柄目木庵

良寛さまに思いをよせながら。

二本松菊人形

2005年10月29日 | お出かけ
 以前から、一度「菊人形」なるものを見てみたかった。

 私ども夫婦は、家内の姉妹のご夫婦などと時々小さな旅を楽しんでいる。
今回も声がかかった。早朝に2台の車に分乗して8人で福島県は「二本松市」を目指して磐越道から東北自動車道へ、二本松ICで降りて会場の「霞ヶ城公園」へ。

 見事と言うほかない「松の巨木と箕輪門の石垣」に迎えられた。
丹精こめた色とりどりの大輪の菊花の数々、懸崖作りなど、菊名人たちの心意気が伝わってくる。

 菊人形は幾つものステージが設けられており、今年はNHK大河ドラマ「義経」がテーマであった。ストーリーの順を追って菊人形でディスプレーされていて、いずれも豪華絢爛である。写真は「静御前の舞」の場面である。

 城跡公園の一角に「洗心亭(茶亭)」があり、かつて藩侯がこよなく愛された茶室だったとか。私どもは神妙な面持ちで「茶菓子と一服の茶」で豊かなひと時をもつことができた。掛け軸「清風万里秋」の心境のとおりであった。

 帰路は、わざわざ福島飯坂まで行き、そこから「フルーツライン」を通り、「土湯峠」に抜けた。車の動きも心配になるくらいの「りんご」をどっさり買い込んだ。土湯トンネルの前後は申し分ない紅葉ベストの状態であった。

 お互いに気心の知れたもの同士の遠慮のない会話や景色を楽しんでのドライブは少しも疲れを知らない。
さらに到着後は、とうとう義兄の処に全員寄せていただき、早々と「ハンバキ抜き」ということで、大変ご馳走になってしまったのである。

どんぐりも豊作!

2005年10月26日 | お出かけ
 とてもよいお天気でした。お天気に誘われて「護摩堂山」に登りました。

 頂上で昼飯。柵に掛けていた私のウィンドヤッケに赤とんぼが休んでくれました。
見回すと「サンシュユやナナカマドの実」が赤く色づいて見事です。いずれ葉も色づいてくれることでしょう。
どんぐりも道端にころころ。とても豊作のようです。リスたちも大喜びでしょう。

 帰りには、いつものように麓の某ホテルで温泉三昧。
温泉に浸かり、一杯のコーヒーを飲んで、新聞を読んで、これで¥800です。

眠れる森の美女

2005年10月26日 | 音楽など
 「ロシア・ナショナル・バレエ」によるバレエ「眠れる森の美女」を鑑賞した。

 会場は新潟県民会館。
ステージは中世の王宮、小さな王女オーロラ姫の洗礼式が行われて、お祝いムードの中、悪の妖精が、オーロラ姫に呪いをかける。

 16歳になったオーロラ姫の誕生パーティー。プリマ(ナジェージダ・イヴァノワ)の演ずるオーロラ姫の優雅な上にも優雅な姿に、ただうっとりと見とれてしまった。
 その誕生日に、老婆に化けた悪の妖精からの花束に隠された「針」に刺されて、オーロラ姫は深い眠りについてしまった。リラの精により城ごと100年の眠りに入った。
 100年後に、リラの精に導かれた王子の口付けにより眠りから覚めた姫は、やがて王子と結ばれる。

 物語そのものは、きわめてポピュラーなものである。
しかし、チャイコフスキーの作曲による音楽と「ボリショイ・バレエ」出身の「V.モイセーエフ」の振り付けとそれを実現してくれる団員や多くのソリストたち。
ロシアにはうらやましいほどの文化と伝統があると思った。

 いつも思うことではあるが、厳しいなんてもんじゃあない試練や練習を乗り越えた人たちの「芸や技術」に、いつもいつも感動してしまう。

紅葉をもとめて

2005年10月23日 | 旅行など
 20日木曜日の晩、明日はお天気がよさそうだ、と天気予報。

 紅葉が見たいね、と言うことになった。さてどこあたりがいいかな、できれば「ユースホステルYH」が利用できる所がいいのでは、ということになった。

 すぐにプランができた。
 磐越道を走り紅葉が見ごろならすぐに49号線に降りよう。でなければ、磐梯河東から「ゴールドライン」を超えて裏磐梯へ。そして「レイクライン」を通り「吾妻スカイライン」で浄土平を目指そう。その先、福島市郊外の「ユースゲストハウス・ATOMA」に宿を予約。

