柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

アメリカの思い出(1)

2005年08月30日 | 旅行など
 「はるかなるアメリカ!」

 私が、近々一度はアメリカを訪れてみようと思ったのは、次男家族がアメリカにいる間に、ということからであった。
しかし、とても私ども夫婦では心もとなく、長男家族にも同行してもらうことにした。
 3家族でメールのやり取りで、その計画や準備が進んだ。今年の春先からのことであった。

 はじめは、成田空港からコンチネンタル航空でニューヨーク(ニューアーク空港)。乗り継いでワシントンDC.(ダレス空港)の予定であった。

 ついに、出発の日(8/9)が来た。
 新津駅を8時35分、電車で新潟へ。更に新幹線で上野駅へ。
ここで、長男の嫁Hさんが出迎えてくれて、京成上野からスカイライナーで成田空港第2ビルへ向かう。日暮里から乗り込んだ長男Tと孫Y。
長男の携帯にHISから出発便が変更になった旨の電話が入ったとのこと。
 何とはなしに、これからの旅に不安がよぎる。

 なかなか厳しくなった出国検査も無事通過。
変更された出発便はコンチネンタル6便で、なんとヒューストン経由となっている。早めの出発となったはずが、実際の出発は16時20分。
早めの夜を迎えるが眠れない。
高度10,000m、対地速度1000km/h、温度ー45度Cで太平洋上を飛んでいる。
 やがて、北米の陸地内飛行となり、ロッキー山脈や乾いた大地などさまざまな地上風景が見える。

 日付変更線を通過しているので、また8/9である。ヒューストン上空に来たが旋回している。空港近辺はサンダーストームで着陸不能なので近くのオースチン空港に給油をかねて緊急着陸するとアナウンス。1時間半ほどの時間が余計にかかり、ヒューストンに着く。入国手続きが厳しく、指紋採取やらいろいろと時間がかかり、結局乗り継ぎ予定の飛行機は飛んでいってしまった。

 次のワシントンDC.(レーガン空港)行きは18時過ぎに飛び立ち、DCには22時30分に到着した。気持ちの上ではワシントンDCの夜景を見るゆとりがなかった。
ここで、次男Oが出迎えていてくれて、久しぶりの再会を喜び合った。ところが、荷物が出てこない。次男がクレームを入れるが、結局次の便で届くことが多いとのことで空港で時間をつぶす。
この時間になるとメトロ(地下鉄)も走らなくなっているので、バンタイプのタクシーを交渉して確保しておいた。
 さいわい、次の便で、私どもの荷物は無事届いたのであった。

 バンタイプタクシーには、二人の客も同乗していた。
二人の客を、それぞれの場所まで運びばっちり料金をいただいていた。
ようやく、真夜中のワシントンDC郊外を走りぬけ、メリーランド州ロックビルのホテルに着いたのは、8/10となった1時半くらいの真夜中であった。

 まさしく、はるかなアメリカであり、遠かった!
二人の息子たちの語学力に助けられたと言うのが実感であった。

港町酒田でのアイボール

2005年08月30日 | アマチュア無線
 ちょっと涼しさも感じるこのごろですね。

 先週の週末は、以前から出席を楽しみにしていた「KCJ 7エリアミーティング」に行ってきました。
 やはり7エリアOM各局とのアイボールが何よりも楽しみでした。それに某OMのアンテナファームを一度この目で見ておきたかった。

 土曜日、午前10時近くに出発。中条町(9/1より胎内市)まで高速道利用。
後は7号線をゆったりと走り山形県へ。鼠ヶ関で「ホタテ」を食べて、「道の駅・温海」で昼食。そして7号線から112号線の海岸よりの道を選ぶ。「湯の浜温泉」街を通過して酒田市に入る。
 時間に余裕があるので、酒田港に寄る。とても美しい港である。飛島航路もあり、そのビルのレストランで「いかすみソフトクリーム」をいただく。なんともいえない味わいでおいしい。お勧めである。

 どうしても一緒にドライブしたいと言う女房を7号線沿いのホテルに送り届け、ちょっと先の健康ランド「ゆうゆう館」に落ち着く。
 今日は6名の参加と言うことで、やがてみなさんお風呂もすみ、勢ぞろい。
すでに10回20回とQSO頂ながら、今回が初アイボールQSOとなる方もおいでになった。

