柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

暑さにへたばって!

2005年07月31日 | アマチュア無線
 この前の台風一過のあと、猛暑が続いていささかへばり気味です。
加えて、豆台風とも言うべき孫の襲来で、老骨に鞭打って、孫にとっての何か思い出になればと、日々あちこちと連れて行ったりこれサービスに努めていました。

 夜な夜な花火を上げたりして、汚れ放題の我が家の庭を、今朝は5時起きをして手入れをしました。
 5本ある松の木の「剪定」と言うにはおそまつですが、伸びすぎて樹形を崩しそうな新しい枝を切りました。庭を竹ほうきで掃いたのですが、このころになると気温もうなぎのぼり、さっさと家に引っ込みました。無理することないのですよね。

 そういえば、先日、QSLカードがビューローから届きました。
200枚程度でしょうか。いつも宅急便でいただいています。
今回は、記念局のカードが30枚ほどでした。「8J1ODA]や「8J2CNT」などはバンド、移動地、などが違うたびにQSOさせていただいていました。

 私は、海外の局とQSOしてもJARLビュローを利用するだけで、SASEでQSLカードを請求したことはないのです。これが私流の楽しみ方になっています。
せっせとビューローで出していると、それでも数年後にQSLカードが送られてくることがあります。今回は2003年でのQSOに対するQSLカードがロシアから多く届きました。
それと、お隣韓国からは2004年のQSOに対してたくさんのQSLが来ました。特に記念運用「6K0,6M0,HL0,」などの特別運用カードが届きました。
 カードをいただいたからいうのではありませんが、ロシアにはアマチュア無線の古くからの伝統があります。韓国はいまやIT技術の先進国です。やはりビューロー経由でカードが届くと言うのは、その国の文明度を示しているのではないかな、と勝手に思っています。

 さて、7月も最後の日です。
豆台風の孫も今日、埼玉に帰ります。少しはRigの前に座れる日がまた来てくれそうです。そのためにも「暑さにへばって」もおれないですね。

JARL新潟県支部大会

2005年07月25日 | アマチュア無線
 地元新津クラブの方々と車に分乗して、西蒲原吉田町を目指した。
途中、むくげの花が咲き乱れる並木道を通り、会場の「吉田町産業会館」に到着。
すでに、何本ものホイップアンテナなどでドレスアップした車が並んでいた。これらの車を一台一台拝見するのも楽しみの一つである。こだわりナンバー「73-88」や「5-99」なんてのもある。

 開会前の「ジャンク市」を何度も何度も見て回る。顔なじみのOMに次々とお会いして言葉を交わす。
サイモン(7J7ACT/)さんが三沢から来て、ブースをもらってQSO相手を求めていた。彼はすでに昨日は、多宝山からのQRVでかなりの局数を稼げたようである。こだわりの144MHzFMでの10,000局達成も目の前のようである。

 午前中の支部報告など、型どおりに進み、記念撮影の後、お昼ご飯となる。
午後は、まず「8N03ARDF」記念局の開局式のテープカット。
いずれ9月には、私どもも(新津クラブ)運用予定である。たのしみだ。

 その後、シンポジウム「災害時におけるアマチュア無線活動」があった。
パネラーは過去において、または昨年の中越地震で実際に被災された体験を持つ方3人、それに「FMゆきぐに」の放送局長であった。コーディネーターは支部長。
 まず、それぞれの被災体験を通じて、被災して身を守るだけで精一杯であったという体験、被災地に入れないもどかしさ、事前準備した救急袋を余震と崩壊の危険のために持ち出せない体験などさまざまであった。
 ごくごく身近な状況をアマチュア無線で発信してほしい、それらをまとめたり、広域への発信は専門局にまかせてはどうか、などと実に有益な体験談と提言が続いた。
いずれにせよ、身近にハンディー機は必需品だと改めて気づかされた。

 最後は、お楽しみ「抽選会」、幸い私は携帯のハンズフリーのセットを当てた。皆さんにはそれぞれ何がしかのお土産が渡ったようである。

 来年は、「柏崎市」での開催となる。これもまた待ち遠しく楽しみである。
「貞心尼」ゆかりの地でもある。いずれじっくり訪れてみたいと思っている。

 一年一年、お互いに歳を重ねながら、元気に会えて「やあ、やあ」。これがたまらない。

むくげの花

2005年07月23日 | アマチュア無線
 どうやら、ようやくにして今年は梅雨明けをむかえたのではないだろうか。
ものすごく強い日差しで、帽子をかぶっていないと頭のてっぺんがひりひりするようだ。