 21日金曜日は、予定通り快晴。朝7時半には磐越道を走っていた。
阿賀町や西会津の山なみは、まだまだぜんぜん色づいていない。
会津坂下の「みやま茶屋」の「あんこもち」をぜひ食べたかったが、何しろまだお腹も減っていない。

 結局、磐梯河東ICで49号線に下りた。
裏磐梯へのゴールドライン、その入り口に福島を代表する酒蔵元があり「栄川」一本をお土産に用に買った。
 ぐんぐん登り、所々の見晴らし用のパーキングからは猪苗代湖と周辺の山が展望できる。さすがに磐梯山の上の方は紅葉真っ盛りのようである。
 峠の「八方台」では、見事な紅葉である。ここは磐梯山や猫魔岳への登山道が始まる。私もかつてここから磐梯山に登ったことがあった。
できればもう一度頂上に立ってみたいものである。

 裏磐梯はたくさんの人たちで賑わっていた。
ここでは、磐梯山は噴火と火山活動のすさまじい形相を見せてくれている。
私たちも、「五色沼」散策をした。時間の許すところまで行って引き返した。
いくつかの湖沼の中でも「青沼」の美しさと色は格別である。

 レイクラインを走ったが、残念ながらまだ紅葉は始まっていなかった。
いよいよ、「吾妻スカイライン」に車が入った。ぐんぐん標高をあげていく。あっという間に紅葉帯を過ぎて、葉を落とした樹木帯となった。
 このあたりからしきりにガスが沸いてくるようになって、視界が利かなくなることしばしばと言う状態となった。

 「浄土平」に到着するも、あたりは霧で真っ白。それでも1707mの「吾妻小富士」の火口壁目指して登る。火口では一瞬の晴れ間で、火口の中や向こう側の「一切経山」が見れた。
 そして、なんと私の後ろから日が指して来て、私の影が火口の中の霧に投影されているではないか。頭を中心に日輪のように「虹の輪」も見えた。
なんとも不思議な体験であった。「ブロッケン現象」とか言うものであろうか。
まるで私が「仏様」か「神様」になったかのようである。貴重な映像をデジカメに納めたが、かすかに写ってはいた。しかし、虹の輪までは写ってはいなかった。

 いよいよ今晩の宿を目指して、スカイラインを福島に向けて出発。しかしすぐに「火山性ガスに注意」などという看板と共にかなり強いガスの匂いが車内にも入り込んできた。霧の中、視界も悪く慎重にエンジンブレーキで下る。

 やがて「高湯温泉」を通過して、目指す「ユースゲストハウス・ATOMA」に到着。柴犬「大吉」に迎えられて、チェックイン。

 実は「ユースホステル会員」としては、前回黒部のOMさん夫妻と共に泊まった「山形東根のベアフットYH」で会員にしていただいたのであり、今回が私たち夫婦としては始めての利用となっている。
 ちょっと不安な気持ちもあったが、ペアレントのやさしいおもてなしに、すっかりリラックスして過ごせた。
他のお客も少なかったので、お風呂には朝晩3回も入ったりできた。地酒を3種類利き酒をしたり、手作りのジャムや数々のご馳走に大満足。
お部屋もツインのベッドでぐっすりでした。

 翌朝22日は、すでに小雨模様。やはり昨日の内に走り回ったのは正解のようでした。「大吉」とペアレントに見送られて「ATOMA」を後にしました。

 ATOMAというのは、アイヌのことばなのだそうです。意味はよくわからないが、語呂のよさで使わせていただいています、とのこと。ペアレントはスキーのインストラクターであり、大の天文フアンで自作反射望遠鏡(移動用としては県下2番目の大きさ)でお撮りになった天体写真の数々がすばらしかったです。

 なお、このページの写真は「磐梯ゴールドライン八方台」の紅葉です。

JA0RLの移動運用

2005年10月19日 | アマチュア無線
 「受信環境クリーン月間」ということで、JARL新潟県支部でも「JA0RL」の県内移動が計画されたようである。

 監査長さんからの依頼で「JA0RL/0運用」の機会に恵まれた。
18日は主として「阿賀野市移動」、18日の夜と19日(午前中)は自宅のアンテナ利用であった。一日半のお楽しみでした。
 幸い、多くのOMさんたちの協力で、それなりの運用ができた。

