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喉で歌う「喉歌」って? 80年代まで禁じられていたイヌイットの伝統を次世代歌姫がティックトックで世界へ発信

2021-04-25 | 先住民族関連
クーリエジャパン 4/24(土) 13:00
イヌイットの血を引く22歳、母との喉歌でインフルエンサーに

Photo: Tiktok of Shina Novalinga
カタジュジャクと呼ばれる先住民族イヌイットの「喉歌(Throat Singing)」。それは、森の奥深くで遠吠えをする動物のような、はたまた、草木のざわめきや大地を吹き抜ける風のような不思議な音色である。
【動画】イヌイットの伝統の「喉歌」を聞く
https://courrier.jp/amp/242648/?gallery&utm_source=yahoonews&utm_medium=photo
カナダのケベック州在住、イヌイットの血を引く22歳のシナ・ノヴァリンガが、伝統の喉歌を母と一緒に歌った動画をティックトックやインスタグラムに投稿したのは2020年3月。ちょうど、新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい始めた頃だった。
彼女の動画は瞬く間に注目を集め、今では210万人以上のフォロワーを獲得するほどの人気を博している。
喉歌は、喉や腹、横隔膜を使って音を奏でる歌唱法で、その音は「自然を模倣したものだ」と、彼女は発信している。
しかし、ヨーロッパから北米にやってきた入植者やキリスト教の宣教師たちはこれを「悪魔的なもの」とみなし、20世紀初頭に禁止した。
その後、1980年代まで解禁されることはなかったという。解禁された時点で喉歌の歌い方を知っていたのは、「たった4人の女性だけ」だったそうだ。
モントリオールの北側にある村ピュヴィニテュクでは、村のリーダーがその保存を望み、4人の歌い手に先住民族の血を引く若い世代への継承を求めた。シナの母親キャロルはその4人のうちのひとりから習ったという。
呼吸に集中 喉歌の癒しの力
シナが母親から喉歌を初めて習ったのは17歳のときだった。
イヌイットとケベック人のミックスで、都会育ちだった彼女は、「私はいつも自分のルーツを誇りに思っていた。けれど、それを周りの人にはあまり見せなかった。なぜなら、イヌイットであることを人に見せるのが怖かったから」と、英メディア「BBC」に語っている。
しかし、彼女は大学のある教授の勧めで、自身と母のルーツであるイヌイットの文化についてより深く学ぶようになった。「喉歌を教えて欲しい」と母親に伝えたのもこの頃だったという。
先住民族の歴史と文化を教えていた同教授からは、入植者(西洋人)が先住民から文化や遺産を奪い、西洋文化・社会への同化を強制した政策など、カナダ政府の先住民族に対する不正行為の歴史、負の遺産についても学んだと話す。
伝統的なイヌイットの喉歌は、「通常、二人の女性によって歌われる」。向かい合った二人のうち、どちらかがリードし、もう片方がリードと同じ音を追いかけながら発声していくそうだ。「一方が、沈黙、もしくは笑い出すまで続ける」のだと、イヌイット文化の研究者で喉歌の歌い手であるイーヴィー・マークは「BBC」に語っている。
彼女によれば、喉歌には、北米の厳しい冬を乗り越える効用もあったそうだ。イヌイットの女性や子供たちは喉歌を歌って体を暖かく保ち、心を明るくしたと語っている。
実際、呼吸に集中するので、精神の安定にも繋がるようだ。シナも、音によっては苦しそうに聴こえるかもしれないが、心はリラックスしていると、米メディア「NPR」に述べている。
また、彼女の投稿によれば、「私たちがやっている喉歌は”遊び”」だが、昔は真剣な「競い合いでもあった」。「男性や養子の獲得」をめぐるバトルの際に、この喉歌が用いられたこともあったそうだ。
喉歌は、北米に住んでいたイヌイットに限らず、モンゴルやシベリア、ロシアとモンゴルの国境にあるトゥヴァ地域などに住む民族の文化にも存在する。イヌイットの間では女性が歌うことが多いが、他の地域では男性が歌うところもある。
ただし、イヌイットの間でも、狩りやリーダーが教えを唱える際などに、男性が喉歌を歌うことがあったと、前述の教授は「BBC」に語っている。
「仲間と一緒に唄を歌うことは、厳しい自然環境下で幸せを見つけるのに非常に重要だった」
シナもまた、「女性に限らず、喉歌に興味を持った人は誰でも挑戦してみて欲しい」と発信し、非イヌイット人が喉歌を歌うことを歓迎している。
以前、アイスランド出身の世界的歌手ビョークが、イヌイットの歌手で喉歌の歌い手であるタニヤ・タガックとコラボレーションをしたことについても、シナは、メインカルチャーによる流用行為(文化の盗用)だとは思わないと、「NPR」に語っている。むしろ、「喉歌が世界中の人たちと共有されることで、カナダの先住民族が不当に扱われてきた歴史に対する認識が高まると信じている」と、コメントしている。
そんな彼女は、近日アルバム発売も予定されている。母親と一緒に歌った楽曲には、伝統曲の他、現代風にアレンジされたものも含まれているそうだ。「私たちの喉歌が、ひとりでも多くの人の不安を癒すことができれば本望です」
https://news.yahoo.co.jp/articles/0fd0f7b4ce93abef99109ad42af30d8179c754b3

