ようこそ石の華へ

鉱物の部屋へのいざない

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験担ぎ(げんかつぎ)

2017-02-24 13:59:35 | 日記・エッセイ・コラム
今日は「験担ぎ(げんかつぎ)」です。

明日は国公立大学の2次試験の日だそうです。今朝、一昨日の新聞を読んでいたら、「金沢 ホテル難民!?」という見出しで、受験と学会が重なり、ホテルの需給バランスが大きく崩れているという記事が出ていました。(3月の3連休も既に満室続出だそうで、金沢のホテルの客室数不足は深刻だそうです。)

その記事を読んでいて、明日が試験日だという事を再確認したのですが、もちろん、私の受験の事ではありません。昨年から常連になっているお客さんに予備校生がいて、いよいよ明日は彼が受験する日なのだ、と再確認したのでした。



今日の写真はその彼に先日プレゼントした黄鉄鉱(それに似たもの)です。それは安価なものなのですが、五角十二面体の結晶をしており、五角(ごかく)を合格(ごうかく)という験担ぎの意味でプレゼントしました。明日は頑張って欲しい、と思います。

私は五角十二面体の黄鉄鉱を受験生にプレゼントするのは、これが初めてではありません。

実は、先日、医師の国家試験を受験するという富山からのお客さんがいらっしゃいまして、彼が石好きという事もあって、験担ぎで、石を探しに来店した事を知って、その時に同じ五角十二面体の黄鉄鉱の結晶をプレゼントした事がキッカケでした。その時、医師と石、合格と五角、語呂合わせではありませんが、面白い会話をしました。

その日、彼が験担ぎで買った石は青い放射状結晶のカバンサイトでした。本当はペンタゴン石の方がベターだったかもしれませんが、その日は切らしておりました。

そうそう、その彼が火曜日に再度来店しました。正式な発表は来月になるそうなのですが、自己採点では、恐らく合格しているだろうと、いうお話でした。おめでとうございます。今回の彼のお買い物は前回に見送ったフランス産の放射状結晶(このブログの「石膏3」で出したもの)です。私はそれと同じようなものをレチュギア洞窟の写真集の中で見た事がある、というような話をしました。

今後、彼も、富山のお客さんであるものの、準常連?になるような予感がしております。



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洞窟4

2017-02-17 11:54:12 | 日記・エッセイ・コラム
ひとつ前のブログを書きながら穴の縦横に関して少し混乱してしまったのですが、洞窟の場合は3次元的な円筒状の形状で、縦穴、横穴という表現をしていて、窓のような2次元的な平面状の穴を3次元空間の中で捉えた縦横とは異なっていたからでした。一瞬、混乱してしまいました。

私は時折、日常的な当たり前の認識にも、フッと疑問に思う事があります。最近は、突然文字の形状に違和感を感じてしまうようなゲシュタルト崩壊やデジャビュ(既視感)のような心理現象は起きなくなってしまいましたが、逆に、起きなくなってしまった事にチョッと寂しい思いをしております。

さて、今日は久々に「洞窟4」です。(「洞窟」というタイトルでは2012年8月3日から3日間連続で書いておりました。)

私は名古屋に住んでいた2005年に朝日カルチャーセンター栄教室でケイビング入門という講座を受講していました。その講座は講義が6回あり、最後に洞窟実習があって、実際にケイビングを体験できるというユニークは講座でした。その講座とケイビング体験を懐かしく思い出します。その講師は吉田勝次さん(日本ケイビング連盟会長)でした。

その吉田勝次さん、つい最近、「洞窟ばか」(扶桑社)という本を出しており、私は今、その本を読んでいるところです。

この本、非常に面白い、と思います。それは「やりたいことをやりたいようにやってきた」吉田さんならではの体験を吉田さんならではの言葉で正直に書いてあり、かつてケイビング入門を受講したひとりの受講生としてもオススメしたいと思います。

私はこの本をまだ半分ぐらいしか読んでいないのですが、途中で、「エピローグ 次なる野望」というあとがきを先に読んでしまいました。すると、そこには「洞窟の写真集を出す事」が書いてありました。

