先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

レッドイーグルス新ユニホームは「工場煙突」表現 アイヌ文様もあしらう

2024-07-25 | アイヌ民族関連

西川拓 有料記事

北海道新聞2024年7月24日 21:47(7月24日 22:07更新)

イーグルス独特の「わしづかみ」ポーズで写真撮影に臨むホームユニホーム姿の佐々木選手(右)とアウェー用を着たハリデー選手

 アイスホッケーアジアリーグのレッドイーグルス北海道は、2024―25シーズンの新ユニホームを発表した。ユニホームの変更は、21年の実業団からのクラブチーム化後初めて。

 新ユニホームのテーマは「History of TOMAKOMAI(苫小牧の歴史)」。ホーム、アウェーともにチームカラーの赤を基調に、ストライプ柄で工業都市を象徴する工場の煙突を表現した。アイヌ民族の伝統的な文様「アイウシ(とげ)」もあしらっている。

・・・・・

 新ユニホームの購入は、公式ホームページで予約を受け付けている。

 ※「アイウシ」の「シ」は小さい字。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1041988/


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関係者「認定継続へ連携」 「上川アイヌ」日本遺産再審査

2024-07-25 | アイヌ民族関連

東桜子和泉優大 有料記事

北海道新聞2024年7月24日 21:26(7月24日 21:49更新)

 文化庁が23日、「カムイと共に生きる上川アイヌ」の日本遺産認定について「再審査」と発表したのを受け、申請者代表の上川町や旭川市の関係者からは対応についてさまざまな声が上がった。

 日本遺産は地域の文化財を発信し、地域活性化につなげる認定制度。「上川アイヌ」は、上川、十勝両管内12市町が申請し、2018年度に認定された。アイヌ民族の伝承がある大雪山系の景観や、儀式など21の文化財で構成する。

 再審査は、 ・・・・・・

 また、川村カ子トアイヌ記念館(旭川)の川村久恵副館長は「(認定を受け)モニターツアーなどを行った後、これからというタイミングでコロナ禍に見舞われた」と振り返り、その上で「(再審査は)残念。協議会事務局と協力していきたい」としている。

 文化庁によると、現地調査や計画の再提出を経て年内にも認定継続か結果が出る見通し。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1041962/


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シャクシャインの戦いの現場知って 長万部で28日、没後355年講演

2024-07-25 | アイヌ民族関連

椎名宏智 有料記事

北海道新聞2024年7月24日 19:21(7月24日 20:14更新)

 【長万部】シャクシャインの戦い(1669年)の決戦場だった長万部町で、町主催のアイヌ文化講座エカシケンル(祖先の尊き家の意味)が28日午後2時から、町多目的活動センター「あつまんべ」で開かれる。

 「シャクシャイン没後355年講演会 シャクシャインの戦いの現場へ行こう」と題し、日高管内新ひだか町博物館の斉藤大朋館長が講演する。

 シャクシャインの戦いに関連する、・・・・・

 無料。事前申し込み不要。町外からも参加可。問い合わせは、町新幹線推進課、電話01377・2・2450へ。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1041898/


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アイヌ文化周遊バス25日から 平取の高野さん、川奈野さん車体模様デザイン

2024-07-25 | アイヌ民族関連

石井純太 有料記事

北海道新聞2024年7月24日 19:07

今年のセタプクサ号をデザインした川奈野利也さん(左)と高野繁広さん

【平取】町は今年も札幌駅を出発し新千歳空港経由で「二風谷コタン」(町二風谷)やアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」(白老町)を巡るバス「セタプクサ(すずらん)号」を25日から運行する。

 町が国のアイヌ政策推進交付金を活用し、札幌観光バス(札幌市)に委託して運行。今年で5年目。車体の模様は毎年、町内のアイヌ工芸家がデザインしており、今年は高野繁広さん(74)と川奈野利也さん(42)が担当した。

 高野さんが車体左側と後方を、川奈野さんが右側と前方をそれぞれ描いた。「尊厳とアイヌ民族の内なる誇り」をテーマに、・・・・・

 8月末までは毎週月曜と8月13、25日を除き、毎日運行。9月1~16日は土日祝日のみ運行する。4プランあり、基本となる札幌から平取、白老を回り、札幌へ帰るコースは3千円。片道や食事付きプランもある。詳細はこちらから。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1041886/


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<ウイークリーとかち>十勝地域のイベント・ギャラリー・ライブ情報(24日付)一部

2024-07-25 | アイヌ民族関連

会員限定記事

北海道新聞2024年7月24日 4:00

<イベント>

・・・・・・・

■27日(土曜)

★アイヌ文化交流会~世界の先住民の国際デー~ 午後1~6時(28日は午前9時半~午後4時)、帯広・とかちプラザ1階。オープニングセレモニーでアイヌ古式舞踊を披露する。伝統工芸品、パネル展示や刺しゅう、木彫り教室(26日まで事前申し込みも可能)、切り絵体験(空きがあれば随時参加可能)も開催。無料。帯広市アイヌ生活文化展実行委事務局(市地域福祉課内)電話0155・65・4146

・・・・・・

■サキドリ

★講演会「アイヌのことばと物語を伝承する」 8月1日午後6時半、幕別町百年記念ホール(講堂)。漫画「ゴールデンカムイ」でアイヌ語監修を務めた千葉大学名誉教授の中川裕さんとアイヌ語講師の瀧口夕美さんが講師。7月31日まで要申し込み、無料。町教委、電話0155・54・2006

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1041119/


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ウレㇱパ ウタㇻ(育てあう仲間たち)~カルチャーナイト2024~を開催しました

2024-07-25 | アイヌ民族関連

札幌大学 2024年7月24日

7月19日(金)に、認定NPO法人カルチャーナイト北海道(カルチャーナイト実行委員会)主催の「カルチャーナイト2024」のプログラムとして、本学において「ウレシパ ウタラ(育てあう仲間たち)」を開催しました。
本イベントは、札幌市内全域の公共施設や文化施設、企業施設を一夜限り開放し、各施設の特色を活かした文化プログラムを地域の方に楽しんでいただくもので、本学教育の特色の一つであるアイヌ文化をテーマにプログラムを展開しました。
大学周辺地域の方に限らず、札幌市外に居住の方や海外からご来場の方など19名の皆さんにご参加いただき、本学の魅力を実際に見て・聞いて・知っていただく大変貴重な機会となりました。

