柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

粟島とアマチュア無線

2005年06月28日 | アマチュア無線
 粟島からの移動運用は2回目の経験です。
粟島からのアマチュア無線の運用は、それほど多くは無いようです。したがって粟島からの運用では、多くのアマチュア局から呼ばれて、楽しい思いをすることができる。
ただし、自家用車を持ち込むことが、原則的には禁止されている。機材の選択と運搬に留意が必要となる。

 前回は、2003年6月、ちょうど今年と同じ頃であった。そのときは同行者の方が、粟島での建設工事も行っている方なので、建設関係車両ということで必要な機材をたっぷり持ち込めた。
さらに、その方は2mSSBの愛好者であり、HF運用の私とは競合することもなく機材を設営できた。
島のほぼ中央部の峠に、2mの八木スタックと全長約30mのデルタループアンテナを設営しての運用となった。
お互いに、100局を超えるQSOができている。私は10MHzを中心にCW運用であった。

 さて、今年は遠く「いわき市」からのグループと一緒である。
その人たちは7MHzや21MHzでのSSB運用、144FMでの運用が主となる。
それらの人たちをメインの運用者として、私はかなり遠慮もしなければならないだろう。
海岸近くのバンガローからの運用で、AC電源は利用できそうである。しかし、機材などはすべて一人で運搬できる必要がある。

 以上のことなどを考慮して、出発前にいろいろと実験や準備をした。
まず、7や21MHzでの運用はできないだろうから、ワークバンドに逃げること。
ノイズが高いときには、良好なバンドにQSYができること。
などを考えて、釣竿PGant10m長をポールにしたロングワイヤー11m長とした。接地は45cm幅、長さ120cmの薄い銅版をホームセンターで購入して、編線を半田付けして高周波アースとした。
これらを我が家の庭で仮設営した。
アンテナチューナAH-4とIC706MK2GMをつないでチューニングしてみた。3.5MHzから50MHzまでスムーズに回り込みなども無く働いてくれた。

 釣竿を縮めて、その周りに銅版をくるくる巻きつけて、さらにバスタオルを巻きつけ、細いロープで何箇所かをきつく縛り、最後に肩で担げるようにした。今考えると、釣竿用のケースがあれば申し分ないことであった。
 それから、普段から活用していた手提げ形の大型工具箱(プラスチック製)にIC706,AH-4,30A電源を入れた。実はこれが結構重くて閉口した。
 残りのパドルやテーブルタップ、ポール建て用のペグ類、ログ帳などは着替え用の衣類と共にリュックに詰めた。
かくして、釣り人スタイルの移動運用ができることとなった。

 3畳くらいのバンガローを100mくらい離れて2棟が予約してありました。
奥の方のバンガローには、HF-SSB運用の猛者のOM専用となりました。これが実に正解でした。そのトークパワーはすさまじく粟島から本土にも届くのではないかと思われるほどでした。
しかし、これくらい気合を入れてサービスをする若者にすがすがしさも覚えました。

 一方、手前側のバンガローには、ベテランの2mFM運用者2人がGPを砂浜に建てて陣取りました。
私もそのバンガローの近くにポールを建ててアンテナを引き込み、部屋の片隅の工具箱の上に無線機類をセットしました。チューニングもばっちりでした。

 運用開始予定の午後3時が目の前でした。実は、出かける前にあるOMさんから「未交信の粟島」をぜひゲットしたいので、本土側の対岸でQRVしているから、よろしくとのことだったのです。
7MHzを聞くとなんとそのOMさんがすでに電波を出していました。
こちらから呼んでみました。ものすごい強さでした。なんなくQSO,やがて10MHzでもQSOできて、約束が果たせたということでほっとしました。
実は7MHzにQRVできたというのも一瞬のことで、あとはSSBでの運用が始まりばりばりの状態となっていました。

 今回の運用では、多くを期待せずに、遠来の仲間たちからうんと楽しんでいただき、地元新潟としてサポートしたいくらいの気持ちでした。
しかし、聞こえる呼ばれる、ということがわかると体や耳が働いてしまいます。
「CQ CQ de JA0AAQ/0 JCG08001/B k」、パイル状態です。ものすごいQRM。しかしもっとすごいQRMはバンガロー内からでした。
お互い、QSOがはじまり集中しちゃうと、大きな声になってしまいます。
ヘッドホンをつけていても外からもヘッドホンからもQRM。とても聞き取れません。何度もAGNを繰り返しようやくコールが取れる状態でした。さらに、自分の電波のモニター音もかろうじて聞き取れる状態ですから、間違って打っていることもあったようです。

