今週の月曜日と火曜日は東京に行ってきました。早朝に金沢にを出発してまず最初に向かったのは神保町です。駅を出るとちょうど神田古本まつりが行われており、非常に気になりましたが、まっすぐ目的の岩波ホールに行きました。そこで「ミンヨン 倍音の法則」(佐々木昭一郎監督作品)のチケットを購入して、開場までの時間で近くの古書店に行きました。そこは東京に住んでいた頃からよく行っていた自然科学系の古書店で、そこでは「双晶の分類」(高野幸雄 著 1973年 古今書院)という古書を見付けました。その本を手に取って見てみると非常に興味深い内容が書いてありました。本来なら即買いするはずでしたが、その本の値段が非常に高価でした。即買いは止めて、一旦、岩波ホールに戻り、映画を見ました。
映画を見終わった後、近くの「さぶちゃん」というラーメン屋さんで半ちゃんラーメンで昼食をとりました。岩波ホールも「さぶちゃん」も東京に住んでいた頃の馴染みでしたが、何か?昔と違うのです。何が違うのかというと、私自身もそうなのですが、それぞれが歳をとっているのです。寄る年波には勝てません。
その後、もう一度、さっきの古書店に戻り、再度「双晶の分類」を見直しましたが、結局、購入は断念しました。
翌日は、今回の東京での用事を済ませた後、上野の国立科学博物館に行きました。目的は企画展「人工結晶」を見る為でした。そこでは様々な人工結晶が展示されておりましたが、ちょっと不満がありました。それは企画展とはいうものの、そのスペースがあまりにも狭い通路の一角だけだったのです。がっかりしました。私はサラッと見ただけで、その後、櫻井コレクションのコーナーに移りました。馴染みの科博も何か?違うと思ってしまいました。これも歳をとったからなのかも知れません。
その日は上野駅から新幹線に乗り、すぐに金沢に帰りました。何となく疲れました。
実は、来週は京都(「地の宝」京都大学総合博物館 特別展)・大阪(「魅惑の美Crystal」大阪大学総合学術博物館 企画展)を見に行こうかと計画しておりましたが、やっぱり止める事にしました。
実は、古書「双晶の分類」の方はその後ネットで半額以下で購入できる事がわかり即買いしました。
今日は「CG」です。「CG」とはコンピュータグラフィックスの事です。このブログでは過去13回登場しておりましたが、このタイトルも初登場となります。
私が鉱物や石にはまってしまう前の趣味は主に映画や映像でした。映画や映像といっても作る方ではなく見る方で、過去には高校生時代に8ミリ映画を作った事がありましたが、その後はもっぱら鑑賞するだけでした。映画製作や映像製作には興味がありましたが、それにはお金がかかる事とそのような職業を選ばなかった事からそのような機会を逸してしまいました。ただ、映像そのもには興味を抱き続けていましたので、商業映画だけに留まらず、実験映画やビデオアートのような映像美を追求する映像的な作品には関心がありました。そのような中で映像的な美を感じつつ自分でもやってみたいと思ったのが「CG」だったと思います。「CG」の世界の進化のスピードは目覚ましくコンピュータテクノロジーの進化と共に身近な存在になってきたと思います。現在ではハードもソフトも安価になってきましたので、その気にさえなれば誰でも「CG」製作ができる時代になってきたと思います。ただし、その後、私自身の「CG」製作への興味は失せてしまいました。それは私の年齢的な問題もあるのかも知れませんが、若い頃に感じた新鮮な感動を「CG」からはそれほど受けなくなってしまったからかも知れません。
その昔の「CG」には衝撃的な映像が多かったと思います。それまで見た事のないような「CG」ならではの映像には強い感動があったと思います。「CG」には「CG」でしか表現できない独自の美があったと思います。当初、「CG」は点から線に始まり、面や立体へと次元を上げていきました。画質や表現手法も写真以上の解像度や質感も出せるようになっています。その表現の多様性や進化には目を見張るような感じはします。ただ、鑑賞者としての「CG」への印象は以前ほどの感動がなくなったと思います。それは私の年齢のせいでしょうか?「CG」映像がありふれている時代になり、それが当たり前になってしまった事が面白くないのかも知れません。ずいぶん前からなのですが映画にしろTVにしろ映像的に感動できる作品があまりにも少ないのです。「CG」を駆使して作られた映像よりも、むしろ自然の風景や石や鉱物の方から受ける感動の方が強いのです。