それは非常に楽しみな事です。その写真集(できれば大型本で)を是非見たいと思います。

今日はまだその本の読中なのですが、洞窟写真集を見たい気持ちが先だって今日のブログのテーマにしました。

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穴あき雲

2017-02-12 12:04:56 | 日記・エッセイ・コラム
今日は「穴あき雲」です。

まずは写真です。



これは昨日の夕方、店の中から外の風景を撮った写真です。昨日は強風が吹いていたせいか、雲に穴があいている珍しい「穴あき雲」と思われる雲がありました。雲の形は刻々と変化するので、急いで写しました。

このブログは石のブログなのに雲の話題か?と思うなかれ。石と雲は無関係ではありません。

江戸時代の木内石亭の書物「雲根志」の事を出すまでもなく、石は雲根とも言われます。(「雲は石より生ずるによりて、石を―と云ふぞ」〈中華若木詩抄・中〉)古来、雲は石から生まれる、と考えられてきました。石のブログ的には雲もアリなのです。

いつものようにWebで「穴あき雲」で画像検索してみると、驚異的な画像がたくさん出てきました。どうも珍しい現象ではなかったようです。そして、「穴あき雲」の発生するメカニズムも解明されているようです。

私は普段から雲の形を気にするタイプではなかったのですが、昨日は偶然に「穴あき雲」らしき雲を見かけ、珍しいと思い、すぐに写真を撮っただけでした。

フッと、思いました。Webの画像検索で出てきた写真はスゴイ写真が多かったものの、それらを見ていると、水平に穴のあいたものばかりです。昨日のものは縦に窓のように穴があいておりました。これらは同じものなのでしょうか?何か違うような気もします。

昨日は冷たい強風が吹いておりました。そのような気象条件で現れた特殊な現象のようにも思えますが、真相はわかりません。

そう言えば、水石の世界ではいわゆるヌケのある石は珍重されます。それらは今日の写真の雲のように縦にあいている穴が多いように思えます。・・・・。

書きながら、今、変な事に気づいてしまいました。

洞窟でいう縦穴、横穴という言い方と、穴の縦横が逆になっています。書きながら混乱してきました。
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水晶の指紋2

2017-02-10 12:19:59 | 日記・エッセイ・コラム
今日は「水晶の指紋2」です。過去に一度「水晶の指紋」(2016.11.28)というタイトルで書いておりましたので、今日はその2となります。

「水晶の指紋」では水晶の柱面と断面に現れた指紋のような模様を話題にしておりましたが、今回は錐面に現れる指紋のような模様の話題です。

まずは、写真です。



これはウルグアイ産の紫水晶の拡大写真です。ひとつおき交互にある大きな三つの錐面に同じような指紋のような模様があります。紫水晶のこのような形状も面白いのですが、その錐面に現れる指紋のような模様も面白いと思います。



上の写真は同じ水晶の拡大率を落としてちょっと引いて撮った写真です。さらに面白い事に、ほとんど全ての錐面に同じような指紋模様が現われています。



さらに引いて普通に撮った写真です。これは安価なウルグアイ産の紫水晶のクラスターです。ウルグアイ産のアメシストの魅力のひとつはブラジル産のアメシストに比べて色が濃い事だと思います。そして、もうひとつ、大きな魅力だと思われるのが、今回の指紋模様です。

この指紋模様がどのようなメカニズムで現われるのかは詳しく調べていないので詳細はわからないのですが、興味深い現象だと思います。簡単に考えるなら、結晶成長の際の断続的な成長速度の変化として現れてくるのだろうとは思いますが、その指紋模様が、鉱物好きには堪らない魅力となって映ってしまうのです。

そういえば、過去に黄銅鉱の結晶面に同じような模様が出ている写真を見た事があります。蛍石にもあったかもしれません。

もしかすると、このような指紋模様は鉱物結晶に共通する特有な現象なのかもしれません。

話は急に変わりますが、今朝の新聞を読んでいたら、中国が入国外国人の指紋採取を始めるという記事が載っておりました。その記事で、日本でもテロ防止を目的に、2007年11月から16歳以上の外国人の入国時に指紋採取と顔写真の撮影をしていたのですね。知りませんでしたが、アメリカだけではなく、すでに世界中が外国人を警戒する時代になっていたようです。

