ようこそ石の華へ

鉱物の部屋へのいざない

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読書週間

2013-10-31 12:49:58 | 日記・エッセイ・コラム

今日は「読書週間」です。

私は本好きなのですが、今は「読書週間」真っ只中だったのですね。すっかり忘れていました。本好きと言っても、近年は小説などはほとんど読まなくなり、もっぱら鉱物関連の本ばかり読んでいます。かなり偏った本好きだと思います。

偏った本好きなのですが、本好きには変わりない為、本屋(古書店も含む)や図書館は大好きです。本屋や図書館の本棚の本の背表紙を見ているだけでも満足できますし、そこで興味深い本を見つけた時にはアドレナリンが吹き出します。

本棚の本にはアマゾンのような検索とは違った意味の発見の喜びがあると思います。多くの本の中から気に入った本に出会う事は偶然性もあると思いますが、こちらは探し求めている精神活動を行っている訳で、気に入った本との遭遇は非常にうれしいものです。

昨日は定休日だったので、以前から気になっていた白山市の呉竹文庫に行って参りました。呉竹文庫とは北前船主熊田源太郎氏が、大正11年に設立した私設図書館です。現在は博物館類似施設として明治中期から昭和初期にかけて集められた書籍13863冊(その範囲は叢書・辞書、宗教・哲学・教育、法律・政治、産業、理学・工学、医学、美術・諸芸・武技、文学・語学、歴史・地誌と多岐にわたっています。)が展示されております。
Photo

その書庫と書斎を見ました。書庫には多くの本がありました。大正期前後の時代の本ばかりなので、私の関心はその当時の鉱物学の本となります。一応、書庫の本棚をひととおり見回した後、やはり理学系のコーナーに行きました。そして、図書分類法に基く数学・理学・医学のコーナーの一画で鉱物学のスペースを見つけました。

そして、そこにあったものは・・・・。実は本がなかったのです。スペースだけになっていたのです。

鉱物学の本が当初から無かったのか?昨日たまたま置いて無かったのかは定かではありません。残念でした。がっかりしました。

こういう経験は過去にもありました。

ずいぶん前の事になりますが、大学時代の友人宅で書斎に入った事があります。その友人も本好きだったので多くの蔵書を持っていました。その本棚の中にプラトン全集があったので、私はティマイオスを探しました。ティマイオスはプラトンの自然観を著したもので、あのプラトン立体(正多面体)の原文がでているものです。当時、私はその原文を読んだことがありませんでした。それを読めると喜んだのですが、その時は、何と!全集の中でそのティマイオスの入ったものだけが無かったのです。他は全部揃っているのに読みたい部分だけが無かったのです。

マーフィーの法則です。読みたいものだけが読めないのです。

昨日もそのような不運に見舞われました。さらに呉竹文庫を出たとたんに豪雨に見舞われました。豪雨の中で車を走らせ金沢に帰りました。

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知の限界

2013-10-29 15:45:08 | 日記・エッセイ・コラム

今日は「知の限界」です。

今朝、録画していたNHK-Eテレ『オックスフォード白熱教室 マーカス・デュ・ソートイ教授』の「第4回数学が教える“知の限界”」を見ました。無理数、カオス理論、不完全性定理、無限、という数学的な“知の限界”を分かりやすく説明しておりました。それらは既知の事柄でしたが、興味深い内容の為、あらためてTV的に面白く見る事が出来ました。

「知の限界」の中でも不完全性定理は特別な意味があります。私は不完全性定理の存在を高校生の時に知りましたが、当時は、その事実にショックを受けました。厳密な知の代表格であろう数学基礎論に於いて「知の限界」が証明されたのですから、当時は世界観が変わるほどの衝撃だったと記憶しております。当時は物理学のハイゼンベルクの不確定性原理の存在もほぼ同時に知りましたので、この現実世界には完全はありえない、というような価値観が出来て行った事を思い出します。ただ、今では、不確定性原理の方はハイゼンベルクの式を修正した小沢の不等式が実験的に正しい事が明らかになったりしました。数学の世界でも私の高校生当時に未解決問題であったフェルマーの最終定理も証明されました。原理的な「知の限界」はあるとしても、コンピュータ・テクノロジーの進化に象徴されるように人知はまだまだ発展途上にあると思います。この先どこまで進化し続けるのかは分かりませんが、人知は「知の限界」を認識しつつもこれからも進化し続けて行くのだろうと思います。

そんな中、鉱物についての知の事を考えてみると、どうしても未知の事が多すぎます。鉱物学は決して終わってはいません。終わったどころか、むしろ分からない事だらけのようにも思えます。

新鉱物に関しては現在進行形で発見され続けています。鉱物の成因に関しても未知の事柄が多すぎます。

例えば、ありふれた普通の水晶にしても、その標本から、それがどこでいつ頃どのような環境でどの位の時間をかけて生成したのかという情報を正確に読み取ることはできません。ガラスに至っては、それらの情報が消え去っていますので、そのような情報は不可知です。

