ようこそ石の華へ

鉱物の部屋へのいざない

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結晶模型2

2024-06-28 11:23:13 | 日記・エッセイ・コラム

数日前、またもや野呂輝雄さんから非常に興味深い結晶模型が2点届きました。

一つは灰十字沸石の3軸双晶(全体がシアンの透明)です。

上の写真がそれです。

このブログでは、過去に何度か話題にした事もあって、この模型を見ていると、懐かしい気持ちが沸き上がってきます。

もう一つは、これまた非常に面白い黄鉄鉱の貫入双晶(非透明の橙+非透明の黄)です。

上の写真がそれですが、黄鉄鉱の二つの五角十二面体結晶が完全に貫入双晶したものです。一見、わかりにくいかもしれませんが、二色のそれぞれの色の部分だけを意識して見ると、それぞれが五角十二面体結晶になっており、その二つの結晶が相貫体のように貫入双晶している様子がわかると思います。

この形、その一面が十字にクロスしている事から、黄鉄鉱の鉄十字「CRYSTAL OF PYRITE - IRON CROSS」という名前が付いており、現実にそのような完全結晶が存在します。

私は、その現物を欲しいと思っているのですが、黄鉄鉱にしてはかなり高価になっております。

それから、アイアン クロスと言うと、やはり、ドイツの紋章ですからドイツ産のものが欲しいのですが、何故か?コロンビア産のゲーサイト(針鉄鉱)になった仮晶のものが多く流通しているようです。

いずれにせよ、この二つの結晶模型を見ていると、自然界の幾何学的秩序が具現化しており、実に美しいと感じてしまいます。

尚、このブログのブックマークの鉱物結晶図鑑のところをクリックすると野呂さんのブログにリンクしております。その最近記事のところでは、他の結晶模型のラインナップを見る事ができます。

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夢と映画

2024-06-25 11:11:23 | 日記・エッセイ・コラム

今朝、変な夢を見ました。

その夢は、佐々木昭一郎さんの新作を見る為に、三百人劇場に向かおうとしているのですが、道中、何度も邪魔が入り、上映時間に間に合わないので焦ってしまう、というような内容でした。

それは私の極私的な夢なのですが、少し、解説が要ります。

まず、佐々木昭一郎さんとはひとつ前のブログで書いた映像作家の事です。佐々木さんは亡くなられたので、もう新作を見る事はできません。今後、生成AIによって佐々木スタイルのような映像作品が登場するかもしれませんが、そんなものはあまり見たくありません。

次に、三百人劇場とは今は無き劇場で、かつて東京都文京区(最寄り駅は都営三田線千石駅)にありました。私は大学入学してすぐに「ATG映画の全貌」や「飛翔する監督たちの全貌」というタイトルの上映会に足繁く通い、数多くの映画を見ました。私の好きな実相寺昭雄の「無常」を見たのもその三百人劇場でした。

上の写真はその上映会のパンフレットです。

その劇場までは、駅から徒歩数分くらいだったと思いますが、夢の中では、高校生時代の旧友に遭遇したり、奇妙な寺院に迷い込んだりして、中々、劇場に辿り着きませんでした。それはまるで映画「ブルジョワジーの秘かな愉しみ」(ルイス・ブニュエル監督 1972年)のようでもあり、ある意味、それが映画を見ているようで面白く思いました。

夢と映画は似ています。

今日は夢と映画の話題になりました。

 

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佐々木昭一郎さんの訃報

2024-06-21 15:31:39 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、「石の華」店内で、私が今年もパスしたミネラルマーケット2024に行って来たというTさんからの報告を聞いていた時に、佐々木昭一郎さんの訃報が入ってきました。

Tさんの話は興味深かったものの、その訃報に接し、驚きと共に動揺し、ミネラルマーケットの話は中断になってしまいました。

佐々木昭一郎さんとは「四季・ユートピアノ」(1980年)などの独自の佐々木スタイルという映像作品で、国内外で高い評価を受けた元NHKディレクターです。

私が大学生時代から20代の若い頃に大きな影響を受けた映像作家でした。

私が鉱物にハマってしまった30年前位からは、交流はほとんど無くなっておりましたが、昨年の12月頃、佐々木さんがまだ野球をやっておりお元気だと聞いておりましたので、昨日の突然の訃報に衝撃を受けました。

昨晩は、佐々木さんを通して知り合った旧友とFB上でなつかしい話をしたのですが、若い頃の私は佐々木さんを中心に回っていたのだと再認識してしまいました。(このブログでは「島7」2012.12.11に佐々木さんの「夢の島少女」についてチョットだけ触れております。)

佐々木さんの葬儀は近親者で行ったそうで、昨日が告別式だったそうです。ご冥福をお祈りいたします。

今日のブログでは、私と佐々木昭一郎さんとの出逢いについて少し書きます。

私は、佐々木さんがラジオの演出をしていた頃からNHKのラジオドラマでそのお名前は存じ上げておりました。特に「コメットイケア」(作 寺山修司 1966年)はリアルタイムで聴いた覚えがあります。

テレビドラマでは「さすらい」(1971年)をリアルタイムで見た記憶がありますが、何と言っても「夢の島少女」(1974年)を見た衝撃は忘れられません。当時、私は高校生でしたが、その感動は数日間消えませんでした。

