柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

2月も終わり

2007年02月28日 | 日々これ好日
 暖かいね、暖冬だね、などと言っていましたが、もう月末。
書き忘れたかな、なんてことをメモっておきたいと思う。

 いち早く咲いてくれた「紅梅」が、和みを与えてくれています。
           

 私のところでは、ちょっと遅れて配達された「一太郎2007とATOK」をインストールしました。
やはり使いなれているので、とても使い勝手がいいのですよね。

 光ケーブルの導入を期に「光電話」にしたり、そして「LAN環境」を整えました。
NTTのレンタルをやめて「BUFFALO」の製品でまとめてみました。
デスクトップが1台、ノートパソコン2台、これらが「無線LAN]でつながっています。家の中、好きな場所でパソコンが利用できて大変具合がいいです。

 あと家内のデスクトップとプリンタを一台を無線LANにつなげる予定です。
予算の関係で一息ついています。


 すぐ前の週末、孫の「Yくん」が一人で新幹線で埼玉からやってきました。
到着するいなや「ラジコン模型の製作」に取りかかりました。
何度かの工作ミスにより図面と違ったり、それらを修正したり、なんどもくじけそうになりながらも、土曜日の夕方には完成しました。
          
 翌日曜日、予備も入れて2本のバッテリーの充電も完了しました。
「Yくん」は、「フェラーリ」のこの車には「シューマッハ」と命名しました。

 いよいよ新潟市近江の「ホビーロード」に到着、彼はしきりに胸のあたりをさすっています。さすがに緊張のようすでした。
すでに大人の方のラジコンカーが何台もビュンビュンとコースを走り回っていました。

 思い切ってスタートラインに「シューマッハ」を置きました。
すぐにスタートさせました。何台もの車のなかにあっても堂々の走りっぷりです。

 「Yくん」は存分に満足だったようです。
夕方、新潟駅から一人で帰りました。2時間くらいたって、パパから無事「大宮」到着したからと電話が入りました。
それにしても、私の少年の頃には、このような「精巧なラジコンカー」などというのは夢のまた夢でした。孫を通じて私の少年時代の夢を体験しているのかもしれません。


 ところで、情けないやら恥ずかしいような「話」になります。
私は「運転免許証」をいつも自分の車に入れっぱなしです。
ところが、ついこの間、女房の車を運転することになり免許証をYシャツのポケットに入れたようです。

 ところがです。その免許証を私の車に戻すべく探しましたが、見あたらないのです。思いあたりを何度も探しましたが、ついに出てきませんでした。
女房に頭を下げて聖籠町の「運転免許センタ」まで車ではしってもらいました。

 手数料、写真代など併せて「¥4,000」かかりました。
でも、1時間ほどで再交付を受けることができました。
免許証を紛失しないようにケースに入れて首から提げてみましたが、なんとも具合はよくありません。

 最近、どうも自分に自信が持てなく、ちょっぴり沈んでいるのです。シュン!

秋川 雅史さん

2007年02月25日 | 音楽など
 書き込みが、ちょっと日にち的に遅れてしまいました。

 今や大ブレーク中の「秋川 雅史」さんのコンサートを23日(金)に聴いてきました。
21日からここ新潟市「県民会館」で3日間連続で、3ステージ目の最後の日でした。
コンサートで秋川さんもおっしゃっていましたが、新潟音楽鑑賞会での3ステージの予定は、すでに一年前以前の企画契約だったそうで「とてもうれしいステージです」とおっしゃっていました。

 この日、私と女房はともにスタッフとして会場係ということでお手伝いをしていました。
午後の2時開演でしたが、いつもの音楽会と違って早々と1,2階席とも満席で皆さんの期待というか熱気のようなものが開演前から会場に満ちていました。
こんなことって初めての体験でした。

 実は、「秋川さん」などとなれなれしく書いていますが、訳があります。
「紅白歌合戦」以来「NHKスダヂオパーク」や「ホットモーニング」など、何度もTVで拝見して「千の風になって」を聴いていました。
ステージ上での気さくなトークとコンサート終了後の「握手のサービス」で彼と一言二言お話ができたものだから「秋川さん」になってしまったのです。
なにしろ「すてきな方」でした。

