先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

白老町と台湾・秀林郷、友好へ議員連盟 全町議が参加し設立

2024-07-02 | アイヌ民族関連

武内敦貴 有料記事

北海道新聞2024年7月1日 22:03(7月1日 22:24更新)

記念品を交換した台北駐日経済文化代表処札幌分処の粘信士処長(左)と白老町の小西秀延議長

 【白老】町が友好交流推進協定を結ぶ台湾東部の花蓮県秀林郷との交流拡大を図ろうと、町議会は町議全14人による日台友好議員連盟を設立した。

 町内のアイヌ民族と現地の先住民族タロコ族との相互交流をきっかけに、町は2022年8月、タロコ族が暮らす秀林郷と推進協定を締結。今年3月には、秀林郷の訪問団が町役場や民族共生象徴空間(ウポポイ)を訪れ、町民らと交流した。今年4月の台湾東部沖地震を受け、町と町議会は義援金計55万円を贈っていた。

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https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1032367/


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支笏湖の夏 踊り味わう 千歳

2024-07-02 | アイヌ民族関連

加藤祐輔 有料記事

北海道新聞2024年7月1日 21:34

千歳アイヌ文化伝承保存会による古式舞踊に参加して楽しむ来場者ら

 【支笏湖畔】初夏の支笏湖を楽しむ「支笏湖夏まつり~第74回支笏湖湖水まつり~」が6月30日、支笏湖畔園地で開かれ、親子連れや千歳市内外からの観光客でにぎわった。

 芝生広場ではステージ発表が行われ、来場者は千歳アイヌ文化伝承保存会メンバーが披露したアイヌ古式舞踊に加わったり、支笏湖小児童らの歌やダンスなどを楽しんだりした。

 500本用意されたヒメマス(チップ)の塩焼きには長い列ができ、2時間足らずで完売する盛況ぶりだった。

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https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1032330/


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マンロー博士の子孫が登別に アイヌ民族研究した英国人医師 銀のしずく記念館初訪問

2024-07-02 | アイヌ民族関連

村上真緒 有料記事

北海道新聞2024年7月1日 19:44

銀のしずく記念館に初めて訪れ、説明に耳を傾けるアイリーン・マンローさん(左から2人目)=6月27日午前9時50分ごろ

 【登別】日高管内平取町二風谷でアイヌ民族を研究しながら地域医療に貢献した英国人医師で人類学者のニール・ゴードン・マンロー博士(1863~1942年)の子孫、アイリーン・マンローさん(64)=ドイツ在住=が6月27日、「知里幸恵 銀のしずく記念館」(登別本町)を初めて訪問した。

 アイリーンさんは、先月下旬に平取町の旧マンロー邸前庭で開かれた「マンロー先生をしのぶ会」に参加するため13年ぶりに来日。これに合わせて、同町関係者とともに白老や登別など、マンロー博士ゆかりの地を巡る中で、記念館を訪れた。

 同館の開設に尽力した幸恵のめい、横山むつみ永世館長(故人)は2002年、マンロー氏が収集したアイヌ工芸品や関連資料などの「マンローコレクション」の復元にかかわった経緯がある。

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https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1032249/


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アイヌ文化継承へ国有林活用 平取町、森林管理署と契約

2024-07-02 | アイヌ民族関連

石井純太 会員限定記事

北海道新聞2024年7月1日 19:40(7月1日 21:00更新)

共用林野の契約締結式に出席した日高北部森林管理署の野木宏祐署長(前列左から2人目)と平取町の遠藤桂一町長(同3人目)ら関係者

 【平取】平取町と日高北部森林管理署(日高町)は1日、アイヌ民族が儀式に用いる祭具や伝統家屋「チセ」の建材の一部になる木の枝などを国有林から採取できる「共用林野」の契約を結んだ。道内5例目の契約で、対象は平取町内の国有林7306ヘクタールと、最大面積となる。

 2019年施行のアイヌ施策推進法に基づく特例措置で、アイヌ文化の安定的な継承と振興が狙い。祭具や伝統料理、山での狩猟の際に建てるクチャチセ(仮小屋)の材料に使うなどの六つの目的で、トドマツの枝やニリンソウなどの山菜、オヒョウの種子などの採取ができる。契約期間は29年3月末までで、更新できる。

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https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1032245/


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マンロー医師の功績しのぶ 平取 孫娘アイリーンさん参加

2024-07-02 | アイヌ民族関連

石井純太 有料記事

北海道新聞2024年7月1日 19:29

ユカラと語り部に参加してアイヌ語による昔話に耳を傾けるアイリーンさん(後列左から2人目)

 【平取】1932年(昭和7年)から42年(昭和17年)に亡くなるまで約10年間町二風谷で暮らし、住民の無償診療やアイヌ民族文化の研究に取り組んだ英国の医師ニール・ゴードン・マンロー氏の功績をたたえる「マンロー先生を偲(しの)ぶ会」が、二風谷の旧マンロー邸敷地内で開かれた。

 町教委の主催で、6月23日に行った。今回は同氏の孫娘で、ドイツ在住のアイリーン・マンローさん(64)を招いて開催した。アイリーンさんが同会に参加するのは2011年以来2度目。

 アイリーンさんはじめ、遠藤桂一町長や平取アイヌ協会の木村英彦会長など町民ら約40人が参加。黙とうした後、顕彰碑とマンロー氏の写真の前に献花した。

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 ※ユカラの「ラ」は小さい字

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1032239/


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新得・ガンケフェス 10年の節目 6日に音楽祭

2024-07-02 | アイヌ民族関連

和田年正 有料記事

北海道新聞2024年7月1日 18:29

 【新得】アイヌ民族の伝承が残るくったり湖の景勝地「ガンケ(崖)」を望む野外音楽祭「GANKE FES(ガンケフェス)2024」(実行委主催)が6日、くったり温泉レイクイン特設会場(町屈足808)で開かれる。

 屈足地区の若手酪農家らが2014年から手作りで運営。実行委員長の鳥本健太さん(43)は「今年はここでしかできない体験を」と、アイヌ民族の伝承でかつてガンケにいたとされる巨鳥「フレウ」が再び戻ってきたと想定した子どもたちによるパフォーマンス「ガンケツムギ」を6日夕方に行う。

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 開演は正午で、駐車場無料。前売りチケットは町民割3500円、一般6500円。問い合わせはメールganke.festival@gmail.comへ。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1032173/


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【やさしいニュース】「自然とともに生きる豊かでていねいな生活」 アイヌの歴史や文化を詩人の宇梶さんが紹介

2024-07-02 | アイヌ民族関連

京都新聞2024年7月1日 7:00

アイヌの伝統的な文化について話す宇梶さん(京都市下京区・しんらん交流館)

 日本にほん 列島れっとうの 北きたのほう、 特とくに 北海道ほっかいどうに 早はやくから 住すんでいる 人々ひとびと、アイヌ 民族みんぞくの 歴史れきしや 文化ぶんかをテーマにした 講演こうえん 会かい「 自然しぜんと 共生きょうせいそしてこれからのアイヌ」が6 月がつ23 日にち、 京都きょうと 市し 下京しもぎょう 区くのしんらん 交流こうりゅう 館かんでありました。アイヌの 文化ぶんかを 伝つたえる 詩人しじんの 宇梶うかじ 静江しずえさん(91)が「 大地だいちに 感謝かんしゃし、 助け合いたすけあいながら 生いきるアイヌの 文化ぶんかや 生き方いきかたを 知しって、 平和へいわな 世の中よのなかをつくってほしい」と 話はなしました。

 講演こうえん 会かいは、 自然しぜんとともに 生いきてきたアイヌ 民族みんぞくの 心こころのありかたを 知しってもらおうと、アイヌ 文化ぶんかの 会かい( 左京さきょう 区く)が 催もよおしました。 講師こうしの 宇梶うかじさんは、 伝統でんとう 的てきな 刺ししゅうの 技術ぎじゅつを 生いかした「 古布こふ 絵え」や 詩しで、アイヌ 民族みんぞくのことを 今いまに 伝つたえる 活動かつどうに 力ちからを 注そそいできました。