 なんとか集中して、45局くらいまでQSOできたのですが、集中力もここまででした。
「まあよしとするか」と自分に言い聞かせてQRTしました。
写真などを撮ったりしましたが、肝心な釣り人スタイルでの写真を忘れていました。

 その後、あちこちのバンドをちょこちょこ覗いては、楽しみました。
簡単にQSYできる運用スタイルは正解でした。
無線と観光とグルメ、なによりも多くの人たちとの旧交を温めたり、新しい出会いを楽しんだりできて、大変満足できた「粟島移動運用」でした。

 「結果」
CWでは、3.5-2局、7-5局、10-33局、14-3局、18-7局、21-1局
他に50FM-1局、21SSB-1局でした。
UA0ZC局(10MHz)からは559でした。

 全国から呼んでいただきました各OMには、この場で改めて御礼を申し上げます。CU AGN SN !

粟島って?

2005年06月28日 | アマチュア無線
 25(土),26(日)と粟島に行ってきました。
粟島は佐渡ヶ島のさらに北、大きな地図で無いと載っていないくらいに小さな島です。周囲23kmほどで「釣り人」にとっては夢の島・憧れの島のようです。

 今回は、いわき市の「オーロラグループ」の皆さんとご一緒させていただきました。
22名の団体ですが、半数がアマチュア無線を楽しみに、残りの人たちは「観光とグルメ」がお目当てのようです。

 新潟県村上市に程近い「岩船港」から「フェーリーあわしま」で1時間30分の船旅である。
10時30分の出航。ぞくぞくと「釣竿とクーラーボックス」の人たちが乗り込んできた。
実は、私のスタイルもまさに釣り人のそれでありました。
アンテナポールとなる10m長の釣竿を縮めて肩に掛け、手には大きなケース、中には無線機が入っている。背中のリュックにはケーブル類が入っていました。どう見ても釣り人と見えたことでしょう。
海は穏やかですべるように船は進む。しかし、水蒸気が充満して眺望はきかない。いきなり目の前に粟島が現れた感じとなりました。

 粟島「内浦港」に定刻どおりに着岸。民宿「じんきち」の出迎えで手荷物を運んでいただく。
港内にある食堂に移動。それぞれに好みのものを注文する。にわかのお客に食堂のスタッフは大変な様子。「さしみ」の注文をした人には遅くなったので「生ビール」の無料サービスがついた。
「カレー」の注文には、ご飯が無くなったので、「ざるそば」が無料で届けられた。
何か、軽いショックのようなものを感じての粟島での生活が始まった。

 かなりの人たちが、自転車を借りて、サイクリングを楽しみに出かけた。結果的には、途中からかなりのアップダウンもあり、途中で引き返してきた人が多かった。中にはビールが効きすぎたのか、SOSとなり軽トラックでの救助していただいた方もいた。島内一周できたのは1名だけだったようです。いずれにせよ、その景観のすばらしさで満足していました。

 私をはじめ「無線グループ」は、軽トラックを民宿からチャーターしていた。機材を載せて、さらにその荷台に我らも飛び乗って、軽トラックで数kmはなれた「バンガロー」に向かった。
トラックの荷台に載って疾走すなどということは、初めての体験ではなかろうか。
現地でアンテナを建て、バンガロー内に無線機をセットする。
念願の電波が全国に向けて「粟島」から発射された。全国から次々と呼ばれ続けて、心地よく疲れた。

 民宿街に引き返し「漁火温泉・おと姫の湯」につかり、夕食となった。
数々の海の幸、中でもおさしみ「鯛とひらめ」は新鮮で甘く、ほんとにおいしかった。持ち込まれた地酒やビールに酔いしれていた。

 休み前に、もう一度の無線を楽しんだり、ギターを持ち込んだ方もあり、涼みがてらに「ストリート・ライブ」がはじまる。また、デジカメ写真の「画像処理の実際」講座がはじまったりさまざまであった。

 翌朝(26日)4時前から釣り人たちが出かけ始めたようだ。われわれも5時には起きて、ジョギング、無線運用などと楽しんだ。
朝食には、定番「わっぱ煮」がついた。だしが効いているがしょっぱい汁に、魚やねぎと共にホットホットな石ころ2個が入っていた。これがまたなんともおいしい!