 夕食をはさみ、夜中の1時過ぎまで延々8時間くらいも、ラグチューが続いた。
6人と言う人数が手ごろであったようだ。話題があちらとこちらではなく、次々と関連しながら出てくる話題をみんなで楽しめた。コンテスト、ログソフト、アンテナ、移動運用、JARL問題などと共通な問題は、皆さんの体験や実践に裏付けられたものだけに、とても有益なものであった。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~kcj/j_index.htm
 
 翌朝、日曜日には私が一足先に女房をホテルに迎えに行き、その後すぐに皆さんと430MHzで連絡を取り、案内をいただきながら、ちょっと山手の「カントリークラブ酒田」に隣接する地に向かった。
 
 今日の目玉は、このたびの幹事役のOMさんのシャックとアンテナ見学である。
以前はスキー場であったという場所の一角に2階建てのログハウスが突如現れた。山手の方を見上げてびっくり仰天、山側とその稜線と思しきところなどに10本近くのタワーやパンザマストが建っていた。なんと遠いところでは同軸ケーブルは400mにもなっているとか。
いやはや、話には伺っていたが、このような局長さんが現実においでになることにびっくりである。毎度コンテストなどでは強いシグナル」でサービスいただけるわけである。

 ログハウス内は、そのデスクにHF,VUのエキサイターと多くのアンテナコントローラが目を引いた。隣室にはどーんとリニアが何台かあった。薪ストーブからお風呂と至れり尽くせりである。2階部分は寝室であろうか。

 興奮冷めやらぬ私であったが、駐車場では各局のモービル局の紹介が始まった。
私は何度もの海外運用も体験されているOMさんから、ローバンド特に1.8MHzの「PG100ポール」による垂直アンテナについて教わった。
 それは、しかるべき長さのワイヤーをスパイラル巻きにして、その先端部分に「トロイダルコアーに巻き込んだ延長コイル」を「ギボシ端子」で取り付けポール先端にコアーの穴を差し込んだものである。電流の少ない部分のトップローデングとなり、後はチューナーにお任せとのこと。
これなら、しなやかな「PG100」でも垂直な状態を保てるわけである。
単にCWがうまいと言うだけでなく、いろいろと実践実験されているOMには、いよいよ尊敬の念を感じてしまった。

 また、次回の再会を約して、お先に失礼した私である。
参加各局には、その帰途においても所々で運用されながらお帰りになったとか。
どうも、この辺からして私とは違っているようである。私の何倍も無線が好きなんだなあ、とつくづく思っている。

ハムフェアー(KCJ)

2005年08月23日 | アマチュア無線
 私はKCJ(全国電信同好会)のメンバーです。
 
 なかなか敷居が高くて電信の世界に踏み込めなかった私ですが、思い切ってKCJに仲間入りすることで、自らをプッシュしたのです。
でも、それは退職3年目のことでした。ずいぶん晩生ということになりますね。
でも、今では電信の世界(和文はすっかり忘れています)の魅力に取り付かれています。

 そのKCJが長い歴史を持つにもかかわらず、ハムフェアーに出展するのは今年が初めてでした。
個人的には、毎年必ずハムフェアーには来ていました。
 しかし、今年はKCJのブースを基地にして、疲れるとブースでのアイボールを楽しみ、再びいろんなブース回りを存分にできました。
 
 KCJでは、会員同士のアイボールがポイントになります。再会、再再会の方も多かったのですが、何人かのファーストアイボールもあり喜んでいます。
 それにしても、次々と訪れてくださった方々の中で、何度も何度も移動運用などでサービスいただいている方のコールサインを発見して、それは感激モノでした。想像していた方とはぜんぜんイメージが違っていたり、ほんとに楽しいものでした。

 このたびのKCJ出展には、利用させていただいた だけで、準備や後始末など何もお手伝いできなくて申し訳なく思っています。
しかし、来年以降も事情が許すなら、このような企画はぜひ続行してほしいものだと思っています。できれば何らかのお手伝いをしたいと思っています。

 今年のハムフェアーは殊のほか楽しかったのは、KCJの出展があったからだと思います。
写真の中で一人だけヘボOPがいます。他の方はすばらしい方々です。あえてコールは。ごめんなさい。

ハムフェアー(Keying)

2005年08月23日 | アマチュア無線
 ハムフェアー会場で、とても印象に残ったものがありました。

 「A1 クラブ」のブースでした。
 写真でもお分かりいただけると思いますが、キー端子からケーブルで2個の押しボタンが接続されています。
その押しボタンを左右の手に持って交互に操作して長短を打ち出します。
 デモンストレーションをされていた方が、とても器用に体を左右に振りながら、リズミカルに操作さされていました。とてもお上手で、かっこよかったのです。
 飛び入りの方が挑戦されましたが、結構うまく打てていたようでした。

