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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

新日本酒紀行「上川大雪」

2021-04-11 | アイヌ民族関連
ダイヤモンドオンライン 4/11(日) 6:01
● 上川町発!北海道の米水人を活用し 酒蔵から地域振興
 日本最大の山岳自然公園、2000m級の山々が連なる大雪山国立公園。その北側の麓にある上川町は平均高度1000m、石狩川最上流の人口3398人の町。ここに誕生した酒蔵が奇跡を起こす。
 蔵元は札幌出身の元証券マン、塚原敏夫さん。日本酒とは無縁だったが、休業中の三重県の酒蔵を譲り受け、上川町へ移転計画を立てた。
 前例のない地域移動と実績のない異業種からの参入で手続きに2年を要したが、町長や役場の声援を受け、2017年に緑丘蔵を完成。社名と銘柄に町名を入れ、飲んだ人を町へ呼びたいと考えた。
 使う酒米は北海道産と決め、米調達の縁で知った小樽市出身の杜氏、川端慎治さんを誘う。蔵はコストを最小限に抑えたコンパクトな設計で、手作業中心の小仕込みで純米酒のみを醸す。
 シンボルマークは塚原さんと旧知の仲の新村銀之助さんが考案。アイヌ文様をモチーフにした家紋風デザインで酒の五味を表現。川端さんも新村さんも「新しい酒蔵?面白そうだ!」と出世払いの手弁当で参加を決めた。
 透明感のある美しい酒は町の人の心を鷲掴みにし、地元限定酒「神川」を求めようと町外からの客も増え、月1000本を販売するコンビニも。売上高前年比108%、取引依頼と連携希望が殺到。
 昨年、産学連携で帯広畜産大学構内に新蔵を建造し、川端さんは客員教授に就任。
 「市場はあります。酒蔵のない町に酒蔵を造って地域振興を!」と塚原さんは言う。
 函館市やオホーツクで計画が進行中で、地方創生蔵とも呼ばれる。
 (酒食ジャーナリスト 山本洋子)
 ※週刊ダイヤモンド2021年4月3日号より転載
山本洋子
https://news.yahoo.co.jp/articles/644ee40c83b90fc282e3972cde8f7bae5a8f56aa


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萩中美枝さん死去 (アイヌ口承文芸研究者、アイヌ語学者・知里真志保の妻)

2021-04-11 | アイヌ民族関連
北海道新聞 04/10 19:39
 萩中 美枝さん(はぎなか・みえ=アイヌ口承文芸研究者、アイヌ語学者・知里真志保の妻)4日死去、93歳。日高管内様似村(現様似町)出身。自宅は非公表。葬儀は近親者のみで行った。
 日本口承文芸学会会員で、アイヌ伝統文化の記録や調査に貢献した。2009年に北海道文化賞、11年に文化庁の地域文化功労者。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/531822

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新ひだか町 アイヌ文様の刺しゅう 「マイタレ」の作品展

2021-04-11 | アイヌ民族関連
NHK 04月10日 14時15分

新ひだか町でアイヌの文様の刺しゅうが施された前掛け「マイタレ」の作品展が開かれています。
作品展にはアイヌ文化に触れてもらおうと町が開いた講座に参加した人たちがつくった「マイタレ」25点が展示されています。
「マイタレ」はアイヌ語で前掛けのことを指し、赤や青などさまざまな色の糸で刺しゅうが施され、描かれた文様には災いから身を護る魔よけの意味があるとされています。
訪れた人はそれぞれの作品を興味深そうに観賞していて40代の男性は「アイヌの文様は日常で接することはあまりないので、このような作品展を通してアイヌ文化を学べたらいいなと思います」と話していました。
作品展を取りまとめた「イカ※ラカ※ラの会」(「ラ」はいずれも小文字)の菊地美恵子さんは「身につける人に災いがないよう、思いを込めて作られています。皆さんに見てもらえたらうれしいです」と話していました。
作品展は「新ひだか町博物館」で11日午後6時まで開かれています。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20210410/7000032796.html

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アイヌ政策推進の交付金 29市町に計19億8500万円余