 朝食後は、観光船「sea-bird」に乗り込み海から粟島の一周である。今日もまた風も無く暑い一日となりそうであった。船のへさきは大きく高くなっていて、前方は見れない。しかし。港の外に出ると全速力の船の舳先で波が砕けて前面の窓ガラスにぶつかってきた。側面の窓ガラスには、かき分けられた大波がつぎつぎと通り過ぎていく様子が見えた。実に豪快である。
 海中から飛び出している島々には、すでに必ず釣り人が見えた。好きなんだねー、大きな鯛でも釣ってくださいよ、と思わずにはおれない。
島の南端を巡り、西海岸にでると更にローリング・ピッチングとも大きくなった。さすがに日本海である。冬の季節風はことのほか厳しかろう。
途中「釜谷」に船を止め休憩、再度の出航。荒波に洗われる岩肌のあちこちに「岩ゆり」を見ることができた。
いやー、心も体も揺さぶられて、緊張感の後の安堵感はなんともすてきな1時間でした。

 いよいよ、粟島を離れる時間が迫ってきていた。
そのとき、道路を一台のスクータが走り抜けた。乗っていたのはお父さん風の人である。スクータにはナンバーなし、ヘルメットもかぶらず、まさに自然にゆったりと走り抜けたのである。
「なんだ!ありゃあ!」、われわれの口から異口同音に飛び出した。

 「フェリー・あわしま」は、釣り人やわれわれを乗せてゆっくりと離岸して岩船港に向かった。
船室で横になってまどろむと、昨日今日のことは夢幻だったのか、まさに、タイムスリップしたのだな、などと思い巡らしたのであった。

新世界より

2005年06月23日 | 音楽など
 さる21日(火)、新潟市「りゅーとぴあ」での音楽会に行ってきた。
チケットはずっと以前に求めていたのである。

 「スロバキア・フィルハーモニー管弦楽団」による「新世界より そして モルダウ」である。
スロバキアの音楽家たちが、スロバキアの「ドボルザークとスメタナ」をどのように響かせるのだろうと、大いに期待していた。
 「新世界より」はほんとに好きな曲である。特に第二楽章は、密かに「自分の告別式」の時に静かに流しておいてほしいくらいに思っている。あのイングリッシュホルンの「家路」はどなたも耳に残っていることだろう。彼の奏者はこのメロディーのためにステージに居るのである。
期待を裏切らない、繊細で力強いスワロフスキーの指揮で、見事にクライマックス終曲となった。

 コンサートでは「モルダウと新世界より」はセットで演奏されることが多い。
日本にも、誇れるこのような曲があってほしいものだといつも思う。

 私の手元には、LP「カレルアンチェルとウィーン交響楽団」、CD「チェコ・ナショナル交響楽団」、CD「日本フィル」などがある。いずれも心にしみる名演奏ではある。

すばらしい週末!

2005年06月20日 | アマチュア無線
 このたびの週末は、いろいろと楽しく過ごさせていただきました。各局に感謝です。

 18日(土曜日)の朝は特にゆったりと過ごして、ようやくお昼近くから「ALL ASIAN CW contest」を聞いてみる。21,14MHzもコンデションが悪いらしくあまり聞こえてきていない。ようやく10局あまりとQSO.韓国や東南アジア、オセアニアなどの近いところばかりだった。
 
 夕方、心待ちにしていた「CW-Japan新潟」のミーティングへと電車ででかけた。
待ち合わせ場所・新潟駅「ばなな」には、ぞくぞくとCWの猛者たちが集まってきた。駅前の居酒屋「安兵衛」に移る。総勢11名、ちょうどよい人数だ。
 このたびのミーティングはアメリカのライセンス取得のTAROさん、2度目の新潟への転勤となったi-OM、沖縄大好き7N2さん、これらの人たちのお祝いと歓迎の会でもあった。
乾杯の後は、すぐさまQRMとパイル状態となった。そこは耳を鍛えているので、あちらの話題、こちらの話とフィルターを働かせて聞き入る。
CW初心者の僕にとっては、どの話題も貴重なそして楽しいものばかりであった。
皆さんもうビールでばんばん変調をかけている。ここ何年かはアルコールとは縁がない僕であったが、思い切って「ウーロンチュウハイ」に挑戦してみた。ちょっとドキドキしたが、ゆっくり味わってみた。ノイズの中からシグナルが浮かび上がってくるような、そんな体の感じとなった。

