昨日(日曜日)は以前から計画されていた「山形県酒田市」へのお出かけであった。
早朝7時には「水曜トーク会」の6人でメンバーのワンボックスカーで出発。
国道7号線で山形県に入り、鼠ヶ関鮮魚センターでは「いかの一夜干し」や「ほっけの干物」を試食。
たまらなくおいしいので、みんなでそれぞれ買ってしまった。
いつしか酒田市内に入った。
さっそく、お米の集散基地で有名な、また今日までも活用されている「山居倉庫」にいってみた。
浜風や火災、西日を防ぐ「ケヤキ並木」と「倉庫群」が、まさに絵のようである。
お昼は、有名な舞妓茶屋「相馬楼」でいただいた。
往事の賑わい、さんざめきが感じられるたたずまいであった。
薄味で上品な和食は、まさに健康食の品々であった。
食事が終わると、お待ちかね二人の「舞妓さん」の手踊りが紹介された。
優雅な美しい踊りの姿に、しばしうっとりであった。
写真が逆光になるため、うまく撮れなかったのは残念であった。
午後からは、豪商の面影を今に伝える「本間家旧本邸」の見学である。
代々栄えた「本間家」は、庄内藩などを経済的にも支え、庄内の発展に様々な面で大きく寄与したとか。
さらに「本間美術館」に移った。
そこには「新館」があり、茶道に関わる貴重な茶道具などの展示があった。
また、庭園「鶴舞園(かくぶえん)」があり、佐渡の赤玉石なども利用されていた。
本館「清遠閣(せいえんかく)」では、「抹茶」をいただきながら庭園を眺めるという贅沢さを体験できた。
さらに、かつての酒田を代表する廻船問屋 旧「鐙屋」の家も見学。
すでに、予定の時刻をオーバーしてしまっている。
帰えり路を急ぐことにした。
県境あたりで、日が沈もうとしていた。
早朝7時には「水曜トーク会」の6人でメンバーのワンボックスカーで出発。
国道7号線で山形県に入り、鼠ヶ関鮮魚センターでは「いかの一夜干し」や「ほっけの干物」を試食。
たまらなくおいしいので、みんなでそれぞれ買ってしまった。
いつしか酒田市内に入った。
さっそく、お米の集散基地で有名な、また今日までも活用されている「山居倉庫」にいってみた。
浜風や火災、西日を防ぐ「ケヤキ並木」と「倉庫群」が、まさに絵のようである。
お昼は、有名な舞妓茶屋「相馬楼」でいただいた。
往事の賑わい、さんざめきが感じられるたたずまいであった。
薄味で上品な和食は、まさに健康食の品々であった。
食事が終わると、お待ちかね二人の「舞妓さん」の手踊りが紹介された。
優雅な美しい踊りの姿に、しばしうっとりであった。
写真が逆光になるため、うまく撮れなかったのは残念であった。
午後からは、豪商の面影を今に伝える「本間家旧本邸」の見学である。
代々栄えた「本間家」は、庄内藩などを経済的にも支え、庄内の発展に様々な面で大きく寄与したとか。
さらに「本間美術館」に移った。
そこには「新館」があり、茶道に関わる貴重な茶道具などの展示があった。
また、庭園「鶴舞園(かくぶえん)」があり、佐渡の赤玉石なども利用されていた。
本館「清遠閣(せいえんかく)」では、「抹茶」をいただきながら庭園を眺めるという贅沢さを体験できた。
さらに、かつての酒田を代表する廻船問屋 旧「鐙屋」の家も見学。
すでに、予定の時刻をオーバーしてしまっている。
帰えり路を急ぐことにした。
県境あたりで、日が沈もうとしていた。
梅雨の晴れ間、今日は、おにぎりを作って出かけました。
護摩堂山を目指したのですが、すでに麓の駐車場も満杯。
もう少し足をのばして、加茂山公園へ。
さいわい駐車場に余裕があった。
さっそく「青梅神社」にお参りをして登り始めた。
すがすがしい空気を満喫しながら、一汗。広場のベンチで「おにぎり」をいただく。
頂上とおぼしき展望台にたどり着く。持参したトランシーバーで護摩堂山に登山中の無線のOM(Nさん)と通信をする。お互いにいまだ顔もあわせていないが、すでに何十年も前から旧知の間柄なのである。
展望台からは、日本海側に並ぶ「国上山、弥彦山、角田山」がバッチリ見えた。
この加茂山の「モミジ谷」、秋が楽しみである。なんともすごいモミジたちであった。
「ガクアジサイ」も初々しく咲いていた。コンパクトデジカメもいいもんだ!