その昔の「CG」には力があったと思います。例えば、今では動画サイトで簡単に見れる「Lapis」(James Whitney 1966) のような作品は今でも新鮮です。当時はコンピュータそのものが貴重で高価でした。そのような特別なコンピュータを使って作られた作品にはその時代ならではの特徴や雰囲気といったものも染み込んでおり、今でも色褪せない魅力があると思います。そこには「CG」映像に求められていたリアルな表現というよりもそれとは対極の瞑想的な精神性をも感じる映像美があって非常に面白い、と思います。そのような精神性を感じる「CG」作品には「Fiat Lux」(Paul Debevec 1997) 等も挙げられます。そこには「CG」らしいフォトリアリスティックな表現の中に厳かな精神性が感じられる芸術的な映像美という力が宿っていたと思います。
そのような「CG」の表現力は今でも進化を続けているとは思います。現時点の「CG」の表現力はリアルな写真とほぼ同じレベルに達してしまった為に一見しただけでは実写なのか「CG」なのか分からないような段階に来ており、そのような状況が返って見る方の疑念を抱かせるような傾向があると思います。そうなると、邪念が生じてしまい、真っ当な判断力を鈍らせてしまいます。
「CG」は所詮つくりものです。天然の自然には及びません。
自然の風景や鉱物結晶は天然の3Dです。そこから感じられるのは本物ならではの感動なのだと思います。
今日は「流れ」です。私が「流れ」が好きなせいか、このブログでは「流れ」という言葉が出ている記事はたくさんありました。ただし、「流れ」がタイトルになるのは初めてです。
本題の前に、先ほど気づいてしまったのですが、このブログを書き始めてから先週で3年を過ぎていました。時の「流れ」は速いと思ってしまいました。
さて、前の「流体力学」、「可視化」と続けて書いてから、次は何を書こうかと迷っている内に、何となく「流れ」というタイトルが浮かんできました。「流体力学」と「可視化」ではCGで表現された映像美の事を書いてしまったのですが、そのような人工的な映像に限らず、自然界には美しい「流れ」が溢れています。
思い付くままに挙げれば、空の雲の流れや川の水の流れ、そうそう滝やダムの水の流れも美しいと思います。過去に雪輪の滝や白水ダムや徳山ダムの美しい流水模様の事も書いた記憶があります。「流れ」の美は意識して探せば自然界にはたくさんあると思います。
「流れ」は気体や液体が移り動く事なので、気体としては風がつくり出す雲の流れや風に揺れる稲穂や麦の穂の映像が浮かんできます。そうそう、台風の渦も「流れ」の一種です。福岡に住んでいた頃に平尾台の牡鹿洞で見た事のある光の柱で私の吐いた息に反応した気流の美しさも思い出します。そうそう、そのような光景は最近になってTV(チワワ砂漠の洞窟、アンテロープキャニオン、セノーテetc.)でも繰り返し見ました。他には静かに流れる煙の中にも美しい「流れ」があると思います。液体としては川の流れや海流にも美しい「流れ」があると思います。そうそう、渦潮やチューブ状の波のウェーブも「流れ」の一種です。液体の「流れ」は墨流しやマーブリングの手法で一瞬の芸術的模様として切り取られます。そのような「流れ」の中の一瞬にも美が潜んでいます。
