | アマチュア無線
 いわき市のアマチュア無線グループ「いわきオーロラグループ」の創立15周年の「記念運用」が行われました。

 ときは、この5月27日(土)から28日(日)、場所は「いわき市芝山公園」でした。ちょうど低気圧に伴う前線が関東から東北を通過したようです。
さいわい、設営と撤去の際には「天が味方」したようで、雨の降っていない状態で作業できたようです。
 夜来の風雨もなんのその、飲んで食べて無線して、その熱気たるやまさに「アマチュア無線の武士達」でありました。

 私とオーロラグループとのお付き合いは、磐越自動車道の開通を縁として始まりました。それは太平洋と猪苗代湖を通り日本海と結ばれたことによる「うみ」のとりもつ「えにし」でもありました。

 今回も、磐越道の緑にしびれ、カンコーヒーの「ブラック」の苦さを味わいながら走っていました。突然私のコールが無線機から飛び込んできました。
さすがです。われらが「キャップ」はすべてお見通しでした。
すでに目の前に「小野IC」でした。下道に下りて案内をいただきながら無事「芝山公園」到着。

     

 「いわき市」には海のイメージが強かったのですが、どうしてどうして「山並み連なる」広大なところでもありました。富士見台展望台からのショットです。
眼下の公園内に小さくテントが見えます。そこが今回のベースキャンプでした。
 この富士見台展望台にGPを上げて、縁の下にちゃっかりテントを設営した「キャップ・XXH」でした。

           

 下の写真が基地局です。
威力を発揮した50MHzのYagi、沖縄をはじめ各地にサービスできたようです。
さらに下の写真は、中心部に¥100ショップで求めた「まな板」を利用した「AWXアンテナ」、29MHzのFMで安定した通信ができていました。

      

                

 写真は、今回は一日早く乗り込んだ先遣隊の前進基地です。
3.5と7MHzフルサイズ・ダイポールや21MHzYagi,その他VUのアンテナ群です。
このサムライ達はかの有名な「SCYとDIY」でありました。
このあと、多くの人がさらに21MHzのアンテナの地上高をあげる作業をあっという間にやってしまいました。これがオーロラのすごさですね。
             

 参加者の方の中には、夜半の嵐をものともせずにバイクで駆け上がって参加されたり、事情あって日帰り参加やお声がけしかできなかった皆さんも多いようでしたが、その「参加しているんだよ!」という情熱があるんですよね。
 下の写真は、嵐の前の「サムライたち」のショットでした。

   

 またまた、なにかの節目にはぜひ参加させていただきたいと思っています。

 ちょっとご紹介がてらに。
実はわれらがキャップ「XXH」さんのコーディネイトで、毎年オーロラシルバーの面々が「まんたらの旅」と称して、旅情たっぷり旅を楽しんでいます。
いずれ今年もレポートできることでしょう。とても楽しみにしているのです。
ちなみに、昨年は「木曽路」の旅でした。

角田山・稲島コース

2006年05月25日 | 日々これ好日
 実にすがすがしい一日となった。

 前々から、ぜひにと思っていた「角田山登山」、すでに午後ではあるが日脚の長いこの時期なら、ということで車を走らせ登山口「稲島(とうじま)」についたのが3時であった。
            

 駐車場からすぐにかなりの登りである。石ころがごろごろしている登山道ですでに息が切れる。ちょっとピッチが早すぎたようだ。
幸い、このコースは東斜面で西日が当たらないので助かる。

 このコースの大半は人工的な階段がほとんどであり、いくつものコースの中では一番短時間で登れるが、急登がつづく。
ところが、途中「この先は通り抜けられません」という看板に出会った。
はて?こんなものは以前にはなかったぞ、などと思いながらもしっかりと道が続くので、そのまま登っていった。そういえば階段状にはなっていない道であった。
 やがて、階段状の道に合流、そしてこれが新しい道のようであった。
階段、階段、まだ階段、いささかくたびれて、水を飲みチョコをほおばり小休止。

 ほぼ1時間近くの登りの末に「観音堂」の広場に到着。頂上はほんのちょっと先である。
しかし、私の登山の用向きはこの観音堂にあった。
汗を拭く間もなく私は観音堂に手を合わせた。

 ほんとに、ホットした。登ってきてよかった。
かつて、いつもいろいろと薫陶をいただいていた私の職場の先輩、彼はこの角田山をこよなく愛し、トレーニングの場としていたのであった。
しかし、昨年亡くなられてまもなく一年となる。
その前に、私は一度角田山に登って、今は亡き彼との対話をしてみようと思っていた。