2021-04-11 | アイヌ民族関連
NHK 04月10日 07時56分
内閣府は、アイヌ文化の普及などを目的にした「アイヌ政策推進交付金」を交付する自治体を発表し、今年度は道内外の29の市や町に19億8500万円あまりが交付されることになりました。
この交付金は、おととし施行されたアイヌ施策推進法によりアイヌ文化の普及啓発や振興に役立てることを目的としたものです。
今年度は、日高の平取町や釧路市など道内28の市や町と三重県松阪市のあわせて29の自治体に19億8518万円が交付されることになりました。
このうち平取町はアイヌ工芸家の育成などを担う「イオル文化交流センター」の建設事業、釧路市は阿寒湖畔での木工作品を制作する技術を継承する事業などに交付されます。
また道外では、北海道の名付け親、松浦武四郎の出身地の三重県松阪市で、毎年2月に開かれる「武四郎まつり」においてアイヌの舞踊を披露する事業などが対象となっています。
内閣府は、交付金については申請があれば7月中旬に今年度2回目の対象事業を決めることにしています。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20210410/7000032781.html

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台湾原住民女性文学の20年 楊翠『少数者は語る』

2021-04-11 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2021/4/11 東京朝刊 有料記事
 <文化の森 Bunka no mori>
 為政者や漢民族、性別と、何重にも周縁に置かれた台湾原住民女性は、文学を通して何を描いたのか。楊翠著、魚住悦子訳『少数者は語る』(草風館、上・下巻各4620円)が扱うのは一見マイナーなテーマでありながら、今を生きる日本の私たちにもビビッドに響く一冊だ。
 かつては為政者から「高砂族」や「山地同胞」などと一方的に名付けられた台湾先住民族。1980年代に始まった民族運動を通じて、「原住民族」(元々居住していた民族)という正式名を勝ち取った。同時に、自分たちの文化を見つめ直す機運も高まる。本書が指す「台湾原住民女性文学」というジャンルもその過程の上に成り立っている。
 始まりは96年。リイキン・ユマ(50年生まれ)とリカラッ・アウー(同69年)の2冊が刊行された年だ。本書によると、以降20年で刊行された単行本は24冊。日本でいうと小説とエッセーにまたがる「散文」やルポルタージュ文学、現代詩が目立つという。
この記事は有料記事です。 残り576文字(全文1000文字)
https://mainichi.jp/articles/20210411/ddm/014/040/002000c

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ペレナラとマオリと八百万の神 「みんなハカを勘違いしているけど、あれは―」

2021-04-11 | 先住民族関連
スポニチ 4/10(土) 10:00

 ニュージーランドと日本の共通点を発見した。国土の形ではない。遠い先祖から来る民族性のようなものだ。
 先住民族にルーツを持つ選手で構成するラグビーの「マオリオールブラックス」が2014年に来日した。本家オールブラックスに迫る強豪だ。日本代表との対戦前、チームマネジャーがメディアにした自軍のプレゼンに、思わずひざを打った。
 「チームを四つの班に分けて活動や練習をしています。それぞれの班には、『水の神』、『風の神』、『地震の神』、『戦いの神』を意味する名前が付いています。試合前や練習前にグラウンドに礼を捧げます」
 なんと、八百万の神(やおよろずのかみ)信仰に似ているではないか。山にも森にも海にも、自然界のありとあらゆるものに神様が宿るという、日本の伝統的な考え方と重なる部分があるなんて。
 グラウンドに礼をするのは、多くのスポーツで見られる国内の作法。これも似ているではないか。太平洋をまたいだ先祖同士にスピリチュアルなつながりがあると感じ、1人で興奮をした。
 と、いう話を、NTTドコモのSH、TJ・ペレナラにしてみた。通訳を通して。マオリ族の血筋を引き、祖先への敬意を込めたタトゥーを左腕に刻むニュージーランド代表69キャップは、当方のこじつけ話と受け取らず、いつもの丁寧な口調で語り始めた。
 「マオリでも、大地の『地』がとても大事なものになっているんだ。みなさんはハカを勘違いをしているかもしれないけど、あれは戦いに向けたチャレンジのためではなくて、地面とのつながりをより感じるためにやっているんだ。マオリの選手は、練習前や試合前に、まず裸足でグラウンドに出る選手が多いんだ。それは、地面とのつながりを感じるため。自然に敬意を払うという点では、マオリと日本で似ているのかなと思う。おじぎはしないけど」
 ハカのリーダー、ハカの精神を語る。そのおかげで、オールブラックスの試合前の儀式は、本来、相手を威嚇するためのものではないと知る。グラウンドに礼をするのは、ラグビー最強国では一般的ではなく、マオリ族にゆかりがある選手においても馴染みが薄いことだと知る。7年前のあの説明は、聞き間違いだったのか。
 ペレナラは日本との共通点を感じているからか、来日1年目で、本当によくチームに馴染んでいる。卓越した技術と戦術眼を持っているのは、最初から分かっていたこと。驚かされたのは、勤勉さ。練習をいつ取材しても、全体メニューの後にNo・8、SO、WTBらをつかまえて、連携プレーを何度も何度も確認している。仲間を知ろうとするから、周囲を生かせられる。自分も生きる。チームの心臓となり、4勝2敗、ホワイトカンファレンス3位躍進を支えてきた。
 きょう10日の1次リーグ最終節、同2位の神戸製鋼戦は、主将のエラスマスが欠場したことで、ゲームキャプテンを初めて務める。勢い良く決勝トーナメントへ進みたいところだが、相手は昨季0―97で敗れた強敵。さあ、腕の見せどころだ。(倉世古 洋平)
https://news.yahoo.co.jp/articles/017241f788413565e57defaaeaced9763479ddb6