 我が家の「むくげの木」が毎日毎日、薄紫の花を数多く咲かせている。
ほんの4,5年前に小さな木をいただいて、我が家の庭に植えてみた。ずかずかと大きくなった。
そして毎年、これでもか、これでもかと言うほどに花をたくさん咲かせている。

 聞くところによれば、この「むくげの花」は韓国の国花だそうである。
そういわれてみると、如何にも韓国の花というイメージにぴったりのような気がする。

 韓国の人たちとの通信(QSO)では、ずっと以前は「日本語がお上手ですね」というのは禁句であった。しかし、我が国は古来から多くを朝鮮から学んできたのである。
最近はややもすると「ぎくしゃく」しがちな状態ではある。

 私の海外との通信(QSO)では、もちろん韓国のHAMのみなさんとの通信が一番数が多いのである。
北陸地域(9エリア)や四国(5エリア)の方との通信より、その回数はずっと多い。
これからもその機会を大切にしたいものだと思っている。

BLOGの楽しさ

2005年07月22日 | Weblog
 最近、ふたつのトラックバックをいただいた。

 ともに、この柄目木庵のなかで、私のクラシック音楽による「癒しとか楽しさ」について、思いのままをつづったものであった。これらのつたない文章に目を留めていただいた方がおいでになったことに、驚くと共にうれしく思っています。

 トラックバックいただいたBLOGに立ち寄り、その方のBLOGを楽しむと共に、そこでのコメントなどをたよりに文字通りWEBのなかを旅することは、ほんとに楽しいことです。
その内容や写真のすばらしさに感動したり共鳴したり、ときにはちょっぴり反発したり、どうしてこの世の中こんなに素敵な人がいるんだろう、などと思ってしまいます。

 突如、別な話です。
 つい最近、あるスーパーで「格安CD」を何枚か衝動買いしてしまいました。
この手のCDはかなりあちこちのお店でも販売されているようです。
なんと、一枚が¥200です。お隣HL(韓国)製のようです。
お値段から半信半疑、内容や録音にはそのクオリティーは期待していませんでした。
イージーリスニングの「オールディーズ」を何枚かを選びました。
残念ながら!でした。とても聴けるものではありませんでした。
 音楽文化というと大げさですが、ここまで粗雑に扱われると悲しくなりますね。

大変な連休でした。

2005年07月19日 | アマチュア無線
 気がついてみると、まもなく「CQ誌」の発売であり、月末には「QSLカード」が届くはずである。

 実は5月末に届いていた前回の「QSLカード」はハムログへの記入処理がまだであった。
土曜日16日には、とにかく一生懸命に処理・整理して、ようやく終わった。正式には金曜日から始めていたのである。

 さらに、原則的には月に一度「QSLカードの印刷・発行」を行ってきていた。ところが、なぜか5月分と6月分のQSO(交信)については、いまだに未処理であった。

 17日、日曜日に5月分のQSLカードの印刷をした。私のプリンターはLANにつながれていて、とにかく印刷速度が遅くて話にならない。プリンターも安くなっているのだから新型に交換も考えなくてはと思っている。「Hamlog」のなかの定義ファイルを書き直して、写真を入れたりしながら多少は自分なりのカードを試みてはいる。
 それにしても、何百枚のカードとなると、あくびをしていても終わらない。幸い、今日は3つもコンテストがある。「ALL JA5、オホーツク、高校コンテスト」などである。
適当に楽しみながら結局はほぼ一日がかりの印刷となってしまった。要所要所でアンテナやリグのデータを書き換えたりして印刷するので、一層時間がかかってしまった。

 18日、月曜日、この日は海の日とか。海どころではない。
今日は6月分のQSLカードの印刷である。この月は「テレコムパーティー」「新潟コンテスト」「粟島への移動運用」や「ALL ASIAN CW DX]などもあったので、定義ファイルを変えたり、実際に使用したアンテナ、リグのデータに間違いがないように気を使った。
 午後からは、女房殿の買出しのアッシー君を勤めて、印刷再開は夜となって、終了したのが夜11時ということになってしまった。

 今日19日、カードを郵便局の「500エクスプレス」に無理やり詰め込んでビューロー宛てに発送できた。ほんとにホットした。わずか450枚ほどのカードに振り回された週末でした。
 
 何事もこまめにやるにこしたことはない、わかっちゃあいるのだけど、いろいろありだもんね。
なお、今週末からは我が家は民宿?となります。夏休みに入った埼玉の孫が飛んでくる予定です。