加茂山公園を後にして帰り道、「加茂・美人の湯」に寄る。
汗を流した後、家内は何でも一束¥100という野菜類をたくさん買い込んだ。
目の前に「粟が岳」が迫って見えた。
今では、体力的に登ることもかなわない、あこがれの山となっている。
さらに帰り道の途中にある「冬鳥越スキーガーデン」の「バラ園」で休憩。
しかし、数々のバラのほとんどが咲き終わっていた。
でも、思い切ってクローズアップでせまってみた。コンパクトデジも結構いいじゃないか、何しろ胸のポケットに入れておけて、いつでもOKというのがたまらない。
明日は、山形県の「酒田市」にお友達と出かけます。
がんばって一眼レフを持って行こうかな、と思っています。
護摩堂山を目指したのですが、すでに麓の駐車場も満杯。
もう少し足をのばして、加茂山公園へ。
さいわい駐車場に余裕があった。
さっそく「青梅神社」にお参りをして登り始めた。
すがすがしい空気を満喫しながら、一汗。広場のベンチで「おにぎり」をいただく。
頂上とおぼしき展望台にたどり着く。持参したトランシーバーで護摩堂山に登山中の無線のOM(Nさん)と通信をする。お互いにいまだ顔もあわせていないが、すでに何十年も前から旧知の間柄なのである。
展望台からは、日本海側に並ぶ「国上山、弥彦山、角田山」がバッチリ見えた。
この加茂山の「モミジ谷」、秋が楽しみである。なんともすごいモミジたちであった。
「ガクアジサイ」も初々しく咲いていた。コンパクトデジカメもいいもんだ!
加茂山公園を後にして帰り道、「加茂・美人の湯」に寄る。
汗を流した後、家内は何でも一束¥100という野菜類をたくさん買い込んだ。
目の前に「粟が岳」が迫って見えた。
今では、体力的に登ることもかなわない、あこがれの山となっている。
さらに帰り道の途中にある「冬鳥越スキーガーデン」の「バラ園」で休憩。
しかし、数々のバラのほとんどが咲き終わっていた。
でも、思い切ってクローズアップでせまってみた。コンパクトデジも結構いいじゃないか、何しろ胸のポケットに入れておけて、いつでもOKというのがたまらない。
明日は、山形県の「酒田市」にお友達と出かけます。
がんばって一眼レフを持って行こうかな、と思っています。
昨日の入梅で、今日はしっかりと雨でした。
こんな雨の一日を家に籠もるのもどうかな。
こんなときこそ、以前から観ておきたきたかった「寺宝展」だ!
そんなわけで、二人で雨の北陸道を上越市に向かって走った。
今年は親鸞聖人が越後の国に流罪となり、居多ケ浜(上越市)に上陸されてから800年の節目の年。
そこで、今回の「寺宝展」が「高田城跡公園」の「総合博物館」で開かれているのである。
我が家は「浄土真宗本願寺派」の「泉寺(長岡市)」の檀家である。
そんなこともあり、ぜひにもと思っていた。
県内および地元の寺院はじめ京都両本願寺の貴重な寺宝約150点が展示されていた。いずれもが、まさに貴重な「寺宝」であった。
私には、このような貴重な機会に巡り会ったことが、とてもうれしかった。
博物館の外はもう外堀である。
雨にけぶる「三重櫓」や「橋のギボシ」と「咲き乱れるアジサイ」が見事であった。
ぜひ、春の「桜」、夏の「蓮の花」を撮りに来たいものである。
こんな雨の一日を家に籠もるのもどうかな。
こんなときこそ、以前から観ておきたきたかった「寺宝展」だ!
