柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

安静に努めた一日

2005年03月26日 | 音楽など
 花粉症とおぼしき症状の後遺症のため、大事をとって昨日は一歩も外に出ないで横になっていました。
しかし、さすがに午後あたりになると、ベッドで過ごすことが苦痛になってきました。

 私がアマチュア無線から遠ざかっていた頃がありました。
そのときは、オーディオの世界にのめりこんで、アンプ作りやスピーカーシステムを作ったりして楽しんでいました。いろいろと変遷はあったものの自作のスピーカーシステムだけが現役で残っています。
パイオニアの「ウーハー、ホーンスコーカー、ホーンツイーター」のユニットを自作のエンクロージャに入れたものです。現在はスコーカーのドライバーを吹っ飛ばして「三菱のスピーカー」に換えてあります。今流行のドンシャリではなく高音も低音も控えめです。

 横になっていてもしょうがないので、レコード鑑賞を思い立ちました。
最近、「小学館発行のCLASSIC INN 全50巻」のシリーズを買っているので、その中からヴィバルディの協奏曲を選んでみました。「四季」と「調和の霊感」から何曲かをを聴きました。
CDであることと若い人たちの演奏は、私の粗末なシステムが生き返ったように軽やかに華やかに聴こえます。
 さらに、ずっと昔、「中央公論社発行の世界の名曲シリーズ」を買っていました。その中から「イ・ムジチによる四季」のLP盤、さらに同じ頃に求めていた「イ・ムジチの調和の幻想」のLP盤があったのです。さっそく引き続き鑑賞しました。同じ曲ですが、しっとりと落ち着いたその音はなぜか私の耳にはいっそう心地よいものでした。

 こんなに贅沢な時間を柄目木庵で過ごしながら、良寛さまに申し訳ないような気持ちにもなりました。
でも待てよ。良寛さまはあの五合庵でこんなものではない、もっともっとすばらしい自然の音楽に耳澄まされていたに違いないのだ。

 それにしても、昔、LP盤は2,000円以上でした。現在のCDシリーズは980円です。
音楽がずいぶん身近になったと感慨もひとしおです。

花粉症の実験

2005年03月26日 | 日々これ好日
 私はこの風邪のシーズンにもかかわらず、今年は風邪をひかずに終わるかなと思っていました。
ただ、最近のどの痛みが二日ほど続きましたが回復していました。
 一昨日、ウォーキングの途中、道路わきにちょっとした杉木立があり、杉の枝が茶褐色に変色していました。手の届く枝をちょっと引き寄せ、左右に振ってみました。私の目には花粉らしきものが飛び散っているようには見えませんでした。

 ところがです。それから3時間ほどがたちました。どうもくしゃみが出たり、鼻水も出てきましたし、目がしくしくしてきました。ついに休み無くティッシュペーパーが必要になりました。
数日前には、喉の痛みもあったことだし風邪が本格化したのかな、くらいに思っていました。

 さらに、3、4時間後の就寝前に顔を洗ってパジャマに着替えました。大事をとってお風呂は入りませんでした。
不思議なことに、あれだけの症状が、嘘のように和らぎました。もちろんゆっくり安眠できました。

 念のため、翌日(昨日)は一日安静にしていました。でも、もう大丈夫のようです。

 全くの、いたずら心でした。自分は花粉症などとは無縁であると信じきっていました。
だから、杉の枝を揺さぶってみて花粉の飛散を確かめるなどという馬鹿なことをしたのでした。
皮肉なことに、花粉症の実験は成功したようです。一度かかると今後はどうなるのでしょうか。
外出時には念のためマスクをして防衛策をとるつもりですけど、とんだ実験でした。

こんにちは新潟市!