 宇梶うかじさんは、アイヌの 伝統でんとう 的てきな 衣装いしょうを 着きて 講演こうえんしました。アイヌ 民族みんぞくは 火ひや 水みず、 動物どうぶつなどを、 大だい 自然しぜんに 宿やどるカムイ( 神々かみがみ)として 敬うやまい、 感謝かんしゃをして 真摯しんし(まじめ)に 生いきてきたといいます。 宇梶うかじさんは「 自然しぜんとともに 生いきる、 豊ゆたかで、ていねいな 生活せいかつがありました」と 話はなしました。

 また、「アイヌは、 日本にほんで 最もっとも 差別さべつを 受うけてきた 民族みんぞくです」と 説明せつめいしました。 見た目みための 姿すがたや 文化ぶんかに対して 差別さべつを 受うけてきた 自分じぶん 自身じしんの 体験たいけんを 話はなし、「アイヌは 自分じぶんを 出だせない 社会しゃかいで 生いきることを 強しいられてきました。 失うしなわれた 風習ふうしゅうを 取り戻すとりもどすために、アイヌの 声こえに 耳みみを 傾かたむけてほしいです」と 訴うったえました。

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/1280111#goog_rewarded


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アイヌとマオリ、互いの文化体験し交流 帯広カムイトウウポポ保存会

2024-07-02 | アイヌ民族関連

十勝毎日新聞2024/07/01 11:21

 帯広カムイトウウポポ保存会(酒井奈々子会長)は6月30日、帯広市生活館でニュージーランドの先住民族マオリの人々を招いた文化交流を行った。市内でマオリの人との交流が行われたのは初めてで、それぞれが...

●この記事は会員限定です。

https://kachimai.jp/article/index.php?no=612023#google_vignette


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マユンキキ インタビュー。私が作品をつくらなくてよい世界にするために(前編)

2024-07-02 | アイヌ民族関連

美術手帖2024.7.1

アイヌであることで経験する出来事を起点に、それを徹底して「個人」の観点から分析して作品にするアーティスト、マユンキキ。彼女は、東京都現代美術館で開催中の企画展「翻訳できない わたしの言葉」(4月18日〜7月7日)で、展示室を訪れる観客一人ひとりにも「その人自身」の認識を問いかける仕掛けを導入している。作品の背景にある考え、そして近年の先住民をめぐる言説に感じることとは? 会場のベッドの上で、彼女の経験を通訳として、そして友人として共有する田村かのこが聞いた(記事は前後編)。 *本記事は『美術手帖』2024年7月号(特集「先住民の現代アート」)のインタビューを未掲載分も含めて再構成したものである。記事は8月1日からプレミアム会員限定公開。

聞き手・構成=田村かのこ 撮影=池田宏(⁑を除く) 編集=杉原環樹、三澤麦

マユンキキ。「翻訳できない わたしの言葉」展(東京都現代美術館)の会場につくられた、マユンキキの自室を模した展示室にて

足を踏み入れるまえに

田村かのこ(以下、田村) まずは、いま私たちがいる東京都現代美術館で展示中の《イタカㇱ》(2024)の話から聞こうかな。映像作品が2点と、マユンさん自ら「展示品」として存在することもある自室のような空間で構成されていて、観客は部屋に入る前に、「パスポート」にサインするよう促される。このパスポートの着想は、2023年に二人でオーストラリアに滞在したとき、フッツクレイ・コミュニティ・アーツ(以下、フッツクレイ、*1)のプロデューサー、ダン・ミッチェル(*2)さんに見せてもらった「Wominjekaパスポート」(*3)から得たものだよね。

マユンキキ そう。先住民主体の音楽フェスの入り口で非先住民の観客に対して配られるもので、自分が何を知っているか、どういう心持ちでフェスに参加するのかを自問自答するための質問が書かれている。しかも、運営側はその答えをチェックするわけではない、というのがとてもいい。自分が何を知っていて何を知らないかを、自分で確認するってすごく重要だなと。

田村 人にチェックされるより覚悟を問われる感じがするよね。フッツクレイのパスポートはオーストラリア先住民についての知識を問うものだったけど、今回のパスポートはマユンさん個人と関係を築くため、と書いてある。

マユンキキ 私の作品だから、大きな枠組みに対しての知識というよりは、私がその相手と関係を築くうえで知っていてほしい、考えてみてほしい、と思う質問に絞った。「アイヌ」を対象にしてしまうと、責任が取れないし、大きな主語では語らないと決めているので。それに、自分の部屋に誰でも招き入れたりしないでしょう? だから、たとえ答えがノーだったり、これまで考えたことがなかったりしても、私からの問いかけに対して一度立ち止まって考えてくれる人に入ってきてほしいと思った。そういう人なら私も安心して対話ができるし。

田村 マユンさんが観客と直に向き合うこともある今回の展示のしつらえは、美術館という守られた場所だからできるとも言っていたね。

マユンキキ うん。いま、アイヌであるというのは、日々身の危険を感じるということ。あちこちでヘイトスピーチが横行していて、SNSを開かなくても見えてしまったり、聞こえてしまったりすることが多い。とくに北海道では目に見えるかたちでアイヌへの差別がたくさんある。不特定多数の人と向き合う今回の構成は、東京の美術館だから実現できた。これを例えば北海道の美術館でやってくださいって言われたら、たぶんまだ怖くてできない。なぜそんなに怖くて辛いのかというのは、全員に理解されなくてもいいけど、パスポートで一回止められるのはどうしてなんだろう、と思ってもらう必要はあると思っている。私が公に何かをするときっていつでも怖いから。

田村 パスポートを持って入る部屋の外には、マユンさんが写真家の金サジさんや私とそれぞれ対話する映像が流れているね。マユンさんは映像作品をこれまでにも何点かつくっているけど、いつもマユンさんがほかの人に話を聞くスタイルだよね。

マユンキキ 自分ひとりでできることって本当になくて。誰かに何かを聞いていくことで、初めて自分の思い悩んでいたことが見えてきて、やりたいことがはっきりしていくから。そういうふうにしかつくる技量がない。金サジさんやかのこと映像のなかで話した内容も、べつに普段から二人と話していることだけど、それがすごく重要で。外ではなかなか話す機会がないけど、多くの人がそのことを知っていれば、もうちょっと生きやすくなる人がいたり、他者に対して慮(おもんぱか)ることができるようになったりするんじゃないかと思っている。

田村 映像の編集も人に一任しているね。

マユンキキ そう。インタビューを撮影してもらったら、最終的な時間だけ指定して、編集箇所は映像担当者に任せる。ここを使ってくださいとか、何を伝えたいとかは一切言わない。これまでの作品は全部そうしている。文章にして出すときも、文章の編集者に任せる。私が手を入れちゃうと、すごく作為的なものにしかならないし、コントロールしたくなっちゃうから。だから他者に、信頼している仲間に全部を託す。

田村 でも、内容はすごく個人的なものだよね。

マユンキキ うん、でも超個人的なことってじつは、誰しもが思うことと通じているんだなって思うの。私の話は、あくまで北海道で生まれて、家庭環境とかいろんな状況や背景があったうえで生きているアイヌの女としての個人的な悩みじゃない? それは誰ともかぶらないように思うけど、実際はすごく普遍的な話で。全然違う属性の人が思い悩んでいることと共鳴したりする。生きづらさをどう解消していくかとか、悩みをなくすために何をしているかとか。何かを代表して言うよりも、共感を得やすいのかもしれない。

つねに個人を想像する

田村 展示品に個人的な解説を書くということもやっているね。

マユンキキ 博物館の収蔵品に付いているキャプションは、収集した人の視点で書かれていることが多い。例えばアイヌの民具に、どこで何年に収集されて、なんと呼ばれていたってだけ書かれていると、過去の遺物にしか見えない。でも本当は、誰かにとってすごく大切で、思い出深いものだったかもしれない。だから世界の博物館に収蔵されているアイヌ関連のものの解説文を、私の言葉で上書きするというプロジェクト(*4)をやっている。私が個人的な思い入れを示すことで、アイヌはいまも昔もこれからも生きていて、博物館で見るようなものたちをいまもまだ大事にしている人がいるのだと伝えたい。