スピネル固溶体からその生成温度が測定可能だとしても、天然の鉱物には微量な様々な元素が不純物として混じっている事から、パラメータが多すぎて、それを厳密に正確に測定する事は不可能のように思えます。自然は以前から人知を超えた状態で存在しています。自然を正確に理解するのはまだ遠い先の事のように思えます。

それはコンピュータ・シミュレーションにも言えると思います。現在のコンピュータの能力では自然の正確な再現は難しい事のように思えます。それにはテクノロジー進化の問題と共にカオスの問題も抱えています。天気予報に象徴されるように、自然の正確な再現、予測は最新のスーパー・コンピュータをもってしても限界があります。

「知の限界」は厳然たる事実です。その事を認めつつも鉱物に興味を持ち続けたいと思います。

なぜなら、分かっていないから面白いのです。全て分かってしまったら何も面白くありません。「知の限界」を認識しながらも少しづつ分かっていく事自体が面白いのだと思います。

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2013-10-28 12:37:45 | 日記・エッセイ・コラム

今日は「美」です。

昨日の夕方、外国人のカップルがいらっしゃいました。どうも石に興味のあるのは女性の方で、店に置いてある鉱物を手に取ったりして興味深そうに見ていました。男性の方はスマホの画面を見たりしていました。その女性は棚に置いてある鉱物を指し示しながら、何か男性に話かけていました。もしかすると買って欲しいとネダッテいたのかも知れません。男性はそれほど興味がなかったようです。しばらくしてそのカップルは出て行きました。その際、女性は「beautiful」とおっしゃって出てゆきました。

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ブラジル産 紫水晶・方解石(Amethyst/Calcite)

鉱物ショップをやっていて、面白いのは店に入ってくるお客さんたちの反応です。鉱物に特に強い興味を示すのはお子さんが多いようです。それは男の子も女の子も同じです。それから外国人です。外国人と言っても欧米系の外国人です。台湾からの観光客も多いのですが、ほとんどが団体旅行の人々で店に入ってくる人は少数派です。欧米系の外国人は個人旅行の方々が多く、鉱物に対する文化が定着しているのか、実際に購入される方もいらっしゃいます。対して、ほとんど興味を示さないのが、男性のビジネスマンとおばさんたちです。男性ビジネスマンは余裕がないのでしょう。おばさんたちはアクセサリーには興味を示しますが、鉱物原石にはほとんど無関心です。それから老人も少ないです。大半のご老人の方々にとっては鉱物は無縁のものだろうと思います。ただ、老人の中にも少数ながら強い興味を示す方もいらっしゃいます。昨日もアンモナイトの化石を数点購入された方がいらっしゃいました。お話を伺うと既に幾つかの化石をお持ちという事で、それらはどうもその昔、The Nature Companyで購入されたそうです。(その第一号店は金沢だったらしい。)

今日は「美」です。

「石の華」の商品は鉱物結晶ですが、実は売っているのは鉱物結晶の「美」なのだと思います。昨日の外国人の女性の言葉「beautiful」がそれを物語っています。

ただ、「美」という概念は非常に難しい概念だと思います。「美」は非常に興味深い概念なのですが、それはある意味、哲学的な概念でもあり、その理解にはそれこそ真剣に「美学」という学問を学ぶ必要があるのでしょう。「美」というテーマはブログ的なテーマではないのかも知れません。

先日、『「美しい顔」とはどんな顔か 自然物から人工物まで、美しい形を科学する』(牟田 淳 著 DOJIN 選書)という本を読みました。その本を読むと、相対主義的な立場を取りつつも、比率、シンメトリー、自然は最小を好む、機能性、等が美しさの要素である事を理学系な視点から書いてありました。既に知っている事が多かったものの、黄金比や白銀比についてのアンケート調査結果が紹介してあったりして、「美」という概念を概念からだけに留まらず、実証的に論じてありました。「美」は決して文系的なものだけではないのです。

鉱物の「美」に対しても、もちろん理学的なアプローチが必要です。

もしかすると鉱物の「美」を理解するには文系・理系を超えた「鉱物美学」なるものが必要なのかも知れません。

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絶景

2013-10-27 13:15:27 | 日記・エッセイ・コラム

今日は「絶景」です。

今朝は早起きして時間があったので、前から気になっていた「オブリビオン」(2013年 ジュセフ・コシンスキー監督)を遅ればせながら見ました。美しいアイスランドの絶景が印象的な映画でした。

アイスランドの絶景は「プロメテウス」(2012年 リドリー・スコット監督)でも出てきましたし、「オブリビオン」でもその作品世界を表現する相応しいロケ地だと思います。その荒涼たる大地とギャオ(大地の裂け目)に流れる込む滝の映像は見ていてゾクゾクしました。その絶景はSF映画の世界観に見事にマッチしていたと思います。「オブリビオン」の良さは登場するバブルシップという乗り物と共に何と言ってもその絶景にあると言って良いと思います。

アイスランドはプレート境界である大西洋中央海嶺が海上に顔を出している地球科学的にも貴重な場所です。火山やギャオが幾つもあり、雪解けの大量の水がダイナミックな滝を造り出しており、それらの映像はこれまでにも何度もTVで見ました。そのような絶景の地を映画のロケ地に選んだ事は称賛に値します。