その後、大学で「テレビドラマ史」(講師は鳥山拡さん)を受講していた時に、鳥山先生から「佐々木昭一郎の新作の試写会がNHKであるが一緒に来てみるか?」という夢のようなお誘いがあり、私は大喜びで先生に付いて行きました。

上映作品は「四季・ユートピアノ」(1980年)で、その試写室が、私と佐々木昭一郎さんとの初の出逢いの場となりました。それは1979年12月21日、放送の3週間くらい前の日でした。

その試写会場には他には早稲田大学の山本喜久男教授、映画評論家の佐藤忠男さんが同席しておりました。

試写会が終わると、佐藤忠男さんはすぐに帰られたのですが、佐々木さんと鳥山先生と山本喜久男教授と私は、渋谷の居酒屋に移動し、お酒を飲みながら、作品の事などの話をしました。私は作品を拝見し、深く感動した事や、衝撃的だった「夢の島少女」の印象などの話をした記憶があります。

上の写真は、その居酒屋で飲んだウィスキーの瓶です。佐々木さんのサインもあり、出会いの記念として大切に保管しておりました。

それは、現在、自宅の居間に置いておりますが、元日の震度5強の能登地震でも棚から落ちず無事でした。更に、過去6回の私の引っ越しの際にも傷付く事無く現在に至っております。

昨日も思ったのですが、今回の佐々木さんの訃報では、やはり、一つの時代が終わった、という思いがします。・・・。

 

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「鉱物物語」

2024-06-18 11:52:23 | 日記・エッセイ・コラム

今日は、このブログでは珍しい音楽の話題です。

つい先日、自宅のBDレコーダーに予約した覚えのない音楽番組が録画されておりました。妻にその事を問いただしたのですが、「犯人は私ではありません!」という回答でした。

その番組とはBSテレ東『おんがく交差点』(2024.06.15)で、私は早送り再生しながら見てみました。すると、その番組の中で「方解石」というタイトルのピアノ曲が演奏されておりました。

どうも予約録画した犯人は私で、その番組は登録してあるキーワード「鉱物」に引っかかった番組だったようです。私は予約した事をすっかり忘れていました。

その「方解石」という音楽は、萩森英明さんという作曲家の作品で、透明な方解石の結晶の複屈折をイメージした作品でした。私には何となくバロック音楽のような感じに聴こえました。

その「方解石」という曲は「鉱物物語 第二集」の中の一曲らしく、私は「鉱物物語」という音楽に興味が湧き、他にはどんな曲があるのか?「鉱物物語 第一集」もあるのか?とか、「鉱物物語」でWeb検索をしてみましたが、Web上ではそのような情報が得られませんでした。

それで、今度は「萩森英明」という人名で検索してみました。すると、洗足学園音楽大学で作編曲の教員をされている事わかり、さらにパッヘルベルのカノンの編曲の動画がみつかりました。

その曲を聴いてみると、何となく作風がわかったような気がしました。

『おんがく交差点』の番組内のお話からは、もしかすると、この人も共感覚という特殊な才能を持っているのかもしれないと思ってしまいました。共感覚とは「ある1つの刺激に対して、通常の感覚だけでなく 異なる種類の感覚も自動的に生じる知覚現象をいう。」(Wikipediaより)らしく、非常に興味深い知覚現象です。ただ、私にはそのような才能はありません。

有名な共感覚の例として、アルチュール・ランボーの「A は黒、E は白、I は赤、U は緑、O は青」で始まるソネット『母音』という詩があります。詩人や音楽家の中には、独自の共感覚を持っている方が多いような気がします。

さて、私にはそのような共感覚がある訳ではありませんが、「鉱物物語」という音楽には興味があります。是非、その全曲を聴いてみたいものです。

 

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阿手鉱山からの葉書

2024-06-11 13:38:08 | 日記・エッセイ・コラム

今朝、店の郵便受けに東京のKさんから非常に興味深いものが届いておりました。

それは、明治時代の絵葉書で、差出人は阿手鑛山から清國の親族への葉書でした。

上の写真がそれです。

東京のKさんは鉱物・鉱山を主なテーマにしている日本有数のコレクターですが、鉱物標本だけではなく鉱物関連の書籍や鉱山関連の歴史的資料など、今となっては信じられない貴重な関連資料をたくさん持っておられます。

今回は、資料整理の一環で出てきたもので、その貴重な葉書を送って下さいました。

阿手鉱山は明治時代の鉱山ですが、尾小屋鉱山の隣にあった事から、精錬所がある尾小屋鉱山まで尾小屋隧道で繋がっておりました。私は、小さい頃に、一度、その隧道を通った記憶があります。

今回の絵葉書の写真は小松のお旅祭りの曳山(明治39年東町)の写真です。実は、東町の曳山は昭和7年の橋南の大火で焼失しており、現在は存在しておりません。そういう意味では、この絵葉書は、非常に貴重な歴史的資料だと思いました。

私は、自宅の本棚にあった「新修 小松市史 資料編5 曳山」(平成15年3月20日発行)を店に持って来て、それを見直しました。

すると、その中に明治44年の東町の曳山の写真(小松市立博物館所蔵)が載っておりました。

上の写真がそれです。細部をチェックしながら見直すと、確かに同じ曳山の写真のようでした。

葉書の消印や文面は判読不明ですが、私のような小松出身の鉱物好きにとっては、その葉書は貴重な歴史的資料に違いないと思っております。

今回は、またもやKさんからの非常に貴重な贈り物でした。大変、感謝しております

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