 今回の作品では、私の持ち物全部に解説を書いた。誰でも手に入るような、本来キャプションなんか付いていないものだから、一見すごく違和感があると思う。でも例えば、このまま100年経って、この展示が博物館に収蔵されたら、違和感もなくなるでしょう。でも、100年経たなきゃそうならないのはおかしい。過去にならなくても、それぞれのものに価値はあるし、それに関わる人の存在も絶対あるはずだから。それに気づくための装置としてのキャプション。誰の家にもあるかもしれないようなもの一つひとつに、すごく向き合って、見た人が、あ、大事なものなのかなとか、こういう思い出があるのかな、という想像につながることを書こうとしたの。

田村 ただのモノじゃなくて、パーソナルな持ち物だと思える。

マユンキキ 鑑賞者も、誰かの個人的なものであると認識すると、不思議と主語が大きくならないのよね。これまで自分の思っていたイメージが、ちょっと崩れるきっかけになるのかも。自分が思い描いていたアイヌ像は、もしかしたら違ったかもしれないとか。そうやって「アイヌ」とか、集団的な呼称から引き離すことで、大きな枠組みに対しての働きかけになるし、博物館で人がものを見る視点を変えられるのでは、と思って。だからこの部屋の展示はたぶんここだけでは完結できなくて、この先、人が博物館で他の展示品を見たときに、なにか作用するのではと期待している。

田村 マユンさんの部屋にある個人的なものと、世界中の博物館にあるアイヌの民具とが対になって、作品として成立する感じがする。だってアイヌだけじゃなくて、先住民の展示品となっているもの、大英博物館とかに入っているようなものって、ほとんどすべて、もとは誰かが手でつくった個人の持ち物で、個人の部屋に置いてあったわけでしょう。そう考えると、鳥肌が立つ。

マユンキキ しかもその持ち主たちは、博物館に飾ってくれと頼んでもいないし、それについて語ってもいない。その人たちが自らの意思で、これをここにぜひ飾ってくださいってお願いして、自分たちがそれに対してどう思っているかを解説に書いているなら、まだいいと思う。選択して置いているから。でも、選択できていないことが問題。

 パスポートを書いてもらって、入るかどうかを選択するとか、ここに土足で入るっていう選択をしてもらうのも同じこと。私は普段生きているなかで、土足で踏みにじられている、と思うことが多い。でも、それを怒りたくない。「土足で入っていいんですか」って聞いてくれたら、「あ、大丈夫ですよ。土足でどうぞ」って言えるし、聞いたほうも、その先自分が土足であることを気にしないでここを踏める。そういうなにか、一個一個の仕掛けみたいなものをたくさん散りばめておいて、あとでどこかのタイミングで、あのときのあれはこういうことだったのかも、みたいになったらいいなと思っている。

田村 自分自身も展示品となって来場者と会話をしているけど、それはやってみてどうだった?

マユンキキ 私がこの場にいると、すぐ集団カウンセリング場みたいになるの。悩みを抱える人たちが集まってきて。でも、それはすごくありがたい。私とまったく違う出自を持った人が作品を見て、自分も同じことを思ったことがあったんですとか、自分がそれに悩んでいたことに気付けました、とか言ってくれる。その人にとっては直接的に同じことじゃないはずなんだけど、私の映像作品を見ることで、自分を振り返る契機になっているなら、すごく尊いと思って。

田村 弱さを出してもいいと思えるのかもね。

マユンキキ うん。あとは、このことで悩んで、解決しようとあがいてもいいんだ、と思えるとかね。本当は何かやらなきゃいけない、向き合わなきゃいけないと思っているようなことでもさ、悩んでいていいって言われるだけで、楽じゃない?

田村 マユンさん自身も、いつも悩んでいるしね。

マユンキキ そう。そんなことでウジウジしないで、と言われるようなことであっても、いや、だって辛いんだもん、もう嫌なんだもん、ってちゃんと言いたいから。言える世界のほうが優しいでしょ。

なぜ表現するのか

田村 美術表現を始める前は、そういう抱えさせられている気持ちはどうしていたの?

マユンキキ 抱えていた。いまよりもっとウジウジしていた。私はもともと美術を見るのがすごく好きで、自分でつくろうなんて一度も思わなかった。印象派が好きで、モネが好きで。これまで何千人という人が、モネの絵を後世に残そうと尽力した結果、私も見ることができるという事実にすごく感動して。だから現代のものよりも、たくさんの人の気持ちが込められて残された古い作品を見るのが好きだったし、そういうものだけ見て生きていたかった。でも、そうはいかないじゃない? 現実って。だから、現代美術もどんどん見ていくようになっちゃって。

田村 困ったね。自分で作品をつくるようになったのは、ブルック・アンドリュー(*5)との出会いがきっかけ?

マユンキキ そうね。「シドニー・ビエンナーレ2018」で片岡真実さん(キュレーター、森美術館館長)がディレクターになったとき、ブルックは参加アーティストの一人で、北海道にアイヌのことをリサーチしに来ていて知り合った。その後にあちこちを回るというから、せっかくだからご案内しますよと言って、冬だったけど、ばあちゃんに形見分けでもらったアミㇷ゚(アイヌの着物)を着て、シヌイェ(アイヌの伝統的な文身・入れ墨)を描いて待ち合わせをした。そうしたらそれを見たブルックが「マジ最高」みたいに言ってくれて意気投合して、旭川や北海道博物館に一緒に行く道中ずっと、ブルックと話したの。真実さんが通訳してくれながら。それで入れ墨を自分で入れている映像の話をしたら、「それを作品の一部として使わせてくれ」となって。そのあとビエンナーレの会期中初めて一人で海外に行って、ブルックの映像作品が流れている前で、1曲歌うというパフォーマンスをやった。まったく英語もわからないなか、よく頑張ったと思うわ。ブルックがずっと助けてくれていた。

 そして、その次のシドニー・ビエンナーレでブルックが芸術監督になったとき、マユンの考えていることは絶対作品になるから、何かつくれって言われた。

田村 どう思った?

マユンキキ できないよと思った。私、音楽しかやってないし、美術好きだからやりたくないと思って。でも、「どうにかするから。マユンに出てほしいんだよ、僕は。君の考えていることは、ちゃんと表に出すべきだ」みたいに、なかば強引に後押ししてくれて。

 それで結局、私は入れ墨の研究をしていたから、それはちゃんと現代美術の文脈に乗せられるんじゃないかと思って、プロジェクト・コーディネーター の細川麻沙美さんに手伝ってもらって、かたちにした。それが2020年。

田村 やってみてどうだった?

マユンキキ 最初は分からなかった。これが作品になり得ているのかも。でもブルックがさ、芸術祭の来場者が絶対誰も見逃さないような場所に展示してくれちゃって。見てくれた人が、すごく素晴らしい作品だったって、たくさん声を掛けてくれて。英語は何を言っているか分からないけど、とにかく褒めてくれていることだけは分かって。それが衝撃だった。

田村 音楽をやっているときは、そういう自分のもやもやしたものとか、悩んでいるものを表現するっていう気持ちではないの?

マユンキキ うん、音楽は楽しいだけで済んじゃうでしょう。もちろん、考えさせるものもたくさんあるけど、とりあえずノリとか好みとかだけで、盛り上がれちゃうじゃない。だからそこでは、私の悩んでいることを表現できなかった。とくに私はアイヌの伝統歌をやっているから、自分で手がけた音じゃないし、個人的な思いは邪魔になるんじゃないかと思って。アイヌを代表することになっちゃうから。

田村 音楽はマユンさんにとって、印象派の楽しみ方に近いということだね。いっぽう、現代美術の文脈での表現活動は、2020年のシドニーをきっかけに、いまいろいろ展開していっているでしょう。それは自分ではどうとらえている?

マユンキキ ずっと悩んでいる。作品つくるのは毎回苦しいし、楽しくない。でも、日々嫌なことが起きたときに、よし、これも作品にしてやるぞ、って切り替えることができるようになったから、それは少し楽かな。いままでは、ただずっと抱えていたから。

田村 シドニーのあと、2021年に札幌で初めて開いた個展(「SINRIT シンリッ アイヌ女性のルーツを探る出発展」、CAI03 )では、ご家族との映像作品も制作していたよね。家族との作品は、どういう思いでつくったの?