施設ツアーでは、大学施設にあるシマフクロウの木彫やアイヌの伝統的な住居「チセ」など、本学の本田優子教授による解説を聞きながらご覧いただき、本学でしか見られない数々の貴重な品を存分にご堪能いただきました。
施設ツアーの後は、学生立志テラスS-wingにおいて、ウレシパクラブ所属の学生20名から衣装・装飾の紹介とアイヌの歌や踊りが披露されました。実際に身に着けているものを見せながら衣装や装飾についての紹介がされ、より深くアイヌ文化を知っていただける時間となりました。また、「ムックリ、クリムセ、フッタレチュイ、エムシリムセ、イオマンテリムセ」の全5公演を行い、最初から最後まで練度の高いパフォーマンスに来場者からは感嘆の声があがりました。最後は、来場者の皆さんにも舞踊体験をしていただき、会場全体でアイヌの歌と踊りを楽しみました。

ご来場の皆さんからは、「1時間にぎゅっと詰め込まれていて楽しかった」「ウポポイなどでも見ることのできない工芸品や公演を見ることができて、とても感動した」「札幌大学ウレシパクラブ、アイヌ文化を一気に感じることができた」などの感想が寄せられました。
ご来場ならびにご協力いただきました皆様、本当にありがとうございました。

問い合わせ先

札幌大学 地域連携センター
TEL:011-827-5877

https://www.sapporo-u.ac.jp/news/contribution/2024/07242331.html


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「生誕90年記念 藤戸竹喜の世界」木彫作品をモチーフにした「PENON タッチミー!ウッドポストカード」限定発売

2024-07-25 | アイヌ民族関連

㈱ぺノン 2024年7月24日 10時00分

地球や社会の課題解決に繋がるものづくりを行う株式会社ペノン(本社:東京都千代田区)は、「生誕90年記念 藤戸竹喜の世界展」で展示されている、北の大地に生きる動物たちの躍動感あふれる木彫作品をモチーフにした「PENON タッチミー!ウッドポストカード」を、国立アイヌ民族博物館(北海道・白老町)と、北海道立旭川美術館(北海道・旭川市)のミュージアムショップで限定発売いたします。

私たちPENONは、森林認証木材の活用、脱プラスチックの推進、リサイクルによる資源循環の取り組みを通して、持続可能な社会の実現を目指すサステナブルブランドです。独自開発した最新のプリント技術で緻密なデザインを高精度な描写で再現する、新しい形のアートグッズを展開しています。

今回は迫力満点の木彫作品の魅力を最大限に伝えるために、作品のアウトラインに沿ってダイカット加工を施すことで、平面でありながらまるでそこに作品が実在しているかのような、奥行きと立体感が感じられるポストカードを制作しました。見る者の魂を揺さぶる、北の大地に生きる動物たちの雄大な姿をお楽しみいただけるアイテムです。

「生誕90年記念 藤戸竹喜の世界展」限定アイテム

◾️熊五態・立ち止まる

藤戸氏は生涯を通して熊を彫り続け、生命力あふれる作品を数多く生み出しました。細密な毛彫の技術で表現された本物そっくりのリアルな毛並みは、風が吹けば今にも動き出しそうです。こちらを見つめる熊の威風堂々とした姿は強烈な存在感を放ち、見る者を圧倒するパワーを感じさせます。生命と自然の美しさが表現されており、その世界観に誰もが引き込まれるような作品です。

◾️白熊の親子

氷の世界を舞台にした白熊の親子の連作シリーズの作品です。氷上を悠々と歩く母熊が見守る中、好奇心いっぱいの2頭の子熊たちが海の中をのぞき込んで遊んでいます。木彫りとは思えぬほど細部まで緻密に彫り込まれており、自然界に生きる野生の熊たちの生き生きとした瞬間が切り取られています。彼らの豊かな表情から様々なストーリーを感じることができる作品です。

◾️狼と少年の物語

両親とはぐれたアイヌ民族の幼い子どもが狼の家族に助けられ、狼とともに成長していく物語を表現した連作シリーズの作品です。この作品にはエゾオオカミが生きていた時代の埋もれ木が使用されており、人間によって絶滅に追いやられた狼たちへの強い思いが込められています。彼らの物語を通じて、人間と自然の関係性について深く考えさせられる作品です。

PENONのポストカードは、端材や廃材を再利用資源にしたMDF製のサステナブルな木材を使用しています。厚みと硬さのあるしっかりとした素材のため、棚やテーブルにそのまま立てかけるだけでインテリアとしてもお使いいただけます。ユニークな形のダイカットポストカードは、日本国内であれば120円切手を貼ってそのままポスト投函も可能です。

【商品情報】

PENON タッチミー!ウッドポストカード

価格:各900円(税込)

販売場所:国立アイヌ民族博物館ミュージアムショップ(白老展:2024年6月29日~ 8月25日)

北海道立旭川美術館ミュージアムショップ(旭川展:2024年 9月14日~11月17日)

※店頭販売のみでオンラインでの販売はございません

※数量限定のため無くなり次第終了となります

生誕90年記念 藤戸竹喜の世界

藤戸竹喜は、北海道の美幌町に生まれ、少年期を木彫り熊の職人で賑わう旭川市近文で過ごしました。熊彫りの名工として知られた父・竹夫のもと、12歳から熊彫りを始め、15歳には、一人前の職人として木彫り熊を店頭で彫り始めました。以来一貫して木彫制作に取り組み、1964年、30歳で北海道釧路市阿寒湖畔に民芸品店「熊の家」とアトリエを構えて独立。アイヌ民族の伝統的な彫りの技を受け継ぎながら、熊、狼、狐やシャチ、ラッコ、エビ・カニなど北に生きる動物たちや、先人たちの威厳あふれる肖像彫刻へと作域を広げ、独自の芸術世界を創造しました。生命あるものへの深い愛情に根ざした生気あふれる表現は、国内外から高く評価され、2015年に北海道文化賞受賞、2016年には文化庁から地域文化功労者として表彰されています。

本展では、藤戸竹喜の仕事の全容を、初期から晩年に至る代表作91点によって紹介するとともに、藤戸竹喜が受け継ぎ、収集したアイヌコレクションをあわせて紹介します。

特設サイト: https://event.hokkaido-np.co.jp/fujito/

生誕90年記念 藤戸竹喜の世界展(白老展)

会場:国立アイヌ民族博物館(北海道白老郡白老町若草町2-3)ウポポイ内

会期:2024年6月29日(土)~ 8月25日(日)