 私がいつも指先だけちょこちょこと動かしているパドル操作の様子は、女房から見れば異常なことのようです。私の運動不足・脂肪肝の原因だと思っているようです。
 しからば、私がサンバのリズムにでも合わせて、体を振り振り腕を上げたり下げたりしながらKeyingしていたら、女房殿にはどのように見えるのでしょうか。
この歳て私が踊りだした様子を想像すると、どうも醜悪そのもののように思われます。しかし、脂肪肝が直るようなら挑戦の価値ありですね。

 ハムには遊び心が無くてはね! 


ハムフェアーに行ってきました。

2005年08月23日 | アマチュア無線
 ちょっとタイミングがずれてしまいましたが、やはりBLOGには残しておきたいと思いました。

 数日前の帰国に伴う時差ぼけが必ずしも完全回復とは言いがたい状態でしたが、21日(日)、張り切って朝6時過ぎの新幹線で東京へ。
車窓から見える越後平野一面は、太陽エネルギーで満充電に近い様子です。まもなくおいしい「こしひかり」がいただけることでしょう。

 東京駅から山手線、新橋駅へ。この車両はもちろん越後の新津生まれなのですが、皆さんご存知でしたでしょうか。
 新橋駅からは、奮発して「ゆりかもめ」で、お台場あたりを空中遊泳して、国際展示場へ。
 例により、3エリアのOMさんが「風力発電機」を背中に背負って出迎えてくれました。

 会場は、3ブロックに別れていて、とても見やすくなっています。
2つのクラブ関連ブロック、1つのJARL,JAIA,業者関連のブロックです。
 
 まずはクラブブースの見学。
私はAC200Vラインにはフィルターを入れていましたが、今回は100Vライン用のフィルターが目当てでした。それに、50MHz対応のコモンモードフィルターもほしいと思っていました。
二つともあわせて購入できました。もちろん」値下げ交渉の結果の購入決断でした。こんなところがハムフェアーの楽しさでもありますね。
 ほかに、PG100アンテナポールを格納できる運搬用のケースがあり,欲しかったのですが、これは閉店ぎりぎりのときに売れ残りということで格安にgetしました。

 お昼前後にはくたびれ果てて、いつもお邪魔する「SEA NET」で一休み、「KCJ」のブースで一休みも、ふた休みもしました。
元気回復、業者ブロックに向かいました。

 一度触れてみたい機種(トランシーバ)があるので、迷わず直行。
 まるで戦車かダンプカーといったところの「FTなんとか」。ダイヤルの感触はすばらしい。7MHzCWでKCJコンテスト参加中のおなじみさんのコールがたくさん聞こえてきた。
 一方、先駆者としてのゆとりか、気品漂う高級セダンの風格の「ICなんとか」。甲乙つけがたい。かくもFBな製品を作れるメーカーの存在がうれしい。
 実は、多くのHAM仲間の関心事は圧倒的に「IC-7***」にあったようです。
かく言う私も、IC-706mk2、FT-817をすでに売り払って、密かにGetしようとたくらんでいるところですHI.実際にはかなりの資金不足で頭を悩ませています。

 どんどん、皆さんが引き上げ始めました。
私も、会場から今度はバスで東京駅八重洲口に到着、いつもここまで来るとなぜかほっとします。
 弁当を買い込んで、新潟行きの新幹線に乗りました。
すばらしい一日だったなあ、と満足しました。

ただいま帰りました!

2005年08月18日 | 旅行など
 夏期休暇ということで、
アメリカのワシントンDCとニューヨークへの旅10日間でした。先ほど無事戻りました。予定通りというか、数々のハプニングを体験できました。
 いずれこのBLOGにも、その様子など紹介できればと思っています。

 今週末は「ハムフェアー」に日帰りですが行って来ようと思っています。
次の週末は、酒田での「KCJ・7エリア地区ミーティング」に参加しようかな、などとも思っています。

 宮城沖の地震はニューヨークのホテルのTVワッチで知りました。あちらでもトップニュースでした。親しくさせていただいている方々が、そちらの方にも多くいます。
ご無事であっただろうかと心配しています。

 何はともあれ「I'm home!」というご挨拶でした。
                  また、よろしくです。

ちょっとBLOGのQRT

2005年08月08日 | Weblog
 暑さも最高潮!