マユンキキ 美術作品をこれからもつくり続けるかどうか悩んでいたの。家族との作品をつくれたら続けよう、と賭けみたいな気持ちで挑んだ。これからもつくっていくなら、まず自分のことをまるっとさらけだそう、と。ルーツの話は、やっぱり一番重要だから。でも結局、家族や親友に、私という個人についての話をしてもらったところで、アイヌのことって外せないの。私がアイヌやめたいとか、アイヌから抜け出したいとか思ったところで、絡みついてきてしまうということが、映像にはっきり現れていた。

みんなで重いものを持つ

田村 アイヌであることから逃れられない、ということが、マユンさんの苦しみのもとでもあるし、作品の原動力にもなっているよね。そうなると、作品をどう見てもらうのがいちばん理想? 女性アーティストの作品を「女性」ありきで評価するな、というように、作品は作品で評価されるべきというのが定説だけど、マユンさんの作品からアイヌを引き剥がして「純粋に作品を評価する」ことは難しいでしょう?

マユンキキ 「アイヌの」って言われることは、しょうがないと思っている。いまは過渡期だし。アイヌの作家ということでしか、選ばれていないだろうと思うことのほうが多いし。でも、それは甘んじて受けるって決めている。甘んじて受けて、でもちゃんと評価される作品をつくる。

田村 きれいごと言わないで、腹割って話してくれたら引き受けるとも言っていたよね。

マユンキキ そう、はっきりと「この展示に一人、先住民入れときたいんっスよ」って言ってくれたらやる。

田村 でも理想は?

マユンキキ 本当は作品つくりたくない。

田村 作品をつくらなくていいのが理想?

マユンキキ そう。作品をつくらなくてよい世界にするために、作品をつくっている。

田村 ということは、アイヌであるってことと関係なくマユンさんの作品を語れる状態になったときには、マユンさんが作品をつくる必要がなくなるということ?

マユンキキ そう。こんなことをわざわざ作品にして主張しなくても、ほかの人に知ってもらわなくても、当たり前になっているといいなと思うから。私の作品が、50年後に誰かに見られたときに、「ああ、この時代はこんなことわざわざ言わなきゃいけなかったんだね」と思われる世界になっていてほしい。例えば、誰でも話す言語をいつでも選択できる、というのが当たり前になっていたら、わざわざサジさんやかのこと映像であんな話をしなくていいでしょう。本当なら自分の第一言語はこの言語だったはずなのに……みたいに感じることの苦しさを多くの人が分かっていれば、たぶん私もサジさんもこんなに悩まなくていいはず。でも、いま作品をつくることで、この時代はこんなふうに見せなきゃいけなかったんだ、まだ理解がなかったんだ、という証拠にはなると思っている。

田村 主にマジョリティの側、悩まなくていい側の人たちが、もっと知っていてくれたらっていうことだね。

マユンキキ そう。いつも言うけど、多様性って、それまで3割の人が超重いものを持っていて、7割の人が持たずにいられたものを、7割の人にも渡して、全員でちょっと重いものを持つみたいなことでしょう。たぶん全員がちょっとモヤっとした気持ちになることでしか、多様性は得られない。みんながハッピーとかないの。

 これまで気づかずに過ごせていた人たちが、私とかサジの話を聞いて、いままで自分は知らないで済んでいたからその分持つよ、みたいに重たいものを一個でも持ってくれれば、少し軽くなる。作品を一個つくると、ちょっと軽くなる。でも、作品をつくらなきゃいけない状態である限りは、ずっと重い。

田村 そういうことに気づいてもらうために美術作品をつくることは、アクティヴィズムや提唱活動とはどう違うの?

マユンキキ 私は運が良くて、発表の機会を与えてもらえているから。与えられている限りは、美術でやってもいいんじゃないかと思っている。これまで本当に、アクティヴィズム的なことってやりたくないと思っていたけど、主張しないとか、抵抗しないのは、もう無理なの。よく美術とか音楽に政治性や主張を持ち込むな、みたいに言われるけど、そんなこと言うのは日本だけ。とくに先住民の作家なんかさ、もうそれでしかない。自分たちが抱えさせられてきたものに対する抵抗を、作品で示している。それは当たり前なのに、私はそれが当たり前じゃない国で育って、その国の言語を話しているから、もうちょっと人々が主張するために、音楽も美術もあっていいのだと言いたい。

*1──メルボルン郊外のフッツクレイにあるアートセンター(1974年設立)。先住民、障害のある人、LGBTIQA+ 、文化的・言語的に多様な背景を持つ人など、すべてのコミュニティの人々の、文化の創造者としての価値が認められることをヴィジョンに活動する。「ファーストネーション・ファースト」というポリシーを掲げ、先住民のアドバイザリー・グループを設けるなどの取り組みも行う。マユンキキと田村は、公益財団法人セゾン文化財団の交流事業として、2023年と2024年の2度にわたって同施設を視察。現在も交流を続けている。
*2──Dumawul and the Djaara Corporationシニアクリエイティブ戦略プロデューサー。先住民族ワジュク・ヌンガー と、アイルランド系およびスウェーデン系 の複数のルーツを持つ。フェスティバル、サーカス、演劇、音楽、パブリック・アート などのプロデューサーとして30年以上に渡り活動し、2019年にフッツクレイ・コミュニティ・アーツに着任。2024年4月の退任まで同施設で先住民文化プログラムを手がけた。ダン・ミッチェルに関しては、田村による以下のインタビューも参照されたい。「ダン・ミッチェル 先住民や移民のコミュニティとの対話を促進する フッツクレイ・コミュニティ・アーツ」Performing Arts Network Japan 、2023年3月9日 ( https://performingarts.jpf.go.jp/article/6856/ )
*3──フッツクレイで2010年から開催されている先住民主導のイベント「Wominjeka Festival」で、非先住民のゲストや観客に配布されるパスポート。「あなたがいま住んでいる土地のアボリジナルの人々に、何が起きたのかを知っていますか?」「今年の1月26日に行われる侵略の日の行進に、昨年よりも5人多く友人や家族を連れて来られると思いますか?」などの質問が並び、その下にサイン欄がある(1月26日は、イギリスから到着した第一船団[ファースト・フリート]が1788年1月26日 に入植を開始したことにちなむ国民の祝日[オーストラリア・デイ]だが、先住民からすればオーストラリア大陸への侵略と先住民への迫害が始まった「侵略の日」[Invasion Day]であり、近年、祝日の日付の変更を求めるなどの抗議運動が広がっている)。
*4──マユンキキがライフワークとして継続的に行うプロジェクト。世界の博物館に収蔵されているアイヌの民具や着物などと、それに付随する解説文をリサーチ。展示の際には、博物館から借りてきた収蔵品と、マユンキキや彼女に近しい人が作ったもの、もしくは普段から使っている同じもの(博物館にある作者不明の着物と、マユンキキが祖母から形見分けでもらった着物など)を並べて展示し、博物館にもとからある解説文と、マユンキキ自身がそのものに寄せる個人的な思いやエピソードを書いた新たな解説文を並べて提示する。
*5──アーティスト。1970年シドニー(オーストラリア)生まれ。現在はメルボルンを拠点に活動。先住民族であるウィラドゥリとナンナウォル(「ン」は小さい「ン」)、およびケルト のルーツを持つ母と、ケルトとユダヤのルーツを持つ父のもとに育つ。個人のアーティストとして支配的な文化や歴史観に対抗する作品を制作するほか、先住民主導のシンクタンク 「Powerhouse-galang」や、「保護」「 継続的な敬意」「癒し」を焦点に先住民的方法論の研究や実践をサポートするコレクティブ「BLAK C.O.R.E.」 など、 先住民のための場づくりも精力的に行う。芸術監督を務めた2020年の第22回シドニー・ビエンナーレ「NIRIN」で、マユンキキにアーティストとしての参加を依頼。アート分野での活動への道を開き、その後も交流を続けるなど、マユンキキのメンター的な存在でもある。主な個展に「Brook Andrew: The Right to Offend is Sacred」(ビクトリア国立美術館、2017)、国際展への参加に「シャルジャ・ビエンナーレ15」(2023)、「第60回ヴェネチア・ビエンナーレ」(2024)など。2023年にAudain Prize for the Visual Artsを受賞。ブルック・アンドリューについては、『美術手帖』2024年7月号(特集「先住民の現代アート」)での田村かのこによる作家解説も参照されたい。
*6──写真クレジット=Mayunkiki with photography by Hiroshi Ikeda, SINUYE: Tattoos for Ainu Women, 2020. Installation view for the 22nd Biennale of Sydney (2020), Museum of Contemporary Art Australia. Commissioned by the Biennale of Sydney with generous support from Open Society Foundations, and assistance from NIRIN 500 patrons. Courtesy the artist. Photograph: Zan Wimberley.