そんなわけで、二人で雨の北陸道を上越市に向かって走った。
今年は親鸞聖人が越後の国に流罪となり、居多ケ浜(上越市)に上陸されてから800年の節目の年。
そこで、今回の「寺宝展」が「高田城跡公園」の「総合博物館」で開かれているのである。
我が家は「浄土真宗本願寺派」の「泉寺(長岡市)」の檀家である。
そんなこともあり、ぜひにもと思っていた。
県内および地元の寺院はじめ京都両本願寺の貴重な寺宝約150点が展示されていた。いずれもが、まさに貴重な「寺宝」であった。
私には、このような貴重な機会に巡り会ったことが、とてもうれしかった。
博物館の外はもう外堀である。
雨にけぶる「三重櫓」や「橋のギボシ」と「咲き乱れるアジサイ」が見事であった。
ぜひ、春の「桜」、夏の「蓮の花」を撮りに来たいものである。
今日は、ついに梅雨入りしました。
昨夜からかなりの雨でした。しっとりと濡れた我が家の庭もいっそう落ち着いた風情となっていました。
ところで、今日は午後から阿賀野市の「瓢湖アヤメ園」で「写真教室の撮影会」が予定されていました。
午前中に、先生から予定通りですよ、という電話も来ていました。
とにかく、駆けつけてみました。
先生はじめ受講者の方々も、すでにおいでになっていてアヤメ園の様子を観察されていました。
まさに「アヤメ」は見頃、でもこの雨模様では撮影はいささか無理だという結論になりました。
瓢湖のそばにある「白鳥会館」の「喫茶コーナー」を利用しての座学による「写真教室」となりました。
まずは「主役・脇役」などの構図、「フォーカスと絞り・被写界深度」などの説明、それに受講者の方が持参された写真の指導講評などでした。
写真教室が終わる頃、雨が少し小降りとなっていました。
そこで、持参していた「コンパクトデジカメ」を持って「瓢湖アヤメ園」に戻って、何枚か撮ってみました。
雨にぬれた花びらが、とても重そうでした。
昨夜からかなりの雨でした。しっとりと濡れた我が家の庭もいっそう落ち着いた風情となっていました。
ところで、今日は午後から阿賀野市の「瓢湖アヤメ園」で「写真教室の撮影会」が予定されていました。
午前中に、先生から予定通りですよ、という電話も来ていました。
とにかく、駆けつけてみました。
先生はじめ受講者の方々も、すでにおいでになっていてアヤメ園の様子を観察されていました。
まさに「アヤメ」は見頃、でもこの雨模様では撮影はいささか無理だという結論になりました。
瓢湖のそばにある「白鳥会館」の「喫茶コーナー」を利用しての座学による「写真教室」となりました。
まずは「主役・脇役」などの構図、「フォーカスと絞り・被写界深度」などの説明、それに受講者の方が持参された写真の指導講評などでした。
写真教室が終わる頃、雨が少し小降りとなっていました。
そこで、持参していた「コンパクトデジカメ」を持って「瓢湖アヤメ園」に戻って、何枚か撮ってみました。
雨にぬれた花びらが、とても重そうでした。
先週末は、「全国良寛会魚沼大会」であった。
このような会には、残念ながら出席したことがない。
一度は参加したいものだと思っていたのですが、かわいい孫「Yくん」のラジコンカーショップ「ホビーロード」に付き合ってあげてしまいました。
なにしろ一人で「蕨市」から新幹線でやってきたのですから。
そこで、月曜日の昨日、久しぶりに「国上山(くがみやま)」に良寛さまを訪ねました。
なにしろ、ずいぶんご無沙汰していたように思う。
その中腹の「国上寺(こくじょうじ)」境内で、木漏れ日を浴びながら「ブスッ」として、お待ちになっていました。
「いや、どうもすみませんでした」などとお詫びを申しあげました。
しばし足下に気をつけながら、「五合庵」に行ってみました。
人一人いなくて、静寂の中に木漏れ日を浴びて「五合庵」がありました。
寝っ転がって、読書三昧中の「良寛さま」が、「のそっ」と出てきそうでした。
こんな空間と時間、これ以上の贅沢はないように思われました。
この後、「千眼堂吊り橋」を渡り公園に出ると、一足早い「あじさい」が咲いていました。
