柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

BLOGとの出会い

2004年12月31日 | 日々これ好日
 今年11月に、私がいつも遊んでいる「ときの広場(掲示板)」で、JG0AXT/KenさんからBLOGの存在を知らされた。私の好奇心が幸いにも元気であったようです。さっそく自分のBLOG(柄目木庵Garamekian)を開設できました。
 いろんな方との出会いを感じながらの日々となっっています。
特に、JH3YKV(7J3AOZ)のBLOGには日参することとなっている。そしてそのBLOG上でJF1OCQ/三宅OMを知った。例年、US-CQ社の「ハムカレンダー」を斡旋されまとめて注文してくださるとか。すぐにお願いしておいた「ハムカレンダー」が届き、私のシャックに掲げることができました。
三宅OMは「新年号CQ Ham Radio」などでもご存知のように、多彩なご活躍をされている方でした。
 そのカレンダーを見ながら、来年は国内QSOから一歩踏み出してみようかな、などと思い始めている。

 今、窓の外は1度C、吹雪そしてスノーノイズ、冬場の典型的なシーンではある。結局、寒い日が続き、前回の「山茶花と綿帽子」以来雪は消えなかった。ノイズばかりの中から かろうじて浮かび上がっている7MHzCWの局とQSO。これで、今年のQSO納めとした。
 
 皆さんの大晦日はどのように過ぎるのでしょうか。私としては今年はじめてのことになりますが、集まった息子家族も入れて5人で夜10時から新潟市民芸術文化会館での「ジルベスタコンサート」で新年を迎えることになっています。

山茶花に雪の帽子

2004年12月27日 | 日々これ好日
 このところ本格的な寒波が来ているようだ。今日の朝は2度C。外の景色がうっすらと雪化粧していた。葉のなくなっている樹木にも白い雪の花が咲いて見事である。写真は綿帽子をかぶったような山茶花の花である。
ほとんど一日気温が上がらなかったようで、雪は消えなかった。

 ところで、中越地震の生なましい記憶が鮮明だというのに、スマトラ島沖の地震と津波による被災はとんでもない規模のようである。あの周辺諸国や島々は、ときどきDXPedが行われるところでもある。現に「VU4」Pedが行われていたが、無事を祈っている。
私にとってもあの辺は夢見ている憧れの地でもある。いつか訪れたいと思っている。被害の少ないことと災害復旧を願っている。

なにはともあれ「2004回のQSO」

2004年12月23日 | アマチュア無線
 例年、少しでもアマチュア無線をアクティブに楽しもうと心がけながらも、年間のQSOの数は2000回を超えたことは無かった。
12月に入り、ひょっとしたら2000回、いや2004回はQSOをしたい、という目標になっていった。
ここのところ、毎晩ワッチを続けて、CQを聞くや呼びまわっていた。
 今日は、日中、さすがに祝祭日(天皇誕生日)である。7,10MHzでの移動局も多く、あっと言う間に目標の「2004回のQSO」が達成できた。長年の間、出来なかったことが達成できて、うれしさもひとしおである。他の局長さんから見れば、この程度の目標はお笑いかもしれない。
しかし、家庭内、家庭外の諸々の問題、障害を克服しての達成であった。
なお、QSO(通信)の99%はCW(トンツー)によるものである。

 いずれにせよ、世の中(国の内外で) あまりにもいろいろな事件事故が多すぎたように思う。
このようなご時勢にあって、Hamlifeを楽しませていただけることに、限りなく感謝したいと思う。
物心両面の平和安心があってこそのアマチュア無線なのだから。

冬至は好き!

2004年12月22日 | 日々これ好日
 昨日は冬至だった。
いよいよ厳しい寒さや本格的な雪のシーズンを迎えるとはいうものの、これからは日一日と昼間の時間が長くなるのである。まさに、ターニングポイントを通過したことになる。ほっとして希望のようなものを感じる。1月1日(新年)は、この冬至のころにするのがいいと思っている。
 
 なんと、冬至が過ぎた翌日(今日)、律儀にも雪がちらついた。しかも初雪である。
例年に比べてあまりにも遅い初雪となった。なんか感慨をもよおした。 

 最近、少しずつ年末恒例の我が家の内外の整理や掃除を始めた。換気扇などの1年の汚れを落としたり、思い切った物品の処分を心がけている。今日はさすがに疲れたので、夕方近所の日帰り温泉「花水Casui」に行ってきた。ちらちらと雪の舞う「露天風呂」の中に首までつかり、植え込みの山茶花の花を愛でながらの贅沢ではあった。

 ところで、大晦日までには「2004QSO」を達成したいのである。あと、12局ほどである。なんとかなるだろうか?