2005年03月24日 | アマチュア無線
 新潟市民になって、4日ほどがたちました。
さっそく、アマチュア無線関係の書き換えに手をつけました。

 Hamlogのユーザーリストの変更をしました。
「Slow life,slow CW を楽しんでいます。」これはとても気に入ってるのでそのまま。
「0807ー>0801」に。
実は、だいぶ前に地図上の座標が日本系から世界系に切り替えられていたようですが、そのために
我が家のグリッドロケーターの下二桁に変更が生じていました。
「PM97NS」が「PM97NT]となりました。この機会に訂正をしました。

 QSObankの電子QSL欄の表記も改めました。
3/21に新潟市になってからの交信QSOデーターをアップロードしていますが、すでに何枚かのQSLをいただきました。
実は、QSObankのカードの写真も取り替える予定でしたが、現在の写真は孫が育てた「ミニトマト」です。
なんでトマトの写真なんだと思われるでしょうね。
でも、もうしばらくはこの写真でと思っています。
 あと、「e-QSL.cc」や「QRZ.com」もいずれです。

 新潟市は、日本海側始めての政令指定都市になることを2年後に予定しています。
今までに無い「田園都市型」80万人の都市となります。
「元気のおかわり 新潟市」というのがキャッチコピーです。

さようなら新津市!

2005年03月20日 | アマチュア無線
 あと2時間ほどで、日付が変わる。
そうすると、新津市は消滅して新潟市に編入合併する。
 
 先ほどまで、閉市記念と言うことで、花火があがり、SLの汽笛が鳴っていた。
零時を期して、市内のお寺では一斉に鐘をつくことになっている。

 一抹の寂しさはあるが、ここまで来たんだもの、未来に賭けるしかないのだ。

 アマチュア無線では新津市は番号で「0807」となっている。807と言うのは無線をしている人にとっては知らない人はいないくらい有名な「真空管」の名前でもあった。無線通信時の話題として何度も何度も登場させてきた。
明日からは「0801」新潟市なのである。

 名残惜しくて、数日前からアマチュア無線家として「さよなら新津市」ということで、全国の多くの同好の皆さん相手に「0807」を送り交信サービスをしてきた。

 みなさん、ほんとにありがとうございました。
また、明日からもよろしくお願いいたします。

春分の日に

2005年03月20日 | 良寛さまのことなど
 昨日から予想された今日のお天気。
快晴である。計画実行にはまたとないチャンスである。

 前回の「五合庵」を訪ねたときは、まさに吹雪の中であった。
厳寒に耐える良寛さまを偲ぶことは十分でした。しかし、国上山に登れなかったことが心残りだった。
そこで、今日は国上山登山に絞って出かけた。

 今年はじめての国上山313mである。越後の古刹「国上寺」の裏手から登山道が始まる。
国上山登山の楽しさは、途中「良寛さまの歌碑」がいくつかあることと、いろんなお花にめぐり合えると言うことである。
 登り始めて程なく、女房が「マンサクの花」に気づいた。
また、五合目の見晴らし台のところで歌碑に出会う。
    
   月よみの 光をまちて かえりませ
             山路はくりの いがのおほきに   良寛

 良寛さまのやさしさに涙が出そうになる。頂上でおにぎり一個ずつ食べてすぐ同じコースで下山。(次回は「蛇くずれ」のコースでたくさんのお花に会いながら下山しよう。)
途中から国上寺からの読経の声が聞こえてくる。今日はお彼岸の日だもの、よかったなあなどと思いながらの下山でした。

 車での帰り、かなり下がった道の途中に「乙子神社草庵」の案内板があり、下車して訪ねてみた。
タフな良寛さまとはいうものの、老いの身に長い上り下りの坂道や寒さは堪えたであろう。やがて良寛さまはこの草庵に移られたのであった。
五合庵よりはましではあろうが、依然として厳しい生活であることには変わりなかっただろうと思われた。 

我が家の紅梅が咲きました。

2005年03月19日 | 日々これ好日
 数日前から、一輪一輪と花の数が増えてきました。

 この紅梅の木は、私どもが十数年前、三条市に住んでいた頃からのものです。
その頃は、まだ鉢植えの小さな木でした。
例年,父が夜はお風呂場に置いたりして、お正月に咲くようにしてくれていました。
いつもお正月には見事な「紅梅の花」を愛でることができたのでした。