開館時間:9:00~18:00、7月20日~8月25日は9:00~20:00

※ウポポイ入園は閉園1時間前まで。国立アイヌ民族博物館入館は閉館30分前まで。

休館日:毎週月曜日(祝日または休日の場合は翌日以降の平日)

7月8日(月)、7月9日(火)、7月15日(月・祝)、8月12日(月・祝)、8月13日(火)は開館。

生誕90年記念 藤戸竹喜の世界展(旭川展)

会場:北海道立旭川美術館(北海道旭川市常磐公園4046-1)

会期:2024年 9月14日(土)~11月17日(日)

開館時間:9:30~17:00(入場は16:30まで)

休館日:9月17日(火)、9月24日(火)、9月30日(月)、10月7日(月)、10月15日(火)、10月21日(月)、10月28日(月)、11月11日(月)

【商品に関するお問い合わせ】

株式会社ぺノン info@penon.co.jp

PENON 公式サイト:https://penon.co.jp

PENON 公式インスタグラム:@penon_japan

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000041.000080758.html


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十数年かけ収集した2万点 雪国の「アマゾン先生」が伝えたいこと

2024-07-25 | 先住民族関連

毎日新聞 2024年7月24日 14時30分

 「雪国のアマゾン」として知られる南米アマゾンの資料約2万点を収集、保存している山形県鶴岡市の文化人類学者が、親子二人三脚で生物多様性を伝える企画展が注目されている。「自然と共生する先住民に謙虚に耳を傾けたら、きっとすてきな地球になれる」。持続可能な社会にしていこうと呼び掛ける。

【写真】「雪国のアマゾン」十数年かけ収集した2万点

 青く光り輝くメネラウスモルフォの標本や、世界最大の淡水魚ピラルクーの剥製、シャーマンが描いた顔の模様が神秘的なつぼ……。鳥の声が響く薄暗い密林をイメージした同市の致道博物館で、謎解きをしながら巡る企画展「探検!アマゾンワールド」が開かれている。

 1000点以上の展示資料は、同市出身で「アマゾン先生」と呼ばれた文化人類学者、山口吉彦さん(82)が、在ペルー大使館付属学校の教師をしていた1971年から妻考子(なすこ)さん(2017年に死去)とともに十数年にわたって収集した2万点を超えるコレクションの一部だ。アマゾン奥地のインディオ集落を訪ねて交流を重ね、物々交換で収集した。

 資料は元々、山口さんらが同市に帰郷した後の90年代以降、市の施設で一般公開されていた。しかし、市の行財政改革の一環で2014年に施設が閉館。資料を継承するため、19年、長男考彦(なすひこ)さん(48)が一般社団法人「アマゾン資料館」を設立した。県内外から集まった寄付金約470万円を元に自宅を改修して収蔵庫を作り、ボランティアの協力も得て資料を移した。

 今回は資料移転後初の企画展で、今月14日には親子でギャラリートークを開催した。

 吉彦さんは資料を集めた当時を振り返り、ピラニアを捕らえたり、インディオ集落の部族と酒を酌み交わして「アミーゴ」(仲間)と受け入れられたりした思い出を語った。一方で、木材生産のための伐採や開発などで「地球の肺」とも呼ばれる熱帯林が減少している現状に触れ、「アマゾンの自然は人類の宝。自分たちだけでなく、孫や子の代まで維持していってほしい」と呼び掛けた。

 考彦さんは幼少期、父が狩猟用のやりや羽根飾り、剥製などさまざまなものを集める姿を「変わった人だなあ」と眺めていたという。今はその姿勢こそが「多様性というメッセージを強く発信する強み」だと気づき、展示を通して「多様性のメッセージを思い思いの形で感じたり、受け止めたりしてくれる人が増えていったらうれしい」と期待する。

 8月18日まで。期間中は無休。入館料は一般1000円▽高校生・大学生400円▽小中学生300円。【長南里香】

https://news.livedoor.com/article/detail/26850748/


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アイヌ文化に 親しむ しらおいポロト ミンタラフェス

2024-07-25 | アイヌ民族関連

苫小牧民報2024.07.24

白老町は20、21両日、JR白老駅北観光インフォメーションセンター駐車場で「しらおいポロトミンタラフェスティバル2024」を開いた。ステージイベントなどを行い、家族連れなどでにぎわった。

ステージで行われたムックリ選手権

 初日は自衛隊高機動車や消防車の展示、翌日はダンスショーなどを行った。

 アイヌ民族の伝統楽器ムックリ(口琴)の選手権は、白老アイヌ協会やアイヌ民族文化財団の関係者が審査員を務めて両日開催。初日は小学生から大人まで計約20人が練習成果を披露し、大きな拍手を浴びた。

 親子4人で訪れた町陣屋町の畜産農家、井澤佑介さん(37)は「子どもたちが楽しめる催しを開いてくれてありがたい」と話した。

 同センターでは9月14、15日に「オータムフェスティバル」も開かれる。

https://hokkaido-nl.jp/article/34780


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木陰でトンコリ演奏会 えりも ヒュッゲの森で【えりも】

2024-07-25 | アイヌ民族関連

日高報知新聞2024.07.24

木陰でトンコリを弾き語るアラヤさん

【えりも】樺太アイヌの伝承楽器・トンコリ演奏会が21日、町内庶野のヒュッゲの森で開かれ、町内外からの25人がトンコリソングライター・アラヤタツロウさん(41)の演奏とトークに耳を傾けた。

 アラヤさんは、2018年(平成30年)9月6日の胆振東部地震で、家族6人が厚真町で被災。その際、友人の長沼町のトンコリ工房職人から支援物資としてトンコリを授かったことで練習に励み、令和2年1月に第19回全道トンコリ大会で優勝した。

 演奏は、奏者が木陰に寄りそい、トンコリの音色が濃緑の森に吸い込まれそうなムードで始まり、聴衆は弦の響きにしばし酔いしれた。

 アラヤさんは「世界平和と幸せに生きる道、自然環境保護などをテーマに楽曲製作を続けている。これから道内179市町村の演奏の旅を続ける」と述べた。えりも演奏会は、浦河町の知人の紹介とヒュッゲの森(中岡俊子代表)の会場提供で実現。道内で2カ所目の演奏会。

 アラヤさんは、地震で停電の夜、見上げた星空の美しさを表現した「宇宙」を熱唱。「この地球上、世界のどこかで戦争という殺し合いの悲しいことが起こっているが、もう止めて大地を敬い感謝しよう」と語りかけた。