第九コンサート

2004年12月20日 | 音楽など
 この日曜日は、新潟市民芸術文化会館で年末の風物詩となった「第九コンサート」がありました。特に今年は「新潟市合併記念・中越地震復興・新潟第九コンサート」ということになりました。
 昨年は、家庭内外でいろいろと対応すべきことが多くあって、第九の鑑賞会には出かけられませんでした。とても残念に思っていました。いつもの年はこの第九、そしてメサイアまでもと欲張ったこともありました。
 今年は新潟市への合併を予定している市町村の皆さんを加え350名にもなる「新潟第九合唱団」や5年連続でこの第九を演奏する「新潟交響楽団」への期待がありました。

 地元佐渡の出身「新通 英洋氏」の指揮は見事でした。
第一楽章、第二楽章と徐々に高揚してきます、一転、第三楽章では静かに次なる楽章への準備、そして一気に第四楽章へと突っ走りました。ソリストたちの響き、バスの朗々たる響き、そして怒涛のような「歓喜の歌の合唱」です。350名にものぼる合唱団の途方も無いエネルギー、楽器も壊れんばかりの演奏の楽団員。聴いている私の体も熱く熱くなってきました。

 ああ、なんという歓喜でしょう。もりもりと元気が沸いてくるようでした。
今年も大変なことの連続でした。でも、この「第九」からもらった元気は来年にも十分持ち越せるように思っています。
 明日から、いろいろと年の瀬を越すための作業を始めようと思う。

クリスティーナ&ローラ

2004年12月18日 | 音楽など
 クリスティーナ(チェロ)とローラ(ヴァイオリン)さんという美人デュオのコンサートが新潟市民芸術文化会館でありました。お2人とも米国人ですが、どちらも母親は日本人とか。
「クリスマス・コンサート」と名うってのプログラムでした。とてもエレガントで、あるときは繊細に、あるときは力強く、2人の息の合った演奏は見事でした。
 グリーンスリーブスの主題による幻想曲、クライスラーの愛の悲しみ、愛の喜び、ビゼーのカルメン組曲、ジングルベル、ホワイトクリスマス、バーンスタインのウェストサイド・ストーリーのメドレー、などなどポピュラーな曲にすっかり満足でした。

 さて、例年は12月になると、いろんなコンサートが目白押しです。今までは、東京のサントリーホールなどまで聴きに行ったこともありました。今は地元で聴けるというのはとっても幸せです。
いつもは、「第九」で締めくくりをします。今年も今度の日曜日に、地元新潟市のオーケストラと合唱団による「第九」があります。

DACAPO(ダカーポ)

2004年12月16日 | 音楽など
 みなさん、「DACAPO」のお二人をご存知でしょうか。
今日は、新潟県民会館でした。
もう、結成以来31年になったそうです。「ベストパートナー」という新曲も披露してくれましたが、まさに、息もぴったり 夫婦ならではの美しいハーモニーをたっぷり聴かせてくれました。すてきなお二人でした。
 ご存知の「野に咲く花のように」「結婚するって本当ですか」などには、いまだ初々しさを感じました。「15秒の風景」ではデビュー前の音楽への情熱だけで生きた時代を歌い、そして、さだまさし作曲の「人生の贈り物」などでは さすがに年を重ねての味わいを聴かせてくれました。
今年、娘さんが音大を卒業されたそうです。ステージではフルーティストとして、ピアノ、ギターなどと共に伴奏をしていたのですが、ソロで「ダニーボーイ」を吹かせるなど 親心も見せていました。

 ところで、ダカーポというのは音楽用語とか。どんな意味なのでしょうか。始めに戻る、とか聞きましたけど。素敵な言葉ですね。初心に帰る、かなどと勝手に解釈しています。

映画「復活」

2004年12月15日 | 日々これ好日
 ひょんなことから、久しぶりの映画鑑賞であった。文豪トルストイの「復活」の映画である。
ストーリーのあらましはダイジェストなどで承知はしていた。原作も大作なら映画も3時間余りの超大作であった。
 
 大富豪の青年「ネフリュードフ」は かつて恋し、自らが犯した過ちのために、転落の人生を歩んで囚人となった「カチューシャ」に再会する。彼は自責の念から、地位も財産も捨てて、自らの過ちを「愛で償おう」とする。やがてふたりの間にはほんものの愛が芽生えるものの、彼女は「愛」ゆえに彼との結婚を拒絶し、極寒のシベリヤへと向かったのである。
 
 この「復活」は洋の東西を問わず、より「人間たるものの根源」を問いかける ずしりとした重さがあったように思いました。

海(うみ)から洋(うみ)へ

2004年12月14日 | アマチュア無線
 磐越高速道ができて、太平洋側のハムの皆さんと交流の催しが定期的に行われるようになってすでに久しい。今年も「いわき市のオーロラグループ」の皆さんの忘年会に、私は夫婦で参加してきた。今年から会場が「東急イン」に変わった。ハムの世界も時代の流れなのか、右肩下がりではあるが、ここだけはいつもの常連さんたちが60名も集まり、元気この上も無い。1次会から3次会までも盛り上がり、お互いの「ハムの夢」を語り合って話は尽きないのであった。

