先週の火曜日の事になるのですが、以前から気になっていた富山県美術館(TAD)に行って参りました。TADの休館日が毎週水曜日で、「石の華」の定休日と重なり、昨年のオープン以来、ずっと気にし続けておりましたが、そこは、中々、行けないでいた施設でした。そんな中、何かの偶然で、瀧口修造「オブジェの店―Rrose Selavy Tokyo」展をやっている事を知り、それも終了間際であった事、天気も良かった事もあり、意を決して行って参りました。
私は「石の華」を始める前に、前の富山県美術館には行った事があり、そこで富山県出身の美術評論家、瀧口修造のコレクションは一度見ておりました。確か、「夢の漂流物」というタイトルの常設展だったと記憶しております。私は高校生の頃からシュルレアリスムには興味がありましたし、日本人シュルレアリストであった瀧口修造にも興味を持っていました。実は、そこでの展示で瀧口修造が「オブジェの店」をやりたがっていたという事を知りました。その頃、私も石の店をやりたいと思っていた事もあり、共感を覚えました。
今回のTADの「オブジェの店」は美術館の展示なので、当然の事ながら、展示物は買えません。それはあくまでも「オブジェの店」というコンセプチャルアートのようなものであって、それは美術作品なのです。TADのコレクション展示には瀧口修造の書斎にあった数々のオブジェもありました。それらは一見するとガラクタのようにも見えてしまうのですが、それらの中には私も欲しいと思ってしまうものがあったり、拾ってきた石ころがあったり、総観すると、やはり、シュールレアリスム的な集合体でした。
それらのオブジェを見ていて、私と趣味嗜好が似ているような気もしてしまいました。ただ、ひとつ気になった事があって、石に限って言えば、集められた石は転石の類の石ばかりで、私が好む鉱物結晶とは別物でした。それから、今回の展示で初めて知った事のひとつに、穴だらけの石があり、それは師であった西脇順三郎からもらったモノだったという事です。私はてっきり滝口修造が拾ってきたきたモノだと勘違いしておりました。(このブログの「穴3」2013.05.27参照)どうも瀧口修造コレクションは自分で集めたものだけではなく、多数の贈られたモノも混在しているようなのです。
「オブジェの店―Rrose Selavy Tokyo」は1963年(瀧口修造61歳)頃に着想し、マルセル・デュシャンにその構想を相談して、店名(ローズ・セラヴィはデュシャンの若い頃の女性変名)及び看板用のサインも頂いたらしいのです。そのサインは拡大して銅凸版のプレートに起し、書斎兼アトリエの壁面に終生掲げ続けたそうで、その現物が展示されておりました。
今回のTADの展示「オブジェの店」では何も買えませんでしたが、TADのミュージアムショップに「とやま文学」(第34号 2016年)バックナンバーが置いてあり、その特集が瀧口修造だったのでその本を購入しました。
それを読んでいると、ある文章の中に瀧口修造の文章で「奇妙な話だが、いつの頃からか、私にオブジェの店を出すという観念が醗酵し、それがばかにならない固執であることに気づきはじめた。いうまでもなく私は企業家や商人とはまったく異なったシステムで・・・流通価値のないものを、ある内的要請だけによって流通させるという不遜な考え」がオブジェの店のベースである。云々と書いてあり、なるほどと思いました。
また、瀧口修造の墓の表側には自筆による「瀧口修造」の署名が、裏側にはデュシャンの直筆に活字を組み合わせた「Rrose Selavy Tokyo」の文字が刻み込まれている事実を知りました。
もしかすると、瀧口修造は実現しなかった架空のオブジェの店を実は本気で出したかったのではないか?と思ってしまいました。
最後に、今日の写真を一点出します。
これは以前、瀧口修造コレクションに刺激され、私が購入してしまったMiramondo Gabriele Devecchi,2010(1960)です。万華鏡的なリフレクションが美しいオブジェです。