先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

北海道開発局人事(1日) 一部抜粋

2024-07-01 | アイヌ民族関連

有料記事

北海道新聞2024年7月1日 0:00

▽開発監理部開発調整課長(北海道局地政課事業計画調整官)赤川裕志▽開発監理部アイヌ施策推進課長(旭川開建次長)前田宗一郎

▽旭川開建次長(公益財団法人アイヌ民族文化財団民族共生象徴空間運営本部本部長補佐)須藤慎一

▽辞職 建設部長米津仁司、開発監理部アイヌ施策推進課長山田賢

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1031756/


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「ゴールデンカムイ」杉元&ホワイトタイガー、アシリパ&アルパカなど! 動物とふれあうイラストがかわいい♪「東武動物公園」コラボグッズ登場

2024-07-01 | アイヌ民族関連

アニメアニメ2024年06月29日(土)17:30

『ゴールデンカムイ』トレーディング ちびキャラ 動物とのふれあいver. 缶バッジ ver.A 画像(5枚)

TVアニメ『ゴールデンカムイ』と埼玉県のハイブリッドレジャーランド「東武動物公園」のコラボレーションによる「ちびキャラ 動物とのふれあいver.」イラストなどのグッズが登場。アニメ・マンガのオリジナルグッズを販売する「AMNIBUS」にて予約受付中だ。

『ゴールデンカムイ』は、「週刊ヤングジャンプ」にて連載された野田サトルによる大ヒットマンガを原作とするTVアニメだ。「不死身の杉元」の異名を持つ日露戦争の英雄・杉元佐一とその相棒となったアイヌの少女・アシ(リ)パを中心に、アイヌから奪われた金塊を巡る生存競争サバイバルを描く。

原作は「マンガ大賞2016」や「第22回手塚治虫文化賞」のマンガ大賞に輝き、既刊のコミックス全31巻でシリーズ累計部数は2,700万部を突破。足かけ8年にわたる連載が終了した今もなお多くのファンの心をつ

かみ続ける。TVアニメは2018年4月より放送された第1期を皮切りにシリーズ展開しており、実写映画化も果たした。TVアニメは計4期を経ての最終章、実写映画は続編にあたるドラマシリーズ版第1弾を控える。

予約受付中の「ちびキャラ 動物とのふれあいver.」イラストグッズは、そんな本作と遊園地、動物園、花と植物の広場が融合した埼玉県のハイブリッドレジャーランド「東武動物公園」のコラボレーションによるもの。

登場したのは、杉元佐一、アシ(リ)パ、白石由竹、尾形百之助、月島軍曹、鯉登少尉、ヴァシリ、海賊房太郎、土方歳三、牛山辰馬、門倉看守部長、キラウシ、鶴見中尉、谷垣源次郎、二階堂浩平、宇佐美上等兵、菊田特務曹長、有古一等卒、インカラマツ、キロランケの20キャラクター。

動物園ならではのデザインで描き起こされたちびキャライラストがあしらわれている。

トレーディング商品には「アクリルスタンドキーホルダー」のver.Aとver.B、「缶バッジ」のver.Aとver.Bがラインナップ。いずれも1BOX、または単品にて1BOX相当数を注文ごとに予約購入特典も付属する。

そのほか「ランチトートバッグ」、「マグカップ」、「フレークシール」、「A3マット加工ポスター」、「クリアファイル」なども取り扱い中。

さらに杉元佐一の軍帽や三十年式歩兵銃、マフラーなどのモチーフを、ホワイトタイガーと一緒にデザインに取り入れた“杉元佐一 ホワイトタイガーモチーフ”の「Tシャツ」と「キャップ」も用意された。

TVアニメ『ゴールデンカムイ』と埼玉県のハイブリッドレジャーランド「東武動物公園」のコラボレーションによる「ちびキャラ 動物とのふれあいver.」イラストなどのグッズ各種のお求めは「AMNIBUS」まで。

<商品情報>

・トレーディング ちびキャラ 動物とのふれあいver. アクリルスタンドキーホルダー ver.A

価格:単品 880円(税込), BOX 8,800円(税込)