このような会には、残念ながら出席したことがない。
一度は参加したいものだと思っていたのですが、かわいい孫「Yくん」のラジコンカーショップ「ホビーロード」に付き合ってあげてしまいました。
なにしろ一人で「蕨市」から新幹線でやってきたのですから。
そこで、月曜日の昨日、久しぶりに「国上山(くがみやま)」に良寛さまを訪ねました。
なにしろ、ずいぶんご無沙汰していたように思う。
その中腹の「国上寺(こくじょうじ)」境内で、木漏れ日を浴びながら「ブスッ」として、お待ちになっていました。
「いや、どうもすみませんでした」などとお詫びを申しあげました。
しばし足下に気をつけながら、「五合庵」に行ってみました。
人一人いなくて、静寂の中に木漏れ日を浴びて「五合庵」がありました。
寝っ転がって、読書三昧中の「良寛さま」が、「のそっ」と出てきそうでした。
こんな空間と時間、これ以上の贅沢はないように思われました。
この後、「千眼堂吊り橋」を渡り公園に出ると、一足早い「あじさい」が咲いていました。
6月7日から18日まで「DOULOS号」が「新潟西港・山の下埠頭」に停泊中である。
2000年の年にも新潟西港に寄港していて、そのときに船内で求めた「ドウロス号のマグカップ」が、いまだに私の日々の愛用のカップとなっている。
そして、昨日、私はそのドウロス号に再会したのでした。
この船は彼の有名な「タイタニック号」の2年後(1914年)に建造されて、現在も航行している最も古い船と言うことである。
船の中は世界最大の船上書店があり、50万冊の書籍を載せて世界を回っている。
前回の時に、よくは読めもしないのに、洋書の何冊かを買ったりしたこともあった。
また、この船に乗船しているのは50を超える国からの350名ものボランティアたちとか。
全員が「知識、援助、希望を世界の人々に」をモットーとして奉仕をしているのだそうです。
このような奉仕の心で世界中をクルーズしているとのことでした。
なんとも頭の下がる思いでした。
2000年の年にも新潟西港に寄港していて、そのときに船内で求めた「ドウロス号のマグカップ」が、いまだに私の日々の愛用のカップとなっている。
そして、昨日、私はそのドウロス号に再会したのでした。
この船は彼の有名な「タイタニック号」の2年後(1914年)に建造されて、現在も航行している最も古い船と言うことである。
船の中は世界最大の船上書店があり、50万冊の書籍を載せて世界を回っている。
前回の時に、よくは読めもしないのに、洋書の何冊かを買ったりしたこともあった。
また、この船に乗船しているのは50を超える国からの350名ものボランティアたちとか。
全員が「知識、援助、希望を世界の人々に」をモットーとして奉仕をしているのだそうです。
このような奉仕の心で世界中をクルーズしているとのことでした。
なんとも頭の下がる思いでした。
今月1日から今日(3日)まで、新潟県立植物園(旧新津市)で「花の国際見本市」がありました。
同時に「花の国際シンポジウム」も開かれて、国内外から多くの方がお見えになりました。
私も首からカメラを提げて、二日間通いました。
いっぱしのカメラマン気取りでしたが、相変わらず撮影モードは「オート」それに「クローズアップ」モードのビギナーモードでした。
「秋山庄太郎」さんの「花の写真のはがき」が売っていました。
思わず何枚か買ってしまいました。
正直なところ、それらの写真を見て、計算し尽くされた構成と美しさに圧倒されてしまって、もう写真撮ることやめてしまいたい気持ちになりました。
僕の写真は、確かにホワイトバランスにもフレーミングにも、大いに難点があることは承知です。
問題点をあらわに体験して、少しずつ工夫していこうと思っています。
何はともあれ「お楽しみ写真撮影」と言うことでしょうか。目下は、写るだけで感激している状態なのです。
同時に「花の国際シンポジウム」も開かれて、国内外から多くの方がお見えになりました。
私も首からカメラを提げて、二日間通いました。