 日本海(うみ)を出発して猪苗代湖(うみ)で休憩し、太平洋(うみ)に至るこのコースは私のお気に入りである。新潟市、会津若松、郡山、いわき(小名浜)と、それぞれの地方の文化を代表する拠点を通過している。毎年、帰り道はどこかで「寄り道」をしていろいろと楽しんできた。
 今年は。いわきのOMさんご夫妻から 主として小名浜の方の紹介をしていただき、ついには私ども夫婦と一緒にホテルに泊まってのお付き合いをいただいた。

 アマチュア無線という趣味を通じてのお付き合いは、まったく不思議である。
あっという間に何十年来のお友達であるかのようになってしまう。心通わせあう「通信(QSO)」を共通の趣味としている者の「しあわせ」であると思っている。

 帰り道は、例年は猪苗代湖あたりで、地吹雪で難儀をすることが多いのであるが、今年は磐梯山には全く雪が見られない状態であった。

私の散歩道(秋)

2004年12月08日 | 日々これ好日
 イラクのことや中越地震でご苦労いただいている皆さんのことに思いを馳せたり、曽我さん一家の佐渡への無事到着を喜んだり、さまざまな思いが交錯しています。
 このような状況にありながら、われながら贅沢な時間をいただいていることに心から感謝しています。

 思いもかけない手術という体験を昨年、今年と持ちました。
そのためか体力的にがっくり来ていました。しかし、女房に尻をたたかれながらも「筋トレやウオーキング」に努めています。
 幸い我が家の裏手には新津川という小さな河川があり、その両側に「遊歩道」が上流の方に3km、下流側に3kmと続いている。ウオーキングにはまさにうってつけである。遊歩道の近くには、喫茶店が3軒、ブティックやスーパーもある。気分によっては利用することもあります。
しかし、なによりなのは四季折々の自然や景観がすばらしいことであろう。
 私の贅沢が許されるなら、この小道をあるときは「ベートーベンの田園」、あるときは「ビバルディーの四季」などを聴きながら歩いたらさぞかし素敵なことだろうな、と思っている。
聞くところによれば、超小型のメモリーやハードディスク型のヘッドホンステレオがあるとか。
 そうそう簡単には買えそうもないない。今は機の熟すのを待とう。

カクテルパーティー効果

2004年12月07日 | 日々これ好日
 去る11月27日に新潟市で新潟大学統合脳機能研究センター長、中田勉教授の講演を聴くチャンスがありました。その内容が「12月6日の新潟日報」で紹介されていました。
 その内容は
「人間はみんな現代に生きていると思ってるが、人間の心を探究すると、実はそうではない。過去からの考え方を知らず知らずに植えつけられて育っている。われわれの心に受け継がれているものは、人間の共通の出発点となった優しさだと思う。」という含蓄のあるものでした。
 作家中野不二男さんとの対談では、
心理学で「カクテルパーティー効果」というのがある。パーティーの席で、どんなに周りの音がうるさくても特定の人の話は聞き取れ、他は雑音になる。物に対して集中しているかどうかで人間の感覚は全く変わってくるのだ、とも話された。

 実は、アマチュア無線家にとて、この「カクテルパーティー効果」という現象は、いつも体験していることである。混信、雑音交じりの中から「目的とする信号」を意識的に拾って耳にしてきている。われわれは「耳フィルター」などといっている。場合によっては物理的なフィルターなどよりは優れた機能を持っている。目的のシグナルを聴きながら、他の目的外信号からも ちょっとした情報を瞬時に得たりすることもできるのである。いずれにせよ、カクテルパーティー効果と呼ぶとは知らなかった。

 ところで、このBlogへの書き込みも そろっとカテゴリーなるものの設定が必要なのかな、などと考えたりしている。しかし、いろんな話題でと思いながらも 「落ち」はいつもHam(アマチュア無線)に関わるようである。すべてカテゴリーは「Ham life」なのかもしれない。

「さざんかの宿」

2004年12月05日 | 日々これ好日
 昨晩から今朝にかけての嵐はすごかった。
我が家の両サイドのお宅の生垣は いずれも山茶花である。赤い花びらがどっさりと我が家にもおすそ分けされていた。
 我が家にも2本の山茶花がある。冬囲いの この時期にはいつも囲うべきかどうか、躊躇するのがいつものことではある。この時期に見事に次々と花を咲かせてくれる。今年はいつもよりは暖かい、思い切って囲わないでいた。まさに、我が家は「さざんかの宿」となっている。
さらに「侘び助」が、本格的な春を待たずに白いいくつもの花をつけた。地面にはすでに、ポトリと花が落ちていた。
 そういえば、今年はまだ「氷雨」を体験していない。

 CQWW CWコンテストの後、孫が久しぶりに来てくれたりして、無線機には火が入っていない。
地震後、はじめて関越高速道で来てくれたのである。