種類:全10種

・トレーディング ちびキャラ 動物とのふれあいver. アクリルスタンドキーホルダー ver.B

価格:単品 880円(税込), BOX 8,800円(税込)

種類:全10種

・トレーディング ちびキャラ 動物とのふれあいver. 缶バッジ ver.A

価格:単品 440円(税込), BOX 4,400円(税込)

種類:全10種

・トレーディング ちびキャラ 動物とのふれあいver. 缶バッジ ver.B

価格:単品 440円(税込), BOX 4,400円(税込)

種類:全10種

・ちびキャラ 動物とのふれあいver. ランチトートバッグ

価格:各2,178円(税込)

種類:全4種(集合A、集合B、集合C、集合D)

・ちびキャラ 動物とのふれあいver. マグカップ

価格:各1,650円(税込)

種類:全4種(集合A、集合B、集合C、集合D)

・ちびキャラ 動物とのふれあいver. マグカップ

価格:各1,650円(税込)

種類:全4種(集合A、集合B、集合C、集合D)

・ちびキャラ 動物とのふれあいver. マグカップ

価格:各1,650円(税込)

種類:全2種(集合A、集合B)

・ちびキャラ 動物とのふれあいver. フレークシール

価格:各990円(税込)

種類:全2種(集合A、集合B)

・集合 ちびキャラ 動物とのふれあいver. A3マット加工ポスター

価格:880円(税込)

・集合 ちびキャラ 動物とのふれあいver. クリアファイル

価格:440円(税込)

・杉元佐一 ホワイトタイガーモチーフTシャツ

価格:4,378円(税込)

・杉元佐一 ホワイトタイガーモチーフキャップ

価格:4,620円(税込)(C)野田サトル/集英社・ゴールデンカムイ製作委員会

https://www.excite.co.jp/news/article/Animeanime_85152/


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「水俣病」に苦しむアマゾンの先住民 金採掘で弱者にひずみ、「境界から」㉕ブラジル

2024-07-01 | 先住民族関連

新潟日報2024/6/30 11:30(最終更新: 2024/6/30 11:43)

 ブラジル・イタイトゥバ

 アマゾン川の支流タパジョス川がたゆたうブラジル北部の町イタイトゥバ。先住民族ムンドゥルクやヤノマミの子どもたちや妊婦が診療所で検査を受ける。医師が「髪を少し切ります」と話すと不安げに泣き出す子もいる。

 生まれながら神経系などに障害がある子が多い。過去の調査で毛髪から高い濃度の水銀が検出された人もいる。日本の水俣病によく似た症状だ。ムンドゥルクのリーダーで活動家のアレッサンドラ・コラプ(40)は「...

残り2092文字(全文:2292文字)

https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/431627


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カナダの「先住民観光」ツアーを体験取材した、その歴史とストーリー、野生動物の生態系から、深い文化理解が叶う旅

2024-07-01 | 先住民族関連

トラベルボイス2024年06月30日

カナダ観光で「先住民観光」が注目を集めるなか、各州でもさまざまな先住民観光プロダクトが揃いつつある。なかでもアルバータ州は先住民メイティが多いところで、関連のプロダクトも多様だ。

2024年5月にアルバータ州エドモントンで開催されたランデブーカナダ(RVC)の視察ツアーで、メイティ・クロッシングがパークス・カナダ(カナダ国立公園管理局)とともにメイティの文化理解のために企画した2泊3日の「Beavers, Bison, and People: Our Promise to Wahkotowin」に参加した。本記事では、エドモントン周辺の先住民観光と、その背後にあるストーリーを紹介する。

※冒頭写真:ジェリー・ホワイトヘッドのモザイク画を解説するディアキウ氏

カナダの先住民のひとつ「メイティ」の歴史

まず、基本情報として知っておきたいのが、カナダの先住民は、かつてインディアンと呼ばれたファーストネーションズ、北極圏のイヌイット、先住民とヨーロッパ人の間に生まれたメイティという3つのグループが憲法で定められていることだ。