 フィナーレの「これでいいんだ!」で大きな拍手が深い森に吸い込まれた。観賞した山科静子さんは「そよ風と木漏れ日の下で、初めて聞いたトンコリの音色が心に残りました」と話した。

https://hokkaido-nl.jp/article/34770


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〈読書エッセー〉晴講雨読・作家立原正秋と日本社会のタブー/任正爀

2024-07-25 | アイヌ民族関連

朝鮮新報 2024年07月24日 08:00 寄稿

54歳の若さでこの世を去った立原正秋は、独自の美学を貫徹し苛烈に生きた作家として知られている。その代表作である小説『冬の旅』『春の鐘』は、その特質をよく表している。前者は血のつながりのない兄に暴力を振るった少年が、その理由を黙秘し少年院に送られる。そして、そこでも自身の正義を貫くという物語である。後者は美に魅入られた中年男性の遍歴をつづったものである。前者はテレビドラマ、後者は映画にもなったが、特に映画では様々な美術品が登場し興味深いものがあった。

本紙で彼の小説に言及することを否定的に捉える読者もおられるかもしれないが、それでもここで考えてみたいのは、自分が朝鮮人であることを隠すために出生さえも創作し、小説を書き続けたその事実についてである。立原正秋は自筆年譜で「父母はそれぞれ日本人と朝鮮人のハーフであり、自分はクオーターである」としていたのだが、実際は父母とも純粋の朝鮮人である。

筆者が立原について知ったのはその小説ではなく、いわば美術評論家としての著述によってである。日本は世界的にみても製陶業が盛んであるが、なかでも親しみやすい益子焼はよく知られている。朝鮮の民族色豊かな工芸品は日本でも有名であるが、それを最初に高く評価したのは、民芸理論の提唱者として知られる柳宗悦である。現在、民芸品といえば観光地のお土産とほぼ同義語で用いられているが、それは民衆的工芸の略で柳宗悦の造語である。

柳は一般民衆が用いる道具類に作為のない美しさがあるとし「用の美」と名づけたが、その典型としてあげたのが他ならぬ朝鮮の工芸であった。そして、それに合致する陶磁器を日本各地で見出す一方で、その理念を具現する陶磁器製作を奨励した。その代表が益子焼である。筆者の手元には益子焼を代表する陶芸家・浜田庄司のマグカップがあるが、それで飲むコーヒーは格別である(と思っている)。

これに対し「民器がいつのまにか芸術品に化けてしまったのが現状で、それらの作品から作者の天性の美意識を見出したことは一度もない。見えるのは訓練による作為だけである」と批判したのが立原正秋である。当然、予想される反論に対しても、「似て非なる美術家に寄生する批評家の話が聞ければ幸い」とまで言い切る。(ただし、益子焼には厳しい立原も同じ民芸の大家である河井寛次郎については肯定的に評価している)

筆者はわざわざ敵を作るようなその言動が気になっていたのだが、高井有一の評伝『立原正秋』(新潮社)によって彼が朝鮮人であり、どのような半生を送ったかを知って合点がいった。『冬の旅』の主人公のあまりに頑な造形は、作家の生き様を投影したものだと誰もが思うだろう。評伝によれば、文壇のなかでもしばしば差別的な嘲罵を受けることもあり、出自に関する虚構はそれに対抗するためであったとも書いている。

『立原正秋』

「私の書く小説に焼物の美しさがどれほど寄与しているか、それは私の裡で能と着物と同じ位置を占めている」と語っているが、朝鮮人であるがゆえにそれを覆い隠すように着物を着用し日本の伝統美を語り、時に辛らつな批判も辞さない。その姿は今となっては、ちょっと厳しい言い方をすれば滑稽であり悲しくもある。

余談であるが、立原のある文章に愛用の李朝酒杯の見込みに「강(カン)」とうハングルがあり、知人の朝鮮人作家に手紙を書いてその意味を訊ねたとあった(筆者も何の意味かわからなかった)。そして、味噌であるという返事をもらったとしていた。ところが、その酒杯の写真がある本に出ていたのだが、それは「강」ではなく(おそらく、その文章は印刷ミス)、「장」(チャン)であった。「장」であればすぐにわかる。むろん、立原が分からぬはずがない。正直、ここまで徹底するのかと、むしろ感心(?)してしまった。

評伝では立原正秋が他界する一年前に隠し通してきたという本名を明かす場面が書かれている。彼の年譜作成を依頼された文学研究者が、父母のことや幼少期のことを確認していくのだが、あやふやさが拭えない。そして、年譜は英文の出版物にも掲載されるのだが、このままでは後々混乱をきたすと説く。そして、立原正秋は原稿用紙に大きな字で名前を書く。「金胤圭」この名前こそが父母から与えられ戸籍に記載された本名であるが、創氏改名もあって立原がこの名を名乗ることはなかった。

この時、立原と研究者はその原稿用紙を挟んで対座し、しばらく沈黙の時間が流れたという。そこには最後まで日本人になれなかったという無念があったのか、あるいは金胤圭が立原正秋を生きたことの幕を引いたのか。彼の小説にしばしば登場する頑なで屈折してはいるが、どこか諦観した人間像からは後者がふさわしいように思える。

全集を出版するほどの作家でさえも(あるいは、それ故にか)、朝鮮人という出自が重い宿命として圧しかかっていたという事実は、多くのことを考えさせる。随筆家・朴才暎は『ふたつの故郷』(藤原書店)で、「自己の『内省』を描くことを生業とする作家でさえそれがタブーであったこと」が衝撃的であったと書いた。

ここいうタブーとは「触れたり口に出したりしてはいけないとされる事柄」のことであるが、当事者がそれをタブーとするのは差別から逃避したいからであり、社会がそれをタブーとするのはその差別を隠すためである。

朝鮮人に対する差別用語であった「キムチ臭い」「ニンニク臭い」は死語となったが、今でも大企業のトップが公然と朝鮮人差別を口にし、SNSでも在日外国人への差別発言が後を絶たない。アイヌ民族や部落出身者への差別、さらには沖縄の基地問題や学校でのいじめなど、日本社会には差別が蔓延している。

テレビのサスペンスドラマで、しばしば犯人が動機の一つとして過去の差別やいじめを告白する場面を目にすることがある。残念ながら、それらは娯楽の一部で終わり、社会に対しての問題提起には至らない。つくづく日本は人権意識が低いと思わざるをえない。はたして日本社会で差別はなくなるのか、筆者は朝鮮人差別がなくならない限りは無理だろうと考えている。

(朝大理工学部講師)