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新得町まるわかり情報【観光・グルメ】

2021-04-11 | アイヌ民族関連
北海道Likers 2021/04/10 12:00
新得(しんとく)町は北海道の中央に位置し、東大雪の山々と日高山脈の山懐に抱かれた自然あふれる町。東京都の2分の1ほどの広大な面積を有し、その90%は森林地帯です。国内有数のそば産地としても有名。
新得町の基本情報
所在地
十勝総合振興局に属する。
面積
1,063.83km2
人口
5,713人・3,181世帯*
*令和3年3月末現在
由来
アイヌ語で「シットク・ナイ」がなまったもので、山の肩、または端という意味。また、アイヌの人たちがお酒を造るための漆器を「シントコ」といい、これを作るための土地だったとも言われています。
引用:新得町とは?
新得町へのアクセス
<札幌からのアクセス>
車(高速道路)で約2時間。
JR札幌駅〜新得駅まで『特急おおぞら』『特急とかち』で約2時間程度。
<道外からのアクセス>
・飛行機
「新千歳空港」〜新得駅までJRで約1時間45分。
「とかち帯広空港」〜帯広駅までバスで約40分、帯広駅〜新得駅までJRで約30分。
「とかち帯広空港」〜新得町まで車で約1時間30分。
・フェリー
「苫小牧港」〜新得町まで車(高速道路)で約2時間40分。
「苫小牧港」〜新得駅までJRで1時間47分。
新得町の気候
昼間は温かく夜涼しい気候。2020年の平均気温7.7℃。
<夏>
2020年8月の平均気温21.1℃、最高気温33.3℃。
<冬>
2020年2月の平均気温-4.3℃、最低気温-20.5℃。2020年の積雪量286cm。
新得町のグルメ
本格蕎麦焼酎そばの産地として知られる新得町では、地元産のそば粉を原料とした特産品が多数。『新得そば』や大雪山系の伏流水を仕込み水に使った『そばほろ』などの蕎麦焼酎が人気です。
新得町の観光
石狩と十勝の境である『狩勝峠』は「新日本八景」にも選ばれています。標高644mの展望台からは十勝平野を一望できます。
狩勝峠から新得町市街をつなぐ38号線沿いは「そばロード」の愛称で親しまれており、7月中旬から8月中旬には白一色に染め上げられたそば畑が約1.5kmにわたって楽しめます。
十勝川のダム湖『屈足湖』は宿泊施設や温泉、ラフティングやカヌー、収穫体験などができる施設が充実しており、若者の間ではパワースポットして知られているそう。
ほかにも、乗馬や酪農体験、ヒグマ観察など北海道らしいレジャーを堪能できるスポットがたくさんあります。
イベント
・しんとく新そば祭り(9月)
新得町の周辺情報
新得町に隣接する自治体の情報はこちら
・上富良野町
・美瑛町
素晴らしい四季の風景や自然と時間を贅沢に使った遊びが楽しめる魅力ある町です。
【参考】新得町 新得町観光協会 新得 年ごとの値 / 気象庁
https://news.goo.ne.jp/article/hokkaidolikers/region/hokkaidolikers-20210410-36199.html