 第一部はピアノ伴奏によるものでした。
そのオープニングはなんとあのなつかしい映画の名曲「慕情」でした。
心憎い選曲でした。
 イタリア4年間の留学の成果「オーソレミーオ、フニクリフニクラ」が続きました。
 この後石川啄木の「初恋」そして「美空ひばり」が歌っていた「津軽のふるさと」でした。なんともしみじみと心にしみ入るようです。
 力強くて豊かな声量のテノールってほんとにしびれますね。男性にとって最高に美しい音域のように思われます。
 最後「グラナダ」で一部を締めくくりました。
会場の皆さんはすっかり聞き惚れて、場内のCD売り場に殺到されたようです。

 さて、第二部はピアノ、ヴァイオリン、ギター、ベースの伴奏となりました。
賑やかにサンバのリズム「ブラジル」に始まり、そしてなんと「八木節」それに「黒いオルフェ」でした。レパートリーの広さに感心しました。
「ともしび」「黒い瞳」とロシア民謡が朗々と歌われました。

 さていよいよラストナンバーは「千の風になって」でした。
私たちの音楽鑑賞会では過去に「新垣 勉」さん、「中島 啓江」さんによる「千の風になって」を聴いていました。
個人的には作詞・作曲のご本人「新井 満」さんの「千の風になって」をやはりここ県民会館で聴いていました。
 それぞれの方々の、この歌に寄せる「思い」が十分に伝わってきました。
今宵の「秋川さん」の「千の風になって」は、まず詩の朗読から入りました。
もうそれだけでみなさん感激の固まりとなったようでした。
そして、あの歌の心をしっかりと歌い上げた歌唱は期待以上でした。
いうことなし。

 鳴りやまない拍手、何度かのカーテンコールに「翼をください」で応えていただきました。満足!満足!

 わたしはこっそり「秋川さん」のCD「威風堂々」「千の風になって」の2枚を買ったのでした。

梅一輪

2007年02月20日 | 日々これ好日
 「梅が咲いたわよ!」と言う女房の声に、おっとり刀でカメラを手に外に飛び出した。

 「梅一輪」、我が家の「紅梅」である。ついに咲いたか!
昨年は、僕のへたくそな剪定で、ついに花をつけなかったのであった。
その分、今年はたくさん花をつけてくれそうである。
それにしても随分はやい咲き始めである。うれしい。 
       

 とんでもなくよいお天気である。
ほんとによいことずくめの一日であった。

 我が家の前の電柱の「光ケーブル」を見上げては思案していた。
でも、ついに決断していた。今日がその工事日であった。
バケット車と二人の方、それに道路交通整理の方の3人が来た。

 十分な下見のあと、ケーブルの配線であるが、30分もかからずに終了。
「回線終端装置」と「ルーター(光電話対応)」は合体された製品が提供された。
すぐに光電話が番号変更なしで開通、回線速度も70Mbpsくらい出ているとか。
       
 このあとルーターの設定に別な方が来て、10分ほどで終わる。
このルーター設定くらいは自分でも十分できたのだが、ここまでがサービスなのだそうである。
 有線LANで途中ハブなども入っているので20Mbpsくらいであった。

 午後から、無線LAN構築のための機材(アクセスポイントのルーター(ブリッジに切り替え可))などを買ってきた。ゆっくりと設定を楽しもうと思う。

 夕方、梅の木の様子を見に行った。
なんと、3輪いや4輪くらいの花が開いていた。
そうか、こう暖かいのだから春だ!と決断したのでしょう。
             

 今日、ちょっと遅れて配達された「一太郎2007」が届いた。
何しろ日本人だからやはり「一太郎」に限ります。特に「ATOK」を越えるものはないでしょう。
どんな具合にバージョンアップしたのでしょうか。たのしみです。

