先日、もしかすると既に死語になってしまっているのかもしれませんが、ネットサーフィン中に「斜方晶系」に出会ってしまいました。
石好き、特に結晶鉱物好きにとっては「斜方晶系」というタイトルにはどうしても反応してしまうと思います。そして、それは小説でした。思わず「えっ?」と思ってしまいましたが、気になってすぐに購入して読みました。
非常に面白かったと思います。私は大学は文学部でしたので、理学部的な授業や発表には実体験がないのですが、それでもこの小説の中に自然に入り込んで行けました。
読む前に「斜方晶系」(木ノ内嗣郎 作 2014.10.26発行 郁朋社)の目次を見ると「黒鉱の起源」とか「黒鉱鉱床の後生説」や「黒鉱鉱床の同生説」となっており、花岡鉱山の鉱床図や鉱床形態図も載っており、さらに巻末には参考資料のページもあったりして、風変わりな小説だと思いながらも読み始めました。私はどちらかというと産業的な鉱床学にはそれほど興味がある訳ではありません。さらに肉眼的に結晶を愛でる事が出来ない資源的な黒鉱にもそれほど興味はありません。そんな私でしたが、この小説はどこまでが現実でどこまでが虚構なのかが良くわからないままにその虚実皮膜の世界に引き込まれていきました。
前半は軍国主義時代の花岡鉱山が舞台となっており、その暗い時代背景がリアルに伝わって来ました。後半は戦後の鉱床学の研究者達の世界が描かれており、黒鉱鉱山開発という日本の昭和における金属鉱床学の歴史を垣間見たような気がしました。そして、そこには秘めたラブロマンスもあり、読後の印象も満足感が残りました。
ただ、恐らく、作者がプロの研究者だったせいなのか?学術的な表現が多く、文学的に鉱物愛を感じられる表現が少なかったように思えます。唯一好感が持てた部分としては、大学の銀杏並木を「歩道はさながら黄鉄鉱の坑道のように輝いていた。」という部分だけで、この小説には鉱物愛的な表現を期待してはいけません。
それから、偶然なのかもしれませんが、この小説が出版された直後に、日本結晶学会の総会において「斜方晶系」という用語の使用はやめて「直方晶系」という用語を使おう、という提案が決議されたようです。(その事自体は私も納得です。)
小説「斜方晶系」の題名の起源がなくなってしまったのです。面白い現象だと思いました。