そう思うと「流れ」には時間が大きく関与しております。時間も次元のひとつとも考えられます。気体でも液体でも時間軸に沿って連続的に変化します。そのような連続する姿が美しいのだと思います。そういう意味では、例えば、地球のマントルは固体ですが、長い時間軸を考えるとマントル対流には「流れ」があります。その姿は流体力学的なコンピュータシミュレーションによる可視化映像で初めて見る事ができます。それは人間的な時間では実際には見る事の出来ない映像です。気体や液体だけではなく個体にも「流れ」があります。例えば氷河は氷の「流れ」です。他には人間的な時間の尺度ではゆっくりと金属が変形するような「流れ」なら見る事が出来るかも知れません。地球上の大陸移動や褶曲といった地質学的な「流れ」は人間的な時間の尺度では見る事が出来ませんが、可視化されたCG映像なら見る事が可能です。今、フッと思ったのですが、地球誕生から現在までの大陸移動の推移を可視化したearth wind mapのようなCG映像を見たいものです。それはさらに地球の未来の姿もシミュレーション可能となるでしょう。欲を言えば、球体ディスプレイで見る事が出来れば理想的だと思います。
さて、物質の状態の「流れ」と時間の関係性を考えていると面白い事に気づきました。物質には気体・液体・固体の三相の他にプラズマという相があります。プラズマ状態の物質なら短時間での激しい「流れ」を見る事ができます。プラズマの「流れ」にも特有の美があると思います。そのように考えていくと固体・液体・気体・プラズマというように物質にはそれぞれの状態ごとに特有の時間の「流れ」があるように思えます。それらには何か?共通する時間との法則性あるような気がします。そして共通する美の関係性もあるような気もします。
そもそも時間にも流れがあります。時間は難しい概念のひとつです。このブログでは深追いは止めますが、時間は単純に過去・現在・未来へ「流れ」を持つ方向性のあるひとつの次元だと考えられます。時間そのものは可視化する事が出来ないのかも知れませんが、その瞬間、瞬間の映像とそれらが連続して変化する「流れ」としての動画で可視化できます。時間と流れは密接な関係性があるようです。
どうも我々はそのような時間の「流れ」の中に「流れ」の美を見出しているような気がします。
今日は「可視化」です。このブログで「可視化」の文字が出てきた記事は昨日の「流体力学」ともうひとつあっただけで、「可視化」も初登場となります。
昨日のブログを書き終わった後、もうひとつ「流体力学」的な気になる映像の事を思い出し、その映像が入っている本を自宅の書庫で探しましたが、整理が悪いせいで、どうしてもその本が見当たらず探し出せませんでした。その本とは講談社ブルーバックスの「パソコンで見る流れの科学」(副題:数値流体力学入門 矢川基喜著 2001年)で、CD-ROMに動画映像が入っている本です。そのCD-ROMには地球のマントル対流をスーパーコンピュータでシミュレーションした映像が入っており、実際には見る事の出来ない映像を見る事ができ、私のお気に入りの「可視化」映像のひとつでした。その映像を再度、確認の為に見たかったのですが、すぐに見る事ができず、残念な思いをしました。
昨日のレーザー・ディスクの場合は枚数が少なく置き場所が決まっておりますので、すぐに探し出せましたが、本の場合は冊数が多くなると整理が大変です。今度、時間をとって整理しなければならないと思いました。
その代わりと言っては何ですが、レーザー・ディスクの「地球のきもち」(日本気象協会監修 パイオニアLDC 1993年)がすぐに見つかりました。それには「流体力学」で「可視化」したシミュレーション映像や「台風」をはじめとする様々な気象現象の映像や衛星「ひまわり」の画像データファイル(1992年版・全球)が入っていたり、気象マニアが喜びそうな内容になっておりました。ただ、今となってはレーザー・ディスクプレイヤーが故障したりすると見れなくなりますし、そのハードやソフトの寿命も心配です。ハードの寿命というとビデオテープやデッキの寿命もそろそろ心配です。DVDならばもう少し寿命は長いかも知れませんが、CDもそろそろ限界か?という時代になってきました。