 それに、本屋さんが「CQ 誌」を配達してくれました。
春とともに「無線」も楽しくなりそうです。
先週末の「ARRL CW」では、7MHzや3.5MHzで結構多くの米国局とQSOできました。
いつもの事ながら、彼らの耳の良さ、まさに地獄耳でしょうか。
いつも助けられています。

桐BOXスピーカ

2007年02月18日 | お出かけ
 昨日のことです。とてもよいお天気となりました。

 以前、新聞「新潟日報」紙上で「桐材でつくったスピーカBOX」のことが、紹介されていました。すごく興味がありました。

 いつも在宅中はクラシック音楽のCDを聴いている家内の姉夫婦と妹さんの五人で、加茂市の桐材クラフトの「イシモク」のショールームに出かけました。

 店内には家具をはじめ身の回りの品々が展示されていた。
びっくりするくらい多品種開発されていて、それらがすべて桐材による製品でした。
手で触れてみると、その肌触りの良さ、温もりなどがとてもすばらしいものでした。
          

 さて、ショールームの一角に「桐BOXスピーカ」が置いてありました。
構造的には「桐の筒」の下部に穴があけられ、筒の最上部に上向きにスピーカが取り付けられていた。
           
            
 お店の方が、地上デジタルTVの音をソースにして、デスプレー内蔵のスピーカの音と「桐BOXスピーカ」の音と切り替えて聴かせてくれた。
それはもう当然「桐BOXスピーカ」の音が好いに決まっています。
ステレオ感が際だちました。

 このような桐材の活用という斬新さはすばらしいことだと思いました。
どこかで「土管」を利用したスピーカもあるという話を承知していました。
ただこのような単純構造の筒は、一種の「閉管」でしかないので、どうしても特定の音域を強調してしまいます。
この「桐材BOXスピーカ」も、ソフトではあるけどちょっと癖のある再生音であったように思いました。
               
 さて、別のコーナに試作段階のより大きな「桐材BOXスピーカ」が置いてあり、まだスピーカは内蔵されていませんでした。
たぶん、試聴を繰り返し仕上げられている段階なのでしょう。
             
 そのコーナには真空管アンプが3台ほどと小型スピーカシステムが2セットあり、CDによるジャズが静かに流れていました。とてもよい音で鳴っていました。
ただし、これは残念ながら「桐材BOXスピーカ」ではありませんでした。

 とはいえ、私は特にこの「県央地域:加茂市、三条市、燕市」などの職人気質に、いつもいつも脱帽させられているのです。「物作り」の伝統が脈々と引き継がれていることに誇りさえ感じています。
 今回の「桐材の活用」「刃物やアウトドアー用品」「ハウスウェアの開発」など、世界のブランド商品となっているようです。

 この「桐材BOXスピーカ」のさらなる改良に期待しながらの家路となりました。

至福のとき(2)

2007年02月16日 | 日々これ好日
 前回からの続きなのです。

 今週火曜日、市内に住む孫の「YKちゃん」が風邪でダウン。
ママが午前中、年休で看護にあたっていた。
もちろん、幼稚園はおやすみしました。

 そこで僕らに「SOS」が来ました。
久しぶりの出動です。お昼頃「よしきた!」と飛んでいきました。
さいわい、夜中に39度近かった熱も38度くらいになっていました。
ママも少しは安心して、午後からの出勤でした。

 おみやげに持参した大きな「イチゴ」を2個、ママのつくってくれていた栄養満点の「お雑炊」をおかわりしてくれました。
お水もたくさん飲んでくれました。

 お布団にもどり「うとうと」を繰り返していましたが、夕方には平熱となりました。
そして、お布団の中で「ちびまるこちゃん」のマンガを読んで笑うほどに回復してきました。

 やがて暗くなってから、ママとお兄ちゃんのSくんが帰ってきました。
元気になったYKちゃんをみて、大喜びでした。

 自宅に戻っていた私たちに電話がありました。
やはり少し熱も出てきたようで、明日もお願いできますか、と言うことでした。


 さあ、翌日(水)はかなり元気なYKちゃんと一日過ごすことができました。
マンガ本を読んだり、家内と一緒にピアノを弾いたり、時には私の膝の中にちょこんと収まってみたりと、彼女にとっても私たちにとってもとても素敵な一日となったようでした。