いっぱしのカメラマン気取りでしたが、相変わらず撮影モードは「オート」それに「クローズアップ」モードのビギナーモードでした。
「秋山庄太郎」さんの「花の写真のはがき」が売っていました。
思わず何枚か買ってしまいました。
正直なところ、それらの写真を見て、計算し尽くされた構成と美しさに圧倒されてしまって、もう写真撮ることやめてしまいたい気持ちになりました。
僕の写真は、確かにホワイトバランスにもフレーミングにも、大いに難点があることは承知です。
問題点をあらわに体験して、少しずつ工夫していこうと思っています。
何はともあれ「お楽しみ写真撮影」と言うことでしょうか。目下は、写るだけで感激している状態なのです。
「新津市民大学」の「森へのいざない」という講座を受講している。
第一回目は事情があって、出席できなかったのだが、昨日がその二回目の授業であった。
午前中は、新津丘陵で実際にいくつかの「樹木の枝先と葉っぱ」を採集した。
そこはコナラの2次林で、カエデの類も多く新緑がまぶしい。
イヌシデ、コナラ、カエデ、オオバクロモジ、ヤマボウシなど、およそ20種類くらいの標本となるものを採集した。
とても覚えられそうにないが「押葉標本作り」を通して、いくつかを覚え込もうというのである。
巨大な「ホオノキの葉っぱと花のつぼみ」を、こんなに間近に見ることができて、びっくりであった。
雨の中を出発したのだが、その雨も上がり、早めの昼食を「新緑」をご馳走にしていただいた。
帰り道、葉緑素を持たない不思議な植物「ギンリョウソウ」に出会った。
まことに自然は多様である。この多様さが大切なことなのかもしれない。
午後からは、基地となっている「石油の里」にもどり、そこで「押葉」を作るために標本を新聞紙に挟み込んだ。
問題は採取した現場でメモした「樹木の名前」の紙切れと実物が、なかなか一致しないことであった。
友達に聞いたり、先生に確かめていただいたり、たいへんであった。
今朝ほど、重しを取り除き、その新聞紙を新しいものに取り替えた。
しばらくはこまめに新聞紙を交換して、標本を完全に乾燥させるのだそうだ。
さて、このような作業を通じて「樹木の名前」が、私の頭の中にしっかりメモリーされるといいのだが。
どうも、ぜんぜん自信がない。
せめて、季節が変わる頃もう一度、あの丘陵のあの道を歩いてみようと思っている。
「あなたでしたね」とその樹木に再会をはたせるであろうか。
第一回目は事情があって、出席できなかったのだが、昨日がその二回目の授業であった。
午前中は、新津丘陵で実際にいくつかの「樹木の枝先と葉っぱ」を採集した。
そこはコナラの2次林で、カエデの類も多く新緑がまぶしい。
イヌシデ、コナラ、カエデ、オオバクロモジ、ヤマボウシなど、およそ20種類くらいの標本となるものを採集した。
とても覚えられそうにないが「押葉標本作り」を通して、いくつかを覚え込もうというのである。
巨大な「ホオノキの葉っぱと花のつぼみ」を、こんなに間近に見ることができて、びっくりであった。
雨の中を出発したのだが、その雨も上がり、早めの昼食を「新緑」をご馳走にしていただいた。
帰り道、葉緑素を持たない不思議な植物「ギンリョウソウ」に出会った。
まことに自然は多様である。この多様さが大切なことなのかもしれない。
午後からは、基地となっている「石油の里」にもどり、そこで「押葉」を作るために標本を新聞紙に挟み込んだ。
問題は採取した現場でメモした「樹木の名前」の紙切れと実物が、なかなか一致しないことであった。
友達に聞いたり、先生に確かめていただいたり、たいへんであった。
今朝ほど、重しを取り除き、その新聞紙を新しいものに取り替えた。
しばらくはこまめに新聞紙を交換して、標本を完全に乾燥させるのだそうだ。
さて、このような作業を通じて「樹木の名前」が、私の頭の中にしっかりメモリーされるといいのだが。
どうも、ぜんぜん自信がない。
せめて、季節が変わる頃もう一度、あの丘陵のあの道を歩いてみようと思っている。
「あなたでしたね」とその樹木に再会をはたせるであろうか。