「はるかなるアメリカ!」
私が、近々一度はアメリカを訪れてみようと思ったのは、次男家族がアメリカにいる間に、ということからであった。
しかし、とても私ども夫婦では心もとなく、長男家族にも同行してもらうことにした。
3家族でメールのやり取りで、その計画や準備が進んだ。今年の春先からのことであった。
はじめは、成田空港からコンチネンタル航空でニューヨーク(ニューアーク空港)。乗り継いでワシントンDC.(ダレス空港)の予定であった。
ついに、出発の日(8/9)が来た。
新津駅を8時35分、電車で新潟へ。更に新幹線で上野駅へ。
ここで、長男の嫁Hさんが出迎えてくれて、京成上野からスカイライナーで成田空港第2ビルへ向かう。日暮里から乗り込んだ長男Tと孫Y。
長男の携帯にHISから出発便が変更になった旨の電話が入ったとのこと。
何とはなしに、これからの旅に不安がよぎる。
なかなか厳しくなった出国検査も無事通過。
変更された出発便はコンチネンタル6便で、なんとヒューストン経由となっている。早めの出発となったはずが、実際の出発は16時20分。
早めの夜を迎えるが眠れない。
高度10,000m、対地速度1000km/h、温度ー45度Cで太平洋上を飛んでいる。
やがて、北米の陸地内飛行となり、ロッキー山脈や乾いた大地などさまざまな地上風景が見える。
日付変更線を通過しているので、また8/9である。ヒューストン上空に来たが旋回している。空港近辺はサンダーストームで着陸不能なので近くのオースチン空港に給油をかねて緊急着陸するとアナウンス。1時間半ほどの時間が余計にかかり、ヒューストンに着く。入国手続きが厳しく、指紋採取やらいろいろと時間がかかり、結局乗り継ぎ予定の飛行機は飛んでいってしまった。
次のワシントンDC.(レーガン空港)行きは18時過ぎに飛び立ち、DCには22時30分に到着した。気持ちの上ではワシントンDCの夜景を見るゆとりがなかった。
ここで、次男Oが出迎えていてくれて、久しぶりの再会を喜び合った。ところが、荷物が出てこない。次男がクレームを入れるが、結局次の便で届くことが多いとのことで空港で時間をつぶす。
この時間になるとメトロ(地下鉄)も走らなくなっているので、バンタイプのタクシーを交渉して確保しておいた。
さいわい、次の便で、私どもの荷物は無事届いたのであった。
バンタイプタクシーには、二人の客も同乗していた。
二人の客を、それぞれの場所まで運びばっちり料金をいただいていた。
ようやく、真夜中のワシントンDC郊外を走りぬけ、メリーランド州ロックビルのホテルに着いたのは、8/10となった1時半くらいの真夜中であった。
まさしく、はるかなアメリカであり、遠かった!
二人の息子たちの語学力に助けられたと言うのが実感であった。
私が、近々一度はアメリカを訪れてみようと思ったのは、次男家族がアメリカにいる間に、ということからであった。
しかし、とても私ども夫婦では心もとなく、長男家族にも同行してもらうことにした。
3家族でメールのやり取りで、その計画や準備が進んだ。今年の春先からのことであった。
はじめは、成田空港からコンチネンタル航空でニューヨーク(ニューアーク空港)。乗り継いでワシントンDC.(ダレス空港)の予定であった。
ついに、出発の日(8/9)が来た。
新津駅を8時35分、電車で新潟へ。更に新幹線で上野駅へ。
ここで、長男の嫁Hさんが出迎えてくれて、京成上野からスカイライナーで成田空港第2ビルへ向かう。日暮里から乗り込んだ長男Tと孫Y。
長男の携帯にHISから出発便が変更になった旨の電話が入ったとのこと。
何とはなしに、これからの旅に不安がよぎる。
なかなか厳しくなった出国検査も無事通過。
変更された出発便はコンチネンタル6便で、なんとヒューストン経由となっている。早めの出発となったはずが、実際の出発は16時20分。
早めの夜を迎えるが眠れない。
高度10,000m、対地速度1000km/h、温度ー45度Cで太平洋上を飛んでいる。
やがて、北米の陸地内飛行となり、ロッキー山脈や乾いた大地などさまざまな地上風景が見える。
日付変更線を通過しているので、また8/9である。ヒューストン上空に来たが旋回している。空港近辺はサンダーストームで着陸不能なので近くのオースチン空港に給油をかねて緊急着陸するとアナウンス。1時間半ほどの時間が余計にかかり、ヒューストンに着く。入国手続きが厳しく、指紋採取やらいろいろと時間がかかり、結局乗り継ぎ予定の飛行機は飛んでいってしまった。
次のワシントンDC.(レーガン空港)行きは18時過ぎに飛び立ち、DCには22時30分に到着した。気持ちの上ではワシントンDCの夜景を見るゆとりがなかった。
ここで、次男Oが出迎えていてくれて、久しぶりの再会を喜び合った。ところが、荷物が出てこない。次男がクレームを入れるが、結局次の便で届くことが多いとのことで空港で時間をつぶす。
この時間になるとメトロ(地下鉄)も走らなくなっているので、バンタイプのタクシーを交渉して確保しておいた。
さいわい、次の便で、私どもの荷物は無事届いたのであった。
バンタイプタクシーには、二人の客も同乗していた。
二人の客を、それぞれの場所まで運びばっちり料金をいただいていた。
ようやく、真夜中のワシントンDC郊外を走りぬけ、メリーランド州ロックビルのホテルに着いたのは、8/10となった1時半くらいの真夜中であった。
まさしく、はるかなアメリカであり、遠かった!
二人の息子たちの語学力に助けられたと言うのが実感であった。