 私たちの帰り際に、何やら小さな折り紙のようなものが「YKちゃん」から手渡されました。
家に帰って、そっと広げてみると、それは小さな小さな「お手紙」でした。
「きょうは おじいちゃんとおばあちゃん ありがとう 「YK」はつぎもきてほしいです」とありました。

 しみじみとしたものが、こみ上げてきました。

 もちろん、彼女は元気いっぱい、今日も幼稚園で遊んでいることでしょう。
 

 ところで、実は今日は16日(金)です。
荒れ放題に荒れたお天気も、今日はお日様も顔を出してきました。
午後から、今月初めての「護摩堂山」に登ってきました。
さすがに風も冷たかった。
         

 今頃は、雪に覆われて幽玄な雰囲気になるはずの場所なのですが、
私の大好きなポイントでもあるのです。でもご覧の通りでした。

 いつものように、下山すると「H小柳」での温泉三昧をしてきました。
久しぶりの温泉で、心身とも暖まりました。
 

至福のとき(1)

2007年02月15日 | 日々これ好日
 なかなか書き込めませんでしたが、すばらしい週末と週のはじめでした。

 先週末の連休に、埼玉から孫のYくんが来てくれました。
その父親は超忙しくて、ここ新津に仕事持参できました。
コンピュータで仕事ができるので、なんとか対応できるようなのです。
従って、この連休は私たちが専らYくんと過ごすこととなりました。

 Yくんは、この3月が誕生日です。
すでに父親とは誕生日プレゼントにラジコンの「ミニッツカー」が約束されていました。小さいが高性能なラジコンカーです。

 新潟市近江にあるラジコンサーキット・ショップ「ホビーロード」で、すでにもっている「おもちゃのラジコンカー」を持ち込んで、その専用コースで遊んでいました。なかなかの腕前です。

 ところが、すぐ脇には大人用の「コース」があって、何台もの大きなラジコンカーが、ものすごいスピードと迫力で激走していました。
コントロールしているのは、立派な大人達ですが、中に小学生らしきお兄ちゃんがひとりまじっていました。

 Yくんの目つきが変わりました。
私の携帯を借りて父親に電話。誕生日のプレゼントを「1/10RCカー」に変更してもらいました。予算的には、そう大きな変更ではないのでOKが出たようです。

 孫親と言うものは実に単純です。
この次にYくんの来るのは、3月となっていることでしょう。
彼が目をつけたラジコンカーは、ここ「ホビーロード」にあるわけです。
もう待てない孫親は、前倒しでそのラジコンカーを買ったのです。

 勇んで新津に帰った孫とこの爺は、さっそくそのラジコンカーの組み立てに取りかかりました。
しかし、誤算がありました。そのラジコンカーは「キット」の状態で販売されていました。その組み立ては、とても細かくしかもを実車さながらに本格的なパーツを組み立て取り付けるという難しい作業が連続していました。

 どうも目の方が頼りにならない爺と結構器用なYくんのコンビで組み立てが進みました。しかし、すでにYくんの埼玉に帰らなければならない時間となりました。
ラジコンカーの組み立ては、ほんの一部ができただけでした。

 彼は組み立てるために、毎週土曜日に来たいと言っていました。
一人で新津まできたのは一度だけの体験でした。
さあ、どうなることでしょうか。
さいわい、今週末は埼玉に「パジェロの増岡さん」がくるので、会いに行くのだそうです。昨年は「増岡さん」に握手してもらっているようです。
だから、新津には来れないと電話がありました。

 なにしろ車のことでしたら、誰よりもいろんな事を知っているYくんなのです。
 

春の東京(その3)

2007年02月09日 | 旅行など
 さて、今日(2/6)で東京散歩も終わりである。
いささか疲れが出てきたかな、と言うところである。

 ゆっくりと朝食をすませ、チェックアウト10時まで休息。
今日は妹さんご夫婦もいないことであるし、二人だけで行動しなければならない。
大丈夫であろうか。何はともあれ、メモをみると「表参道、東京駅丸ビル」が残っている。