なぜ、ヨーロッパ系の先住民がいるか? 1700年代に毛皮貿易のためにやってきたフランス、スコットランド、イングランドの男性とクリー族など先住民女性と結婚で生まれた子孫が、毛皮交易やバイソン猟を通じ、世代を経て独自の文化や民族性を形成。現在、先住民と認められているためだ。

アルバータ州メイティネーション(メイティの自治組織)では、メイティとは「メイティを自認し、メイティの先祖を持ち、メイティネーションに受け入れられている者」と定めている。現在、カナダ全土でおよそ55万人、アルバータ州で11万人以上のメイティが存在する。

メイティ地質学者の解説でめぐる先住民アートパーク

メイティの歴史や文化をテーマとしたツアーは、エドモントンの南側、クイーン・エリザベス・パークの一角にある先住民アートパーク「イニュウ(ÎNÎW)リバーロット11∞」からスタートした。ここの案内役となったトーキング・ロック・ツアーズ創始者キース・ディアキウ氏はメイティの地質学者で、フランスとウクライナにルーツがあり、先祖は1885年のメイティの反乱(バトーシュの戦い)で亡くなっていたりと、家族の歴史がそのままカナダの歴史となっている。

「メイティは戦いで敗れた1885年から、インディアンでも入植者でもない立場で(憲法で先住民の法的地位が認められた)1982年まで忘れられた存在だった。今は、何世代にもわたる和解の最中だ」と語る。

(写真)案内板はクリー語など先住民の言葉で書かれ、英語も併記される

2018年にオープンしたアートパークは、この地に住んでいたメイティのジョゼフ・マクドナルドが所有した河川区画リバーロット11の名前も付された。リバーロットとは、毛皮貿易衰退後に農地確保のために作られた独自の細長い土地区画のこと。川岸から耕作地を挟み高台側へもアクセスできる画期的なシステムだとディアキウ氏はいう。カナダ建国以前からコミュニティが形成されたメイティの重要な拠り所で、このリバーロットを無視してカナダ政府が西部の統合を進めたことがメイティの反乱へとつながった。

公園に置かれた6つのインスタレーションはメイティの歴史や文化にちなむもので、ジェリー・ホワイトヘッドの作品「マモカマトウィン (助け合い)」(冒頭の写真)では、タートルアイランド(=北アメリカ大陸)を表すカメの背中に、スウェットロッジやビーバー、旗、バイソンなどメイティの象徴が描かれている。

(写真)公園名はクリー語で記されている。ᐄᓃᐤはクリー語で”I am of the Earth.”の意、ÎNÎW(イニゥ)は発音を表し、∞はメイティのシンボル

ウクライナ文化歴史村で移民の歴史を見る

エドモントンから西50キロにはウクライナ文化遺産村がある。

ここでランチに立ち寄り、同施設を支援する友の会が作ってくれたジャガイモとチーズの入ったダンプリング、米を包んだロールキャベツやソーセージなどウクライナ料理を味わった。ウクライナ文化遺産村は1930年までのウクライナ人入植地の風景が再現された屋外博物館で、アルバータ州が運営。オーストリア=ハンガリー帝国支配下のウクライナ人が160エーカー(0.65平方キロ)の土地が与えられるカナダへ、よりよい生活を求めて最初にやってきたのが1890年代のこと。今では130万人のウクライナ人がカナダに住み、本国以外で住む人口の多さはロシアに次ぐ。

(写真)1930年代以前のカナディアン・ナショナル鉄道駅の風景

「カナダのウクライナ人の物語はカナダの歴史でもある」と館長のデイビッド・マコウスキー氏は話す。

360エーカーの敷地には最初にカナダに辿り着いた道から初期に建てた家も復元。農場や穀物倉庫、店や教会などコミュニティができていった様子も偲ばれ、年代で異なる家々からは徐々にカナダ風になっていく変遷も見られる。農地を開拓するうえで先住民との関わりもでき、先住民やメイティが土地ならではの知恵を与えたことが、この地で生きる上での助けになったのだそう。