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ケフ・バトラーがNZ先住民マオリ族の独自カルチャーに触れるサーフクリップ “Made In Aotearoa”

2021-04-25 | 先住民族関連
waval 2021年04月24日更新
ニュージーランドは北島と南島の2つに分かれている国で、15,000km(世界9位の海岸線の長さ)にも及ぶ長い海岸線には、大自然の中でワールドクラスの波がブレイクする。そんな自然や海との繋がりが強いカルチャーを持つ国で生まれ育った、北島マウント・マウンガヌイ出身のケフ・バトラー(Kehu Butler)の最新クリップがレッドブルからドロップされました。
今回のムービー”Made in Aotearoa (アオテアロアとはマオリ語でニュージーランド)” では、ニュージーランド先住民のマオリ民族であるケフ・バトラーがトラベルガイドとなり、ニュージーランド北島の波を追いかける。またその中でNZレジェンドサーファーや期待の若手アップカマー達と一緒にサーフィンをしたり、彼らの生い立ちや出会い、ケフ自身の家族やマオリ文化、ジェネレーションについて語る映像となっている。

映像でケフは以下のように語る。
「マオリ族は自分自身のストーリーを表現した、独自のタトゥーを入れるカルチャーがある。自分は尊敬する家族や親戚のストーリーを身体に刻んでいるんだ。」
ケフの父親やお爺さんはサーフィンが上手く、子供の頃からサーフィンをして育ったケフは、ニュージーランドのトップサーファーに上り詰めた。今はオーストラリアをベースにトレーニングを積んでいて、近い将来WSLワールドサーフィンリーグに参戦する為、コロナ次第ではあるが、世界中で行われるWQSクオリファイシリーズを回る予定となっている。
以前にニュージーランド人で初めてWSLに2001年にクオリファイしたMaz Quinn(マズ・クイン)が、ニュージーランドで主催したキング・オブザ・グロム2009でケフが優勝。マズ・クインがクイックシルバーのスポンサーにならないかとケフに尋ねると、その頃のスポンサーという意味がわからなく、「スポンサーという意味がわからないからお父さんに聞いてみる。」とマズに伝えたそう。笑
映像ではWQSを一緒に回っている、ウエストコーストのピハというパワフルなビーチブレイクを拠点とするローカルサーファー、エリオット・パエラタもこの映像にも出演。
またケフが尊敬するお爺さんは昔、「オーストラリアのキラビーチで6−8ftの波でワイプアウトした時に、目にサーフボードが突き刺さり片目を失明した」と、笑いながら語る。とても偉大でパワフルなお爺さんだ。
ニュージーランドは小さな国で人口も少ないが、素晴らしい自然とサーファー達で溢れている国なのです。詳細は以下。動画貼り付け不可の為、以下レッドブルサイトよりご覧下さい。
https://www.redbull.com/nz-en/made-in-aotearoa-film-kehu-butler-red-bull?fbclid=IwAR1qDdZrhIW6RRkXXNK1VHYzsaPmzzOT4kgsIrnvppcnPQhhYQc9KYQHmFE
https://waval.net/120183/