 青山から明治神宮への表参道は、私の好きな散策の道である。

 ホテルから、どんなにゆっくり歩いても数分である。
この辺のお店などの開店時間は11時からである。
歩道に沿って設けてある「2本パイプのベンチ」に腰掛けて、通り過ぎる人などを観察して時間を過ごした。けっこうおもしろいものである。
             
 いつ来ても何かが変わっている。
新潟県の特産品の紹介・販売や様々な情報の発信基地として「表参道新潟県ネスパス」がある。
           
 そして、新しく「表参道ヒルズ」ができていた。
        
 その内部は、地下三階、地上三階であるが、緩やかなスロープがスパイラルになっていて楽しく散策できる。
 いつも思うのだが、ほとんどが女性対象の洋品やブテックばかりで、男性相手のお店は数えるほどしかないのである。
   
 とある喫茶店のウィンドーをのぞき込んでみた。
どうみても「シャーベット」でしかないようだが、お値段は2,500となっていた。
店内を見ると女性客ばかりであった。そうか、やはり女性はお金持ちなんだ!
男性など相手にしても商売にならないのだと言うことが、わかったように思う。
そう言えば、ぼくも貧乏だもんなあ!
           


 「原宿」駅前の喫茶店で「トースト&コーヒー」の貧しいお昼のあと、私たちは山手線で「東京駅」に向かいました。

 東京駅周辺は高層ビルが次々と建てられて、それらのビル群のなかに東京駅が埋没しそうです。
近々、東京駅は改修が始まるそうです。この写真に見られるような重厚な佇まいの雰囲気は大切に残してほしいものです。
         

 その東京駅の真ん前に「丸ビル」が古い面影を残すスカートをはいたような姿で建っていました。
ショッピングゾーンやレストランゾーンなどと多目的なビルに生まれ変わっていました。

 ここでも、女性相手のショップがほとんどでした。
最上階の、とあるレストランの看板メニューに「ランチ50,000円」とありました。ここは私にとっては異次元の世界です。恐ろしくなって、大急ぎで下の階に降りました。
「書店」を見つけて入って、何冊かの本を手に取ってみて、ようやく落ち着きました。   
      
 写真に見える「舟形」のビルは「東京国際フォーラム」です。
いつか来てみたいところでもあります。
           

 じつは、コンサートとかミュージカルそれに演劇・芝居などを観たい、そんなことが「東京」だったのです。日にちを確保してそれから、中身を詰めようとしたのですが、いずれも満席でチケットの確保ができませんでした。

 結果的に、このような「東京」もそれなりにとても楽しいものとなりました。
さいわい、BLOGにまとめながら、すでに「次はどこにしようか」などと思い始めています。

 もしこれらの駄文をお読みいただけたとしたら、とてもありがたいことです。
            深く感謝申し上げます。ありがとうございました。 

春の東京(その2)

2007年02月08日 | 旅行など
 ゆったりと朝の「ヴァイキング」、コーヒーもおかわり、これがたまらない。

 「ホテルフロラシオン青山」を4人そろってハイヤーで出発。
乃木坂を通って「六本木ヒルズ」へ。
         
 見上げるとひっくり返りそうになる。なんとも巨大なビルである。
これが、かの有名な「六本木ヒルズ森タワー」である。
何はともあれ52階の「展望台・東京シティビュー」まで、超高速エレベーターであっという間に到着。          
 
        
 春霞にけぶる都内が一望できる。こちらより高いはずの東京タワーがすぐそこに見えたが、なんともかわいらしく見えてしまう。
都内の高層ビルは、いずれも「240m前後」のようである。
 すぐ眼下に、オープンしたばかりの「国立新美術館」が見えた。ガラス曲面のウェーブが美しい。
 遠く新宿の高層ビル群が望まれる。その中に「都庁」や「新宿センタービル」などが確認できた。
 それでも青山霊園、代々木公園・明治神宮、皇居などの「緑」がほっとした気分にしてくれる。
             