 観音堂の広場からは、左手に日本海、そして目の前に越後平野が一望できた。ほんとに久しぶりの角田山からの眺望であった。
                     

 同じ道をくだったが、気分も足取りも軽やかであった。

ショパン

2006年05月24日 | 音楽など
 我が遊歩道も日増しに緑が濃くなり、すっかり初夏の装いです。

 ところで、
もう昨晩のことになります。「りゅうとぴあ(市民芸術文化会館)」で私の入っている「にいがた音楽鑑賞会」の創立50周年記念例会がありました。

 「名曲アルバム・コンサート”ショパン情熱の生涯”」でした。
製作協力:NHKエンタープライズ21ということで、NHKの番組「名曲アルバム」の様式を取り入れた、新しい形のコンサートでした。

 ピアニストはロシア生まれの16歳、フィリップ・コパチェフスキ。すでに国際的に活躍していて、神童として注目を集めるロシア期待の俊英。
 ナレーションは元NHKアナウンサー・古藤田京子さんであった。

 「軍隊ポロネーズ」の力強い演奏から始まり、ついで「映像でつづるショパンの生涯・誕生からワルシャワへ」の映像とナレーション。
そして「マズルカを2曲、英雄ポロネーズ」の演奏。

 次に「映像でつづるショパンの生涯・(NHK名曲アルバムから)ワルシャワ」を背景に「エチュード(別れの曲)」の演奏。
ナレーションによれば、ワルシャワから世界に羽ばたいたショパンではあるが、2度とワルシャワに戻ることなく亡くなったのだそうです。胸にジーンときた「別れの曲」がここで演奏された演出を理解できたのであった。
 また、ショパンはパリ滞在中に、故国ポーランド(ワルシャワ)がロシア軍の侵攻で陥落したことを知り、悲憤にくれたのであった。「エチュード(革命)」はピアノを叩きつけるような激しい演奏であった。ロシアの若者によるショパンへの鎮魂の演奏というのも、平和なればこそであろうか。

 第二部は「華麗なるワルツ(イ短調)、ノクターン(変ホ長調)、バラード」などの演奏が続いた。
 つづいて、「映像 パリ」を背景に「華麗なるワルツ(変い長調)」、そして「映像 マヨルカ島」を背景にそこで作曲された「前奏曲(雨だれ)」、さらに「映像 ノアン」を背景に「ノクターン(ロ長調)」の演奏。
美しく端正な演奏にただ聞きほれてしまった。
 そして最後の曲目は「映像 終焉、パリそしてワルシャワ」を背景にあの曲「幻想即興曲 ロ長調」であった。私にとっても高校生時代に聴いて、それ以来忘れたことのなかった曲でもあった。
目の前のコバチェフスキがまるでショパンとなってしまったのではないか、と思った。

 アンコールは「子犬のワルツ」などであった。
若きピアニストが時に激しく、時に憂いを含みながら、あるときは華麗に、あるときは心弾むように、まさにショパンの思いを弾いてくれたように思う。

私のコンテスト参加

2006年05月22日 | アマチュア無線
 昨日は「新潟コンテスト」の7MHzとハイバンド(14,21,28MHz)部門があった。

 この新潟コンテストだけは、地元だけにやむなく「CQ CQ」を出して、多くの方から呼んでいただく。これはこれで、とてもエキサイティングで楽しい。
しかし、私のコンテスト参加は、いつも呼びに回っているのがパターンである。
 好きなペースで気軽に参加、これが好きなのである。
局数を稼ぐでもなし、ましてや入賞など考えることもない。いつのまにか、私なりの楽しみ方のパターンとなってしまっている。そのくせコンテストは好きなのである。

 極力参加をするようにしているコンテストがある。
地元主催の 「JA0OSO JA0VHF]そして「新潟コンテスト」である。
JARL主催の「All JA、6m&Down, Field-day conntest、全市全郡」それに「All ASIAN」などは積極的に参加して、参加証で毎年世界地図や日本の地図を完成させるのが楽しみである。 

 それに世界的なお祭りにも相当する「CQ WW Contest」、これはむちゃくちゃはやいCWでのCQを、何度も何度も聞いておもむろに呼んでみる。そして型どおりながらリプライがあるともう興奮してしまう。
おお!あそこまでわが電波は飛んでいるのか、そして時間とともに聞こえてくる地域が東から西へと変わっていく。そして結局世界一周となってしまう。
とてもエキサイティングで、毎年やめられないのである。


 まあ、私のような欲のない、それでいてコンテスト参加が好きだというのが一人くらい、いてもいいのではと思っている。
実を言うと、私のような者の存在がないとコンテストは成立しないのである、と密かに自負してもいるのです。hi。