落ち込み

2005年07月15日 | 日々これ好日
 かつての同僚であり、先輩である方を喪った。
 私より一歳年上で、こよなく山を愛した方で多くの後輩を登山を通して育てられた。
酒豪にして豪放な人柄は多くの方々に慕われてきたのである。
一昨晩の通夜、昨日の告別式と過ぎて、私は腑抜けのような状態であった。

 このようなときに、何をすればいいのだろう。
ショパンならどうだろう。「英雄・革命」ならばと聴いた。いやモーツアルトか、「ピアノ協奏曲21番」はどうだろう。いよいよ落ち込んでいくような気がした。

 そういえば、数日前からHamlog専用のノートパソコンが正規に終了できなくなり、何度も何度もリセットをさせて、ようやく電源が落ちるようになっていた。
データが心配であった。
 
 そうだ!こんなときには何かに夢中になればいいんだ!
昨晩、急遽、ハムログデータとQSObankからの画像データのバックアップをとり、新たにデスクトップパソコンにHamlogをインストールして、そこにデータを移した。
 しかし、「ハムログユーザーリストやQSObnakの関係など」の環境を整えるのには、かなりてこづった。どこぞにメモしたはずの暗証番号など探すのに大変であった。
幸い、いつの間にか、気持ちは「元気」になっていたようだ。

 後日、ノートパソコンにはフォーマットしてから今までの「98Me」に換えて「Win2000」をインストールしてみようと思っている。
このことも、不思議なことではあるのです。何年も前に買っていた「Win2000」は、周辺装置のことが心配で結局インストールせずに放り出していたのでした。今一度今度こそ日の目を見せてあげようと思う。

「貞心尼」

2005年07月11日 | 良寛さまのことなど
 良寛を慕い、良寛の晩年には彼を看取ったという「貞心尼」。
図らずも、長岡市リリックホールで「墨詩良寛 貞心尼の抄」なるものを鑑賞する機会があった。

 墨詩とは聴きなれない言葉であったが、良寛の世界をモノトーンな墨画的な舞台で表現しようという、まことに革新的な舞台であった。
 舞台では中央に巨大な墨画閻魔様が架かっている。暗い舞台の左サイドには義太夫の語り人、その後ろにヴァイオリニスト、右サイドにはウッドベーシストが配置されている。

 舞台はバイオリン、ウッドベースによる導入から義太夫の語りで貞心の生い立ちと結婚・離婚と紹介され、恋しい良寛に会いたい一念で吹雪の「塩の入峠」を超えるクライマックスを迎える。その様子は人形(貞心尼)とその使い手(黒子)と大きな白布の脈動で表現されたのである。

 その後、舞台では良寛(主役・演出の高井松男氏)と貞心(人形)とのしみじみと落ち着いた対話となる。三条大地震の体験から人生、生死についての語らいとなった。
「つきてみよ ひふみよいむなや ここのとお とおとおさめて またはじまるを」この象徴的な詩で幕となったのであった。

 残念ながら義太夫の語りにしても良寛のセリフにしてもマイクなしなので、独特な言い回しや内容などが十分に聞き取れなくて残念であった。「演出・構成の思い」は確かに伝わってきたのだが、いまいちの盛り上がり・感動にならなかったような気がする。
とはいえ、このような試み・コラボレーションはすばらしいことであると思った。

 「貞心尼」を通して良寛に迫る試みは多くの方によってなされている、それだけ魅力のある「貞心尼」なのであろう。
*貞心尼(良寛と生きた誓いの日々) ののはら ゆみ著 考古堂
*手毬 瀬戸内寂聴著 新潮社
*良寛の愛 青木羊耳著 考古堂
などを読んだが、前二著は女性によるもので、最後の著は男性によるものである。
 独断であるが、これらの著書を通して女性の情念、男性の純粋さを貞心尼、良寛に対してと同様著者の方々にも感じたというのは、お叱りをいただくであろうか。

コンテストのログ提出など

2005年07月09日 | アマチュア無線
 我が家の庭もこのところ寂しい状態が続いていました。
花々もちょっとお休み状態です。植え込みとプランターのベゴニアだけが、がんばっていてくれていました。
それでも、ちょっと遅くそして花形も小さいのですが「紫陽花」がようやく咲いてくれました。

 ところで、いくつかのコンテスト関連の後処理をしようと、あらためてログを見たり、規約を確認したりしました。

 JARL QRPクラブのコンテストに今年初めて参加しようと、それなりにQRP運用をFT-817で心がけてきました。QRP運用の難しさ、楽しさなどそれなりに体験できました。
ところが、あらためて規約を見てがっくり。ワークバンドを除くとありました。わたしのQRP運用はほとんどがワークバンドのものでした。
考えてみると、いかにもうかつでした。コンテストといえばワークバンドを除くものが普通です。
QRPコンテストもコンテストであったのだ!などと妙に感心しきりでしたHi。
ログの提出は、今回は残念ながら見送りました。