 18日は、以前にこのBLOGで紹介した、SG230を中心にした新しい移動用システムを活用してみる絶好のチャンスとなった。
 指定のトランシーバはKENWOODのTS850(50W)でした。
私はTS950sdxを持っていて、使いなれているのでTS850も使え勝手がよかった。CWの復調音は私の好みに合っている。

 移動運用は阿賀野市は阿賀野川の堤防にある「防災ヘリポート」の一角を利用させていただいた。
写真に見られるようにアンテナを建てて運用に入った。
せっかくのオールバンド運用が可能なのに、残念ながらハイバンドは全くNGであった。7と10MHzでそこそこ呼んで頂いた。

 午後からは、急激に気温が下がり日もささなくなってきた。
ウィンドヤッケ程度では、寒さでガタガタしてきてパドルさばきもうまくない。
ほんとは、夕方までねばり3.5や1.9MHzの運用もぜひしてみたかったが、風邪をひきそうで、やむなく撤退とした。

 今日の午前中も自宅から運用してみた。昨日同様でハイバンドはだめであった。
しかし、18MHzでカリフォルニアの「W8KA」フランクさんに呼ばれて、とてもうれしかった。TS850(50W)にアンテナはコメットのオールバンド対応CHA250Bであった。559のシグナルレポートであった。

 かくして、楽しかった「JA0RL」の(私の担当した)運用を終わった。
 高周波アースの銅版を更に面積を大きくした。またいつか、出かけたい。

ゲルマラジオづくり

2005年10月16日 | アマチュア無線
 今日は、私の所属する「JARL新津クラブ」がホストクラブとなって研修会を行った。
場所は、新津支所市民会館の一室である。10時にはほぼ全員が集合。

 テーマは「ゲルマラジオの製作」ということで、小学生男女6人と付き添いのお父さん、お母さんが3人。それに大人男女2名の参加となった。
 あらかじめ用意されていた「ゲルマラジオ・キット」の8セットで講習会が始まった。

 講師は我がクラブのベテラン「Tさん」である。
いつもは高校生を相手の方であるが、今日ばかりは勝手が違ったようで、説明の図や言葉遣いも、いかにしてわかっていただけるかと、苦心の様子が伺えた。
 私たちクラブ員がほぼマンツーマンでアシスタントとして「今日の生徒さんたち」の指導・お手伝いにあたった。

 簡単なラジオの原理や製作手順などの説明も終わり、いよいよトロイダルコアにコイルを80回ほど巻きつける作業からはじまった。綿巻き銅線を巻きつけていくのだが、これが意外と難しかったようである。
結局、コイルを固定して、ポリバリコンなどのパーツをつけ終わると、お昼休みの時間となった。

 午後からは、いよいよ「半田付け」作業となった。
銅線の端に半田メッキをする作業で半田付けの練習をした。しかし、パーツ間を銅線で結んだりする作業では、半田ごてを持つ手もおぼつかなくてなかなかできないようである。この辺になると、我々アシスタントの出番ともなってしまった。

 あらかじめ、屋外から引き込んだ「エナメル線15mほどのアンテナ」を準備しておいた。次々と完成した「ゲルマラジオ」を持ってきては、アンテナ線につないでみている。ダイヤルを回す緊張した顔がほころびて歓声が上がる。

 しかし、どうしても聞こえてこない作品も出てきた。「T先生」がチェックをしてくださって全員のラジオがなんとか完成した。
でも、「一局しかきこえないよ。音が小さいね。」などと不満も出てきた。

 最後に、皆さんには、アンテナ用の「エナメル線」をおみやげに、また夜にもぜひ聞いてみることをを勧めたりして、今日の講習会は無事終了しました。

 私たちは、いつものミーティングとはずいぶん勝手が違って、いつになくくたびれました。でも、完成した喜びに「さっとほころびた笑顔」で報われた気がしました。そして私たち自身が、うんと若い頃に体験したことを「宝石のように大事に育ててきているラジオ少年」でもあるわけです。
彼らにも、そんなことを「そっと」期待したいのですが、どうなのでしょうか。

小さな夢かなう

2005年10月12日 | アマチュア無線
 ようやく全市全郡コンテストのログも「E-mail」での提出を終えた。

 何のことはない「ポストコンテストモード」を利用して「zLog」に入力したのである。局数も少ないのでたいした苦労もない。しかし、リアルタイム入力は今でも夢ではある。