 さすがに2次会には、僕だけ失礼させていただき電車で新津に。
お風呂の後、それでも14MHzをワッチしてみる。おお、ヨーロッパが聞こえている。10局ほどヨーロッパの局を拾う。

 翌朝19日(日)は5時頃から聴き始める。さすがに開いている。結局細切れではあるがこの日は30局ほどのQSOであった。ALL ASIANは50局あまりで終わった。
 夜は「義経」が終了後、あらかじめお願いしておいたローカルの局長さん2局とのQRP-50MHzSSBのQSOをする。これでQRPコンテストもわずかな局数ながらログを出せそうだ。

 そして、NHK「シルクロード」を見て、私のFBな週末も終わりとなりました。

 

QRPコンテスト

2005年06月17日 | アマチュア無線
 大いにQRPコンテストを楽しもうなどと張り切ったのですが、さっぱりです。
コンテストに備えて久々に「FT-817」を出してきて、シャックに並べてみた。いつもは移動用のケースに入れてある。しかし、移動するときは「IC-706MK2GM」を利用するのでほとんどFT-817は活躍していないのが現状である。

 昨年は、このFT-817で「50MHzアクティビティー賞」のQRP特記をねらった。
まだまだ時間はあるなどといっていたら、いつのまにかEsシーズンも終わり、あわててローカル各局何局かから応援していただく羽目となり、結果的にはQRP特記は断念した。

 このたびのQRPコンテストのためにFT-817のマニュアルを改めて読んで、その操作などを復習した。普段使っていないRigではいつもこんな具合になってしまう。
後二日、何局くらいのQSOができるであろうか。
確かにQSO成立時のうれしさは格別なものがある。しかし、忍耐の必要なことは魚釣りにも負けないくらいである。HI.

 さらに、この土曜日の夜は、お楽しみ「CW-Japan新潟」の久々のミーティングである。飲めないくせにやたらミーティング(飲み会)が好きである。
加えて、土曜から日曜には「ALL ASIAN Contest」があるではないか。このコンテストも参加賞狙いではあるが欠かせないのである。

 やはり、QRPでのQSOはほんとに厳しく難しいなあ! 

千の風にいやされて

2005年06月13日 | 日々これ好日
 今日は、途中からお天気もよくなり熱からず寒からずとなった。

 珍しいことであるが、今日は不思議なことに「4エリア」だけが50MHzで開けたようで、何局かのサービスをいただいた。SSBでは、1stQSOのことが多い。

 その後、いつものウォーキングをして運動不足の解消に努めた。
かっこつける訳ではないが、家に帰ったら妙に音楽を聴きたい気分になった。
チャイコフスキーのCDが偶然そこにあった。「交響曲6番・悲愴」、この局は若い頃、なぜかLP版で買っていた。好きになろうと思い我慢して何度か聴いたという思い出がある。
でも、今日はまったくすんなりとその美しい調べにいやされた。

 癒されたといえば、「新垣勉さんの歌唱」で知った新井満さんの写真詩集「千の風になって」である。その後、その写真詩集を読まれた読者からの便りをもとに「佐保美恵子さん」のまとめられた本「千の風にいやされて」と新井満さんのCD「千の風になって・再生」を買って、それぞれ読んだり、繰り返し聴いていた。
 ほんとにすばらしい本で、心洗われる思いであった。
いろんな境遇の方がこの写真詩集でいやされていった様子をまとめられているのだが、じつは、多くのインタビューを通してまとめられた著者の佐保美恵子さんという方の人柄というか、思いやりのあるやさしが伝わってくるのであった。
 CDは「千の風になって」を自ら翻訳してメロディーをつけたご自身・新井満さんが歌っている。
歌手でもあるとは言っているが、素朴な歌い方はこの詩にぴったりである。アルバムバージョン、シングル・リミックス・バージョン、オーケストラバージョンと同じ局をそれぞれの味わいで聴けるのでとっても素敵である。
 生きていくことへの勇気をもらえるような気がする。

Niigata Test Low band.