人間の指紋は個人認証に使われますが、鉱物の指紋も個体認証に使われる事ができるのでしょうか?
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和田維四郎

2017-02-07 14:01:46 | 日記・エッセイ・コラム
久しぶりのブログ更新となります。実は2月2日の夕方にポルテ金沢でおきた衝撃的な火災事故の現場に居合わせた事のショックが大きかったせいか、これまでなかなか筆が進みませんでした。私の心はようやく少し癒えてきたようです。

で、今日は「和田維四郎」です。このブログでは人名がタイトルになるのは「飯盛里安」(2014.04.18)以来、二度目となります。

和田維四郎(わだ つなしろう)、鉱物学の世界では、言わずと知れたビッグネームです。この名前はこのブログでも何度か出てきたと思いますが、ナウマンが日本の地質学の父と言われるなら、日本の鉱物学の父と言って良い人物だと思います。

その和田維四郎のWikipediaを見ていましたら、明治10年、第一回内国勧業博覧会の鉱物関係の審査員となり、東京大学への鉱物標本の購入に尽力する、と出ておりました。さらに明治23年、第三回内国勧業博覧会の第六審査部長となり、地質調査所の所長となる、ともあります。

その時期が重要なカギとなり、ある仮説が考えられます。その仮説とは和田維四郎が金沢博物館の鉱物標本の行方に関係していたのではないだろうか?というものです。

金沢博物館は明治9年に開設されましたが、当時の国策により、明治11年に勧業博物館に改称し、明治13年に石川県勧業博物館になりました。そして、開設十年から二十年になる過程で、多くの主に国産鉱物標本の数が減っておりました。その背景には、当時の政府が各府県に命じて各府県に産する鉱物を蒐集させていたという事実があります。その当時、鉱物標本の価値がわかる人物はそれほど多くなかったと思われますし、和田維四郎は政府関係者として、最適な人材だったのではないでしょうか?

調べた訳ではありませんが、金沢博物館の鉱物標本だけではなく、恐らく、全国各地の勧業博物館の鉱物標本が和田維四郎によって集められた可能性があるのではないでしょうか?そして、全国から集められた一部はウィーンでの万国博覧会に出品され(ウィーン自然史博物館にも見事な日本産鉱物標本コーナーがあります。)、残された一部は和田維四郎によって整理研究されたようです。

それらの中から有用なものや学術上価値あるものは「本邦産金石略誌」(明治11年)として刊行されております。

和田維四郎はその後も本邦産鉱物標本の採集、蒐集に異常の努力と費用とを払ったらしく、それらは「日本鉱物誌」(明治37年)として刊行され、貴重な国産鉱物の海外流出の防止に貢献したらしいのです。

まだ続きます。「日本鉱物誌」以後に蒐集したものは「本邦産鉱物標本」(明治40年)として刊行され、それが「和田標本」(三菱マテリアル所蔵)になるようです。(その後も「日本鉱物誌第2版」は大正5年、第3版上は昭和22年で、大正9年没の死後まで続きます。)

今回の仮説が正しいとすると、金沢博物館由来の国産鉱物標本の中から良いものは和田維四郎によって選ばれ、海外に流出する事なく、残されたという事になります。幸いにもそれらはしっかりと保管されており、標本的には良かったという事になりそうです。

ただ、金沢博物館の外国産鉱物(デッケンさんの持ち込んだもの?)の行方はまだ不明のままです。

今回、私は市川新松の書き残した文書から和田維四郎の異常とも言える収集癖だったという事実に行き着いた訳ですが、それにしても、お二人とも福井県出身者であった事が何となく不思議な感じがしております。

そう言えば、3年後の2020年は和田維四郎没後100年の年に当たります。その頃までに和田維四郎ゆかりの「三菱ミネラルコレクション」の一般公開を願いたいところです。




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