読者プレゼント

2020年11月13日~23年8月30日まで掲載された読書エッセー『晴講雨読』を一冊にまとめた『読書エッセー・晴講雨読(Ⅰ)』を3人にプレゼント。官製はがきに〒住所、名前、年齢、職業、電話番号を記入のうえ、〒174-0051 東京都板橋区小豆沢4-24-16 3階 朝鮮新報社編集局までお送りください。メールでの応募はpresent@korea-np.co.jpまで。

応募の際は、本紙に対する意見、感想、要望をご記入ください。8月7日必着。

※当選者の発表は本の発送をもってかえさせていただきます。

https://chosonsinbo.com/jp/2024/07/24-153/


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米映画「リッチランド」監督インタビュー/下 暴力の歴史 向き合って /広島

2024-07-25 | 先住民族関連

毎日新聞2024/7/24 地方版 有料記事1210文字

 ――リッチランドでは、日本の原爆被害は施設や教育の場でどう伝えられているのか。

 ◆私は歴史教育に興味があるのだが、唯一撮影の許可が取れなかったのが現地の高校の授業だった。高校では毎年、原爆が良かったのか悪かったのか、立場を選んで論文を書いているそうだ。現地の博物館には原爆被害の映像や写真が一切ない。記録映像はふんだんにあると分かっていながら、被害の一切を見せないのは大きな間違いだと思う。この町の施設は管轄する米エネルギー省が、どのように核産業の物語を語るかを決めている。それを変えるのは難しい。エネルギー省は、核兵器を前向きに伝えたいからだ。しかし、この町にも原爆に心を痛めている人は多い。人々が歴史を一方的に考えているとは言いきれない。

 ――映画で住民たちは故郷への思いを語るが、ハンフォード・サイトは先住民族から奪った土地の上に作られた。その事実は教えられているのか、それとも目を背けているのか。

 ◆リッチランドで上映した時、住民たちから「映画を見るまで知らなかった」「自分たちが住む前にも人がいたことを知って感動した」と感想があった。あまり知られておらず、深く考えられていないのだろう。原爆被害だけでなく先住民への暴力からも目を背けているが、これは米国全体にみられることだ。加害や暴力の歴史と自分個人の関わりについて向き合うことが難しいのは、日本人を含め、誰にも共通することではないか。

 ――広島を初めて訪れた感想は。

 ◆平和記念公園と原爆資料館を訪問して衝撃を受けた。この公園や資料館は世代を超える努力がなされている。原爆ドームを保存する運動が高まったのは1960年代で、原爆投下から20年以上たっている。資料館で視聴できる被爆証言ビデオは80年代の収録だ。歴史に向き合い、折り合いをつけるプロセスには時間がかかることを感じた。

 ・・・・・・・

 ◆たくさんの対話が生まれることだ。人々がお互いに耳を傾け、相手を人間として見なすことができれば、残虐な行為や戦いはしづらくなる。対話すること、学び合いの価値は大きいと思う。【聞き手・武市智菜実、宇城昇】

https://mainichi.jp/articles/20240724/ddl/k34/040/255000c


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「フェミニズムは希望だ」、人と関わることを諦めない私たちにあるのは未来だ

2024-07-25 | 先住民族関連

好日好書2024.07.24 明石書店

『性差別を克服する実践のコミュニティ』(矢内琴江 著、明石書店)

 性差別を撤廃するための知は、他者とともに考え、展開する実践のなかで生み出される。では、そのような実践はどうすれば創り出せるのか? カナダのケベック州で誕生した2つのフェミニズム運動を分析した『性差別を克服する実践のコミュニティ』(矢内琴江著、明石書店)について、担当編集が思いを(勝手に)綴ります。

他人との連帯は可能か

 矢内琴江先生による『性差別を克服する実践のコミュニティ』。担当編集である私は、この本の原稿を読んだ時、絶望に苛まれていた。男社会、男性が構築するこの社会で生きるしんどさに苛まれていた。

 男性とは、もちろん連帯できない。でも女性同士だって連帯できないことも多い。そして社会では対立ばかりが増えていっている。無理だと感じた相手と関わる必要はない。でもじゃあこの社会が行きつく先は、どんな状態になるんだろう。そんなことを感じていた。

 そして矢内先生も、似たような思いを持っていたようだ。まえがきに、こんな文章がある。

考えるほどに溢れてくる怒りや、胸のうちにたまるモヤモヤを、私は誰と分かち合ったらよいか分からなかった。だから自分1人で考えようとしたし、「きっと分かってくれない」と、誰かと考え合うことは、はなから諦めていた。

 そして、そのうえで、こう続ける。

でも、それでは何も解決しないことは分かっていた。本当に性差別の問題を解決したいのならば、自分を他者から切り離すことはできない。性差別は私と他者の関係性の間にある問題なのだ。

 そうなのだ。わかっている。「共同生活を営む人間の集団」が「社会」なのだから、そのなかで生きるのなら、問題は1人で居たって解決しない。人と関わって、話して、考えて、行動していくしかない。

 しかし人とコミュニケーションを取るなかで、人はわかり合えないという主張や、わかり合えると思っている人をバカにするような言説を目にすることは少なくない。わかり合う努力をするよりも、“言い負かしたい” “論破したい”と考える人も多い。

 でも、それがすべてではないのだ。カナダのケベックで起こった連帯には、希望がある。

性別、世代、信仰を超えた連帯は、可能だ

 『性差別を克服する実践のコミュニティ』の第Ⅰ部では、モントリオールにあるフェミニストギャラリーの「ラサントラル」の歴史や実践が紹介・分析される。ラサントラルのギャラリーメンバーたちは、世代、セクシャリティ、性自認などが異なる人びとと協働し、試行錯誤し、時には批判を受け、改善し、活動を続けてきた。様々に異なる立場の女性たちによる連帯の記録からは、被抑圧者/抑圧者の両面を持つ自分を見つめ直すことができる。

 そして、私がとにかく希望を感じたのは、第Ⅱ部である。

 連帯を諦めたくないとはいえ、さすがに大枠で目指すものは同じ方向でないと無理ではないかと思っている。しかし、モントリオールにあった民衆団体CQCの実践のなかでは、カトリック教会の関係者、民衆運動の関係者、そして先住民族の女性たちが歩み寄ったのである。

 カトリック教会といえば、中絶の権利を認めないなど、女性に対して抑圧的な立場を取ってきた。カトリック教会とフェミニズムは水と油レベルで相容れないように思えるが、そうではないこともあるようだ。