2005年06月13日 | アマチュア無線
このたびの「新潟コンテスト・ローバンド」では、
多くの皆さんから呼んでいただきました。ほんとにありがとうございました。

 何しろ、日曜日の夜7時から10時というのは、まさに家族団らんの時間帯でしょうね。
私も食後をテレビワッチが優先しました。7時のニュース、8時からの「義経」には無線といえども勝てません。ばっちり見てしまいました。
それに、まず心配ないとは言うものの、このゴールデンタイムの最中に「TVI]など出していたら、とんでもないことになるでしょうね。

 言い訳になりましたが、ようやく9時ちょっと前に3.5MHzでのコンテスト参加となりました。
狭いバンドなのに隙間は十分ありました。CQ CQ NI TEST 。次々と呼んでいただきましたが、20局ほどで後が続きませんでした。
 話題のコメット「広帯域垂直アンテナ」での、3.5でしたが、途中SWRが急激に上がりましてびっくりしました。200WのCWでは厳しかったのでしょうか。ちょっとの時間で状態は回復しましたが。
急遽T2FDに切り替えて乗り切ることができました。
 なお、1.9MHzはT2FDしかなく、なかなか呼んでいただけません。こちらからの呼びかけが主になってしまいました。しかし、世の中強い電波の局もいるもんですね。

 私のコンテスト参加は、入賞を狙うとか、局数をうんと稼ごうなどというファイトがなく、いつもほどほどのQSOで、それなりに楽しいんですよね。このようなパターンがいつのまにか、私流になっています。枯れ木も賑わい、ですね。

 ところで、オーロラの皆さんとの「粟島移動」では、遠来の「いわき」の皆さんから「HFからUV」まで十分に楽しんでいただくことになるでしょう。私は「ワークバンド」などで細々と遠慮しながらの運用になる予定です。しかも、QRP運用の予定です。でも、聞こえたらぜひ呼んでくださいね。では、では。

やはりアンテナか!

2005年06月10日 | アマチュア無線
 先日、我が新津クラブの定例ミーティングであった。

 かねてからの予定で、その日は「ゲルマラヂオ」の聞き比べであった。
各局製作のゲルマラヂオが3台(予定の1台は欠席)、IC採用のストレートラヂオが1台集合。
 どのラヂオもそれぞれの自宅や勤め先などで、それなりに聞こえることは確認済みであった。
ところが、ミーティング会場ではどれもうまく働かない。ただ窓際でICラヂオだけが、1m足らずのワイヤアンテナでよく聞こえる。ゲルマラヂオにもそれなりの導線をつないで見るがNG.

 ある局長さんが、メーカー製のポケットラヂオを取り出してみたが、これも聞こえない。
気がついてみれば、この部屋は窓の開口部があるとはいうもの、鉄筋コンクリート作りの2階である。放送波帯にとってはいわゆるシールドルームみたいなものであった。
 気づいて全員が屋上に出かけて、ワイヤーを高い部分に上げて、他の一端をゲルマラヂオに接続、アースは側壁の金属板にとってみた。

 なんと、聞こえる聞こえる、力強く。
かわるがわるクリスタルイアホンを耳にして、しばし互いに感激。
その顔は、多少年を重ねたとは言うものの、みんなかつてのラヂオボーイであった。

 考えてみれば、アンテナなくして電波は捉えることはできない。
まことに、原点的なことを改めて教えられたような気がした。
次回のミーティングは「地区研修会」での「親子で作るゲルマラヂオ」製作実習で採用するモデルと付加部品(アンテナ線、アース線、クリップなど)の検討が予定の課題となるようである。

 私自身は、なんとか手軽なダイポールアンテナ(ぎぼしアンテナ)を作って、QRPコンテストに参加してみようと思っている。今月末の「粟島移動」への準備も兼ねている。
 

テレコムQSOパーティー

2005年06月08日 | アマチュア無線
 昨日で、例年参加している「テレコムQSOパーティー」が終わりました。

 異なる郵便番号で20局とのQSOは、さほど大変なものではない。
でも、新年のQSOパーティーと今回のQSOパーティーだけは、日ごろ疎遠になりがちなローカルの皆さんとの交歓の大事なチャンスだと思っている。
 そのために、144MHzのFMを中心にして、「お声がけ」をしている。ところが、思うように局数が伸びない。あせってきて、こちらも「CQ」を連発した。しかし、結局16局で終わっている。
ほんとに寂しくなったものである。
 
 保険の意味もあり、7MHzCWで局数を確保はしておいた。
昨晩は、思いもかけない24MHzが開けてきた。なんと「CQ TCP]と打っているOMさんもいた。
この方も、あと数時間となったのだが局数が不足なのかな、などと思い応答した。

 今日は、ナンバー交換した27局をもって、ログとサマリーを書き上げ提出しました。

三匹の子犬

2005年06月05日 | 日々これ好日
 最近読んだ本の中から、たくさん感激したり教わったりして、「楽しさ喜び」を独り占めしていてはいけないと思い、紹介したい本があります。