「マユンキキ インタビュー。私が作品をつくらなくてよい世界にするために(後編)」はこちら。

Profile

マユンキキ

アーティスト。1982年北海道生まれ。2007年よりアイヌの伝統歌を歌うヴォーカルグループ「マレウレウ」のメンバーとして国内外で活動。2020年の第22回シドニー・ビエンナーレ「NIRIN」への参加を機にアート作品の制作を開始。21年に初個展「SINRIT シンリッ アイヌ女性のルーツを探る出発展」(CAI03、札幌)、22年に個展「SIKNURE–Let me live」(Ikon Gallery、バーミンガム)を開催。

田村かのこ

アート・トランスレーター。東京都生まれの日本人。アート専門の通訳・翻訳者の活動団体「Art Translators Collective」代表。日英の通訳・翻訳を中心に、対話を媒介することの創造的な可能性を探る。マユンキキの英語通訳兼コラボレーターとして海外活動に同行するほか、YouTube番組「マユンさんとイタカンロ+」を共同制作している。

Information

翻訳できない わたしの言葉

参加作家:ユニ・ホン・シャープ、マユンキキ、南雲麻衣、新井英夫、金仁淑
会期:2024年4月18日~7月7日
会場:東京都現代美術館
住所: 東京都江東区三好4-1-1 
電話番号:050-5541-8600(ハローダイヤル、年中無休 9:00〜20:00)
開館時間:10:00〜18:00 ※入場は閉館の30分前まで
休館日:月
料金:一般 1400円 / 大学生・専門学校生・65 歳以上 1000円 / 中高生 600円 / 小学生以下無料
展覧会ウェブサイト:https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/mywords/
主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都現代美術館

https://bijutsutecho.com/magazine/interview/29133


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マユンキキ インタビュー。私が作品をつくらなくてよい世界にするために(後編)

2024-07-02 | アイヌ民族関連

美術手帖2024.7.1

アイヌであることで経験する出来事を起点に、それを徹底して「個人」の観点から分析して作品にするアーティスト、マユンキキ。彼女は、東京都現代美術館で開催中の企画展「翻訳できない わたしの言葉」(4月18日〜7月7日)で、展示室を訪れる観客一人ひとりにも「その人自身」の認識を問いかける仕掛けを導入している。作品の背景にある考え、そして近年の先住民をめぐる言説に感じることとは? 会場のベッドの上で、彼女の経験を通訳として、そして友人として共有する田村かのこが聞いた(記事は前後編)。 *本記事は『美術手帖』2024年7月号(特集「先住民の現代アート」)のインタビューを未掲載分も含めて再構成したものである。記事は8月1日からプレミアム会員限定公開。

聞き手・構成=田村かのこ 撮影=池田宏(⁑を除く) 編集=杉原環樹、三澤麦

「先住民アート」はあるか

田村かのこ(以下、田村) マユンさんから見て、ほかの国や地域の先住民のアーティストたちがやっている活動とか、作品ってどう思う?

マユンキキ 先住民らしさを出せ、という風潮がなくて羨ましい。もちろんアボリジナルのドット絵のように伝統的なものはあるけど、懐古主義的ではなく、いまの作家がいまの考えでつくっていいとされている。しかも、先住民自身がそれを選択してやっている。日本でアイヌに関することをやろうとすると、表現の仕方が限定されちゃうから。先日私の展覧会の様子をアイヌの友人に見せたら、「アイヌ文様のないアイヌの展覧会、初めて見た」って言われたの。そんなバカなって話でしょう。ほかの先住民の作品を見たときに、先住民らしさみたいなものを先住民自身が選ばなくて済んでいると、やっぱり衝撃を受ける。

田村 「先住民アート」なるものがあるとすれば、どこに線引きがあると思う? それとも線引きはないと思う?

マユンキキ なんでそんなこと言われなきゃいけないんだろうと思う。先住民と一括りにしたところで民族も文化も違うのに、もともと住んでいた土地を奪われたっていう状況だけでまとめられるのはおかしい。

田村 じゃあ、作品そのものを見ても、先住民としての共通点みたいなものはない?

マユンキキ それは何かしらあると思う。例えば、「取り戻す」というテーマとか。その場所がもともと誰のものであったかを主張したり、何を失ってしまったかということに向き合っている、とか。もちろん共通項はたくさんあるし、同じテーマでやっていることもたくさんあるけれど、結局「先住民のアート」とか言ってくるのって、大体マジョリティ側なんだよね。

田村 先住民は「先住民アート」をつくるためにやってないものね。

マユンキキ みんな私と同じで、いまはまだこれをつくらなきゃ自分が快適に暮らすことができないから、つくっているだけだと思う。その主張をしなくて済むなら、先住民がわざわざ先住民としての作品をつくらなくてよくなるはず。そうなったら、「先住民アート」とか言われなくなるのではと思う。いまは、まだ先住民が主張しなくてはいけないこと、取り戻さなくてはいけないものがたくさんあるから、似通った表現、似通ったテーマで、作品をつくっているだけ。得るべきものを得られていたら、わざわざ言わない。そして得られてない状況であるからこその「先住民アート」なんだとしたら、得られてない状況は誰のせいという話になる。「先住民アート」ってまとめてもいいのは先住民だけだと思う。

マユンキキの展示風景より。写真の下に置かれているのはマユンキキが叔母からもらったチㇱポ(針入れ)

表現の現場を「先住民化」する

田村 何かを理解するために、カテゴリー分けしたり、名前を付けようとしたりすること自体も、非常に西洋的、植民地主義的なやり方だよね。もしマユンさんが『美術手帖』の編集長で、先住民のアート特集を「先住民化」していくとしたら、どういう方法があり得ると思う?

マユンキキ まず本だけで完結しないと思う。いま社会に流通している既存の枠組みは植民地支配の結果だから、先住民化するとは何かを考えると、必然的にいまの枠組みを壊すことになる。いまの枠組みを壊すということは、例えば文章の読み方もこれまでとは違うかもしれないし、写真の組み方も違うかもしれないし、サイズも違うかもしれない。全部を見直したうえで、先住民同士の話し合いのなかで、自らの意志で選択していく。植民地時代にできたものや新しい文化を取り入れるにしても、一個一個、本当にこれはいまの自分たちに必要なものなのかとか、いままでのやり方に沿うべきなのか、みたいなことを考えると思う。「伝統的なやり方を守ったほうがいい」「変わらないでいるべき」みたいな物言いも、非先住民の視点でしかないから。そして、おそらく締め切りの概念も違う。

田村 すごく時間がかかりそう。

マユンキキ 一冊出すのに3年くらいかかりそう。でも、先住民でいまアート活動をしている人々は、何か発表するとか表現するうえで、すごくトラウマと向き合っているから。それぞれが自分を大事にして、精神面のケアをしながらやる必要があるときに、既存の締め切りの概念を押し付けて、何日までに原稿を上げてくださいとか、マジョリティからは言ってはいけないと思う。トラウマのケアは、その人が必要なだけ時間が必要だから。

田村 あと、それぞれの民族に特有の時間感覚は、植民地化の過程で先住民が奪われたすごく大きな側面だよね。言葉や文化と並んで、じつは一番コントロールされたことなのではないかな。先住民の持つ時間の流れに合わせる覚悟がないなら、本当は特集はやれないってことだよね。

マユンキキ いつまでにやらなきゃいけないと分かっていても、辛くてできないことは、どうしようもないし、すぐに答えが出せるはずのないこともあると思う。

田村 それでいうと、私たちが2020年の冬から参加している世界各地の先住民が博物館・美術館のあり方について話し合うシンクタンク「Powerhouse Galang」のメンバーでつくった本は、先住民主導で、右開きでも左開きでも読めるようにしたり、マユンさんが日本語で話したところを、紙面上では空白として空けてもらうことで通訳のプロセスを可視化したり、いろいろ試せたのは良かったよね。実際に締め切りを守れないのは私たちだけで、メンバーたちにご迷惑をおかけしたけど……。

田村 そのほかに海外のいろいろな事例をリサーチするなかで、日本の美術界が参照できると思ったものはあった?