 また、現代であってもカトリック教会による性差別は根強い一方で、文化において長い歴史と影響力を持つカトリック教会を完全否定することは乱暴だろう。「カトリック教会がケベック社会に生きる人びとの暮らしや精神性にとって重要な意味を持つことには変わりない」という点も明言されており、社会を考えるうえで役に立つ。

 さらに、先住民族女性への抑圧には植民地支配の影響があり、西洋中心主義的な自由主義の男女同権論に基づくフェミニズムへの批判は、日本の読者にとっても学ぶところが多いはずだ。

 家族でも友人でも、クラスメイトでも同僚でも、人と関わることに疲れている人は多いだろう。でも、本書に記された人びとの関わりの記録を読むと、人間・社会では、やっぱり人びとの交流から生まれるものは大きいのだと、再認識させられる。

 フェミニズムと出会った矢内先生は、「私は世界との関係を取り結び直すことができ、怒りを「しゃべる場所がないなら作ればいい!」という閃きに転換することができた。フェミニズムは希望だ」と語る。

 フェミニズムを知ることで、逆につらくなることもある。だって社会への解像度が上がるのだから。1人ではどうにもできない社会構造的問題まで見えるようになったり、それによって親しかった友人や彼氏、夫、パートナーに幻滅することになったりしたら、誰だって悲しみは感じるだろう。でも、無視していた自分の違和感を言語化できて、それによって別の誰かと繋がっていけることは、やっぱり希望だ。

 フェミニストだということは、差別された経験がある、被害の経験がある、怒りがある、絶望がある。そういうことだと思う。でもみんなで、希望を失わずに生きようね。じゃないと、この社会はあまりにしんどすぎる。私たちはみんな、小さな希望を大切に、人と関わり、言葉を紡ぎ、ここまできた。そう簡単には死ねないし、だったらそうやって私たちは生きていける。生きるためには、希望が必要だ。そしてこの本は、誰かの希望になりえる。

文:柳澤友加里(明石書店)

矢内 琴江(やうち・ことえ)

長崎大学ダイバーシティ推進センター副センター長/コーディネーター/准教授。博士(文学)。早稲田大学教育学コース・講師(任期付)、福井大学大学院の特命助教を経て、2021年9月より現職。専門は、社会教育学、フェミニスト・スタディーズ、ケベック研究、教師教育。主な業績は単訳『ケベックのフェミニズム――若者たちに語り伝える物語』(ミシュリンヌ・デュモン著、春風社、2023年)、共訳『ケベックの歴史』(ジャック・ラクルシエール著、水声社、2023年)、共著『ジェンダーのとびらを開こう――自分らしく生きるために』(大和書房、2022年)など。

https://book.asahi.com/jinbun/article/15350964


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食べ方は?どんな花が咲く?牧野富太郎が命名した「ギョウジャニンニク」

2024-07-25 | アイヌ民族関連

BE-PAL7/24(水) 18:03

ナチュラリストのおくやまひさし氏が、植物の生態を美しいイラストと写真で紹介。今回はネギやラッキョウなどの仲間、ギョウジャニンニクについて。

【写真5枚】鱗茎はシュロの毛のようなネットで守られている。ギョウジャニンニクの花や鱗茎などを写真で見る

ネギやラッキョウなどの仲間で、においだけでなく辛みも強いまさに野生の味

◆ギョウジャニンニクとは

学名:Allium victorialis subsp. platyphyllum

ヒガンバナ科ネギ属の多年草。本州中部以北に自生し、高さは30~50㎝。地中の鱗茎は淡褐色の繊維で覆われる。夏、花茎を伸ばし、白い小花を多数球状につける。よく似たコルチカム(イヌサフラン)、スズラン、バイケイソウなどは有毒植物なので注意。

牧野富太郎がギョウジャニンニクと命名

十勝岳のふもとの食堂で「キトピロラーメン」という珍しいラーメンを注文してみた。店員が運んできたラーメンは、ごく普通のラーメンなのだが、ぶつ切りにされたギョウジャニンニクがのっかっていた。

 ギョウジャニンニクはヒガンバナ科(旧ユリ科)の多年草で、北海道や東北地方の北部などに自生する。北海道には特に多く、沢筋や山地の木陰などに群生することが多い。キトビル、キトピロ(キトビロ)、ヤマビル、ウシビルとも呼ばれている。

アイヌの人たちが昔から食べていたため北海道ではアイヌネギとして親しまれていたが、牧野富太郎が「ギョウジャニンニク」と名付けた。かつて修行僧(行者)たちが山野で修行中にこの植物を食べて体力をつけたという言い伝えと、ニンニクに似たにおいがあることに因んだ命名だ。

 雪が消える4~5月ころに伸びる芽は、赤っぽい葉鞘に包まれている。10cmほどに伸びた若芽がおいしいのだが、見慣れないと他の草との区別が難しい(かじってみると強烈なにおいで判別できるが)。6~7月ころには30cmほどの花茎を立てて、てっぺんに白い花をボール状に丸く固めてつける。

 大きく葉を広げたギョウジャニンニクを掘り出してみると、鱗茎はシュロの毛のようなネットで守られていた。茎も葉も、この鱗茎もおいしいのだが、なにしろ強烈なにおいだから、食べるときは家族全員で食べ、外出の前には食べないほうがいい。 

毎年畑で育てて出荷している山形の友人が、私のところにも送ってくれる。味噌をつけて食べる鱗茎は、においだけでなく辛みも強く、まさに野生の味だ。全草を5日ほど味噌に漬けておくと、子どもも平気で食べるし、ラーメンなどに入れるとクセになるおいしさだ。

花や鱗茎の形は?