豪農の館でモーツアルト

2006年05月21日 | 音楽など
 昨夜のことです。
お隣の町・田上町(護摩堂山のある町)にある「椿寿荘(ちんじゅそう)」で「豪農の館で楽しむモーツアルト」コンサートがありました。

 演奏者の皆さんは、地元田上町出身の方や県内出身の方々でした。
それぞれ地元で地道な活躍をされているのですが、その経歴や活躍は目を見張るものでした。
 ヴァイオリンが二人、ヴィオラ、チェロのクァルテットですが、演奏曲目によってはクラリネットが入ったり、ソプラノ歌手の方が加わるという本格的な演奏でした。

 モーツアルトの「ディヴェルテメント(Kv137)」などは、もともと貴族の館での演奏用ではなかったでしょうか。
椿寿荘の大広間には200名くらいの方がおいでになりましたが、時代と所が変わって畳の日本間での演奏となりましたが、結構雰囲気的にも合ったのではないでしょうか。照明に浮かぶ大きな日本庭園も素敵でした。
 「弦楽四重奏曲(Kv157)」などはまさに、この会場にぴったりでした。

 休憩の後、ソプラノ歌手の方によりクァルテットの伴奏で「春への憧れ、すみれ、楽しい安らぎが、フィガロの結婚より’恋とはどんなものかしら’」などを聴くことができました。よかった!
 また、クラリネットを加えて「クラリネット五重奏曲(Kv581)」は、クラリネットのふくよかな音色と各楽器の活躍が生き生きとしていて最高の演奏でした。

 最後、アンコール曲はもちろん「アイネクライネナハトムジーク」でした。
十分な余韻を大切に会場を出ました。「田上町音楽を楽しむ会」の皆さんに感謝しながら。

コンピュータの故障

2006年05月19日 | 日々これ好日
 以前から私のデスクトップパソコンに不具合が出始めていました。

 電源を入れても、カタカタと音を立てるばかりで、その先に行かないのです。
時間を置いて、再度試みるとうまくたちあがることもありました。しかし、ついに立ち上がってくれなくなりました。

 幸い、このような事故のことも考え大容量のHDDを外付けにして、写真などのデータは保存してありました。しかし、直近のデータなどは失ってしまいました。
HDDの交換修理に出しました。
パソコンが帰ってきたら、いくつものソフトを入れてやらなければいけません。
けっこうたいへんですよね。


 ところで、先週の土曜日、そして今日(金曜日)はいずれも角田山に登る予定にしていました。
先週の土曜日には、朝早く雨風がつよくなり断念、今朝は午後からは雨という予報でこれまた断念。なんとも情けない話です。少しくらいの雨風などへっちゃらだった若いころがうらやましい。

 私のかつての先輩がほぼ一年位前になくなっています。
めっぽう山の大好きな方でしたので、山仲間がヒマラヤの麓に写真入りの碑を建てたそうです。そして、いつもこの角田山でトレーニングというか体力つくりをしていたのでした。
 何とか彼への気持ちを、私の角田山に登るということであらわしたい、そんな気持ちがずーっとこのところあるのです。
 近いはずの角田山がなかなか私を近づけてくれません。でもいつかと思っています。

 最近、「フィギュアを彩った名曲たち」というCDを買いました。
もちろん荒川静香の舞った「トゥーランドット」も入っています。素敵!です。

わくわくドキドキ!

2006年05月15日 | 日々これ好日
 今日は、私のふるさと三条市の八幡様の祭りである。よいお天気に恵まれたようだ。

 幼い頃の記憶は今でも鮮明である。一本歯の高下駄でのっしのっしと歩く天狗様や大名行列などが思い出される。また、広場にかかったサーカス小屋に入り、興奮してサーカスの芸に見とれたり、お小遣いを握りしめながら夜店で買いたいものを物色したことなどが思い出される。
 ここのところ、もう何年も見に行っていない。

 ところで、今日は午前中「新潟県高齢者大学」の入学式が、新潟市ユニゾンプラザであり出席して来た。教養部一年次(2年制)への入学である。
今まで何とはなしに大学名からして抵抗があり遠慮してきたのである。
しかし、今年はもはや名実共に高齢者だという自覚の本に入学希望を出していた。
         

 「小林美代子」学長の講話があった。
プロスキーヤー・三浦雄一郎さんの話から、ご自分の「美術館巡りの旅」の話を通して、いくつになっても「わくわくドキドキ!」を追い続けたいものです、と話された。
 私もこの大学でいくつもの「わくわくドキドキ」を体験したいものだと思っている。講義に実技に人との出会いに、今からドキドキである。

