今日も自宅で書いております。風邪は治りつつあります。熱が出なかったので、どうもインフルエンザではなかったようです。今日は午後から店に出ようと思います。
昨日からの流れで今日は「いっこしかないきせき」です。
この言葉は「seed-石物語。」というブログで見て、気に入った言葉です。「一個しかない奇跡」ではなく、ひらがなだけの言葉が気に入りました。
「seed-石物語。」は天然石を使ったアクセサリー作家さんのブログです。いつもアクセサリー作品と詩のようなつぶやきが綴られております。つい先日、そのブログを見ていると、記憶に残っている石の写真を見つけました。その写真はセレスタイトをメインとしたアクセサリーです。
そのセレスタイトは特徴的な剣のような形をしており、その表面には付いていた結晶の剥がれた痕が特徴的に残っています。それは個性的なものです。
そのアクセサリーに使われているセレスタイトは「石の華」から巣立っていった石のようです。そのアクセサリー作家であるUさんは確か昨年の5月頃に店にいらっしゃいました。どうもそのセレスタイトはその時にUさんが購入されたもののようです。個性的な石は記憶に残っています。
「石の華」出身の石が素晴らしいアクセサリーに変身している姿を見る事はうれしいものです。親心というか、それに似たような気持ちが湧いてきます。
私はUさんのブログにあった「いっこしかないきせき」という言葉を勝手に使わせてもらっています。「いっこしかないきせき」とは「何一つとして、同じものはないー・・・・。」という意味です。
それは森羅万象の全てのものに当てはまる事なのですが、特に、人と石との関係性に於いて象徴的に当てはまります。その手作りアクセサリーは宝飾に近い「いっこしかないきせき」のような作品です。そのいっこは選ばれたひとりしか持てません。同じものはありません。それは奇跡的な運命的な出会いなのです。
思えば、我々一人一人がいる事は、その歴史を辿れば奇跡的な偶然性が度重なった結果として存在しております。また、その石がそこに存在しているという事も、大げさに言えば、地球誕生以来の、否、宇宙誕生以来の奇跡的な偶然性の結果とも言えます。その人とその石との出会いは「いっこしかないきせき」とも言える奇跡的な現象とも言えます。
「石の華」にいらっしゃるお客さんはそのような「いっこしかないきせき」を求めていらしゃっているのかも知れません。
今日は病みあがりに「いっこしかないきせき」の事を考えました。