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「先住民族アイヌは、いま」展

2021-04-25 | アイヌ民族関連
奈良テレビ放送 2021/04/24 19:43

© 奈良テレビ放送
 アイヌ民族の今を知る巡回展示が24日から始まりました。「先住民族アイヌは、いま」と題したこの展示は、アイヌ民族の権利や人権に対する認識を県民にも深めてもらおうと、奈良市の県人権センターで開かれています。
 会場にはアイヌの人々の伝統的な衣服や風習、暮らしぶりがわかるパネルなどが並んでいます。一方で近代以降の不当な差別や人権侵害などの歴史を振り返る資料も並び、アイヌ文化をめぐる様々な課題が学べる内容になっています。
 アイヌ民族の目線から見た民族の今の姿を伝えるこの展示は、10月まで桜井市や河合町など県内各地を巡回します。
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%85%88%E4%BD%8F%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%8C%E3%81%AF-%E3%81%84%E3%81%BE-%E5%B1%95/ar-BB1g04Ps?ocid=BingNewsSearch

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47年前の「反日」とは何を意味していたか――映画『狼をさがして』監督インタビュー

2021-04-25 | アイヌ民族関連
現代ビジネス 4/24(土) 12:02
「東アジア反日武装戦線」の根底にあったもの
 「東アジア反日武装戦線」とは、1970年代に活動した、当時20代の若者たちによって結成された武闘派の左翼グループである。各部隊は自分たちを「狼」「大地の牙」「さそり」と名乗り、大手ゼネコンや旧財閥系企業を標的とし、数々の爆破攻撃を行った。
 彼らの攻撃対象は三井物産の本社ビルや、大成建設の本社ビルと続いた。特に被害規模が大きかったのは1974年8月30日に「狼」が起こした三菱重工本社ビルの爆破事件であり、死者8名、負傷者約380名を数えている。
 メンバーたちは1975年にその多くが逮捕され、主だった組織的な活動は終焉に向かったが、そののちも模倣犯による犯行が相次ぎ、たとえば1976年の北海道庁爆破事件では死者2名、負傷者95名を出したとされる。
 彼らが起こした行動は、結果的に複数の死傷者を出した明確な犯罪行為であり、その定義が揺らぐことはない。思わず目を背けたくもなるような、日本近代史の一ページだ。
 当事者のひとりであった桐島聡は、現在でも街の公共施設などには指名手配のポスターが貼られている(ちょうどこの原稿を書く過程で足を伸ばした、近所の図書館でもそれはあった)。誤解のないように述べるが、個人的にも、このようなテロリズムが現代日本で受容される余地はまったくないと考えている。
 だが、彼らのような一種のテロリズム集団が何を持って「反日」を掲げたのか、その背景を知ることは決して無意味ではない。そして本稿の目的は、ドキュメンタリー映画『狼をさがして』を発表したキム・ミレ監督のインタビューを通じ、「東アジア反日武装戦線」の背景にあった思想を、ひいては現代社会を考察するひとつの「鍵」を提示することにある。
 彼らは何を意図して、このような残虐な行為に走ったのか。彼らの言を借りれば、アメリカからの原爆投下に代表される日本の「被害性」への拘泥から脱却すること、また明治期から太平洋戦争の敗戦にかけて、さらにはその後も形を変えて続いている東アジア諸国、またアイヌ民族などに対する日本の「加害性」を注視し、そうした意識を日本の一般市民に伝播させることにあった。
 そして、そのような思想の具現化として、アジア諸国からの搾取で利益を得てきた(と彼らが定義した)大企業を対象に、数々の企業への爆撃が行われたのである。
 史実的な意味から一歩踏み込み、内実を掘り起こしていくのが、先にも触れた韓国のキム・ミレ監督による『狼をさがして』と題されたドキュメンタリーである。
同時期に韓国で起こっていたこと
事件現場となった三菱重工業東京本社ビル(現・丸の内二丁目ビル)
 キム監督はもともと、韓国や日本の労働問題をその作品内で扱ってきたドキュメンタリー作家であり、そうした題材を選ぶことにも、また必然性があった。彼女の父親は建設労働者であり、労働問題を探究することは、自分のルーツを探究することとも強い重なりがあったのだ。