 私は、歳のせいで「FT817」の液晶画面がよく見えないのにはほとほと難儀をしていた。それと、生来の新し物好きの心が動き出して、新発売される「IC7000」を手に入れようと考えた。

 まず、手持ちの「FT817,IC706mk2」と「同軸型、ワイヤー型」のアンテナチューナーを、それぞれ使いこなしていただけそうな方々に引き取っていただいた。
それらの機器の、これからも大切に利用いただけることを念じている。

 ところがである。資金が集まってみれば、「IC7000」を手に入れるには、かなりの不足であることがわかった。こんなことが事前に計算できないところが、いかにも私らしいのであろう。

 そこで、はたと思いついたのが「移動運用で1.9MHzに出てみたい」という小さな夢のことであった。
実は、固定機としてシャックに鎮座していた「FT847M」を移動用の無線機とすること。HF機はどうせ他に固定機があった。問題はUVであるが、物置から使っていなかったモービル機を引っ張り出してきた。これでよし。

 そして、集まった資金で「SG230」というチューナーを求めたのである。
今年も、粟島移動などで活躍してくれた「IC706mk2GMとAH4」のシステムから、新しい移動用のシステムとして「FT847MとSG230」と言うことになったのである。

 今までは、3.5から50MHzまでOKであった。今度は憧れの1.9から28MHzである。
50MHzはローカル局提供の「2エレHB9CV」で移動だ、などと納得させている。

 昨日は、お天気も良しであったが、出かけることができない状態。そこで我が家の庭先で急遽、新しいシステムの設営をしてみた。
 写真で見られるとおりが全てである。PGant100のポールと11mのワイヤー、ぺらぺらの銅板高周波アースなどからなる。

 それぞれに電源を供給して、CW用パドルで電波を出してみる。
さすがにまったくの初回であるから、SG230内のコンピュータも最適な「LとCの組み合わせを作り出すこと」に多少は時間がかかった。
さすがである。1.9から28MHzまでとにかくチューニングが取れた。
さっそく、7MHzでCW局を呼んで見る。コールバックあり。まあ良しだ!
 わずか11mのワイヤーで1.9MHzというのは実際には、いかがなものなのか。チューナがローディングコイルになっていてくれているのであろう。
飛ぶか、飛ばないか。これからの楽しみである。

 いずれにせよ、ひとつの思いが違った形であるにせよ、実現しそうである。
ただし、寒さに向かい、夕方や朝方、または夜、こんな時間帯の1.9MHzトップバンドの移動運用は、私には思いだけで終わりそうな気がしないではない。

チャリティーコンサート

2005年10月10日 | 音楽など
 写真は我が家の「紫式部」である。毎年かなり刈り込んで越冬させているが律儀に花をつけてくれる。


 「近藤 亨先生」をご存知だろうか。

 この方は、加茂市出身の方です。JICAの一員として長年にわたり秘境「ネパール・ムスタン」の地で農業振興に尽力されました。
 さらに、定年後の70歳から84歳の今日までムスタンに定住されて、農業指導にあたられています。3000mを越す高地の不毛地帯についに「コシヒカリ」の稲作に成功されています。
農場開拓だけでなく病院や学校建設などにも力を尽くされています。

 その近藤さんを支援する「チャリティーコンサート」が今年で10回目なのだそうです。
今回は我が女房殿が大のフアンである「崔 岩光 サイ・イエングアン」の出演となっていました。会場は「新潟市テルサ(10/9)」でした。
私も「新潟市りゅうとぴあ」で一度その歌声を聴いて、すっかり魅了されていました。

 今回のコンサートはまったくすばらしかった。入場すると近藤先生が一人一人の来場者と握手しながら迎えられていました。

 ピアノ伴奏の小森 瑞香さんによるピアノ演奏「冬のソナタ」でオープニング。
 いよいよ 崔さん登場。今晩はとても落ち着いた黒のロングドレス。長身の彼女にぴったりで、まるで貴婦人だ。
 まず第一部
  さくら貝の歌
  宵待草
  別れの朝 
  愛のフィナーレ
  アンチェインドメロディ
  愛する子鳥よ(国連地球環境保護キャンペーンソング)
 
 この最後の「愛する小鳥よ」は「りゅうとぴあ」でも「CD」でも、何度も何度も聴いていた。
彼女の「コロラトウーラ・ソプラノ」による小鳥のさえずりは、とてもこの世のものとは思えない。天性にさらに磨かれた美しさにしびれてしまった。