そして、ここで見られるのは、特別な人ではなく、ごく普通の人たちが辿ってきた暮らしの証だと同館ガイドのイリーナ・タトコさんは強調する。家の中に入ると、当時の服装を身につけた人がその時代の人物を演じているので、時間を超えたリアルな没入感が楽しめる。

(写真)初期の農家の家。家にお邪魔したかのように話しかけられる

バイソンとビーバーが再生した生態系を知る

メイティの文化に大切なバイソンやビーバーについて知るため、エルクアイランド国立公園へ。ウクライナ文化遺産村からビジターセンターへは車で5分程度。野生動物保護区として1906年に設立された同公園は、今ではバイソン保護の要で、Bison Backstage Tourでパークス・カナダ(カナダ国立公園管理局)の保護活動を紹介している。

「バイソンはウォルマートであり教会である」(ブラックフット族の学者リロイ・リトル・ベアの言葉)といわれるようにバイソンは精神的・物質的にも先住民の重要な資源。体重1トンと北米最大の陸生哺乳類で、肉は食糧に、毛皮はティーピー(テント式住居)や衣服に、骨からは道具を作るなど全て残さず利用されていた。生態系にも欠かせない存在で、草食であるバイソンの糞は菌類や植物の栄養になり、さまざまな植物が生え、虫や鳥がやってくる。バイソンが土の上で転げ回ってできた窪みは水場となってカエルが棲むなど、バイソンが戻ったことでクレーター化していたプレーリーが本来の生態系を取り戻しているという。

バイソンの保護は先住民の暮らしを守り、環境保全の点でも重要

1800年代初頭までに6000万頭もいたバイソンだが、牛などの家畜や病気がもたらされ、19世紀末には1000頭未満に減少。ヨーロッパへの毛皮貿易のための狩猟だけでなく、中西部の鉄道開通の影響も大きく、これにより入植者が増加したことが背景にある。先住民やアメリカ人の手を経て、最終的にカナダ政府は残された最後のバイソンの群れの半数以上を購入して保護した。現在、エルク島国立公園にいるバイソンは1000頭弱。牛と交配しないよう、病気にも気をつけて管理され、カナダの先住民コミュニティだけでなくアメリカにも供給し、一部がメイティ・クロッシングにも送られている。

同様に、ビーバーが「生態系エンジニア」としていかに土地を支えているか、アストティン湖を周りながら説明を受ける。もともとこのエリアはビーバーヒルズ(クリー語のAmiskwaciy=アミスクワシーの英訳が由来)と呼ばれ、その名の通り、19世紀初頭まで多くのビーバーが生息していたが、毛皮貿易でほぼ絶滅。1940年代になって、ビーバーの再生に成功する。ビーバーは水路を堀り、池を作り、干ばつでも水位を維持し、湿地が保たれることで鳥類や両生類などが生息できるようになった。今では数百匹のビーバーがいる。

「ビーバーが懸命にダムや自分の家を作ることが全ての生態系を助け、それが地球の役に立っている。このビーバーのマインドセットに学ぶところは大きい」とパークス・カナダのインタープリター、トリスタン・ヒル・ドロズディアク氏は語る。

(写真)ビーバーがかじり倒した木が並ぶ。湖はビーバーによって保たれている

次回の記事では、メイティ・クロッシングでの体験をレポートする。

取材協力:カナダ観光局

取材・記事 平山喜代江

https://www.travelvoice.jp/20240629-155630


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フィリピンのジャングルでの皇軍兵士のおぞましい「人肉食行為」…「日本赤十字社」の従軍看護婦にも”玉砕”の時が

2024-07-01 | 先住民族関連

現代ビジネス2024年6月30日 12時0分 

中編『死体をトロッコに乗せて運び大きな穴に…植民地から召集された「日本赤十字社」従軍看護婦が明かす「地獄のような戦場」』から続く

「処置」された傷病兵たち

1945年1月にマニラを撤退してバギオへ移り、さらに北部のジャングルへと逃げ込んだ日本軍。「日本赤十字社(日赤)」と陸軍の看護婦たちは、その劣悪な状況の中で傷病兵の看護をした。