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裁縫は女の仕事? 女性がテキスタイルを通して伝えてきたメッセージ

2021-04-11 | 先住民族関連
ELLE 4/10(土) 23:06
裁縫は女の趣味の延長だ」と軽視されながらも、女性たちは裁縫を通して静かな声を上げてきた。彼女たちがテキスタイルを通して伝えてきたこととは?
職人気質の母親をもつといいことがある。’80年代に生まれた私は、母の「ローラ アシュレイ」のスカートをリメイクした服を着ていた。その後、母のソーイングキットを拝借し、「コンバース」のスニーカーに花の刺しゅうを縫いつけたり、デニムスカートにお気に入りの歌の歌詞を縫っていた。
歴史やサステナビリティ、そして愛という意味で母のもつ才能をありがたく思えたのは、正直言うと最近だ。パンデミックにより母をハグすることができない今、母が作った靴下やニットの温もりを感じることが最高のことのように感じる。
母は、自身がサステナビリティ・アイコンにされることをきっとあざ笑うだろう。けれど、どの記事やブランド、インスタグラムよりも私にサステナブルファッションについて教えてくれたのは他でもない、母である。トレンドに敏感な10代に、ミディスカートをミニスカートにリメイクする方法や、流行は繰り返されるものだからクローゼットにあるものを大切にするべきだということを学んだ。 また、母の影響でチャリティーショップに服を寄付することも増え、服のシミやカビの臭いも思い出の一種なのかもしれないと思うようになった。昔は、“特権”=「トップショップ」の服を腕いっぱい抱えることだと思っていたけれど、今は“知恵”こそが何よりの財産なのだと気づいた。
裁縫=女性の仕事、をぬぐえない現実
古い服を修理して長年着たり、リメイクして新しい服に蘇らせるなど、裁縫を生活に取り入れてきた女性に敬意を払いながらも、お下がりの服を嫌がり、新しい服を求めてしまうという矛盾が付きまとう。
50年代、お手頃で大量生産が可能な既製服は、女性の解放への大きな一歩でもあった。しかし、サステナビリティを援護しつつ、裁縫はただの“女性の仕事”という考えをなくし、女性の解放のために裁縫と工芸の重要さを認めることは可能なのか?  縫い針を置き、平等のためにストリートで声を上げた女性たちを裏切らずにどうやって工芸を学び、サステナブルな未来のために戦えばいいのだろうか?
もちろん、裁縫や修繕をして洋服の状態を良好に保つことの責任のすべてが女性にあるわけではない。だが現在、世界の衣服業界の労働者の80%は女性だと推測されている。アパレル産業に従事する労働者の環境改善を目指す非営利団体「レイバー・ビハインド・ザ・レーベル(Labour Behind the Label)」は、この80%の女性の大多数は自らの選択ではなく、性差別の結果として仕事をしていると明かし、「女性は従順である、故に受動的で柔軟だという文化的ステレオタイプを利用できるため、女性は衣服業界に向いていると言われている」と説明している。
家庭内でも洋服を修繕するのはやはり女性であり、アイオワ州立大学の2019年の研究によると、家庭内の裁縫係の70%は女性だという。
何世紀もの間、サステナビリティに対する女性の貢献は軽視されてきた
「起源としては、全て女性の仕事です」と語るのは、『 Loved Clothes Last: How the Joy of Rewearing and Repairing Your Clothes Can Be a Revolutionary Act(原題)』の著者であり、NPO団体「ファッション レボリューション(Fashion Revolution)」の共同創始者であるオルソラ・デ・カストロ。「製造するための複合システムを発明したのも、ワニスや染料を実験したのも、家事の知識をコミュニティに広めたのも、すべて女性です。すべて自分たちのものだと主張していいのです」と語る。
続けて、「しかし同時に、女性たちが縫い針を捨ててブラ姿で女性の解放について語り合った理由も分かります。女性が恐れずに自分たちの意見を主張し始めたのは最近のように思う」と分析する。
古いものを修理して使う精神をもっていた戦時の主婦から、伝統的な職人技を受け継ぐ現在のコミュニティまで、私のたちのワードローブに与える女性の影響についての話は数え切れないほど存在する。多数は貧困と必要性から生まれたものだが、だからといってスタイルがないわけではない。
何世紀もの間、サステナビリティに対する女性の貢献は軽視されてきた。男性が汗水流して働いている間、女性は趣味の一環として裁縫をしているだけだと言われてきた。しかしオルソラは、針を使うスキルは「裁縫師や主婦だけのスキルではありません。針の技術は外科医にも必要とされるのです」と指摘する。裁縫の歴史に改めてフォーカスすると、エンパワーメントのツールや変化へのモチベーション、そして誰も耳を傾けてくれなかったときに声を上げる方法として、裁縫を使った機知に富む女性に光が当たるのだ。
遥か昔から、女性は刺繍や編み物を通して政治的視点やプロテストの声を表現してきた