映画を見る楽しみのひとつは映画に出てくる絶景を見る事です。

そう言えば、つい先日、TV「地球絶景紀行」(BS-TBS)は「荒野の巨岩デビルズタワー」でした。ご存知、「未知との遭遇」(1977年 スティーヴン・スピルバーグ監督)で有名なあの巨岩です。

滝で言えば、やはり「ミッション」(1986年 ロバート・デニーロ主演)のイグアスの滝や「ナイアガラ」(1953年 マリリン・モンロー主演)のナイアガラの滝が印象的でした。

「アバター」(2009年 ジェームズ・キャメロン監督)の中国 張家界も忘れてはなりません。他には「ジュラシックパーク」(スティーヴン・スピルバーグ監督)のハワイ オアフ島や「インディ・ジョーンズ」のヨルダン ぺトラ遺跡、等々、切がありません。

「絶景」は、最近では映画だけではなく、様々な写真集も出版されており、「絶景」を見る機会が多くなって来ました。そのような写真を見ていると、そこへ行ってみたいという気持ちになってしまいます。私も行ってみたい「絶景」の場所は幾つもあります。

いつか時間がとれるようになったら、見に行きたい「絶景」は多く、今の内から優先順位を考えておかなければならないのかも知れません。

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標本箱

2013-10-25 14:58:54 | 日記・エッセイ・コラム

今日は「標本箱」です。

鉱物コレクションには「標本箱」は必須なものです。鉱物標本を保管するには「標本箱」が必要ですし、標本の数が多くなってくると、どのように保管するか?収納の問題が重要なテーマになってきます。

そもそも、対象が何であれ、コレクションという趣味はスペースを取る贅沢な趣味だと思います。鉱物コレクションという趣味もそれなりに年季が入ってくると、集めた標本をどのように保管・収納するかは重要な問題です。大袈裟に言うと、その事によってそのコレクションの価値は大きく変わるとも言えます。その最も基本的な要素が「標本箱」と言えるかも知れません。

因みに「標本箱」というワードでWeb検索してみると多くの情報が出てきました。ただ、「標本箱」だけでは昆虫用標本箱が圧倒的に多く、虫や蝶などの昆虫コレクションの方が鉱物コレクションよりもメジャーなのだ、という事が分かります。どうも鉱物コレクションはマイナーな趣味のようです。

良く考えてみると、マイナーな趣味だから良いのです。Web検索をしていると趣味ランキングというサイトが出てきましたが、趣味にランキングは必要ありません。それは好みや趣味の問題です。私は基本的にメジャーよりもマイナーを好みます。日頃からベストセラーには興味はありませんし、人気があるものには返って敬遠するようなところがあります。むしろ鉱物趣味がマイナーの方が都合が良いところもあります。趣味の世界にはマーケティング的な要素は不要です。そこには分かる人が分かれば良いという価値観があります。

今日は「標本箱」です。「標本箱」には独自の美学があると思います。

私の好きなTV番組にNHKの「美の壺」という番組があります。残念ながらまだ「標本箱」というテーマは取り上げられていません。これからも「標本箱」のテーマでの予定はないかも知れませんが、もし放送されるなら、「美の壺」の視点ならどのように「標本箱」を紹介してくれるのか?期待感が膨らみます。

「標本箱」は個々の標本を入れる「標本小箱」が基本です。それは積層厚紙製で黒色クロス貼りをした手作りの小箱です。「石の華」ではそれをベースにして使っています。他にもガラス蓋のある紙製やプラスチック製の箱もあります。標本整理容器には「標本箱」以外にもいろいろなものがあり、それらは標本によって使い分けられます。

他には、個々の「標本箱」とは別に、複数の標本をいれる間仕切りのあるマス目標本箱もあります。それには複数の標本が入る事になり、そこには集合的な意味が出てきます。その「標本箱」には分類的な付加価値が付き、その「標本箱」が、どんな標本で構成されているかという集合的な意味が付加されます。マス目標本箱には料理の懐石小箱やお菓子箱のような雰囲気があり、それにも独自の美と味わいがあります。そうそう、ブック型標本もこれらの一種です。その中でもかつての金石舎の岩石・鉱物組標本(ブック型標本)は今では高値が付く貴重なものです。

因みに「石の華」では透明なアクリルケースをマス目標本箱として一部で使っております。
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次に、さらに標本が増えてくると「標本箱」から標本キャビネットが必要となってきます。標本キャビネットは物によっては、かなり高価になってきますので、「標本箱」の延長線上にあるものの、それは別のテーマになってきます。

いづれにせよ、標本の整理・保管・収納は鉱物趣味の大きなテーマです。

その辺の事を考えていると、先日の「ボックスアート」で書いた「額に入れたブルーレースアゲートのスライス標本」は別次元の存在のように思えてきました。それは「額に入れた」事自体でアートに変化したものなのです。それはもはや標本ではありません。それはアートなのです。

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