 その父が亡くなって、数年後にここ新津市に引っ越しました。
そして地植えされたこの紅梅の木は、それでもすくすくと育ち毎年見事にたくさんの花をつけてくれていました。

 いつでしたか、「梅切らぬ馬鹿に、桜切る馬鹿」などということを聞きました。
そこで、昨年の秋、まったく「ど素人」の私が景気よくパチンパチンと考えもなしに枝を切ったのでした。
そのせいでしょうか、今年はとても花の数がすくないようで胸を痛めています。

 そして、この紅梅も明後日には「新潟市在住」ということになります。
今年は、心得のある方から「剪定の仕方」を教わろうと思っています。

吹雪の中の五合庵

2005年03月14日 | 良寛さまのことなど
 このところ春が来たのかな、なんて思っていたのが、昨日は全国的に大変強い冬型となり、日本列島いたる所で冬景色となったようだ。私も久々の寒さにふるいあがっていた。

 しかし、突如、五合庵の様子を見たくなった。
 「おい(老翁)が身は寒さにうずもる(埋)雪の竹」 良寛

 女房に背中を押されて,二人で車を走らせた。一時間半ほどのドライブであった。
ほんとに久しぶりの「国上山(くがみやま)の麓」である。駐車場から、うっすらと新雪の積もった道を「国上寺(こくじょうじ)」、そして「五合庵」に向かう。
なんと幸せなことに、だれも訪れた人も無い様子で、雪の中に足跡も無い。
そして吹雪の中に五合庵は静かに佇んでいた。

 そうか、この小さな空間と自然が「良寛」に至福のときを与えたのであろう。
しかし、想像を絶する厳しい生き方でもあっただろう。

 寒さ厳しい中、ぬくもりをいただき、帰路に着いた。
 

ねこちゃんの糞対策

2005年03月13日 | 日々これ好日
 イヤー、実は猫の糞対策は長年の課題でした。これからもそうでしょう。
 我が家の裏手のブロック塀が猫の通路です。家の脇の小砂利を敷いたところに糞をします。
庭の大事な「杉ごけ」の部分にも被害です。もう一箇所が玄関前の花壇での糞です。

 有刺鉄線を塀の上に伸ばしましたが、ひょいひょいと身軽に避けて、相変わらず通り道にしています。
小砂利の部分の前後に「とげとげのある玄関マット」を敷きましたが、どうもだめのようです。
園芸店で「柑橘類の忌避材」を求めて撒きましたが、雨などで匂いがなくなり効果が持続しません。

 今回、ヒントをいただいてネット上で「猫の糞対策」のアイデアをいくつか知りました。
*水を入れたペットボトルを並べる。
*素焼きの植木鉢を叩き壊して、そのかけらを撒いておく。
*釣り糸を張っておく。
*クレゾール液を薄めて撒いておく。
など、他にも過激なものもありましたが、要は猫に学習してもらうようにすればいいのでしょうね。
適材適所で試してみます。

 とはいうけど、猫はとても賢くて、どうも負けそうですね。
       みなさん、有難うございました。
 
 「追伸」

 昨晩と今日、ちょっとだけ「JA0 コンテスト」に参加しました。
 午後から、急に思い立ち「雪の五合庵の写真」を撮るために、急遽、分水町まで行ってきました。
吹雪の中の五合庵だったのですが、その素晴らしさを撮るには、腕前の程が不足でした。いずれ。

春が来るというのに!