 司会者の方からインタビュを受けて、一気に楽しくおしゃべりがとまらなくなってしまう彼女の人柄にも惹かれてしまう。

 第二部
   椿姫より 「ああ、そは彼の人か 花から花へ」
   魔笛より 夜の女王のアリア「地獄の復習は我が胸に燃え」
 アンコール
   蝶々夫人より ある晴れた日に
   赤トンボ

 この後は近藤先生の講演会となった。
私にとっては、二度目の講演会となっている。今回も先生からは「夢と元気」をいただいたように思う。先生の夢がさらに実ることを願って帰途についた。 

小千谷の「へぎそば」

2005年10月09日 | アマチュア無線
 小千谷市の二文字のOMさんとは、毎年一緒に移動運用を楽しんできていた。
しかし、昨年の中越大地震以来、当然ながら途絶えていた。被害を受けたもののお元気であることはメールなどで確認していた。

 それでもメールのやり取りが続いていて、移動運用をしようと言うことで、お互いの都合を勘案していた。昨日の朝方電話が入り「お天気不良なれど、とにかく小千谷までどうぞ」ということになった。

 私にしてみれば、移動運用は無理としても、久しぶりのアイボールに心弾んだ。どうせ車の中には、いつも移動運用できるだけの機材は積んであるし、今日の雨模様では、移動運用はまあ無理だと思った。

 新津ICから乗り込んだ。非常に激しい雨の中ではあった。長岡を過ぎると関越道は地震による路面の凹凸修復のための工事で片側一車線走行であった。そして「小千谷IC」で降りて、OMの出迎えをいただいた。

 そのまま「そば処・角や」へ。
小千谷は「へぎそば」で有名。「へぎ」のなかに、できあがったばかりのおそばが、一口ずつ整然とならべられている。およそ3人前。「つゆ」に薬味を入れてすする。さすがさすがである。
二人でどんどんはかどること。おいしくて声も出ない。ようやく三分の一くらい残った状態で、改めて久々のご無沙汰と近況の報告であった。

 小千谷市の中心部にあるOMのお宅に案内される。
かなり広い敷地には3本のアンテナタワーなどが建っていて、あちこちにワイヤーや同軸ケーブルが張られている。うらやましい環境である。
 奥様もお待ちくださって恐縮する。実は奥様も「JLRS」のメンバーで活躍されている「おしどりハム」のご夫婦なのである。

 中越地震の際には、家屋そのものには大きな被害はなかったものの、室内のありとあらゆるものが飛んで惨憺たる様子であったとか。無線機ももちろんであったが、奇跡的に壊れなかったとか。ライフラインの復旧に時間がかかったようでした。

 お二人には、私の「柄目木庵」を紹介したり、今夜の全市全郡コンテストに備えて「zLog」のポストコンテスト・モードでの入力などについてアドバイスさせていただいた。

 ところで、お二人には大変な事業が予定されていたのである。
なんと、近くを流れる信濃川の堤防が、水害予防のために改修されることとなり敷地の大部分が、その工事により堤防となるのだとか。
広さと言い、電波の飛び具合などもよくて、ざんねんなことだとおっしゃっていました。

 しかし、幸い現在は新たな代替地も決まり、大工さんの施行を待つ状態とか。
お二人は、新しい地での「タワーやアンテナ、シャック」などの構想を練っておいでのようで、その夢を熱く語っていただきました。
「この人は、いくつになってもラヂオ少年なんですよ」なんておっしゃる奥様は、ニコニコとほんとにお幸せという感じでした。

 いつの日にか、新しいシャックを訪れることを楽しみに、夕方、小千谷市から再び車を走らせ新津へと向かったのでした。

QSLカード印刷

2005年10月07日 | アマチュア無線
 今日は、3ヶ月分のQSL(交信)カードを印刷した。
とは言うものの、夏場はQSO(交信)の数も毎年少ない。200枚程度の印刷ですんだ。

 Hamlog利用のカード印刷で、ささやかであるが月ごとに写真を入れ替えている。
他の方のカードなどを参考にしながら、自分なりに編集してせっかくのカードが役立つように、見やすいように気配りしているつもりである。
ただ、印刷インクをケチって写真が小さいのは、ちょっともうしわけないと思っている。
 中には,惚れ惚れするような写真や文言を添えてくださっているカードをいただくことがある。そんなカードが目標なのだが、とても及ばない。
また、そっと年齢を書き込まれて健在ぶりをお知らせしてくださる大OM方もおいでであるが、「希望の星」だといつも感服してしまう。

 時には、必要な要件・データの記載がなかったり、はなはだしいものには自分のコールサインがぬけていたりするものもある。まあ、そんなこともあるでしょう程度にしているが。

 これから、¥500の「エクスパック」で、島根のビューロー宛てに発送して来ます。
   FB DX ! and FB Hamlife !