 そしてキム監督は、「ノガタ」について調べる過程で、その原点が植民地時代にあることを知り、日雇い労働者の街として知られる、日本の釜ヶ崎にたどりつく(そののち、映画『土方(ノガタ)』を2005年に発表する)。
 『狼をさがして』では釜ヶ崎から映画が始まり、現地で日雇い労働者たちの労働運動を調査する過程で、彼女が「東アジア反日武装戦線」を知ったことが語られる。
 また、「東アジア反日武装戦線」の主張の中には、先述のような加害性≒日本帝国主義の打倒があり、そうした加害性のひとつには、明治末期から太平洋戦争の敗戦までにおける朝鮮半島の植民地化があった。
 彼らの活動とちょうど同時期の韓国では、在日韓国人の文世光(ムン・セグン)が当時の大統領であった朴正煕(パク・チョンヒ)を狙撃し、陸英修(ユク・ヨンス)夫人と女子高生が亡くなるという事件が起きたが、この事件は光復節、すなわち朝鮮半島の日本からの解放記念日の式典で起きたものであった。
 同時に、この事件は東アジア反日武装戦線の活動にも刺激を与え、三菱重工爆破事件の被害拡大につながったとも言われている。つまりキム監督にとって、自国の歴史を振り返るうえで日本の同時代に起こった出来事を考えることは、不自然なことではなかった。
 話を『狼をさがして』に戻そう。まずキム監督は、彼らの存在をどう思ったのか。インタビューで聞いた言葉をお伝えしよう。
 「彼らが自国の加害性に対して向き合おうとしたことは、評価できると思います。日本がかつて東アジア侵略をしたこと、現在の自分たちの安寧がその上にあることを自覚し、行動を起こしたこと。もちろん、手段としては彼らの行動は容認できるものではありませんが、それを知った時に、彼らに対する共感のような感情が生まれてきました」
人が歩んできた道のりを伝える
 この「共感」とは、日本人である彼らが自分たちの国――すなわち韓国や北朝鮮への加害性を知ってくれたことに対する感謝の気持ち、という意味ではなく、「加害性」の自覚なしに社会が動く危険性を、改めて実感したことに起因するという。
 「どんな社会であれ、加害性からは逃れられません。韓国にしても、近年の経済成長に伴い、東南アジア諸国で現地の労働者の搾取を行っているような側面もあります。
 また自国の内部に目を向けても、経済格差は大きくなっており、一部の金持ちが貧しい労働者を搾取するような一面も否定できません。そうしたことを私たちは常に意識する必要があります」
 日本においては、昨年大きな話題を呼んだ『パラサイト 半地下の家族』(ポン・ジュノ監督)によってこうした韓国の「格差問題」を知った観客も多いだろう。このように社会に存在するさまざまな問題を掘り起こすことが、映画の使命であると感じているという。
 「単純な事実を知るだけであれば、インターネットでもできるでしょう。映画にはその人の想いや歩んできた道のりを伝える力がある。そしてそれこそが、映画の役割だと思っています」
 とはいえ、当事者たちの声として伝えることの困難もある。本作に「東アジア反日武装戦線」のメンバーとして登場するのは、事件後の逮捕・服役を経て社会復帰した「大地の牙」の浴田由紀子と、「さそり」の宇賀神寿一(うがじん・ひさいち)のふたりのみである。
 他のメンバーについて説明すると、組織の中心的な存在であった大道寺将司は1975年の逮捕後、1987年に死刑が確定。その後精力的に獄中から句集を発表し続けるも、2017年5月に拘置所で亡くなる。大道寺あや子、佐々木規夫は国際手配中、桐島聡は先述のように全国指名手配中であり、直接顔を合わせることはまず不可能となっている。
 益永(旧姓片岡)利明、黒川芳正はそれぞれ死刑判決、無期懲役の判決を受け、現在も拘置所に収監されており、こちらも面会は親族でもない限りは難しい。残りのひとり、斎藤和は1975年に逮捕されるも、直前に青酸カリで服毒自殺をはかり、取調室で死亡した。
当事者に話を聞く困難
大道寺の故郷・北海道を訪れて
 キム監督自身は、特に大道寺将司に強い関心をもち、東京を訪れるたびに、彼の収監されている東京拘置所に通い続けたという。しかし、ついに大道寺に会うことはかなわないまま、浴田が出所した2ヵ月後、彼は他界した。
 当事者に話を聞く困難をどのように補うか。キム監督自身が選んだのは、彼らのバックボーンを探究することだった。作中、キム監督は大道寺の出身地である北海道・釧路や東北地方を訪れ、その原点を探っていく。美しい風景とともに、ナレーションでかつて大道寺が書き残した文章が紹介される。その内容は、たとえば以下のようなものである。