マユンキキ シドニーのPowerhouse Museumの収蔵庫では、もともとの持ち主たちが大事にしていた文化的なプロトコルが箱や棚に書かれていた。例えば、「これは祭具で男性しか触ってはいけません」とか、「この属性の人は実物を見ることすらしてはいけません」とか。美術館とか博物館に収蔵されてしまうと、プロトコルが守れなくなることが多いけど、もともとはどういう意味があって、どう扱われていたかみたいなことまでも、収蔵品に反映させていくのはすごく重要だと思う。

マユンキキ あとは多くの博物館やギャラリーで、展示室の入り口に「ここから先には、亡くなった先住民の言葉や姿があるので、みなさんの先祖や家族が写っている可能性があります」という趣旨の注意書きが絶対にある。

田村 トラウマや記憶が刺激される可能性がありますよ、というトリガーウォーニングだね。Land Acknowledgment(*7)と一緒に提示されていることも多い。

マユンキキ やっぱり美術って暴力的だから。作品を見て傷つくこともたくさんある。配慮ばかりが必要なわけではないけど、作品の扱う内容やものによっては、いまもそれと向き合い続けて苦しんでいる人がいるかもしれない、という想像力を持つことはすごく大事だと思う。そういう考えは、日本の美術のなかにももう少し浸透すればいいのに。

 あと日本においては、先住民についての知識が浸透してなさ過ぎて、対話すら難しいことが多い。アイヌと会ったことがないと思っている人や、意識してこなくて済んでいた人たちを相手に、何をどういちから説明するのかって、私も分からないから、そこを美術業界の人も一緒に考えてくれればいいのにと思う。当事者ばかりに任せていないで。

語らない権利

田村 先住民のことを先住民だけが語っていくのか、ということも考えないと。

マユンキキ 先住民は語らない権利を持っているからね。マジョリティ側が語らなくてはいけないこともたくさんあるのだと気づいてくれるとありがたい。私とかほかのマイノリティに対して、教材みたいな扱いをしてくる人も多い。よく「考えるきっかけになりました」とか「いい学びを得られました」とか言われるけど、私は教材じゃないぞ。私はあなたが学び成長するためにいるわけじゃないですって思う。

 もちろんいまは、ある程度しょうがないとも思っているよ。まだ語っていかなくてはいけないことがたくさんあって、表現していくなかでも、それは出していくべきだと思うけど。次の世代とか、次の次の世代が、それをもう語らなくてもいいようにしたいし、語らないことを選択できるようにしたいなと思う。

田村 語らない権利も、オーストラリアで活動して得たひとつの知見だよね。

マユンキキ だって語るの辛いもん。相手の反省を促すために、自分たちが受けてきた苦痛をいつまでも語り続けないといけない。そしてたとえ語って、相手が理解してくれて、その人がアライとして生きていってくれたとしても、語るときについた傷は誰も癒やしてくれない。良い部分だけが注目されて、語った側の疲れや傷は自分ひとりでケアしていかなきゃいけないことに、気づいてくれる人が少ない。ケアが足りていない。

田村 オーストラリアでは、何か語ってくれた人に対して、それがすごくありがたいことであるという意識を持っている人と話せることが多いよね。マユンさんが、何かアイヌのことをシェアすると、私に語ってくれてありがとう、と言ってくれる。何かの知識を教えるとか、語るとか、個人的なストーリーを共有するってことは、タダで勝手に起こるわけではなくて、その人との信頼関係と厚意によって初めてもたらされる恩恵なんだという前提がある。そういうふうに意識することは、日本では少ないように感じる。

マユンキキ 日本にいると、知るために必要なものだから話してもらうのが当たり前、むしろ話す機会を与えているんですけど、みたいな態度の人も多い。すごく疲れちゃうわけ。すごく大変なの。誰も助けてくれないんだもん。友達とかには愚痴れるけど、ずっと友達に負担を強いるのも嫌だし。

 もちろん知ってほしいことはある。アイヌだってだけで、こんなに毎日、嫌な思いをしたくないから。好きでもない人、知りもしない人にいろんなこと言われて。無視したらまた好き勝手言われて。この状況を可視化するためには、どうしたらいいんだろうと思って、作品をつくっている。どうやったら優しくしてもらえるのかなって。私、優しくされたい。

 先住民であることって、全然楽でも得でもない。北海道出身ですって言うのとなんら変わらない。ただこれまでにいろいろ起きて、いまも支配の構造は続いていて、いまだ制限や我慢を強いられている。その状況を前に先住民のアートについて特集を組むなら、特集する側の人の属性もきちんと明らかにして、その属性がこれまでに犯した過ちを明記してからでないとダメだよ。反省するってそういうことでしょう。歴史のなかで起きた事実を認めていくこと。自分と属性の違う人、例えば非先住民が先住民のことを扱うときには、自分たちの属性がマイノリティに何をしたかを明記すべきだと思う。アイヌに関する法律や知識を紹介したり、アートの話をしたりする前にね。

田村 何かあったときに、傷つくのはマユンさんたちだからね。誰が書いているのか立場を明らにすることによって、マイノリティを守ることにつながるよね。例えばマユンさんのことが書かれた記事を批判したい読者が出てきたとして、責任の所在として和人の編集者が編集したとはっきり書かれていれば、批判の矛先を間違わずに済むかもしれない。

 マユンさんは言葉に対してとても意識的だよね。自分自身の言葉やコミュニケーションのあり方について考えるようになったのは、いつごろ?

マユンキキ 23歳のときにアイヌ語を学び始めたのが大きいかな。アイヌ語は主語をぼかすことができないので、動詞一つひとつに毎回人称がつく。一個でも外しちゃうと、いきなり三人称の文章になっちゃう。「私たち」も2種類あるし。話し相手を含む「私たち」と、含まない「私たち」。私が話すことが誰に伝わるか、すごく丁寧に考えて話さないと、カムイが勘違いしてほかの人に迷惑が掛かってしまうかもしれない。私はいま誰に向けて話しているのか、「私たち」で語るときに誰を含めているか、と毎回考えるようになった。

 あと、難しい言葉を使って話すほうが、じつは簡単だと思っていて。でも、言葉ってやっぱり意思疎通するためのものなので、難しい言葉を使うことは、誰にとってもあまり優しくない。誰が聞いても分かるようにしよう、とすごく意識している。相手に伝わらないと意味がないから。人と人とは絶対に分かり合えないと思っているけど。でも分かり合えないなかでも、あがきたいじゃない。伝わってほしいし、分かり合いたい。

田村 作品を通して、何かが伝わっている感じはある?

