ようこそ石の華へ

鉱物の部屋へのいざない

知の限界

2013-10-29 15:45:08 | 日記・エッセイ・コラム

今日は「知の限界」です。

今朝、録画していたNHK-Eテレ『オックスフォード白熱教室 マーカス・デュ・ソートイ教授』の「第4回数学が教える“知の限界”」を見ました。無理数、カオス理論、不完全性定理、無限、という数学的な“知の限界”を分かりやすく説明しておりました。それらは既知の事柄でしたが、興味深い内容の為、あらためてTV的に面白く見る事が出来ました。

「知の限界」の中でも不完全性定理は特別な意味があります。私は不完全性定理の存在を高校生の時に知りましたが、当時は、その事実にショックを受けました。厳密な知の代表格であろう数学基礎論に於いて「知の限界」が証明されたのですから、当時は世界観が変わるほどの衝撃だったと記憶しております。当時は物理学のハイゼンベルクの不確定性原理の存在もほぼ同時に知りましたので、この現実世界には完全はありえない、というような価値観が出来て行った事を思い出します。ただ、今では、不確定性原理の方はハイゼンベルクの式を修正した小沢の不等式が実験的に正しい事が明らかになったりしました。数学の世界でも私の高校生当時に未解決問題であったフェルマーの最終定理も証明されました。原理的な「知の限界」はあるとしても、コンピュータ・テクノロジーの進化に象徴されるように人知はまだまだ発展途上にあると思います。この先どこまで進化し続けるのかは分かりませんが、人知は「知の限界」を認識しつつもこれからも進化し続けて行くのだろうと思います。

そんな中、鉱物についての知の事を考えてみると、どうしても未知の事が多すぎます。鉱物学は決して終わってはいません。終わったどころか、むしろ分からない事だらけのようにも思えます。

新鉱物に関しては現在進行形で発見され続けています。鉱物の成因に関しても未知の事柄が多すぎます。

例えば、ありふれた普通の水晶にしても、その標本から、それがどこでいつ頃どのような環境でどの位の時間をかけて生成したのかという情報を正確に読み取ることはできません。ガラスに至っては、それらの情報が消え去っていますので、そのような情報は不可知です。

スピネル固溶体からその生成温度が測定可能だとしても、天然の鉱物には微量な様々な元素が不純物として混じっている事から、パラメータが多すぎて、それを厳密に正確に測定する事は不可能のように思えます。自然は以前から人知を超えた状態で存在しています。自然を正確に理解するのはまだ遠い先の事のように思えます。

それはコンピュータ・シミュレーションにも言えると思います。現在のコンピュータの能力では自然の正確な再現は難しい事のように思えます。それにはテクノロジー進化の問題と共にカオスの問題も抱えています。天気予報に象徴されるように、自然の正確な再現、予測は最新のスーパー・コンピュータをもってしても限界があります。

「知の限界」は厳然たる事実です。その事を認めつつも鉱物に興味を持ち続けたいと思います。

なぜなら、分かっていないから面白いのです。全て分かってしまったら何も面白くありません。「知の限界」を認識しながらも少しづつ分かっていく事自体が面白いのだと思います。

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