 「三菱重工爆破闘争は誤りであり、失敗でした。攻撃してはならない人々を多数殺傷してしまったのですから。殺傷してしまった方々、その遺族の方々には深くお詫びしなければなりません。日本人は総体として、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの被抑圧人民に寄生して存在している日帝本国人であるという認識から、死傷者を「植民者」と誤って規定し、この爆破結果を正当化する声明文を公表したのです。当時の、東アジア反日武装戦線“狼”部隊に問われていたことは、三菱重工爆破の誤りと失敗を率直に自己批判し、死傷者の方々に謝罪し、その上で、この作戦と同じ誤りと失敗を繰り返さないための教訓を可能なかぎり明らかにして、的確な反日武装闘争を続けていくことでした。これこそが真の自己批判の実践だったのです」
 大道寺は俳句においても、「死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ」といった作品を残しており、彼が自分たちの過ちに対して強い葛藤を覚えていたことが読み取れる。
 キム監督は本作のパンフレットにおいては、大道寺の生きている世界や彼の心にたどり着くことはできず、「ただ彼の俳句を通じて、かすかながら汲み取るだけ」と控えめに語っているが、こうした探究から、事件当時の報道で「思想のない爆弾魔」とも呼ばれた、「東アジア反日武装戦線」のメンバーたちの、等身大の葛藤が伝わってくるように感じられる。
 浴田もまた、作中でかつての自分たちの行動を振り返り、「敵を打倒し、破壊することよりも、味方を増やし、味方の力を育て作り出す戦い方をしたい。それはもう誰も死なせない革命でもあるはずです。(中略)(それは)同時に私自身がパレスチナ革命と出会う中で学んだ、革命とは何か優れた誰かが理想の社会のかたちを作って人々に与えることなのではなく、いま現在、生活の場からの人と人との関係を変えていくことなのだ、という思いを実践することでもありました」と語る。
再考すべき「反日」の意味
 「反日」や「武装」といったことばは、イメージとしては物騒きわまりないものだろう。しかし、そうしたことばをそのまま通り過ぎるのではなく、その背後にあった思想を自分なりに振り返ってみることで、新たな発見があるとキム監督は語る。
 「私にとって、映画を作ることは過去、ひいては自分を振り返ることでもあります。そうした過程で、これまでうぬぼれたり、傲慢になっていた自分に気づくことも少なくはありません。こうした行為は私のような映画を職業とする人間のみならず、すべての人に必要であると思います」
 冒頭の繰り返しとなるが、できごとに介在する思想を読み解いていくことで、必ずしもその当事者に共感できるとは限らないし、場合によっては強い反発心を覚えることもあるだろう。しかし、その背景を知らないことには、何もはじまらない。まずは私たちがたどった道に関心を持つことから、あらたな道のりはまた舗装されていく。『狼をさがして』というドキュメンタリーの価値は、ひとつにはそうしたことを私たちに提示してくれる点にあるはずだ。
 『狼をさがして』は、渋谷シアター・イメージフォーラム他公開中
https://news.yahoo.co.jp/articles/af1d53b887b3801897e87a50492906307880d3fe

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10 カンピ(紙)―蝦夷風俗彙纂、日本初のアイヌ文化大辞典

2021-04-25 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2021/4/24配信
 国立アイヌ民族博物館・収蔵資料展「イコロ」のカンピ(紙)コーナーの一部では、アイヌ文化を外側から記録した資料を紹介している。第3期では、開拓使が1882年に刊行した「蝦夷風俗彙纂(いさん)」を展示している。  「蝦夷風俗彙纂」は、日…
この続き:744文字
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https://www.tomamin.co.jp/article/feature/icoro/46418/

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