ようこそ石の華へ

鉱物の部屋へのいざない

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舟形石

2020-07-28 11:20:29 | 日記・エッセイ・コラム

今日は舟形石です。

上の写真は先日のブログ「ニホンザルのように見える白山紋石」と同じKさんの遺愛石です。それは伝統的な水石の世界の姿石の一種で、舟形石と呼ばれるものだと思います。

どうでしょうか?和船のように見えませんでしょうか?

岩石の種類は、恐らく、この辺、北陸地方によくある飛騨帯の片麻岩だろうと思われます。片理面がはっきりしており、その偶然の割れ方で船のような形になったのだろうと思います。

私もなぜか舟形石には惹かれるところがあります。どうしてでしょうか?

ところで、久しく船には乗っていないので、船旅でもしたい心境です。

ただ、昨今の新型コロナウイルスの影響で、クルーズ船の船旅などは当分できないだろうと思います。

そう言えば、西村大臣がしていたことで話題になった立体マスクは舟形マスクと呼ばれていました。舟形石とは全く関係がありませんが、それを思い出してしまいました。

それよりも、TV画面で見る首相官邸の正面玄関にある巨大な庭石は舟形石のように見えます。それにはどういう意味があるのでしょうか?

舟形石から連想が続いてしまいました。

 

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「石ものがたり ふくいが生んだ鉱物学者たち」Part1

2020-07-20 12:07:58 | 日記・エッセイ・コラム

昨日は、「石の華」は臨時休業して、福井のこども歴史文化館(これき)に行って参りました。そこでは和田維四郎没後百年記念特別展「石ものがたり ふくいが生んだ鉱物学者たち」(Part1 7/18~8/30)が開催されており、その展示を満喫してまいりました。

昨日は、現地には11時頃到着しましたが、既に、OさんとNさんが先に来ており、会場で合流しました。特に、Oさんのコレクションが現代の個人コレクターのコーナーに展示されており、大型標本好きのOさんコレクションがショーケースの中で非常に立派に展示されておりました。

会場は、和田維四郎、比企忠、市川新松のコーナーに分かれており、それぞれの興味深い書籍や鉱物標本が展示されておりました。

和田維四郎標本(三菱マテリアル所蔵 非公開)は、門外不出の為、展示されておりませんでしたが、「日本鑛物誌」などの著書や和田石の標本やナウマンとの関係などのパネルが展示されておりました。

比企忠のコーナーには、昨年、京都大学総合博物館で開催されていた鉱物標本が数多く展示されておりました。特に、遊泉寺銅山の巨大黄銅鉱の結晶に再会できて非常にうれしく思いました。さらに、小松の地元の人が菩提石と呼んでいる那谷産であろう紫水晶の晶洞や倉谷鉱山産の重晶石など、石川県人にもうれしい標本の数々をたっぷり見る事ができました。

市川新松のコーナーでは、市川鉱物研究室の室内の原寸サイズに近い?大きな写真が貼ってあり、その場にいるかのような雰囲気になれました。

会場には、その他、鉱物学者 仙谷亮の紹介パネルや江戸時代の本草学の事典や海外の鉱物書等々、そして、石の花畑と称した美しい鉱物展示等々、鉱物好きにはたまらない展示空間だったと思います。

 

さらに、受付の奥の第2展示室には日本人と石の歴史的展示コーナーがあり、その中に、「石の華」が貸し出した姿石や絵画石の展示コーナーもありました。

今回の特別展は今秋(10/24~11/29)にPart2も開催予定となっており、次回も非常に楽しみです。

 

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モディリアーニ

2020-07-17 13:06:33 | 日記・エッセイ・コラム

今日は「モディリアーニ」です。モディリアーニとはアメデオ・クレメンテ・モディリアーニのことで、エコール・ド・パリ(パリ派)の画家のことです。このブログで画家の名前がタイトルになるのは「H・R・ギーガー エイリアン」(2013.01.28)以来だと思います。

ひとつ前のブログで姿石の事を書いたのですが、もうひとつ、面白いものがある事を思い出しました。

上の写真がそれです。

どうでしょうか?