2005年03月12日 | 日々これ好日
 今日は、ちょっと困るなあ、という話です。

 どんどん春めいてきました。
私のいつも散策する道は、日に日に雪も解けて、とても軽快に歩けるようになるはずでした。
ところが、雪が解けたことにより、「犬の糞」が点々と現れてきました。
よほど注意しながら歩かないと、とんだことになります。

 雪の無い時期ですと、犬の散歩をさせる人は、犬の糞を始末するスコップや袋を、ちゃんとお持ちになっているようです。
ところが、積雪があると犬の糞の始末は、人が見ていないのを幸いに、スコップで雪をかけて素知らぬ顔なのでしょう。
その結果が、なんとも大変なことになってしまいます。
 雨で洗い流されればまだしも、乾燥してやがて風に飛ばされて飛散するのでしょうが、考えただけでもぞっとします。

 実は、里山である「護摩堂山」の登山を一週間に一度ほどの割合で楽しんでいるのですが、最近犬を連れた方の登山が増えました。やはり、その道筋に犬の糞がところどころ見られます。
とても残念なことです。

 私も犬は大好きです。だからこそ、責任のある犬のしつけや人との共生に気配りをしていただきたいのです。私の知り合いにも、家族同様に犬をかわいがって育てている方も何人かいますが、そんな無責任な方は勿論いません。

 なお、ついでに愚痴をもうひとつ。
 女房が、昨年秋に小さい花壇ですが、チューリップの球根を植えました。
この時期チューリップの芽が地面に頭を出し始めました。
ところが、その近くに近所の「野良猫」がウンチをするのです。何度も私がその都度処分していますが、またもやなんです。ほとほと困り果てています。
何か防ぐための「妙案」がありましたら、ぜひ教えていただきたいと思っています。

 

めんそーれ沖縄(南部)

2005年03月08日 | 旅行など
 沖縄の旅も3日目、最後の日である。快晴しかし風がつよく体感温度は低く寒い。
今日は沖縄南部、いわゆる戦争激戦地の跡を訪れることになる。バスは一路南下。

 まず、平和祈念公園を訪れる。バスガイドさんに引率されて、慰霊碑「平和の礎」に向かう。
「礎」と言う字は沖縄の方言で「いしじ」と言うので、皆さんからも「へいわのいしじ」と読んでいただいているとのこと。いままで、いつも不思議に思っていたことが、パットわかった。そうだったのか。「いしじ」か。
 23万人を超える戦没者(軍人、民間人、外国人を問わず)の名前がきざまれているのだそうです。このような形の慰霊碑であれば、為政者の参拝があっても、世界中の人の尊敬こそあれ、非難されることなど無いのに。ほんとに厳粛な気持ちになり戦争の痛ましさと不条理さを痛感した。

 参拝の道すがら、ある人たちがふざけあって笑った。すぐにガイドさんが「ここは笑うところではございません」と、ぴしゃり。気持ちよかった。ほんとにそうなんだから!

 「ひめゆりの塔」までバスで移動。
小さなひめゆりの塔の碑に思いがけなさを感じながら、多くの乙女たちの悲惨な最期の場となった、ぽっかり口をあけている空豪の説明に、涙を抑えることができなかった。
また、時間の関係で「資料館」への入館ができなかったことは、まことに残念であった。

 いよいよ最後の見学は「おきなわワールド」。
鍾乳洞(玉泉洞)は、いよいよきらびやかに商業化されたという感じであった。幸い、前回訪れたときの経験を生かして「琉球王国城下町」のゾーンに時間をかけた。
「ブクブク茶」を飲んだり、いろんな工房をじっくり見て、咲き乱れるブーゲンビレアやハイビスカスの花の撮影などを存分に楽しんだ。

 このようにして、今回の沖縄の旅は終わりとなった。
 見落としたところ、時間の関係で見れなかったところなど、心残りであった。
また、アマチュア無線家としては、短時間でもいいから「沖縄移動運用」として電波をだしてみたかった。
団体旅行という制約の中では無理だった。いつか夢がかなうであろうか。

めんそーれ沖縄(中部)

2005年03月07日 | 旅行など
 沖縄での二日目、那覇のホテルを出発。
バスは一路北上、「満座毛」という象の鼻を思わせる断崖絶壁の景勝地にちょっと立ち寄り、さらに北上。
 
 本部町にある「海洋博公園」に到着。多くの花が飾られている道を「美ら海水族館」へ。今日のメインはここだと言っていいだろう。
世界一を誇る巨大アクリルパネル(圧さ60cm)により、黒潮の海が巨大水槽で造られている。すぐ目の前を大きな大きな「ジンベイザメやオニイトマキエイ(マンタ)」などが悠々と泳いでいる。人間がなんと小さく見えることか。圧倒的な迫力であった!