マユンキキ ちょっとずつ楽にはなっている。一個ずつ作品にすることで、抱えさせられているものを手放せるから。でも見た人は辛そう。泣いちゃう方も結構いる。ごめんねって思う。自分が抱えていたものがなんなのか、気づいた途端に辛くなることってあるでしょう。言語化されちゃったら、もう無視できなくなるから。それをさせてしまっていることは申し訳ない。背負わせている感じ。でも、ごめん、一緒に重いものを持ってほしい。大丈夫、一緒に苦しむよ。私が受け取らせた分、私も受け取るよ。そのキャッチボール感が大事だなと思って。だから受け取ってくれた人は、私にまず投げ返してもいいし、ほかの人と話してもらってもいいし。そこで終わらせないで。全部が終わらなくて、ずっとどこかに引き継がれていってほしいな。

田村 ずっと苦しいね。

マユンキキ 楽になることないんだ、みたいな。

田村 上がりみたいなのがない。

マユンキキ 上がりたい。私、上がりたい、そろそろ。

田村 頑張っていこう。

マユンキキ 頑張っていこう。

田村 頑張っていこう。

マユンキキ 頑張っていこう。

*7──「『ランド・アクナレッジメント』は 『土地の承認』を意味し、行事やイベントの冒頭で述べられる口頭または書面上の声明を指す。その行事やイベントが開催される場所に暮らす先住民族に言及し謝意を表することで、その場所を守ってきた人々に対する敬意を示す役割を担う」(『美術手帖』2024年7月号[特集「先住民の現代アート」]所収、「『先住民の現代アート』を知るための基礎知識」における、山本浩貴による解説文[P57]より)

「マユンキキ インタビュー。私が作品をつくらなくてよい世界にするために(前編)」はこちら。

Profile

マユンキキ

アーティスト。1982年北海道生まれ。2007年よりアイヌの伝統歌を歌うヴォーカルグループ「マレウレウ」のメンバーとして国内外で活動。2020年の第22回シドニー・ビエンナーレ「NIRIN」への参加を機にアート作品の制作を開始。21年に初個展「SINRIT シンリッ アイヌ女性のルーツを探る出発展」(CAI03、札幌)、22年に個展「SIKNURE–Let me live」(Ikon Gallery、バーミンガム)を開催。

田村かのこ

アート・トランスレーター。東京都生まれの日本人。アート専門の通訳・翻訳者の活動団体「Art Translators Collective」代表。日英の通訳・翻訳を中心に、対話を媒介することの創造的な可能性を探る。マユンキキの英語通訳兼コラボレーターとして海外活動に同行するほか、YouTube番組「マユンさんとイタカンロ+」を共同制作している。

Information

翻訳できない わたしの言葉

参加作家:ユニ・ホン・シャープ、マユンキキ、南雲麻衣、新井英夫、金仁淑
会期:2024年4月18日~7月7日
会場:東京都現代美術館
住所: 東京都江東区三好4-1-1 
電話番号:050-5541-8600(ハローダイヤル、年中無休 9:00〜20:00)
開館時間:10:00〜18:00 ※入場は閉館の30分前まで
休館日:月
料金:一般 1400円 / 大学生・専門学校生・65 歳以上 1000円 / 中高生 600円 / 小学生以下無料
展覧会ウェブサイト:https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/mywords/
主催:公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都現代美術館

https://bijutsutecho.com/magazine/interview/29135


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映画「セトラーズ」 チリ原住民の抑圧の要約、KlikFilmで放映

2024-07-02 | 先住民族関連

VOI 28 Juni 2024, 05:24

ジャカルタ=セトラーズは、2024年6月からKlikFilmで公式に視聴できます。チリの映画「セトラーズ」または「ロス・コロノス」は、オスカー2024の国際長編映画にノミネートされる公式提出として提出されました。

指名に失敗したにもかかわらず、関心地帯のようなセトラーズは、ジェノサイドの悲劇をこれ以上繰り返さないように人間を説得するという共通の問題と議題を持っています。

1800年代後半から1900年代初頭を舞台にした映画『セトラーズ』(移民)の物語は、風の強い無限の土地が広がるという外観で幕を開けます。カメラの焦点は、スペイン出身の実業家、ホセ・メネンデスの残酷なワイヤーフェンスで、土地で働く人々のグループをゆっくりと覆いました。彼らの自然開発アジェンダを実行するために、ヨーロッパの侵略者は先住民族を取り除くために残忍な方法をとった。これは後にフェリペ・ガベス・ハーブルがこの最新の作品で説明したものです。

メネンデスは傭兵のマクレーナン、ビル、サンデスに、彼らのビジネスを妨げないように先住民族を狩るように言った。途中、彼らは他のヨーロッパのビジネスマンが支配する仲間の傭兵に会いました。この狩りの間、この映画には不快な力のシーンがあります。マクレーナンとビルは楽しんでいるようで、サンデスは2人の友人の凶悪な扱いを嫌っている。

数年後、チリ政府はヨーロッパ人移民と先住民族が互いに交流できるように、新しい規則を制定し始めました。その時、ナイロは証言をするように頼まれました。彼の証言では、傭兵によって犯された残虐行為が詳細に明らかになりました。

しかし、行動、時間の緊急性、暴力に焦点を当てた戦争映画とは異なり、セトラーズは詩的なスタイルでいっぱいです。ペースが遅く、主人公は熟考し沈黙する時間がたくさんあるようです。比較すると、セトラーズは興味のゾーンと類似点があります。恐怖は必ずしもグラフィック要素に依存しているわけではなく、見事なオーディオディオの詳細と対話の鋭さから構築できます。

The English, Chinese, Japanese, Arabic, and French versions are automatically generated by the AI. So there may still be inaccuracies in translating, please always see Indonesian as our main language. (system supported by DigitalSiber.id)

https://voi.id/ja/lifestyle/393699#google_vignette


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金曲奨で受賞歌手が「天安門」に言及 頼総統「創作の自由守る」/台湾

2024-07-02 | 先住民族関連

中央フォーカス台湾 2024/07/01 18:56

「第35回ゴールデン・メロディー・アワード」(金曲奨)授賞式で、台湾語アルバム賞を受賞した台湾原住民(先住民)族出身の歌手、パナイ(巴奈)さん=6月29日、張新偉撮影

(台北中央社)台北市内で6月29日に開かれた音楽賞「第35回ゴールデン・メロディー・アワード」(金曲奨)授賞式で、台湾語アルバム賞を受賞した台湾原住民(先住民)族出身の歌手、パナイ(巴奈)さんが中国の天安門事件に言及したことに関し、頼清徳(らいせいとく)総統は同日、フェイスブックで、パナイさんのスピーチを「われわれは忘れない」とつづり、全ての音楽家の創作の自由を守っていく姿勢を示した。

天安門事件は1989年に中国・北京で民主化を求める学生らが武力弾圧された事件。パナイさんは受賞スピーチで、金曲奨が今年で35年目を迎えたことに触れた上で、「天安門事件もちょうど35年です。忘れてはなりません。台湾頑張れ」と訴えた。これを受け、パナイさんの作品や関連の議論は中国のインターネット上から消失した。

頼氏は授賞式終了後、フェイスブックでパナイさんのスピーチを紹介。「音楽は人生であり、何にも縛られない自由なものだ」とし、「全ての音楽家の創作の自由を守り、より良い環境と舞台を引き続きつくっていく」と表明した。

パナイさんの発言を巡り、金曲奨を主催する文化部(文化省)や台湾で対中政策を担う大陸委員会の高官も相次いでコメントした。

李遠(りえん)文化部長(文化相)は6月30日、フェイスブックでパナイさんに対し「理想のための堅持に感謝する」と表明。天安門事件が起こったその年から台湾が「本土化」を開始し、翌90年には大学生が中正記念堂を占拠する「野百合学生運動」が起こったことなどを紹介した上で「残酷な『天安門事件』は全力で覆い隠され、消え去られる歴史になった。35年後に台湾の金曲奨の授賞式上でパナイさんによって再び持ち出された」と記した。

大陸委員会の梁文傑(りょうぶんけつ)副主任委員(副大臣に相当)は1日、ラジオ番組のインタビューで、パナイさんの発言を受け、必ずしも中国大陸の中央政府が中国大陸の歌手に対して台湾に渡航しないよう要請するとは限らないとしつつ、歌手らが今後、自発的に訪台を避ける可能性があると指摘した。

パナイさんは発言後に自身の作品が中国のネット上から消えたことについて、「彼らの行為は台湾のかけがえのない自由をさらに浮き彫りにした」とマネジャーを通じて語った。

(林克倫、洪素津、謝怡璇、王心妤/編集:名切千絵)

https://japan.focustaiwan.tw/politics/202407010006


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ジャパンはあまりに“ウブ”だった…判で押したようなモール攻撃でマオリ・オールブラックスに完敗(永田洋光)