4月23日、米軍が接近したために金鉱山に設けた“病院”からも撤退する事になった。朝鮮からの日赤看護婦・潘姫静(パン・ヒジョン)さんは、日赤の制服では動きにくいので、もらった布で服とリュックを作り髪も切った。最小限の荷物だけを持ったが、それでも 20キログラムあった。

そしてジャングルでの逃避行という大変な事態を前に、鬼畜の所業が行なわれた。「衛生兵が患者たちを処置したと何度か聞きました」と潘さんは言う。潘さんと一緒に朝鮮で召集された蔡然福(チェ・ヨンボク)さんは次のように述べた。

「鉱山を撤収してジャングルへ逃げる際、動く事のできない数百人の患者がいました。その人たちは仲間の兵隊によって、クレゾールの注射で殺されたそうです」

こうしたことは、ジャングルでの逃避行の中でもあったという。動くことのできない傷病兵を、自分たちの撤退の足手まといになるとして殺害するということは他の戦場でもあった。「日本人女性である看護婦に殺してもらうことがせめてもの供養」という理屈で、兵士ではなく看護婦に殺害させることがあったという。中国東北部の「関東軍」の病院では、衛生兵ではなく看護婦が青酸カリを注射したという。

「ジュネーブ条約」では、退却に際して負傷兵を前線から後送することができない場合には、衛生要員をつけてその場に残置し、敵の保護にゆだねることができるとしている。だが日本軍は、動くことができない兵であっても、敵の捕虜になることを一切許さなかった。それは「生きて虜囚の辱めを受けず」とした「戦陣訓」があったからだ。これによって、どれほど多くの将兵や民間人までもが自決や殺害されなければならなかったことか。

ジャングルの中での、兵士と看護婦らの絶望的な逃避行が始まった。兵士たちは、眠りながら歩く。カルシウム不足で、歩いているだけで骨折する兵士もいる。木の上からは、人間の血を吸うためにヒルが次々と落ちて来る。大量に吸われて死んだ人さえいる。力尽きた兵士たちの死体が路上に積み重なっていても、誰も気にしない……。

こうした死と隣り合わせの逃避行が行なわれたルソン島北部のジャングルへは、看護婦だけでも約500人が逃げ込んでいたという。

人肉を食べる兵士たち

ルソン島北部のジャングルには、食べ物がなかった。私はこのルソン島北部やニューギニアの熱帯林を歩いたことがあるが、食料となるようなものはほとんど見当たらなかった。兵士たちはバナナの木の皮や芯、アザミの根、そしてネズミやゴキブリなど何でも口にした。履いている革製の軍靴まで食べた。そして、ここで暮らす先住民族が植えたイネやイモを畑から奪った。

「人肉を食べている者がいる」という噂が看護婦たちに伝わる。このルソン島でも、日本兵による人肉食が頻繁に行なわれていたようだ。山の中には、大腿部や頬などがえぐり取られた日本兵の死体が転がっていた。

日本兵は先住民族を襲っただけでなく、仲間の兵士まで殺して食べたのだ。この地域でも先住民族の抗日武装組織による日本軍への襲撃があったが、味方の兵士からも襲われないように警戒したというのだ。

たくさんの日本兵がジャングルの中で飢餓状態に置かれるといった事は、フィリピンだけでなくニューギニアでもあった。私は、ニューギニアで住民を殺してその肉を食べたという元軍属から話を聞く事が出来た。

日本統治下の台湾では、先住民族による「高砂義勇隊」が組織された。戦闘に参加しないはずの軍属だったが、フィリピンやニューギニアの陸軍部隊に配属。山仕事で使う大きな「蕃刀(ばんとう)」だけで米軍陣地への“斬り込み”の先頭に立たされ、多くの戦死者を出した。