女性が自由に、安全に、そして公的に発言ができるようになる遥か昔の時代から、女性は刺繍や編み物を通して政治的視点やプロテストの声を表現してきた。1830年代、イギリスの17歳の女中、エリザベス・パーカー(Elizabeth Parker)は、自らが受けた性的虐待の経験を含め自分の半生を刺しゅうで残した。一方、アメリカの女性解放運動家であるエリザベス・スミス・ミラーは、庭仕事をする際にロングスカートが邪魔だったため、ズボンの裾口を紐で結ぶブルマーを発明した。黒人解放組織、ブラックパンサー党の女性は統一の象徴として全身にブラックをまとった。また、’70年代のアルゼンチン共和国で軍事政権のもとで“失踪”した子供たちのために、母親たちは白いスカーフを巻いて静かなプロテスト、5月広場の母たち(Mothers of the Plaza de Mayo)を行った。デザイナーのキャサリン・ハムネットは、1984年の政府主催のレセプションで同時の英国首相マーガレット・サッチャーに会ったとき、反核宣言の「58%はパーシング(弾道ミサイルの名前)を欲していない」と書かれたスローガンTシャツを着用し、アイコニックな写真が生まれた。
昨今は、エミリー・アダムス・ボーディが手がけるニューヨーク発の若手ブランド「ボーディ(BODE)」のおかげもあってか、キルティングやパッチワークがホットトレンドだ。しかし、パッチワークは長年政治的プロテストの一部として使われてきた。
サフラジェット(20世紀初頭、女性の参政権を求めた団体)のメンバーだった人々のバナーには、収監された女性たちの名前が刺繍されている。奴隷だった黒人は“フリーダム キルト”と呼ばれる、隠れ家や危険を示すコードを使用していた。1985年にスタートしたAIDSメモリアルキルトは現在48,000枚にも及ぶ。
裁縫はジェンダーの壁を超え、伝統に反抗したいと願う者の重要な道となる
2016年のCFDAファッション・アワードでファッション・アイコン賞を受賞したビヨンセは、スピーチのなかで、裁縫がもつパワーについて語り、裁縫師だった祖母とビヨンセの服を作っていることでも有名な母をトリビュートした。ビヨンセは、「裁縫は自身のアイデンティティと表現、そして力を見つけるツールです。スタイルを超え、タイムカプセルとして世代を超えていくでしょう」と力強く話した。
パンクからニューロマンティック、ドラァグクイーンの世界でも、裁縫はジェンダーの壁を超え、古いしきたりに反抗したいと願う者の重要な道となる。
昔から変わらず、今でも裁縫は多くの女性にとって経済的自立を得るための方法のひとつ。スローファッションブランド「バードソング ロンドン(Birdsong London)」は、雇用に苦しんできた女性たちを雇っている。エシカルブランド「マヤミコ(Mayamiko)」や「シカ デザイン(Sika Design)」は、マラウイとガーナの伝統的な職人技を活かし、先住民族の女性とそのコミュニティをサポートしている。
しかし経済的なインセンティブがなくても、自らの手で服を作ったり修繕するのはパーソナルな満足感を得ることができる。アイオワ州立大学が女性が裁縫をする理由を研究したところ、最もメインとなるモチベーションは「パーソナルな達成感」だということが分かったという。女性のエンパワーメントのために何年もかけて戦ってきたなかで、純粋な愛から生まれた才能が存在するというのは微笑ましいこと。
純粋な愛から生まれた才能が存在するというのは微笑ましいこと
もちろん、工芸はそのもの自体が特権。すべての人が時間や資源、才能に恵まれたわけではない。しかし衣服業界で従事する労働者を搾取から守るために戦う一方、設定される目標は、女性が一人も裁縫しないという未来ではない。むしろ逆なのだ。テキスタイルのスキルが尊重され、労働者に適切な額の給料が支払われることが何よりも必要となる。ストレートの白人男性が裁縫をしたくなるほどに、裁縫は尊敬されるべきだ。
世の中は少しずつだが前に進んでいる。2020年8月、英『エスクワイア』がロックダウン中に多くの男性が裁縫をはじめたという記事を出した。飛込競技でオリンピック2大会連続銅メダルに輝いたイギリスのトーマス・デーリー選手は、自分で裁縫して作った洋服の写真をアップする専用インスタグラムアカウントを開設。ハリー・スタイルズは「JW アンダーソン」のクロシェニットのカーディガンを着用して話題となった。
オルソラは「若い世代がDIYや裁縫をジェンダーレスで革新的とみなしていることをとても嬉しく思います。消費主義を抑えるために私たちができることは、今持っている服をできるだけ長く着ることです」と話す。どんなに簡単なスキルでも、裁縫の知識がある限り、 #30Wears (同じ服を30回以上着ようと呼びかけるキャンペーン)にチャレンジすべきだ。
ストレートの白人男性が裁縫をしたくなるほどに、裁縫は尊敬されるべきだ
実際、私はどんな洋服でも製造者にたどり着くと信じている。ティーンエージャーのときに着た派手な服やハンドメイドのマスク、お気に入りのニットまで、私の人生は母の手作りアイテムであふれている。その思い入れがあるからこそ、ますます大切にすることだろう。
しかし、私たちがテキスタイルの伝統をセレブレートする一方、 女性がサステナビリティの重荷を一手に背負う必要はない。今必要なのは、ジェンダー関係なく、できるだけ多くの人がスローダウンし、スキルを身につけ、よりよい世界を作るための戦いに参加することだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/503d09475e7d2d43c0fccbfa9c909ab9e2b95163

