ようこそ石の華へ

鉱物の部屋へのいざない

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菱形十二面体のように見える黄鉄鉱

2013-09-29 11:37:27 | 日記・エッセイ・コラム

今日は「菱形十二面体のように見える黄鉄鉱」です。

その前に昨日、一昨日、二日連続でブログ更新を休みました。それは先日に受けた不愉快な事が尾を引いており、憤怒の状態ではブログ更新が出来ませんでした。ブログ更新には精神的な安定がないとうまく書けません。今日もどうなるか分かりませんが、とりあえず書き始めます。

昨日、輪島からTYさんがいらっしゃいました。先客だったNさんと3人で石談義になりました。TYさんが石川県産の魚眼石をいくつか見せてくれました。それらはインド産の魚眼石に比べると小さ過ぎて肉眼的にすぐ同定できるものではありませんでしたが、ルーペで確認すると、確かに魚眼石だろうと思いました。それから採集してきたばかりの金沢産の霰石も見せてくれました。それは恋路の霰石を二桁ほど小さくしたようなもので、複数の小さな玄武岩の晶洞の中に小さな霰石の粒が付いていました。面白いと思ったのは、無数にある小さな晶洞のそれぞれの内壁はセラドン石だと思われるもので緑色になっており、そこに白い霰石の粒が埋まっておりました。恋路のミニバージョンが金沢にある!と思ってしまいました。

TYさんが持ってきてくれた石や店にある石を見ながら3人で楽しい石談義をしました。石好きは巨大な結晶や変な形の結晶を見ると、思わず笑ってしまうものです。そのような笑いが怒りの状態にあった私を癒してくれました。石好きさんとの石談義は精神安定剤になったと思います。

さて、今日のテーマ「菱形十二面体のように見える黄鉄鉱」です。

黄鉄鉱の結晶形態には様々なバリエーションがあり、興味は尽きませんが、昨日TYさんから見せてもらった黄鉄鉱も不思議なものでした。

Photo

Photo_2
中国産 黄鉄鉱(Pyrite)

上の写真が「菱形十二面体のように見える黄鉄鉱」です。その中に菱形の面があり、それを見ていると菱形十二面体の結晶!?と思ってしまいます。まるで柘榴石のような形に見えてしまいます。不思議な事です。黄鉄鉱にはこのような結晶形態があるのです。

この標本をよく見ていると、その形は普通の菱形十二面体というよりは菱形十二面体の第二種のようにも見えます。実は菱形十二面体には2種類あり、その第二種は平たくなった菱形十二面体なのです。(菱形十二面体の対角線の比は白銀比なのですが、第二種は黄金比になります。)それが本当の菱形十二面体の第二種になっているのかは定かではありませんが、そのように見えてしまいます。そのような事があるのでしょうか?不思議です。

昨日は店にある黄鉄鉱の様々な形の結晶を見比べました。尾小屋鉱山産の正二十面体のように見えるものや、ペルー産の五角十二面体の集合体で数本のチムニーのような形に見えるものや、トルコ産の正八面体のように見えるもの等々。その中に菱形の複数の面を持つ結晶の集合体でその外形が球状になっているものがありました。それの写真は撮り忘れましたが、その標本はTYさんがお買い上げになられました。

黄鉄鉱の結晶形態は非常に面白いと思います。昨日はそれらを見ながら笑い転げて非常に楽しい時間を過ごせました。良質の笑いは良質の精神安定剤になると思いました。

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石の声を聞く

2013-09-26 15:21:33 | 日記・エッセイ・コラム

今日は「石の声を聞く」です。過去に一度「石の声」というタイトルで書いておりました。

「石の声を聞く」とは昨晩見たNHK総合の「歴史秘話ヒストリア」という番組の最後の方で出てきた現代の穴太衆の頭の方のお言葉からです。穴太衆とは戦国時代に城の石垣を造っていた専門集団で、安土城や彦根城や竹田城の石垣を野面積で造っていた事で有名です。(金沢城や小松城の石垣造りにも係っていたという話もあります。)それは自然の石そのままの姿で堅固に積み上げられました。昨日の現代の穴太衆の頭は「石を測ったり削ったりして積むのではなく、石の声を聞いていれば、石の方から手を挙げてくる」というような事をおっしゃっていました。それは含蓄のあるお言葉でした。

「石の声を聞く」事は高度に極められたプロフェッショナルのみが獲得できた技だと思います。穴太衆たちの技は現代にも受け継がれているようです。

私も「石の声を聞く」事ができたら良いのにと思います。「石の声を聞く」事ができれば「石のきもち」が分かりますし、「石の声を聞く」事で石の事をもっと良く知る事ができます。そうなりたいと思っております。