2024-07-02 | 先住民族関連

日刊ゲンダイ2024年7月1日 17時10分 

 29日に秩父宮ラグビー場で行われたリポビタンDチャレンジカップ2024第2戦は、対戦相手のマオリ・オールブラックスが正規の代表ではないため、日本も代表ではなく、それに準じるジャパンXV(フィフティーン)として臨んだ。前回22日の第1戦、17対52で敗れたイングランド戦に続く完敗。ラグビー取材歴30年以上のスポーツライター、永田洋光氏がリポートする。

 正規代表でないとはいえ、マオリ・オールブラックスは、ニュージーランドの先住民族マオリ族の血を引くトップ選手で構成されたチーム。エディ・ジョーンズ・ヘッドコーチ(HC)も「世界ランク10位以内に入るレベル」と、その実力を警戒していた。

 案の定、試合内容は先週のイングランド代表戦とほぼ同じ。

「超速ラグビー」に取り組むジャパンが試合開始から約10分間を支配し、立ち上がり早々にH0原田衛のトライで先取点を奪いながら、時間の経過とともに相手に対応されてミスを連発。ずるずると失点を重ねて、最終スコアは10対36、トライ数2対6の完敗だった。

 そんな試合の数少ない見せ場が、開始早々の1分過ぎに訪れた。

 先発で10番を背負い、SOとして登場した山沢拓也(29)が、相手防御のギャップを一気に駆け抜けて大きく突破。トライには結びつかなかったが、チャンスを作り出した。

 17分過ぎには、相手ゴール前のモールでアドバンテージを得ると、左サイドでボールを受けた山沢が、右タッチライン際へ意表を突いたキックパス。これが、WTBヴィリアメ・ツイドラキにドンピシャで合って、場内のボルテージが一気に上昇する。しかし、懸命に戻ったマオリ・オールブラックスの強烈なタックルを受けて、ツイドラキがトライ寸前でまさかの落球! トライは幻と消えた。

 それでも、パス、ラン、キックと司令塔としても非凡な才能を見せて、山沢はファンの大声援に応えた。

「今のラグビーは、やっていてキツいけど、自分の良さを出せるラグビーだと思っています」

 まさに超速ラグビーの申し子といったプレーぶりだった。

 しかし、ジャパンが連敗したことは動かぬ事実。

 エディ・ジョーンズHCは、「ジャパンは相手の22メートルラインのなかに11回攻め込んだ(しかし得点したのは2回)。相手は7回しか我々の22メートルライン内に攻め込んでいないのに、そのほとんどを得点に結びつけた」と話し、「負けることが嫌いだから、負けた結果に怒っている」と言葉を継いだ。

■攻撃の選択肢はもっと用意しているはずなのに…

 確かに、強化を始めたばかりのチームには課題が多い。

 特に、前半に5回あったゴール前ラインアウトのチャンスをモールにこだわりながら、得点に結びついたのは、共同ゲームキャプテンを務めた原田のトライに至った1度だけ。「この1週間、モールにこだわって練習してきた」と原田は振り返ったが、攻撃の選択肢はもっと用意しているはず。

 先週に続いてFBで先発して活躍した矢崎由高や、この日もトライを挙げたWTB根塚洸雅のようなランナーもいるのに、判で押したようにモールを組んでチャンスを逃すのでは、勝負という点から見れば、ジャパンはあまりにも"ウブ"だった。

 山沢は、「モールでペナルティのアドバンテージが出たらバックスで攻める用意もしていた」と明かしたが、そうなったときに「相手はボールを渡さないように嫌らしいことをやってきた」。

 つまり、勝利に執念を燃やすトップレベルの駆け引きに、対応できなかったのだ。

 それが、先発15人の総キャップ数が52、控えを含めても23人で合計76と、リーチ マイケル(85キャップ)1人分にも及ばない若いチームの限界なのかもしれない。

 やはり共同ゲームキャプテンで、チーム最多の21キャップを持つSH斎藤直人は言う。

「アタックして、ちょっとブレイク(突破)した後のミスが本当に多かった。そこでトライを獲り切らないとテストマッチには勝てない」

 27年W杯オーストラリア大会を見据えた長い強化の第一段階とはいえ、チームの目標は世界の強豪を倒すこと。それなのに、いつまでも選手の見極めに試合が消費され、結果ではなく可能性ばかりがクローズアップされるのでは、代表に対するファンの信頼も揺らぐ。

 若手の発掘・育成と、チーム強化という、矛盾しがちな命題の両立を迫られているジャパンは、この隘路をどう打開するのか。

 7月6日は、豊田スタジアムでふたたびマオリ・オールブラックスに挑む。

▽永田洋光(ながた・ひろみつ) 出版社勤務を経てフリーになり、1988年度からラグビー記事を中心に執筆活動を続けて現在に至る。2007年「勝つことのみが善である 宿澤広朗全戦全勝の哲学」(ぴあ)でミズノスポーツライター賞優秀賞を受賞。近著に近著に「明治大学ラグビー部 勇者の100年」(二見書房)などがある。

https://news.livedoor.com/article/detail/26706069/


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「米原爆実験の日」 16日に広島でライブ 現地で交流重ねた茂村泰彦さん

2024-07-02 | アイヌ民族関連

中國新聞2024年7月1日

 米国が79年前の原爆投下に先立って史上初の核実験を行った日に当たる16日、広島市出身のロックミュージシャン茂村泰彦さん(写真・東京都)が市内でライブを開催する。広島の原爆被害と復興を題材に制作した「THE RIVER」(川)を歌う。 

 茂村さんはレコーディングのため1980年代から度々渡米。核実験場だった「トリニティ・サイト」や原爆開発拠点のロスアラモスがあるニューメキシコ州に足を延ばし、先住民と交流を重ねている。3年前、平和への願いを込めた曲「THE RIVER」を発表した。 

 昨年は原爆開発責任者の伝記映画「オッペンハイマー」が現地で公開中だった9月、トリニティ・サイト周辺などを巡った。今年春の日本公開時に鑑賞し「研究施設建設のため先住民から奪ったロスアラモスの地を返すべきだ、と戦後に主人公が発言した場面を重く受け止めた」。 

 ライブでは、歌詞につづった「忘れちゃいけないことがある 語り継ぐべきことがある」、そして「伝えよう 話を聞こう」との思いを日米双方に向けて発信する。 

 茂村さんは観音高(西区)の軽音楽同好会で活動後、プロデビュー。90年代にフォークユニット「19」をプロデュースし、夏川りみさんらへの楽曲提供も多数ある。 

 16日午後7時から広島市中区の「ライブジューク」。4千円(前売り3500円)。(金崎由美) 

https://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=142640


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ダーチャ・マライーニさん=日本での抑留体験を持つイタリアの作家

2024-07-02 | アイヌ民族関連

毎日新聞2024/7/2 東京朝刊有料記事654文字

ダーチャ・マライーニさん

ダーチャ・マライーニさん(87)

 戦前から戦後にかけ、幼少期を家族と過ごした日本を先月、訪れた。写真家で文化人類学者のフォスコ・マライーニさんを父に持ち、ゆかりの地である東京、札幌、愛知を訪問。アイヌ研究で父が学んだ北海道帝国大(現北海道大)の学生で、太平洋戦争開戦日にスパイ容疑で逮捕された「宮沢・レーン事件」の当事者、故宮沢弘幸さんとの思い出や自身の抑留体験を語った。

 戦時中、日本と同盟国のナチス・ドイツの影響下、イタリアで樹立されたファシスト政権への忠誠を拒否し、一家は現在の名古屋市東部にあった外国人収容所に送られた。「官憲の抑圧と飢えに苦しみ、命の危険にさらされた」と振り返る。日本の敗戦で解放され、1946年5月に船で帰国の途へ就いた。「父と母の選択は私の支えになっている。なぜなら民主主義という理想に忠実だったから」

・・・・・

<文と写真・明珍美紀>

https://mainichi.jp/articles/20240702/ddm/012/070/050000c


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