白い花は6~7月ころに咲く。

ネット状の皮のある鱗茎。

イラスト・写真・文 おくやまひさし

おくやまひさし プロフィール

画家・写真家・ナチュラリスト。 

1937年、秋田県横手市生まれ。自然や植物に親しむ幼少期を過ごす。写真技術を独学で学んだのち、日本各地で撮影や自然の観察を開始。以降、イラストレーター、写真家として図鑑や写真集、書籍を数多く出版。

(BE-PAL 2024年6月号より)

https://news.yahoo.co.jp/articles/6130e305fe879d4a938293e9cc2f1c984804fd90


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日本人祖先の「3系統説」、従来の定説に修正迫る ゲノム解析で進化人類学は「人類、日本人の本質」を探究

2024-07-25 | アイヌ民族関連

サイエンスポータル7/24(水) 16:45

 「日本人の祖先はどこからやってきたのか」。このロマンに満ちた問いに対しては、祖先は縄文人と大陸から渡来した弥生人が混血したとする「二重構造モデル」が長くほぼ定説となっていた。そこに日本人のゲノム(全遺伝情報)を解析する技術を駆使した研究が盛んになり、最近の、また近年の研究がその説を修正しつつある。

 日本人300O人以上のゲノムを解析した結果、日本人の祖先は3つの系統に分けられる可能性が高いことが分かったと理化学研究所(理研)などの研究グループが4月に発表した。この研究とは別に金沢大学などの研究グループは遺跡から出土した人骨のゲノム解析から「現代日本人は大陸から渡ってきた3つの集団を祖先に持つ」と発表し、「三重構造モデル」を提唱している。

大規模な日本人のゲノム解析により日本人集団の遺伝的構造を明らかにする研究の概念図(理研などの研究グループ提供)

 理研グループの「3つの祖先系統」説は「三重構造モデル」と見方が重なり、従来の「二重構造モデル」の修正を迫るものだ。日本人の祖先を探究する進化人類学はDNA解析、ゲノム解析の技術という有力手段を手にして、大陸からさまざまな人々が渡来して現代の日本人につながった複雑な過程が見えてきた。今後さらに詳しい私たちのルーツが明らかになっていくだろう。それは「私たちの本質は何か」という壮大な探究テーマの回答を知ることにつながる。

祖先は「縄文系」「関西系」「東北系」の3つに

 母から子へ受け継がれるミトコンドリアにはわずかながらDNAが含まれ(ミトコンドリアDNA)、これを解析することにより、母系の血縁の有無が分かって遺伝的なルーツを調べることができる。細胞核に存在する核DNAは両親から半分ずつ子に伝えられる。このため、その配列や突然変異の規模などを解析することで人類の混血、交流や移動を調べることができる。

 「3つの祖先系統」説を発表したのは、理研生命医科学研究センターゲノム解析応用研究チームの寺尾知可史チームリーダー、劉暁渓上級研究員や東京大学医科学研究所附属ヒトゲノム解析センターの松田浩一特任教授ら。寺尾氏は静岡県立総合病院の免疫研究部長や静岡県立大学薬学部特任教授を兼任し、同総合病院や同大学も研究に参画した。

 寺尾氏らの研究グループは、多くの人の血液や遺伝情報を集めて保存している組織「バイオバンク・ジャパン」を活用。北海道、東北、関東、中部、関西、九州、沖縄の7地域の医療機関に登録された日本人3256人分のDNAの全配列を詳細に分析してゲノムの特徴を明らかにする膨大な作業を続けた。

 その結果、日本人の祖先は主に、沖縄県に多い「縄文系」、関西に多い「関西系」、そして東北に多い「東北系」の3つに分けられることが分かった。さらに調べると縄文系の遺伝情報の割合(祖先比率)は沖縄県が一番高く28.5%、次いで東北で18.9%、関西では最も低く13.4%だった。

「二重構造モデル」に疑問提示

 この祖先比率は縄文人と沖縄の人々の間に高い遺伝的親和性があるとの以前の研究とも一致し、関西地方は漢民族と遺伝的親和性が高いことが明らかになった。また、東北系も縄文人との遺伝的親和性が高く、沖縄県・宮古島の古代日本人や韓国三国時代(4~5世紀)ごろの古代韓国人に近かったという。

ゲノム解析による7地域の日本人集団は3つの集団に分けることを示す図。日本人の祖先が沖縄系(K1)、東北系(K2)、関西系(K3)の「3つの祖先系統」に分かれることを示す。(地域ごとの縄文系の祖先比率を示すグラフではない)(理研などの研究グループ提供)

 こうした研究成果は、縄文時代の狩猟採集民族である縄文人と弥生時代に大陸の北東アジアから渡来した稲作移民の弥生人の混血により現代の日本人が形成されたとする「二重構造モデル」に疑問を投げかける内容という。

 現代人の祖先はネアンデルタール人やデニソワ人と交雑したとされている。一連のゲノム解析では、現代の日本人にネアンデルタール人やデニソワ人から受け継いだとみられるDNA配列も見つかっている。

寺尾知可史氏(左)と劉暁渓氏(理研などの研究グループ提供)

 デニソワ人から受け継いだ配列には興味深いことに2型糖尿病に関連するものも含まれていたという。DNAの解析は「病気感受性」をも明らかにして個別化医療に道を開くと期待されている。さらに詳しい分析が待たれる。研究論文は4月17日付の米科学誌「サイエンス・アドバンシズ」に掲載された。

人骨のゲノム解析から「三重構造モデル」提唱

 理研などの研究グループの発表に先立つ2021年9月。金沢大学などの共同研究グループは、縄文、弥生、古墳時代の遺跡から出土した人骨のゲノム解析した結果、現代の日本人は大陸から渡ってきた3つの集団を祖先に持つことが分かったと、同じくサイエンス・アドバンシズに発表している。

 この共同研究グループには当時の金沢大学人間社会研究域附属古代文明・文化資源学研究センターの覚張隆史助教や中込滋樹客員研究員のほか、アイルランドのダブリン大学のダニエル・ブラッドレイ教授や鳥取大学の岡崎健治助教、岡山理科大学の富岡直人教授、富山県埋蔵文化財センターの河西健二所長ら多くの研究者が参加した。

ゲノム解析に使われた試料の人骨が出土した遺跡の場所。○は新たな人骨ゲノムデータが得られた遺跡(金沢大学などの研究グループ提供)

 覚張氏らは、縄文時代早期の上黒岩岩陰遺跡(愛媛県久万高原町)、縄文時代前期の小竹貝塚(富山市)、船倉貝塚(岡山県倉敷市)、縄文時代後期の古作貝塚(千葉県船橋市)、平城貝塚(愛媛県愛南町)、古墳時代終末期の岩出横穴墓(金沢市)の 6 遺跡で出土した人骨から計12人分のゲノムを取得し解析した。そして既に報告されている国内の他の遺跡や大陸の遺跡の人骨ゲノムと比較した。

 その結果、縄文人の祖先集団は、2万~1万5000年前に大陸の集団(基層集団)から分かれて渡来して1000人ほどの小集団を形成していたことが分かった。そして弥生時代には北東アジアに起源をもつ集団が、また古墳時代には東アジアの集団がそれぞれ渡来してその度に混血があったと推定できたという。

縄文時代から現代に至るまでの日本人ゲノムの変遷を示すグラフ。本州での現代日本人集団は古墳時代に形成された3つの祖先から成る三重構造を維持している(金沢大学などの研究グループ提供)