「ニューギニアには、弾だけでなく食べ物もありませんでした。私が持って行った蕃刀は長さが75センチあり、人間の首でも落とせるほどでした。それでイノシシを捕まえただけでなく、住民を殺してその肉を夜中に煮て食べたんです。ただ戦友が死んでも、そうすることはありませんでした」

「人肉食があった」と話す元兵士はいるが、自ら人を殺して食べたと語った人はほとんどいないのではないか。その事を明らかにしたならば、社会から排除される可能性が高いからだ。台湾人の元軍属が語ってくれたのは、高砂義勇隊の取材で何度も訪れた私を信頼してくれたからだろう。

看護婦にも“玉砕”の時が

話はルソン島のジャングルへ戻る。口にできそうな物はすべて食べ尽くし、看護婦たちにも死が迫っていた。「玉砕するのは近い」という話が伝わってきた。埼玉県からの日赤救護班には、3人に1個の手榴弾が渡された。大分県の救護班では、仲間の負担を減らすために自ら麻薬を注射して自決した看護婦がいたという。

黄玉緞さんら台湾からの陸軍看護婦は、6月9日にキアンガンへたどり着いた。ここは敗戦後の9月2日に、山下奉文・第14方面軍司令官が米軍に降伏した場所だ。この地で全員が自決することになった。

整列して皇居の方向へ「東方遥拝」をし、「君が代」と「海ゆかば」を歌った。そして、まず患者たちが注射によって「処置」された。ところが、である。玉砕は突然、中止になったのだ。「命じられて患者たちを殺した兵士はその後、精神に異常をきたしたんです」と黄さんは言う。

フィリピンでの日本軍の軍人・軍属の死者は約50万人。その「名誉の戦死」の実態は、多くは餓死と無意味な玉砕によるものだった。フィリピンで戦死した従軍看護婦は、日赤救護班の114人、陸軍看護婦の16人だという。

激しい爆撃を繰り返していた米軍機が突然来なくなった。日本が「ポツダム宣言」を受諾したのだ。潘さんは、天皇とマッカーサーが並んだ写真が入ったビラで日本の敗戦を知る。

看護婦たちは武装解除された将兵たちと共に、米軍のトラックに乗せられた。輸送される途中ではフィリピン人たちから「ジャパン、ドロボウ(日本語)」との罵声を浴び、手当たり次第に石を投げつけられた。日本軍の占領によって肉親を失ったフィリピン人にとって、戦闘に参加していない看護婦であっても増悪の対象だったのだ。

看護婦たちも、マニラ郊外モンテンルパの捕虜収容所へ入れられた。ここには大勢の朝鮮人「慰安婦」もいた。最初の引き揚げ船には、朝鮮人たちが乗る事になった。「343救護班」にいた3人の看護婦や軍人・軍属など、数百人の朝鮮人が日本の軍艦で帰国した。

「親日派と言われるので、日赤看護婦だった事は人には話せなかったんです。夫は、私が従軍した時の話をするのを嫌がっていました」と潘さんは言う。蔡さんは「人のためになるような生き方をしたいと思って日赤看護婦になったのですが、その事で人生が変わってしまいました。今でも看護婦になった事を後悔しています」と何度も繰り返した。

朝鮮戦争でも看護婦を動員

日赤から戦争での傷病兵看護のために看護婦を出したのは、アジア太平洋戦争が最後ではなかった。

1950年6月25日、朝鮮戦争が始まる。この戦争で北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)・中国・ソ連と戦ったのは、韓国・米国など16ヵ国の「国連軍」。日本はそれに入っていないが、さまざまな形での多大な支援をした。分かっているだけでも、「海上保安庁」職員や米軍雇用の船員など60人近くの日本人が死亡している。日本は事実上の“参戦国”だった。

「国連軍総司令官」のダグラス・マッカーサーは、日本を戦争遂行のための巨大な兵站基地にしようとし、吉田茂首相はそれを積極的に受け入れる。日本国内で大量の物資調達が行なわれ、港湾・鉄道などが使用された。米軍に雇用された労働者は最大時には約30万人にもなり、米軍が集めた日本人の港湾労働者数千人が韓国の港で働いた。