これは能登のこぶり石です。私はこの石を見た瞬間、モディリアーニの絵画に似ていると思い、この石をモディリアーニと名付けました。

モディリアーニの絵は個性的な人物画が多く、その強烈な作家性が印象的なのですが、この珪乳石(こぶり石)からも同じような印象を受けてしまいます。

姿石は山形石や滝石のような自然の風景だけのものではありません。動物のように見える石や絵画のように見える石があってもおかしくないのです。そのイメージは自由であって、こうでなければならない、という硬直した価値観とは無縁なものだと思います。

こぶり石の形状は千差万別で、同じものがひとつとしてない、ところが面白いのですが、それらの大半は不定形なものが多く、中々、何かに見立てる事が難しいものが多いと思います。敢えて、言うならば、画家のイヴ・タンギーの作風に近いものが多いような気がします。

そのようなこぶり石の中にも何かに見立てる事ができる姿石が極少数ながらもあります。その希少性と、自由なイマジネーションの相乗効果が面白いところが、こぶり石の最大の魅力なのだろうと思っております。

 

 

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ニホンザルのように見える白山紋石

2020-07-10 11:39:46 | 日記・エッセイ・コラム

先日、以前、私と同じマンションの住人だったKさんというおじいさんの息子さんが来店し、Kさんがお亡くなりになり、そのKさんの遺愛石を処分したいというお話を持ってこられました。最近、同じような遺愛石の処分依頼が多くなってきているのですが、当店では基本的に、そのようなお話はお断りしております。見ず知らずの人の遺愛石の買い取りなどしたくはありません。ただ、Kさんは、「石の華」のオープン当時、隣に補聴器屋さんがあり、その店に来るついでに「石の華」にも立ち寄って下さり、よく石の話をして下さっていた、という事もあり、Kさんの遺愛石ならば、と思い、委託販売する事にしました。

今日の写真はそのKさんの遺愛石のひとつです。

上の写真がそれです。

どうでしょうか?それは白山紋石ですが、ニホンザルのように見える姿石でもあります。

ニホンザルのように見える白山紋石!!非常に面白いと思います。

白山には野生のニホンザルが生息しておりますが、同じ白山のニホンザルのように見える姿石があるという事自体が興味深く思います。

この現象は単なるパレイドリア効果という人の錯覚だけでは済ませられないような気がしております。

そもそも、姿石は観賞石の世界の見立てのひとつでもあり、それは奥深い日本文化に起因しております。愛石家の方々は、その事を理解し、そのような趣を楽しむ事のできる人達であって、Kさんもそのようなおひとりだったのだろうと想像できます。

ところで、私も野生のニホンザルの群に遭遇した事があります。それは5年ほど前、白山のにしやま旅館に行く途中の道端でした。クルマを運転していると、突然、ニホンザルの大群が道を横切って行きました。その大群の先頭には、一匹の子ザルがいて、その大群を先導しているようでした。あれから5年(このブログの「交わりの滝」2015.10.08参照)、あの子ザルは今どうしているでしょうか?もしかすると、立派なボスザルになっているかもしれません。

この白山紋石の姿石を眺めていると、あの子ザルの事が気になってしまいました。

 

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石屋小路町

2020-07-03 15:07:12 | 日記・エッセイ・コラム

私が「石屋小路町」という町名の存在を知ったのは、先日、オヨヨ書林せせらぎ通り店で「石屋小路町史」(昭和48年10月20日 石屋小路町会 発行)という古本を見つけた事からです。

先日、石川県関連の石の本がないか?と、オヨヨ書林せせらぎ通り店の郷土史関連の棚を見ていると、「石屋小路町史」という本が目に留まりました。現在、鉱物標本店「石の華」をやっている者としては、やはり「石屋」とか「石屋小路」という名前には、無条件に反応してしまいます。

その本は、近くの武蔵ヶ辻にある「めいてつ・エムザ」脇の小路にあったという町名の郷土史で、市街地開発事業の一環として金沢スカイビル(武蔵第二ビル)の竣工の際に編纂されたもので、石屋小路町の歴史をまとめた町史の本です。

石屋小路町は、江戸初期、この小路に藩の名高い石工が住んでいたのが由来だそうです。正式な町名となったのは明治4年(1871年)で、それまでは安江町横町という町名だったそうです。

昨今、旧町名復活運動が盛んになりつつあるようですが、私はこれまで「石屋小路町」なる町名が、近くにあったとは知りませんでした。鉱物標本と石工では、全く関係性がないものの、同じ石屋としては無視できません。むしろ、親近感が湧いてしまいます。

そう言えば、近所には「いしや」という料亭がありますし、金沢市の郊外には「深谷温泉 元湯石屋」という温泉旅館があり、両者とも江戸時代から続く老舗です。

どれも当店とは関係はないものの、石屋をやっていると、どうしても石屋(いしや)という名前が気になってしまいます。

 

 

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