ちょうど今日から近くのもてなしドーム地下広場では「第2回 秋の音盤祭」が始まるようです。このイベント、私は前回もちょっと覘いてみました。驚くべきはいまだにCDならずレコードも売っているのです。そのような中古市場がある事は理解できますが、それらの今後の寿命が心配です。記録メディアは進化の速度が速いのとその寿命が心配です。そういう意味では活字媒体の本の寿命は非常に長いと言えます。今ではビデオやLDは過去のものになってしまいました。今後はレコードもCDもDVDも時間の問題なのかも知れません。ただ、金沢ではそれほど心配することはないのかも知れません。金沢蓄音機館では今でもエジソンの蓄音機の音を聴く事ができるのです。それは歴史文化都市ならではの事かも知れません。
さて、今日は「可視化」です。今後、スーパーコンピュータのシミュレーションで「可視化」された映像はさらなる進化をとげていくと思われます。先日のNHKニュースでの台風19号の映像のようにリアルタイムで「可視化」映像を見れる時代はもう来ています。特にWeb上では既に様々なサイトが稼働しているようです。私がちょっと気になったサイトをひとつだけ紹介したいと思います。
これはearth wind mapというアメリカ国立気象局の気象データを使って、地球に吹いている風の流れをリアルタイムで可視化したサイトのようです。既に昨年末から公開されていたようです。地域を拡大したり、過去にも遡れるようです。これは、ぼーっと眺めていても飽きない感じが良いですね。
滝の流れや風の流れにはそれがコンピュータの映像であっても癒しを感じてしまうのはなぜでしょうか?そこには石の持っている癒しとは別の種類の心地よさがあると思います。それは流れの中にある「ゆらぎ」というものなのかも知れません。
今日は「流体力学」です。このブログでは「流体」という言葉は何度か出ておりましたが、「流体力学」は初登場となります。
先日の台風19号のNHKニュースで非常に気になった映像がありました。それは台風の風の流れを可視化したCG映像で、どうもそれはNHK DIGITAL EARTH SYSTEMというものらしく、その21世紀的な解説画面には新鮮な驚きがありました。台風の渦の変化もそのように可視化される時代になったと実感しました。それは恐らくスーパーコンピュータを使ったCG映像だと思いますが、そのような映像が日常的なニュースや天気予報に登場する事は喜ばしい事だと思います。
その映像を見ていて、その昔買ったレーザーディスクのソフトの1枚を思い出しました。それは「流れのフィジックス」(1989年 桑原邦郎 TOTO出版)で、「CGで見る流動現象」という副題が付いている計算流体力学の映像ソフトです。当時の私の興味は「流体力学」そのものよりも流体映像の美の方にあって、スーパーコンピュータ映像といっても現在のものとは比較にならないほど貧祖な映像だったので高い買い物をしてしまったと後悔したソフトでしたが、今思えば、そんな昔にそのようなソフトが出ていた事に少し驚きます。それよりもコンピュータ・シミュレーションの技術の進歩の方に驚いてしまいます。これからは日常的にそのような「流体力学」に則したCG映像が見れると思うと良い時代になったと思います。
今回の台風19号のCG映像は美しかったと思います。その風の流れの渦巻き映像はずっと見ていて飽きない映像だったと思います。
実は今回、ほぼ時期を同じくして、もうひとつ違う「流体力学」によるCG映像を見ました。その映像とはチームラボの「憑依する滝」という映像作品です。その作品にはいくつかのバージョンがあるようですが、滝好きの方にはおすすめのCG映像だと思います。この「憑依する滝」は点としての水しぶきを線としての流体の動きとしてシミュレーションしたCG映像なのですが、まるで本物の滝をみているかのようなリアルさで、それはセカンドネイチャーといっても良いくらい、見ていて気持ちが良いのです。それは「流体力学」によって表現された自然なのですが、それは自然を超えて、実際にはあり得ない情景をも表現可能な現代に現れた新しい映像表現だと思います。その今後の可能性に期待したいと思います。
そのような「流体力学」の美はコンピュータ・テクノロジーの進化にともなってこれからも進化し続けるのだろうと思います。今後が楽しみです。