 帰り道、ちょっと道草をした。
帰り道の途中に、日中友好記念の公園「天寿園」がある。そこに寄ってみた。
     
 前の部分に日本式庭園があり、この「天寿園の門」をくぐり、中国式の庭園へと入っていくことになる。
牡丹の花がまさにぴったりする庭園であった。
         
             

 とんだことで、冷ややかになっている日中関係ではあるが、かつてそこから多くを学んだ中国文化ではないか。いまも学ぶべきことが多くあるだろうに。

我が家のツツジ

2006年05月12日 | 日々これ好日
 今日はちょっと汗ばむくらいのよいお天気でした。

 怠けていて、ぜんぜん手入れをしなかった庭の手入れをしました。
まず草取り、掃き掃除、側溝の枯葉集めなど。どうにかすっきりした。

 我が家の小さな庭ではあるが、種類の違う「ツツジ」の木が9本ある。
いずれもまだ小さな木であるが、早咲きのものが咲き始めた。



   
      
         

春よ!急がずに 3

2006年05月11日 | 日々これ好日
 今朝は、まるで梅雨時を思わせる雨模様。気温も昨日よりは10度以上さがった。

 昨日は、お昼近くなってから五泉市の「ぼたん百種展示園」を訪ねた。
それこそ多くの牡丹の花を見ることが出来たが、全体の三分の一程度が咲いている状態であった。これからがさらにに豪華に咲きそろうのであろう。
でも数え切れないほどの園芸種の数々、いずれの花もあでやかに美しさを競っているようでした。

  
      
         
            
               
                  

 お隣の五泉市というと「ニット製品」が、特に独自ブランドを開発したりしてニットの町というイメージである。
しかし、春ともなると「水芭蕉公園」「小山田彼岸桜」「チューリップ園」そして「牡丹園」と次々と楽しませてくれる桃源郷のようなところでもある。
 名前の「五泉」は菅名岳などからの湧水からきているとも言われている。

春よ!急がずに 2.

2006年05月10日 | 日々これ好日
 心せくままに、私たちの「秋葉山噴水公園」から歩き始めた。

 赤い若葉を吹き出している「もみじ」、滴るばかりのみどり、体の中まで緑が入り込んでくるようだ。

 私たちの新潟市は新津市との合併で、このような「里山や公園」を持つこととなった。海あり、広大な平野あり、幸多い里山あり、となった。

           



                      

               


春よ!急がずに 1

2006年05月09日 | 日々これ好日
 我が家は築20年くらいである。

 それなのに、お風呂に通じる水道管が破れた。ご近所の業者の方に修理を依頼。
掘り返してみると埋設されている水道管(鉄管)にテーピングをせずに処理をされていて腐食が予想外に進行したことが原因であった。
 まさに手抜き工事であった。しかし当時、工事をした業者はすでに破産して影も形もない。当然であろう。
 今後の水周りの状態に不安を感じている。

 水が使えない状態での一日を体験する羽目になった。
常日頃、いかに「使い放題」に水を使ってきているかを知る事となった一日であった。トイレの使用から洗濯、食器洗いと改めて「貴重な水」だと気づかされた意味のある日であった。


 それにしても、気温の急激な上昇、めまぐるしく装いを変化させる人、それに自然。とにかく身近な「遊歩道」に飛び出してみた。

            

            

 いまや雑草の代表みたいになって、いたるところに咲いている「ヒメオドリコソウ」。名前も姿も素敵だと思う。
本家?「オドリコソウ」は「角田山の麓」や「佐渡の大野亀の頂上近く」で見たことがる。今年はまだお目にかかっていない。会いたいものだ。

             

 ちょっと遊歩道の足を延ばした所の並木道。赤や白の「はなみずき」が満開となっていた。
             

             

 せっかくの春なのに、もっとじっくりと立ち止まっていてほしい。
                    あまりにも慌しすぎやしないか!