この戦争で「国連軍」は、約36万人の死傷者を出したという。そのため膨大な数の傷病兵が、日本へ次々と移送されてきた。日本各地の14都市には、「国連軍」の野戦病院が設置。そして日赤本社は、マッカーサーからの看護婦の派遣要求に対し全面的に協力することを決めた。

朝鮮戦争が始まって半年後、日赤は看護婦を再び「赤紙」を使って召集したのだ。アジア太平洋戦争が終わってからも、日赤の看護婦養成のための学校を卒業した看護婦には召集に応じる義務があったからだ。その根拠となる「日本赤十字社戦時救護規則」が廃止されたのは、1965年6月になってからの事だ。

日赤本社は九州の支部に対し、救護班派遣を要請。佐賀県では、その要請を受けたのが12月8日午後8時だったが、11日午前11時には佐賀市役所で出発式が行われることになった。

急なことなので、日赤支部の病院で勤務している看護婦が召集された。その看護婦16人は濃紺の制服姿で、飯ごうと水筒をけさ掛けていたという。まさしく、アジア太平洋戦争で戦場へ送られた救護班と同じ姿なのだ。

派遣先は、福岡県の「国連軍第141兵站病院」。九州の各支部から、第1次54人・第2次25人・第3次17人を派遣したのである。この病院には傷病兵約1500人が収容されていて、看護婦は約1000人もいたという。

ところが日赤本社は、この「国連軍病院」への看護婦派遣という事実を隠し、病院内での服務内容などを機密扱いにして看護婦に守秘義務を課すことまでしたのだ。また日赤は、「国連軍」兵士への献血や慰問の金品を送る運動を全国で精力的に展開。

「敵味方なく救う」という赤十字の基本精神からすれば、朝鮮戦争の当事国でもない日本の赤十字社は、北朝鮮の「朝鮮赤十字会」へも医薬品などを送るべきだったのではないか。

再び日赤看護婦は戦争へ動員されるのか

「赤十字は戦争を前提とした組織であったし、今もそうである。(中略)兵士が安心して戦うための後方支援、ついには戦争の歯車となってしまうこともある」(『戦争のある場所には看護師がいる』「戦時下に日本のナースたちが体験したこと」川原由佳里)

そのように日赤は、日中戦争からアジア太平洋戦争に至るまで軍部に命じられるまま看護婦を戦場へ派遣し、戦争を底辺で支えてきた。そのことに対する反省がなかったために、朝鮮戦争でも看護婦派遣などで協力することになった。そうしたことは、再び起こらないのだろうか。

2004年6月、「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律(国民保護法)」が成立。日赤はこの法律で、日本銀行・日本放送協会(NHK)などと共に「指定公共機関」となった。「指定公共機関は、武力攻撃事態等においてはその業務について、国民の保護のための措置を実施する責務を有する」としており、日赤の自主性が大きく制限される事が危惧される。

日赤は国民保護法の成立を受け、翌年に「日本赤十字社国民保護業務計画」を策定。「本社、支部並びに医療施設、血液センター及び社会福祉施設等の施設が一体となって、必要な措置を実施する」とし、武力攻撃を受けた際には組織を上げて政府に協力することを明確にした。

「朝鮮半島有事」や「台湾有事」は実際には米国が当事者であるため、その同盟国・日本へは朝鮮戦争の時よりも多い傷病兵が運ばれて来るだろう。そのための体制をすでに整えているという自衛隊は、昨年6月からは「自衛隊中央病院」でウクライナ軍の負傷兵の受け入れをしている。予行演習である。

自衛隊には、自衛隊中央病院と10ヵ所の地区病院がある。そこで働く「自衛隊看護師」は約1000人だという。敗戦前の「陸軍看護婦」は約2万500人、「日赤看護婦」は約1万1500人との事なので、比較すれば圧倒的に少ない。「有事」になれば、自衛隊看護師だけでなく日赤看護師も動員されるのは確かだろう。

(撮影日記載の写真は筆者撮影)

https://news.livedoor.com/article/detail/26698644/


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