悪戦苦闘のログ入力

2005年10月06日 | アマチュア無線
 カードビューローからのカードの処理を2回分貯めてしまっていた。

 7月に到着分はアメリカ行きの準備で忙しくて処理していなかった。
今回の9月到着分と一緒に、せっせせっせと数日前からHamlogに入力していた。
ようやく終了できた。
その間はQSOをすることより、処理の方を優先しないと終わらない。

 一枚一枚にはそれぞれに懐かしいもの、ありがたいものとさまざまである。
数ヶ月前、場合によっては数年前の成果がようやく実るわけである。
KCJ(全国電信同好会)のレポートも提出できた。
改めて「AJAPA5」もインストールした。

 この後は、7,8,9月分のQSLカードの印刷が待っている。
これも毎月印刷していたのに、ためてしまった。
何が何でも週末の「全市全軍コンテスト」前には、すっきりと終わっておきたい。
そして、久しぶりに「呼び専門」ではあるがコンテストを楽しみたい。
しかし、日曜日9日の午後には、どうもコンサートが予定されているようだ。
女房殿には勝てませんからね。

秋の散策

2005年10月04日 | お出かけ
 秋めいてアウトドアーの季節を迎えた気がする。
暑さで弱っていたからだが、どうやら少しずつ活動的になってきた。

 日常的には、家からすぐのところにある「新津川の遊歩道」でのウォーキングである。コースは時間的・距離的にも如何様にも設定できて、場合によっては喫茶店もある。

 ちょっと里山の雰囲気をと言うことでは、車で10分の秋葉山がある。公園の駐車場を起点に1時間から半日コースと、いろいろ変化にとんだコースが選べる。

 更にもうちょっと、と言うときには車で20分の護摩堂山。登りは小一時間というところである。帰りには麓の「湯田上温泉」での温泉三昧は最高である。
実は、昨日もいい汗かいた後で、温泉にたっぷりとつかってきた。
 同じ山なみである菩提寺山、高立山などにも足を延ばすこともある。
 
 その護摩堂山の頂上からの眺めが、今日の写真である。
右手の角田山、真ん中の弥彦山、左手ちょっと見えにくいが良寛様の庵のある「国上山くがみおやま」である。いずれも私のところからは車で一時間あまりである。

 以上の所や山が私の守備範囲であり、ホームグランドとなっている。
年に一度位は、車やロープウェーなどで頂上近くまでいける、3,000mクラスの山々にも登っていたが、最近はちょっと遠のいてきている。

彼岸花

2005年10月02日 | 日々これ好日
 秋の花々が咲き乱れているようです。

 でも、すでに咲き終わったり、盛りを過ぎたり、これからという花々が選手交代をしながら目を楽しませてくれています。
 私のいつもの遊歩道では、ちょっと今年は遅いかなと思っていた「彼岸花」が盛りを過ぎようとしていました。

 昨日は、私の出身高校の移転新築に伴う「新校舎竣工記念」の式典がありました。
私も出席してきました。
 新校舎の設計は同窓の「京都大学名誉教授・川崎 清先生」である。ゆとりのスペースが随所に設けられていたり、木材をふんだんに取り入れた設計である。
工事中ではあったが、グランドや樹木を活用した校地など、まるで大学のキャンパスである。
 来賓祝辞は、これまた同窓の「県知事・泉田裕彦氏」であり、ご自分の高校時代の思い出を語り、現役生を励まされた。知事の高校時代はアマチュア無線クラブで活躍されたとか。
 記念講演は設計者である川崎先生の「環境と建築」であり、更に同窓の「ピアニスト・小杉真二氏」によるピアノコンサートと続いた。ショパンやリストのピアノ名曲集の演奏は、これだけでも出席した価値があった。

 午後からは、生徒たちの文化祭の公開があり、楽しく見てまわることができた。
「何々屋さん」などが多かったが、こんなことに普段とは違うほどに目を輝かせて取り組んでいる様子は、ある意味でとてもうらやましいことである。