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ウポポイだより / 国立アイヌ民族博物館の押野朱美学芸員

2021-04-11 | アイヌ民族関連
NHK 04月08日 20時14分
白老町にあるアイヌ文化の発信拠点、ウポポイの取り組みや携わる人々の思いを伝えるコーナー「ウポポイだより」です。
国立アイヌ民族博物館の学芸員、押野朱美さんには、家族で受け継がれてきた宝物を通して伝えたい思いがありました。
押野さんは、国立アイヌ民族博物館の探究展示コーナーで週に1回、訪れた人たちにアイヌ文化の解説をしています。
楽しみながら学んでもらおうと、模型やパズルも使っていて、「子どもに限らず、大人の方でも十分楽しめる内容が詰まっている」と話します。
押野さんが特別な思い入れを持っている展示品が「タマサイ」という首飾りです。
交易品として大陸や本州から渡ってきたとみられるガラス玉に、金属製の飾り板が取り付けられています。
アイヌの女性が儀式で身につけ、宝物として母から娘へと受け継がれてきました。
展示品のタマサイは、押野さんがいまは施設で暮らす祖母の吉村冬子さんから託されたものです。
吉村さんはむかわ町でアイヌ文化を伝承し、孫の押野さんや若い世代にアイヌ語を教えてきました。
祖母の吉村さんと暮らしていた押野さんは、「物心ついたときにはアイヌ文化の中にいた。やっぱりばあちゃんと一緒に過ごした時間がおのずと今の私につながっている」と話し、学芸員を志す原点になったといいます。
展示品の「タマサイ」を通じてもっとも伝えたいメッセージは、「アイヌ文化は現在につながっている」ということです。
「アイヌ文化はどうしても過去の人というイメージが強いが、自分の家に伝わっているタマサイを今でも受け継いでいると言えば何か伝わるのではないか。ウポポイは民族共生象徴空間と言っているので、共生について何か考えるきっかけとなってもらえたらすごくうれしい」。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20210408/7000032720.html


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