 午後からは、南下になる。途中パイナップル畑と加工工場の見学。パイナップルの試食をするが、すっぱくてぜんぜんおいしくない。今はおいしい時期ではないのだそうだ。

 南下の高速道は「嘉手納基地」などいくつかの米軍基地の脇を通っている。なんとも広大な敷地だ。軍人のための住宅などもよく見える。「東南植物楽園」に入って、とっくり椰子の樹などさまざまな樹木やお花を観賞した。しかし、近くの基地からひっきりなしに離着陸するジェット機の轟音が頭上を横切る。まったく落ち着かない。

 米軍基地の諸経費、したがって頭上を飛ぶジェット機のガソリンも含めて、すべて我々の税金でまかなわれているのではないだろうか。平和を維持するためにも、我々は莫大な経費を負担しているのだろう。

 ホテルの夕食はバイキングで、何種類もの炒め物(チャンプル)がおいしかった。
食後はホールで「琉球の踊りや島唄」を楽しんで、最後に「カチャーシ」という祝い踊りの手ほどきをしていただいた。買った島唄のCDと共にすてきなおみやげとなった。
 特に、バスガイドさんも、今宵の歌い手さんも紹介してくれた
「てんさぐぬ花」という歌に心打たれた。
 「沖縄口」   
 てぃんさぐぬ花や ちみさちにすみてぃ
 うやぬゆしぐとぅや ちむにすみり 

 「大和口」
 ホウセンカの花は 爪の先に染めて
 親の教えは 心に染めなさい

 実は4番まであるのですが、いまどき心に響きませんか。

めんそーれ沖縄(那覇)

2005年03月07日 | 旅行など
 沖縄の旅2泊3日(添乗員付き)では、まさに定番コースそのものであった。
すてきなベテラン・ガイドさん付の中型バスに3グループ、20人ほどであった。

*一日目:那覇空港から首里城、那覇市内ホテル

*二日目:満座毛経由で中部へ。国営沖縄記念公園(美ら海水族館)、名護パイナップルパーク、東南植物園、那覇市内ホテル(2泊目)

*三日目:平和祈念公園、ひめゆりの塔、おきなわワールド、そして那覇空港へ

 今年の2月沖縄では、ほとんど毎日、雨や曇りで晴天の日は一日くらいだったそうです。
南国の陽光を想像していたのに、予想外のことでした。でも、新潟とはいつも気温差が10度ほどもあるようです。
 バスやホテルの中には冷房装置はあっても暖房設備はありません、という紹介にさすが南国と納得しました。すでに、桜(ヒカン桜)の季節は終わっていて、4月海開き、5月には入梅と聞いて、皆さんびっくり。
 しかし、負け惜しみのようですが、あのソメイヨシノの豪華さと散り際の風情は無いようですし、四季のメリハリがないんだな、などと思ったのでした。

 残念ながら、初日雨交じりの曇り、二日目も同じく、三日目にしてようやく快晴、でもとても風が強く体感温度はぐっと下がって寒かった。

 守礼の門、首里城とも工事中で一部シートで覆われていたりして残念ではあった。
「守礼之邦」の門をくぐり、「首里城」正殿に上がり玉座の間などを見学した。
 琉球の民は、礼節を重んじ中国や大和に気を配りながら、平和な貿易立国として栄えてきていたという。時の為政者のご苦労がしのばれた。