以前に書いたブログ「石の声」では科学的な手法で「隕石の声」を聞くような事を書きました。良く考えてみると、それは隕石からだけではなく地球のどんな石からでも可能な事だと思います。

私はちょうど今、「小石、地球の来歴を語る」(みすず書房 ヤン・ザラシーヴィッチ著 江口あとか訳)という本を読んでいます。その本には地球全史がつぶさに再現されています。石好きにはたまらない科学読み物です。この本は実は昨年発行されていたのですが、私はつい最近までこの本の存在を知りませんでした。この本の事を知ったのは先日時間つぶしで入った小松市立図書館の地学コーナーの本棚で見かけたのがきっかけです。「鉱物」や「石」の本のチェックは毎日していたつもりでしたが、アマゾンのような検索システムでは「石」からは「小石」がひっかかりにくかったようです。完全に見逃していました。

「石の声を聞く」事はなかなか難しい事だと思います。

何とかして「石の声を聞く」事ができるようになりたいと思っています。

実は今日のブログは二度書きました。最初に書いたものは何かのミスで消えてしまったのです。ショックで今日は休みにしようと思いましたが、気を取り直して再度書き直しました。読み直してみると最初に書いたものとは何か違ってしまいました。ただ、これも良しとしましょう。やはりブログはライブだと思います。

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てまり2

2013-09-23 14:15:21 | 日記・エッセイ・コラム

今日は「てまり2」です。過去に「加賀てまり」と「てまり」というタイトルで書いておりました。

先ほど、近くの金沢駅もてなしドームで「かなざわエコフェスタ2013」というイベントをやっており、チョッと覗いてきました。それは毎年12月に東京ビッグサイトでやっている「エコプロダクツ」の金沢版のようなミニイベントです。祝日の午前中はポルテ金沢ではひっそりとした雰囲気なのですが、それに比べて大勢のひとでにぎわっていました。そこではダンボールで作られたアート作品が印象的でした。

そのイベント会場のブースの中で「てまり」を売っているブースがありました。それらは手作り「てまり」なのですが、恐らく古くなって捨てられるものなのでしょう。エコのイベントです。私はそれらの中からチョッと気になったものをひとつ購入しました。

Photo

上の写真の「てまり」がそれです。どうして気になったかと言うと、それは正二十面体をベースにしたデザインで構成されていたからです。その「てまり」の横に正二十面体にカットされたスモーキー・クォーツを並べてみました。

正多面体をベースにした「てまり」の事は過去にも書きました。伝統的な「加賀てまり」には正多面体ベースのデザインのものが複数あります。それらは球面分割の手法で、色とりどり、そのバリエーションは多彩です。私は「てまり」にも鉱物結晶につながっている何かを感じ取ってしまいます。その何か?とは何でしょうか?

今朝、朝食が終わった後の時間帯に、録画していたTV番組「神の数式1」(NHK総合)を見ました。その番組はNHKらしい科学番組で、「万物の法則」を数式で求める物理学者たちの事を紹介しておりました。それは非常に興味深い内容でした。番組を見ていて、気になったのは「神の数式」は「美しい数式」であるとして、その数式に「対称性」を求めていた事です。「対称性」は科学の世界では非常に重要な要素だと思います。「対称性」と「美」は密接につながっています。

ふと、思いました。「てまり」や「鉱物結晶」や「多面体」につながっている「美」の根源にあるのは「対称性」かも知れない。

「対称性」にはいくつかのタイプがありますが、そのどのタイプにも数学的な美しさがあります。数式に美を求める事は、すなわち対称性を求める事なのだと思います。

「対称性」の事を考えると、その昔、ふと、思った事を思い出します。私は独身生活が長かったのですが、その頃は洗濯は当然自分でやっていました。洗濯物を乾す時にピンチハンガーにいつも「対称性」を考えながら乾していたと思います。それは乾き易くする為でした。それは無意識的に誰もがやっている事だと思います。そして、ある時、そうしている事は「真空のエネルギー」といわれている事と関係性があるのではないか?と思ってしまいました。「真空のエネルギー」は膨張宇宙のエネルギーの候補ともされているようですが、もしかすると、そこには「対称性」が潜んでいるような気がします。放射状に対称的に膨張する宇宙というイメージは「真空のエネルギー」のイメージに合っているような気がします・・・。それは、あくまで、ふと思った事でした。

今日は「てまり」から「対称性」について思いを巡らせました。

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石の紙

2013-09-22 12:57:27 | 日記・エッセイ・コラム

今日は「石の紙」です。

先日、「紙の多面体」というタイトルのブログを書いた事がきっかけで、「石の紙」の存在が気になりました。「石の紙」と言っても「石文」(いしぶみ)の事ではありません。石からできた本当の紙の事です。