 政界も大変なことになった。しかし、変化することは歓迎である。
スペースシャトルもあぶなかしいフライトではあったが無事戻ってきてほしい。

 私は思い切って、夏季休暇をとることにした。
「柄目木庵」もしばし休憩です。

 いずれまた書き込みを楽しもうと思っています。よろしくです。
                    See you soon !

夢のライセンス!

2005年08月06日 | アマチュア無線
 スペースシャトル「ディスカバリー」が任務と修理を終えて地球への帰還が可能となったとか。よかった。安全にランディングできることを願っている。
 写真は孫の手作りのシャトルである。ペットボトルが見事変身したのにはびっくりするやら、うれしかったりだった。


 ところで、ある広報誌を読んでいたら「七十三歳でもできる」と題した文章に出会った。北海道の方のようである。
「昨年八月、73歳で念願の’第一級アマチュア無線技士’の国家試験に合格し、晴れて免許状を手中に収めることができた」とある。更に「70歳で三アマ、71歳で二アマ、73歳で念願の一アマにたどりついた」とある。頭の下がる思いである。
 この間、何度も挫折しそうになり奥様のサポートに感謝されたり、これからは国際人としてのマナーを守り各国との通信や災害時の支援、青少年や高齢者のためのアマチュア無線教室の開設などと、さらなる夢を語られている。
まさに青春真っ只中のようである。脱帽!

 以前にも紹介したかもしれないが、私の存じ上げている「おしどりハム」のご夫婦のシャックにお邪魔したことがある。お二人は、もともとは「山登り」を通じて結ばれたようである。子供さんたちもそれぞれ優秀で大きくなって、最近はお二人で無線と山を楽しまれている。まだお若くて現役のお二人ではあります。
そのお二人の共用RIGと共に2個の額縁が飾られていた。それぞれその中には「4アマから1アマ」までの4枚のライセンスがきちんと入って飾られていたのである。なんともすばらしいものを拝見したものだと思った。

 かく言う私も、長い間のQRTから目覚めて、「1アマ」にたどりついたのは
50歳のときであった。和文で失敗して2度目での合格であった。しかし、CWをはじめたのは退職して更に数年後である。私の車はナンバーが「59-73」である。今なら是非にも「 5-99」としたであろうに。
大学ノート10冊にびっしり書き込んだ和文受信練習。しかし、そのスキルも使わなかったので、いまではまったく無となっている。
「QSL UR599 TU」から一歩抜け出さねばと思う昨今ではある。

盆参

2005年08月03日 | 良寛さまのことなど
 8月にはいると、各お寺でお盆関連のお勤めが始まるようである。

 昨日2日、いつもの年より10日あまりも早く、お墓の掃除とお墓参りに行ってきました。今年のお盆の頃に日本を留守にしているため、早めのお墓参りとなった。我が家のお寺は、良寛様のお墓がある三島郡和島村の「隆泉寺」である。

 ずいぶん小さい頃から、良寛様には格別な親しみを感じてきていたのは、寺の境内にある「良寛様の托鉢姿」の像を見ていたからであろうか。

 車を走らせて午前11時くらいには和島村に入った。やがて島崎川の橋を渡ると隆泉寺の駐車場である。掃除用具、お線香などを持って境内に入ると読経の声が響いてきた。盆参が始まっているのである。大勢の方々が本堂にびっしりである。

 庫裏から、寺の奥様にご挨拶。前寺にもご挨拶。バケツに水をもらってお墓をごしごし。アメリカ行きの旅の無事を、お墓の父にお願いをする。
 ついでといってはばちが当たるでしょうが、良寛様のお墓にも手を合わせました。
木村家と弟・由之のお墓に挟まれた良寛様のお墓は、大きくて堂々として風格があります。弟・由之様が建てられたのだとか。

 帰り道は、島崎から根小屋を経て「塩の入りトンネル」を通り、あっという間に与板の町となる。このトンネルのない時代には「塩の入り峠」を越えたわけで、なかなかの難所であったらしい。
 以前にこのBLOGでも書いたことのある「貞心尼」は、良寛を慕って与板側からこの「塩の入り峠」を越えて島崎の良寛に会いに通ったのである。

 そういえば、「貞心尼」のことを書いた瀬戸内寂聴の「手毬」が、NHKラヂオ「日曜名作座」夜9時からに取り上げられ、その一回目の放送が7月31日にあった。出演はベテランの森繁久弥と加藤道子で、なかなかの聞き応えがあった。

 暑い一日ではあったが、大切な用事が無事終わったような気がしてほっとしたことであった。