 展望台の上の53階には「森美術館」がある。
「日本の美術が笑う展」と言うことで、土偶・埴輪から始まり近世の絵画やモダンアートの中から「笑い」に関わる作品を集めて展示していた。
日本人の素朴な「笑み」から皮肉を込めた「笑い」まで、なかなかの切り口だと思いました。



 地上に戻り、ハイヤーで「築地市場」へと移動した。
磯の香りと活気が市場には充満していた。
細い路地には数多くの鮮魚店と「お寿司屋」が軒を並べていた。
その一軒に飛び込んで、ようやく「江戸前のお寿司」と思わしきものにありついた。そんなに奮発したわけではないのだが確かにおいしかった。
これでまた元気回復。



 地下鉄・大江戸線で「新宿都庁前」まで乗った。
お腹もふくれて、瞼が上下仲良しになったのだが、ほどなく「都庁前」到着。

 地上に出て、これまたびっくり仰天!
摩天楼のまっただ中であった。
通りかかった守衛さんに案内されて、都庁に入る。
   
 簡単な手荷物検査を受けて、エレベータで最上階へ。
無料で開放されていて、外国人の見学が非常に多いのだそうです。
(アメリカではとにかく至る所で手荷物検査が行われたことを思い出した。)

 とても明るく、広々した展望台である。
なんと午前中におじゃました「六本木ヒルズビル」がよく見えるではないか。
         
 下の写真の右手のビルが「東京オペラシティ」である。
ここでの催し物をインターネットで検索・予約したかったが、すべて満席で無念な思いであったのである。それが眼下に見えたので、あらためて残念さがこみ上げた。
            
 「都庁」の見学で、いただいた新聞やパンフレットなどから、首都「東京」の「変わろう!」という意気込みや「活気」を強く感じた。

 なお、都庁裏手、新宿駅寄りに「京王プラザホテル」があった。
このホテルは、このようにビルが林立する以前からあって、当時はその高さがひときわのものであった。私たち夫婦はずっと以前、このホテルに宿泊したことがあったのである。懐かしかった。


 さて、私たち二組の夫婦は、動く歩道などを利用しながら新宿西口から東口へと出て、「歌舞伎町」界隈へと歩いた。
「新宿コマ劇場」にたどり着いたが、時間的にも「出し物」からいっても、いまいちなので遠慮した。
               
 コマ劇場周辺は、まるでニューヨーク五番街的な雰囲気である。
たぶん、この辺は夜になると一層の輝きを増す歓楽街となるのであろう。


 さて、新宿駅に戻りいよいよ「妹さん夫妻」とは、ここでお別れである。
明日からの仕事の都合上、どうしても帰らなければなりません。
まだ現役ばりばりの若い夫婦です。
よくぞここまで「おつき合い」いただき、数々のスポットへ案内いただきました。
感謝・感謝です。いつかまたご一緒しましょうね。

 私たち二人は、青山のホテルに引き上げました。
今宵はホテルまで長男が駆けつけてくれることになっていました。
久しぶりの再会でしたが、彼にはちょっとした「うれしいこと」がありました。
そのことをぜひお祝いしてあげたかったのです。

 やがて、仕事を終えた長男が「お茶の水」からホテルに到着。
ホテルのレストランでの「祝賀会」としました。
親子でしみじみ味わう今宵のワインは格別でした。


春の東京(その1)

2007年02月07日 | 旅行など
 雪も降らないし、どこか行きたいね。
こんな事から、家内と私の予定表を調べてみると、4日(日)から6日(火)までが、奇跡的に空白であることが判明。