 この研究成果は、大陸の集団から分かれた縄文人が暮らしている日本に古墳時代までに2段階にわたって大陸から遺伝的に異なる集団が流入したことを示唆しているという。そして研究グループは、従来の「二重構造モデル」に対して、新たに「三重構造モデル」を提唱した。

ゲノム解析と進化人類学の融合の賜物

 金沢大学などの研究グループによる研究は、日本人の祖先を巡る見方に科学的根拠をもって新たな説を提示する画期的な成果だった。ただ、古人骨のゲノムのサンプル数は制限されており、より多くの解析が必要と考えられていた。理研などの研究は大規模な現代日本人ゲノム情報に基づいてこの三重構造モデルを裏付けた形だ。

 これらの研究のほか、東京大学大学院理学系研究科の大橋順教授と渡部裕介特任助教らの研究グループは現代日本人のゲノムの中から縄文人に由来する遺伝的変異を検出する独自の手法を開発。都府県別にどの程度縄文人を受け継いでいるかという「縄文人度合」を推定し、その研究成果を2023年2月に発表している。

 その度合には地域差があり、東北の青森、秋田、岩手、宮城、福島の各県や関東の茨城、群馬の両県、鹿児島県や島根県などは度合いが高く、近畿や四国の各県では低かった。「度合い地図」では縄文人度合いが飛び抜けて高いことが確実に予想された沖縄県と分析に重要なアイヌ人のデータが得られなかった北海道は除かれている。

 また、縄文人は渡来人と比べて遺伝的に身長が低いことや血糖値が高くなりやすく中性脂肪が増えやすい傾向も分かったという。縄文人は農耕を営んでいた渡来人より炭水化物への依存度が低く、血糖値などを高く維持することで狩猟生活に適応していた可能性があるという。興味深い見方だ。

都府県別「縄文人度合」。色が濃いほど度合いが高いことを示す(東京大学の研究グループ提供)

 現代日本人のベースになっているのは弥生時代以降の渡来人であることは分かっていたが、東アジアの中で日本人を特徴付けるのは縄文人から受け継いだ遺伝的要素で、東京大学のこの研究は現代人の成り立ちは地域によってかなり異なることを示している。

祖先集団の移動や複雑な混血の実相明らかに

 今春発表された理研の研究成果も、それに先立つ金沢大学や東京大学の研究成果も、DNA、ゲノム解析の技術が進化人類学と融合した賜物(たまもの)と言える。日本人のルーツだけでなく、人類のさまざまな集団が持つ遺伝的変異の系統が明らかになって人類がどのように世界中に広まっていったかが分かってきた。

現生人類のホモ・サピエンスがネアンデルタール人やデニソワ人と交雑してそれぞれの遺伝子の一部を引き継いでいることを示すイメージ図(ノーベル財団提供)

 人類進化の研究に新たな視点を提供したデニソワ人の名を命名したのは、2022年のノーベル生理学・医学賞を受賞したドイツ・マックスプランク進化人類学研究所のスバンテ・ペーボ教授だ。教授は約4万年前に絶滅したネアンデルタール人の骨片のゲノム解析を行ってゲノム配列を2010年に発表。欧州やアジアに住む現代人のゲノムの1~4%がネアンデルタール人に由来し、ネアンデルタール人が現生人類と交雑していた証拠を示した。

ペーボ氏(沖縄科学技術大学院大学提供)

 ペーボ教授はまた、2008年にロシア・シベリアのデニソワ洞窟から出土した骨片の核DNAの全配列を決定してデニソワ人と命名。世界各地の現生人類の核DNA配列と比較して東南アジアの集団では全DNAの4~6%がデニソワ人から受け継いでいることも突き止めている。進化人類学を大きく前進させた業績がノーベル賞受賞につながった。

 日本の進化人類学や分子人類学研究の第一人者である国立科学博物館館長の篠田謙一さんによると、1981年に人間のミトコンドリアDNAの全配列が解読された。その後DNAを増幅する技術「PCR法」ができるなどして20年が経過し、2001年に人間一人分の核DNAの全塩基配列が明らかになった。「次世代シーケンサー」と呼ばれる装置の登場で核DNAの解析を短時間で大量にできるようになり、2010年以降、進化人類学は新しい段階に入ったという。

時空を超えて人類、日本人の本質に迫る

 篠田さんは日本人の成り立ちを探るために2018~22年に実施された「ヤポネシアゲノムプロジェクト」に主要メンバーとして参画し、日本人成立のシナリオを明らかにする数多くの研究成果を残している。ヤポネシアとはラテン語を組み合わせた造語で日本列島を表す。

 今年1月に開かれた日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)主催の講演会(月例会)で篠原さんは「このプロジェクトで現代日本人につながるプロセスは弥生時代で止まっておらず古墳時代まで延びることが分かった」「縄文人のゲノムは全て読めているが本州の日本人では(平均)10%が縄文人の遺伝子で90%は弥生時代以降入ってきた遺伝子だ」などと説明した。

 さらに「弥生時代にはたくさんの遺伝的変異を持った人たちがこの日本列島で暮らしていた。弥生人と言うが誰か1人をもって弥生人の代表とは言えない」と指摘。「日本人はどこから来たのかとよく言う。私も『我々はどこから来たのか』と自分の本のタイトルに書いたが、アフリカから来たことは分かっているので『日本人の成り立ち』と考える方がいい」と述べた。

 さまざまな年代や地域で得られた試料のDNAを比較することが可能になり、出土された骨の形状の違いだけでは判別できなかった私たちの祖先の集団の移動や複雑な混血の経緯が分かってきた。日本人の成り立ちが、そして日本人のルーツは多様であることがはっきりしてきた。

日本人の成り立ちなどについて語る篠田謙一氏(筆者撮影)

 「古代の人々のゲノムを調べることで当時の社会を知ることができるようになった。このことがこの10年のゲノム研究の進歩だ。こうした科学の進歩により社会とか人間とかを深く知ることができる」。篠田さんはこう強調している。

 DNA解析、ゲノム解析は明らかに考古学や人類学を大きく変えた。約31億塩基対の「遺伝情報文字」が詰め込まれている細胞核のゲノム。それを読み解く現代の技術は時空を超えて人類や日本人の本質に迫っている。

内城喜貴/科学ジャーナリスト、共同通信客員論説委員

https://news.yahoo.co.jp/articles/3977b5ccd52c411accc697a392f214cd99d3fc2b


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