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 プリントゴッコの製造が終るという小さな記事を目にして、一時はメーカーが「国民的行事」とまで謳って売りまくったこのヒット商品のひそやかな退場に、またしても、あまりに早すぎる世の移ろいを感じた。
 ワープロは、あっという間に消えた。
 そのワープロを使い始めて、「キリシタンバテレンの妖術」と感心したのは、昭和が終り、新しい元号になじみ始めたころだったろうか。それもわずか数年のうちには、「まだ石器時代のワープロを使っています」とぼやくようになったが、その前後から、年の瀬が押し詰まると、「ワープロガタガタ、プリントゴッコバタバタ、住所印ベタベタ」と、文明の利器に頼って、年賀状を仕上げるのに、 それほど骨が折れなくなくなった。
 ソ連が崩壊して、ゴルバチョフが退陣したころだった。
 当時は奈良の家庭裁判所に腰を据えて、志賀直哉の旧居がある高畑町の宿舎に住み、朝夕に興福寺の鐘の音を聴き、鹿が餌をねだりにくる環境を、これ幸いと楽しんでいた。
 大阪の家庭裁判所に転勤してからも、奈良から近鉄電車で通っていたが、間もなく裁判官一人が一台のパソコンを使う時代になり、ワープロの影は薄くなった。
 やがて自宅にもパソコンを備えるようになると、一世を風靡したプリントゴッコも、ワープロとともに、忘れ去られる時がきた。
 ケータイが、これもあっという間に、津々浦々に出回ったのは、やはりそのころだったろうか。
 ケータイと言えば、私は今でもなじめない。小学生の孫娘が、私のケータイで、チャッチャッと写真をとるのを、口をあけてみている始末だ。
 この間、ゼロックスからファクス・コピー兼用機の点検に来てくれた30代の人に、「昔のテープレコーダーはオープンリールで、大きくて重たくって」という話をしたら、「オープンリールって何ですか」ときかれた。
 やはり同じ年ごろの人に、「昔、二等車に乗って大学の入試に行くのは、医者の息子くらいだった」という話をしたら、「二等車」という言葉が通じなくて、「今ならグリーン車」と言い直した。
 「プリントゴッコ」という商品名も、もうすぐ忘れられるだろう。
 顧みれば、天地開闢以来、私たちの世代ほど、変化が早い時代に生きた世代はない。
 有り難いのは医療技術の進歩だが、有り難くないこともいっぱいある。
 ハトに豆をやると叱られる、落ち葉焚きができないなんて、童謡の歌詞が、まるで否定されている。
 だんだん、年寄りの繰り言めいてきた。この辺でやめて、気を取り直すことにしよう。
  (山田眞也,サポーター)



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