 ほんとは「熊野古道」なんだけど、「東京下町風情」を!ということにした。
さいわい、私たちの話に家内の妹さん夫妻が乗ってくれた。
 
 立春の日(4日)、朝二組の夫婦が新潟駅に集合。
まるで遠足の日の子供同様です。あっという間の東京。ちょっとはやすぎますね。


 ここは、葛飾柴又。おなじみ「寅さん」にお出迎えしていただきました。
参道に沿って「寅さんシリーズ」に必ず登場するようなお店が並んでいました。
「とん とん」と小気味よい音の「飴やさん」、老舗の「草だんごやさん」などが軒を連ねていました。
 帝釈天にお参りをしてから、草だんごをいただきました。
おいしかったけど「越後の笹だんご」はさらにおいしいように思われました。

           
             
               


 午後からは、ちょっと移動、はやくも浅草でした。
雷門到着、これはえらいことです。とんでもない人出!
それでも、
我らシニアパワーはすごいです。「バリッ、バリッ」と焼きたての厚手「醤油せんべい」を噛み砕きながら、仲見世の通りを前進前進!

    
         
 浅草寺さまにお参りをして、これからお楽しみ浅草界隈の散策です。

 路上にちょっとはみ出した喫茶店で「カフィー」を飲みました。
「モカ系」でしょうか、酸味の強いコーヒーが疲れをとってくれました。

 この辺は何度か訪れている妹さん夫妻のお勧めもあり、浅草演芸ホール隣の「東洋館」で「お笑いのひととき」を楽しみました。
85歳という「内海桂子」さんの「かくしゃくたる芸」に感服。
若手、年輩の方々の漫才に腹から「笑って」気分爽快でした。

 やがて、ここ浅草も「たそがれどき」となってきました。
急ぎ足の芸人風や水商売とわかる人たちも、けっこう行き交いました。さすが浅草です。
ここは、日本のブロードウェイなのでしょうか。
そう言えば五番街のような雰囲気のところもありました。

 相変わらず「新仲見世」などの通りは、多くの人が散策を楽しんでいるようです。

             
 私たちを誘うかのように、お店の前を寒風よけのビニールで覆った「飲み屋」が現れました。
 その内の一軒に入り込みました。
ちょっと一杯の晩酌のつもりが、暖かい「もつ煮込み」やストーブの温もりに、しっかりと腰を落ち着けてしましました。
私にとっては、ほんとに久しぶりの「赤ちょうちん」でした。
こんなのって、いいものですよね。大勢の人が「ワイワイガヤガヤ」と飲んでいます。例により私の「梅干し酎ハイ」は心地よく、全身を駆けめぐってくれました。
この温もりが、何とも言えないですね。
 浅草って、すごく大衆的で気兼ねすることもいらない、素敵なところでした。
 

「おしゃべり音楽館」

2007年02月02日 | 音楽など
 昨晩(2月1日)のことでした。

 このところ、ちょっと柄にもなく、音楽のことなどを書いたりして気恥ずかしいのですが、やはり素敵な体験は書きたくなるのですよね。
 
 ずっと前にチケットを買っていました。
「宝くじ ウィンター・コンサート 新潟市政令指定都市移行記念」
「三枝成彰・羽田健太郎のおしゃべり音楽館」という、
なが~い名前のコンサートでした。
「りゅーとぴあ(市民芸術文化会館)」が会場でした。

 三枝さんの司会でコンサートが進みました。
羽田健太郎さんとお二人の掛け合いトークは互いの「ウンチク」と軽妙な「しゃれ」がとどまるところをしりません。
これだけでも十分堪能できるものでした。

 演奏は「Tokyo New City Orchestra」、指揮は羽田健太郎さん。
まずは
*ルロイ・アンダーソンの「舞踏会の美女」が軽快にはじまりました。
次に、「塩田美奈子」さんをゲストに
*マイフェアーレディーより「踊り明かそう」
*オペラ座の怪人より「Think of me」
*キャッツから「メモリー」
と塩田さんの歌声がホールに響きわたりました。
 じつは、彼女は私ども「音楽鑑賞会」の招きで、平成8年「県民会館」に「錦織 健」さんとともにおいでになっていました。
しかし、今回は一段と美しい容姿とその「クリスタルボイス」に成熟さがあふれ、聴く人をすっかり魅了してしまいました。
特に「踊り明かそう」は、日本版ながら私もそのミュージカルを見たことがあるので、いっそうしびれました。