「石の紙」は紙パルプを一切使わず、主に石灰岩とつなぎに使われる高密度ポリエチレンとから作られる合成紙です。それは耐水性に強く、森林資源に負担をかけることなく、エネルギー使用量が少ない等、エコにも良い点が魅力的です。私はその存在を数年前から知ってはいましたが、今では数タイプのものが流通しているようです。私はこの機会にと思い、「ストーンペーパー」というインクジェットプリント対応のものを取り寄せてみました。

その紙は思ったよりも柔らかいものでした。ただ厚みがありましたので、名刺にしてみたらどうか?と思い試しに名刺を作ってみました。すると、中々良い感じで仕上がりました。それを水で濡らしてみましたが、耐水性もバッチリでした。今後、「石の華」の名刺は「石の紙」で印刷する事にしました。他の用途も考えました。今後は、とりあえずは高額な標本のラベルに使ってみようか、と思っています。

「石の紙」は現代に現れた新しい紙です。人類は約5000年前にパピルスを作りだし、その後、文明の進化と共に紙の文化は進化してきました。これまでの人類の文明の進化は主に森林資源を使って進化してきました。森林資源の枯渇はその文明の終焉をも意味してきたのです。

「石の紙」の登場は考えてみると、非常に面白い現象です。人類の文明は石から始まりました。石器を使う事から人類文明は進化してきましたし、石を使う事の進化は文明進化の象徴でもありました。現代のコンピュータ文明もシリコンチップという石から成り立っています。一方、紙の発明は文化の発展に大きく影響を与えてきたと言えます。特にグーテンベルグの活版印刷の発明は文化の進化を加速させたと思いますし、現代のプリント技術は現代文化を支えているとも言えます。そして、「石の紙」の登場です。それは今後の森林資源の枯渇に伴う文明崩壊を避け、さらに地球温暖化を避ける事にも功を奏します。

どうも人類はギリギリのところで文明崩壊を避けるようです。

「石の紙」の登場はグッドタイミングな事かも知れません。

人類に残された大きな課題はもうひとつ、人工光合成だと思います。シアノバクテリアが約35億年前頃に獲得した光合成も人類は未だ発明できていません。それはもう少しの段階なのかも知れませんが、その課題の解決は食糧問題の解決と同時に二酸化炭素の増加の問題解決につながります。

「石の紙」は炭酸カルシウムを使いますので、それも二酸化炭素の増加の問題解決にもつながります。

そう考えると、もしかすると二酸化炭素は重要な資源のひとつかも知れない、と思ってしまいました。

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緑と青

2013-09-20 16:02:04 | 日記・エッセイ・コラム

今日は「緑と青」です。

緑色や青色の石は人気があります。緑色は植物的なイメージを喚起しますし、青色は海や空のイメージを喚起しますので、両方ともエコロジカルな自然を喚起する色なのかも知れません。どちらの色も好感度が高いといえます。どうも普遍的な人間の美意識はその色に反応するようになっているようです。

「緑と青」の「と」をとると「緑青」になります。

「緑青」(ろくしょう、Patina)とは、銅が酸化されることで生成する青緑色の錆の事です。鉱物的には緑色の孔雀石(Malachite)が有名ですが、緑と青という漢字からは孔雀石(Malachite)と藍銅鉱(Azurite)が混ざり合ったアズロマラカイト(Azuromarachite)のイメージがふさわしいかも知れません。

Photo
モロッコ産 アズロマラカイト(Azuromarachite)

「緑青」は銅の錆なので、錆(サビ)というネガティブな印象があるはずなのですが、実際はその色には人を魅了する何かがあります。

銅の2次鉱物としては他には硫酸銅があります。鉱物的には胆礬(Chalcanthite)です。

つい先日、美しい写真を見ました。それは「日本鉱山坑道誌1関東版」という写真集で、藤本脩司さんの「足尾銅山坑道写真帖」という同人誌です。そこには小滝坑道の現在の姿が写っており、非常に美しい緑と青の幻想的な光景がありました。その緑と青はどうも胆礬の色のようなのですが、廃墟的な光景の中に存在する鮮やかな緑と青には魅了されてしまいました。

その写真集を見ていると、もしかすると未だ見ぬ尾小屋鉱山の坑道の中にも同じような光景のある場所があるのではないか?と思ってしまいました。尾小屋鉱山も足尾銅山と同じ銅山でした。さらに未だ見ぬ遊泉寺銅山の坑道の中にもそのような光景の場所がある可能性もあります。そこには鉱物標本が眠っているだけではなく、知られざる絶景があるかも知れません。ただし、それらの坑道の中に入る事はできません。それは叶わぬ夢かも知れませんが、そのように夢想してしまいました。

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