 時移り、首里城地下には日本軍司令部があったため、米軍の爆撃で焼失。戦後この地には、琉球大学が建てられていたが、首里城復元のため移転。
復元なった首里城やその城壁ではあったが、沖縄の重い歴史を感じるには十分であった。

 夜の「国際通り」散策は、にぎやかで、その雑踏を楽しんできた。

沖縄から帰ってきました。

2005年03月05日 | 旅行など
 あっと言う間の、沖縄への旅でした。
2泊3日というのは、いかにもあわただしいものでした。しかし、それなりに存分に楽しんできました。

 新潟空港から那覇空港までは、3時間のフライトでした。
中型のジェット(ANA)は横3列の3列、真ん中通路です。座席の前後の窮屈さには閉口しました。文字通りエコノミー症候群にならないように、足腰を動かしたり、トイレに立ったりと気をつけました。
 いくらなんでも、もうちょっとは空間を頂きたいものですね。時代はもはや「猛烈の時代」ではなく、「ゆとりやスローライフ」が提案されているのですから、航空会社にも気づいてほしいですね。量より質の時代なのにね。
もちろん、今までどおり、老人や病人、赤ちゃん連れなどのためにもビジネスクラスの存在は必要でしょう。

 沖縄滞在中の事や経験は、いずれ機会を持ちたいと思います。
 
 さて最後の日(3/4)は、午前中の観光が終わり、お昼過ぎに那覇空港に到着。手荷物や身体チェックでの検査では僕だけが、なぜか引っかかった。
腰のベルトは緩められるし、靴を脱がされて検査。結局ベルトの金具での反応らしい。
ちょっと不愉快ではあったが、考えてみると、やはり厳しい検査が安全な飛行を保障するわけだから、大いにやるべし、という気持ちではあった。
 
 気が付くと、我々のフライトについてのインフォーメーションが何度か流れていた。
注意して聞くと、「関東地区や日本海側にかなりの降雪が予想され、新潟空港に着陸不能の際は、羽田空港か庄内空港に着陸するかもしれません。」とアナウンスしているではないか。
搭乗しても、機内放送でも同様なアナウンスであった。
僕は乗務員に、「それなら羽田に下りて、六本木のホテル全日空に泊めてください。」などとお願いした(笑)。

 帰りのフライトは偏西風が利用できて、30分短く2時間半であった。厚い雲の下に雨にぬれた滑走路がせまった。ぜんぜん降雪など無かったようだ。
沖縄では、2月はじめから毎日雨や曇りだったそうで、帰るこの日はほんとに久しぶりの良いお天気になったのだとか。しかし、新潟についたら雨だった。気温差も10度もある。

 無事元気で戻れたし、寒さを吹っ飛ばす「熱燗」もいいではないか、と途中のレストランで「はんばきぬき」ということで、お互いの武勇伝や失敗などを肴に「旅のなごり」を楽しみました。


ブーゲンビレアとバオバブ

2005年03月01日 | 旅行など
 明日、7年ぶりに沖縄本島を訪れる。

 沖縄というと、もちろん「平和祈念公園やひめゆりの塔」などが強烈なインパクトではあった。
しかし、私はなぜか、「ブーゲンビレアの美しさ」と「のほほんとしたバオバブの樹」がとても印象に残っている。癒されるものを感じ取ったのは私だけであろうか。

 今回の旅は、女房の姉妹とその婿さんたちのグループと一緒である。
このようなメンバーで時々、温泉旅行などを楽しんでいる。
今度の旅は、何年か前にご主人を亡くされている一番上の(義理の)姉を沖縄に連れて行くことが目的のひとつのようである。亡くなられたご主人が,生前とても「沖縄の旅」が気に入っていたのだとか。

 実は、わずか2泊3日の旅である。行ったと思ったら、もう帰ってくることになる。
でも、また違った沖縄を発見してくるかもしれない。ブーゲンビレアとバオバブも私を歓迎してくれることでしょう。