 その後
*サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」
*「サウンド・オブ・ミュージック」メドレー
*愛情物語より「To love again」
*ビートルズ・メドレー
と続きました。なつかしい名曲の名演奏と歌唱がたまりませんでした。

*アメージング・グレース
この曲は、様々な方が様々なスタイルで熱唱しています。
みんなすばらしいものでした。
でも今宵の「塩田美奈子」さんの、あまりにも美しい清らかな歌声は、今までにない「アメージング・グレース」でした。

 最後になってきました。
羽田健太郎さんは、もう500回から600回くらいは弾いたでしょう、とおっしゃった曲、まさに羽田さんのためのエンディングは
*ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」でした。
 指揮をしながらピアノを弾いて、まるで神懸かりとしか言いようのない演奏でした。オーケストラも指揮に応えてその演奏も高揚してきました。
その演奏と音に圧倒されて、演奏終了後も「ブラボー!」の声も出せないくらいの感動となってしまいました。

 そして、アンコールの最後は羽田さんによるピアノソロ「星に願いを」で静かに終わったのでした。

 やはり生演奏は最高ですね。余韻に浸りながらの帰宅でした。



 

ピアニスト小杉 真二さん

2007年02月01日 | 音楽など
 もう2月なのですよね。
 
 律儀にも「ついたち」とうことで雪がプレゼントのように少し降ったのです。
「山茶花」には雪が似合う、などと以前書いたように思い、外に飛び出しました。
           
        わずかな積雪です。ほどなく消えてしまいそうです。
             

 ちょっと前置きが、長くなりそうで恐縮なのですが。
今、すてきなCD「~paino~小杉 真二」を聴いています。

 私たち夫婦二人は、先月下旬「新潟音楽鑑賞会」の「秋川 雅史2/21から」さんの運営サークルということで、2度ほど事務局で作業をしました。

 次年度の「我がサークル案」ということで、私はヴァイオリンの「井川 郁子、天満 敦子」などの提案をしました。
 それから秋川 雅史コンサートのコンサートホールの座席ラベルなどの製作作業などをしました。
その他にコンサート当日の役割なども決めました。
みんなでつくる「コンサート」というのが好いですね。

 前置きが長くなりました。
音楽鑑賞会の事務室に「小杉 真二さんのCD」が置いてありました。
数日前、雑誌「CARREL2月号」で「小杉 真二 ファンクラブ」の製作になるCDが紹介されていました。

 これは絶対に手に入れようと思っていました。ファンクラブの方に何度か電話も入れたのですが、いずれも留守でコンタクトがとれませんでした。
そのCDが目の前にありました。もちろんすぐに買いました。

 実は、我が母校「三条高校の新築移転の記念祝賀会」のときに、小杉 真二さんの母校でもある三条高校で演奏会があったのです。
それ以来、いつかまた聴きたいものだと思い続けてきていました。

 彼は旧白根市から三条高校に通学していました。国立音大から大阪芸大へ。卒業後、いくつもの国際コンクールなどで、グランプリに輝いたり入賞されたりして活躍されているようです。国内外の著名な方々に師事されてきました。
若くて、かっこよくて端正な姿、たまらない人柄でもあります。
その繊細な音楽表現に、わたしはすっかり、めろめろ状態となってしまいました。

 そのCDには
*Lullyの「アルマンド、やさしいうた、クラント、サラバンド、ジーグ」
 はじめて聴く曲でしたが、この演奏で彼のピアニストとしての音楽性が体感できたように思いました。
*Beethovenの「ピアノ・ソナタ(月光)」
*Chopinの「ノクターン嬰ハ短調、アンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ」
*Lisztの「愛の夢、ラ・カンパネラ」
*Rakhmaninovの「ヴォカリーズ嬰ハ短調」
など、
聴く人たちに「落ち着きや癒し、胸のざわめきや高鳴り」などさまざまな世界に誘ってくれます。
 すばらしいCDに出会いたことを、ほんとにうれしく思っています。