出雲崎町

2006年05月08日 | 良寛さまのことなど
 それは5月5日(金曜日)のことでした。

 私たち夫婦は、その朝郷本の民宿から息子たちのいる和島オートキャンプ場に向かう途中でした。 
良寛さまが修行の後に越後に戻り、始めての仮の住まいとなった「良寛空庵跡」の石碑を発見。
それは生まれ故郷・出雲崎からそう遠くはない海岸端でした。身内に続いた不幸な出来事や時代の激しい変化が、この地を選ばせたのでしょうか。


 キャンプサイトに陣中見舞いの声をかけて、私たちは午後から出雲崎町を目指して走った。道の駅「天領の里」は大変な賑わいでした。
「天領の里・時代館」に入ってみると、その説明や案内が「良寛さん」となっている。さすが地元である。親しみを感じてのことと思われた。 
            
 
 ちょっと戻り、「良寛堂」に寄る。良寛さまの生家「橘屋」の跡地である。
  
                   

良寛堂の背面には、母の生地・佐渡をじっと眺める良寛さまの像があった。

                      

小高い丘の上に「良寛記念館」がる。何度か訪れてはいるが、いつもその見事な墨蹟に見入ってしまう。
 記念館の脇から一段と高い場所にある「良寛と夕日の丘公園」に登ってみた。
ここからは良寛堂をはじめ出雲崎の町並みが一望できる。この場所からの夕日の眺めは「にいがた景勝百選一位」なのである。
この公園には山頭火の歌碑もあり、彼もまた良寛さまに魅せられた一人であるようだ。良寛さまと遊ぶ子供たちの像もあり、ほほえましくナイスショットの場所である。

                   

 かくして過ぎた今年のゴールデンウィークであった。
今度いつか、分水町の「良寛資料館」と「与板町」を訪ねてみたいと思っている。

和島オートキャンプ場

2006年05月07日 | お出かけ
 昨日までのよいお天気から、今日は一転雨の一日となった。新緑のみどりが目にしみるようである。

 今年もこのゴールデンウィークの4,5,6日とアウトドアーの生活であった。
このように言うと、いささか偽りになる。実は孫と長男はテント泊で私ども夫婦は近くの民宿で泊まって、昼間だけの参加なのであった。

 寺泊経由で和島オートキャンプ場に向かった。
寺泊のアメ横は歩くのも困難なくらいの込みようであった。ほとんどが県外からの観光客のようであった。ここで、食材(魚介類)を仕入れた。
 さらに旧北国街道(海岸線道路)を通り、長岡市となった和島に到着。
落水の滝を過ぎて、ぐいと大きくカーブを切り一山登りきった眺望抜群のキャンプサイトであった。

 予約してあったサイトに車を入れ、テントを張る。
設備的にも大変行き届いたキャンプサイトで、なかなかの人気サイトらしくほとんどが県外からの車であった。さまざまな形のテントがたくさん張られていた。

 遊びに夢中になる孫をうまく使いながら、長男はテント張りなどの設営を手伝わせている。これも大切な体験と教育なのであろう。
「不自由を楽しみに来たのだから」という言葉にハッとする。

 キャンプ生活の醍醐味は夜にこそあるであろう。
手作りの夕食、焚き火の温もりと夜気に包まれての緊張、シュラフに包まれての就寝、小鳥の声で目覚める朝、こんなすばらしいことを私自身は子供たちに体験させてあげることはなかったのであるが。

              


 とはいえ、私たち夫婦にはこのようなワイルドな生活はすでにちょっときつい。
少し引き返したところに「郷本」というところがあり、そこの民宿「阿弥陀様の湯」に泊まることにしてあった。

        

 私たちは、お風呂に「阿弥陀様」が、でんと鎮座している湯につかり、そしてテントよりは少しは良いかというお部屋で休むことが出来た。

 翌朝、テントサイトを訪問すると、孫は興奮気味に「もう一泊するよ」と言ってきた。
実は、結果的に私どもも阿弥陀様の宿でもう一泊することとなったのです。

 せっかくですから、ちょっと時間が取れたときにモービルホイップ・アンテナで7MHzのCWで電波をだしてみました。ロケーションもよく、これはいけると思ったのですが家内ににらまれてQRT.ほんの数局でしたHI.

万代橋の花絵

2006年05月01日 | 良寛さまのことなど
 気がつけば、もう五月なのですね。

 気分一新でBLOGの衣替えをしました。心は一気に初夏でしょうか。
でも、今朝ほどは春の雨です。富山では黄砂も飛んできているようです。

 いささか華やか過ぎますが、写真は「万代橋の花絵」です。数え切れないほどのチューリップの切花で描かれています。

 このところ枕頭の書物として「座右の良寛・松本市壽著」を少し読んで、バタンキューと眠ってしまっています。良寛さま、ごめんなさい。
今まで知らなかった良寛さまの厳しい言葉や生き方の一面を知りました。
 さらに「良寛と荘子・川内芳夫著」も求めてあって、次に読もうと思っています。良寛さまの生き方の原点に迫れるかもしれません。

 良寛さまを通じて、すばらしい方々に書物などからですが、出会えることが出来てほんとに幸せを感じています。