 「山古志村のマリと三匹の子犬」(文芸春秋)
この本は、新潟県中越地震の際に本当にあったことがらを絵や写真を載せて書かれた物語です。
被災地山古志村に取り残された、お母さん犬マリの奮闘の物語です。
 私は孫たちに、この本を贈ってあげました。それぞれの孫からは、うれしいお礼の電話がきました。

 もう一冊は、
 「英国式スローライフのすすめ・大原照子」(大和書房)です。
「簡素でゆたかな暮らし方」という副題がついています。
 何年にもなる英国滞在とその後の英国への旅を繰り返している著者が、英国人から学んだ個性的なそして豊かなスローライフについて、何人かの事例を通して紹介しています。
*自立して暮らす老人たちとの出会い
*モノをたくさん持たない生活の快適さ
*古いモノを大切にして美しく暮らす人たち
*美しいモノへのこだわり
*美しく年を重ねるーーおしゃれの心意気
などなど多くの観点からの紹介が続きます。

 私自身も、そもそも「柄目木庵」などとしゃれたのは良寛さまの超簡素な自然体での生活に、一種の憧れのようなものがあるからなのでした。でも、良寛さまはある意味で「鉄人」です。並みの人ではとうてい真似のできることではありません。

 紹介されている英国の人のスローライフは、先進国である英国人の文化を感じます。しかも、一般の市井の方々の生活ぶりの一端でもあるのです。私に言わせると「なかなか、かっこいい生き方」でもあるように思われます。しかし、きびしい生き方には違いありませんが。

 どうぞ、図書館などで探されてみてください。そしてご覧になるのもいいかな。
お勧めの2冊でした。

いい旅でした。

2005年06月02日 | 旅行など
 私はJARL会員、家内は家族会員、JARL総会が近くのときは出席してきた。またその機会を利用してのちょっとした旅も楽しんできていました。
今年は、「杜の都・仙台総会」ということで車で出かけました。

 今回は、CQ誌4月号などでも紹介された「いわき市のオーロラグループ」のみなさんと一緒に旅をしました。
 初日(28日)は「喜多方市」に集合。ひさしぶりの再会をラーメンで乾杯。
オーロラの皆さんは、今晩は蔵王泊まり。ひとまずお別れして、私ら夫婦は仙台に向かい「サンプラザホテル」に落ち着く。
 前夜祭に参加、大勢の懐かしいOMさんたちにお会いする。これがすばらしいのである。さらに2次会に誘われて「牛タン」で仙台の味を堪能した。

 二日目(29日)は、午前中は会場となる「サンプラザホール」前の広場でのジャンク市や総会を覗いたりしていました。
お昼近く、オーロラの皆さんと「松島海岸」に移動、遊覧船で島巡り。後は「北上町」の「追分温泉」泊まり。食べきれないほどの「海の幸」にびっくり、満足。夜遅い温泉に首までつかりながら、ぽつりぽつりと語り合ったりして。

 三日目(30日)は、北上川に沿って北上、岩手県一関より「栗駒高原」をめざす。
須川温泉の駐車場は雲の中であった。それでも所々の雪渓を踏みながら「名残ヶ原湿原」までを往復する。たくさんの「猩猩ばかま」の花が歓迎してくれた。
乳白色の温泉は露天も室内風呂もたっぷりのかけ流し。あったまった!
 ここで、オーロラの皆さんは帰路につく。僕らと富山のOMさん、二組の夫婦は今晩の宿、山形の「東根市」に向かう。宿はユースホステル「ベアーフット」である。
ペアレントの食事や「紅花温泉・ひなの湯」への案内など、数々のおもてなしにうれしくなり、私たち夫婦も会員の登録をした。

 翌日(31日)は、いよいよ最後の日である。
月山を眺めながら112号線を走る。途中「即身仏」の「注連寺」に寄ったりしながら羽黒町に到着。
本日のメインである「羽黒山神社の石段」に挑戦。約2500段はさすがにきつかった。途中「力餅茶屋」でお餅でエネルギー補給。おかげで無事登頂、町長の認定証をいただいた。

 この後は、一路新潟目指して走行、さらに富山まで無事に帰り着いていただいた。
数え切れないくらい多くの同好の方々にお会いして、趣味のこと(アマチュア無線)をはじめいろいろな話題で語り合ったことこそ、何にも代えがたいものだったと思っている。

 ほんとに、いい旅でした。