 6m&ダウン・コンテストは50MHz,144MHzで参加して、CWもSSBも局数は少ないながら楽しめました。ハムログからプリントしたデータを「テキスト」に打ち直し、JARL様式のサマリーに貼り付けて、全体を電子メールのテキストとして6d@jarl.or.jpに発送、受け付けられました。

 ALL ASIAN DX CW コンテストは同様に、ハムログの中からプリントして、そのデータを改めて「zLog」にpost contestモードで入力しなおしました。
なにしろさまざまなコールサインがあり、アジア州かいなや、DXCCエンティティーとしては?などとDXにあまり経験の無い僕としては、まさに「zLog」頼みになります。
もっぱら呼びになるこのコンテストでは最初からzLog入力も考えるべきでしょうが、データベースとしてのハムログへのデータ移動に苦労します。結局どこかでがんばるより仕方ない状態です。
結果としては、138point*31エンティティー=4278点となりました。
 なぜか、これはプリントアウトした書類で提出でした。

We Love Harmony !

2005年07月07日 | 音楽など
タイトルのキャッチはヴォーカルグループ「サーカス」のものである。

 彼らは7月4日から今日7日まで、新潟市「りゅうとぴあ」で4ステージをもった。
私も6日にそのステージを聴いてきました。

 1978年「Mr.サマータイム」でデビューして以来その男女二人ずつのヴォーカルの醸し出すハーモニーのすばらしさで、多くの人を魅了してきた。
 新潟市の海岸を会場として毎年行われてきている「日本海夕日コンサート」の常連でもあることからも、フアンの多いことがわかる。

 私は彼らのステージを聴くことは今回で2回目であった。
今回はもちろん「Mr.サマータイム」はじめ「ひとつぶの雨、ちゅらうた、smile」など、持ち歌を存分に聴かせてくれた。
それとクラシックの名曲にも挑戦して、スキャットによる響きを堪能させてくれた。「アヴェマリア(グノー)、プレリュード、四羽の白鳥、花のワルツ、別れの曲」など、いずれもよく知られた曲をこのような形で聴くのも大変新鮮であった。

 実は、私もメンバーである「新潟音楽鑑賞会」は会員数も多く、ひとつの企画を4ステージももてるというのは、全国的にもめずらしい存在らしい。このたびのステージも鑑賞会によるものである。その定例会では「ロシア・ナショナル・バレイ眠れる森の美女」や「ロジェ・ワグナー合唱団」なども予定されているようで、とてもたのしみにしています。

首都圏の電車

2005年07月04日 | 日々これ好日
 毎年のことであるが、退職後は「新津市民大学」への参加を楽しんでいる。
今までにも主として「ふるさと学部」で「地域の歴史、文化財、自然」などをテーマにした「講座」で学んできた。座学あり、実習あり、現地調査、見学などもあり、いつも学ぶことのすばらしさ、知ることの楽しさを体験してきた。

 今年は、かつての鉄道の町・新津ならではの「鉄道散歩」という講座と「女・男(ひとひと)いきいき講座」を受講している。

 今日は「鉄道散歩講座」の5回目であり、JR東日本旅客鉄道KK「新津車両製作所」の見学であった。ここはJR東日本唯一の電車の「車両工場」である。
主として、山手線はじめ都市圏を走る電車のほとんどがここで作られている。
一日一車両が出来上がっていくのだそうです。
山手線、京浜東北線・根岸線、横須賀線・総武線快速・湘南新宿ライン、中央・総武緩行線、常磐線・成田線などである。
各車両が完成して連結され試走を終えると、首都圏に送り込まれていくのです。
現在は、東海道線用の電車がライン上でぞくぞくと組み立てられていました。

 首都圏で電車に乗る機会があったら、電車内の名盤で確認してみてください。
私はハムフェアーに行く電車でしたが、満員状態の電車の中で「新津車両製作所」のプレートを発見したときは、何かうれしくなった記憶があります。
また、首都圏に住む孫が来たときに、ここ新津の工場脇を通過しました。そのとき、「あれ!なんで京浜東北の電車がここにいるの?」と叫んでいました。もちろん、私はとくとくと自慢気味に説明したものでした。まさに孫の彼が乗るいつもの電車であったのです。