トドクロちゃんと山登り

自然が好きで日本アルプスと近郊の山登り。
高山植物や四季折々の花を愛で。
史跡・歴史・ドライブがすきな自由人です。

本宮山登山と砥鹿神社・長篠城で古へ思いを馳せる

2013年03月18日 | データ
■2013.03.17 地元神社の本宮が『三河国一之宮:砥鹿神社』であると正月のランニング時に知る。
そこで興味本位で砥鹿神社を調べると豊川市の本宮山(789.2m)山頂に奥宮が鎮座しており、そこへは1.5-2.0H程度の山歩きで行く事ができると。
奥三河への山登りの多くは豊川ICを利用する、そして砥鹿神社横を通り山奥へ向かうので以前から気になっていた。
そこでトドクロちゃんを誘って簡単な山登りと歴史探訪を目的に一路豊川へ。

本宮山ウォーキングセンター横の河津桜

至る所に駐車場があるが下山後に立ち寄る『本宮の湯』駐車場を借りることにし登り口へ向かう。すでに多くのハイカー(登山者)も向かっている。

登山口の『砥鹿神社奥宮の鳥居』、元々山頂の奥宮しかなく街中に里宮ができたとの事。
御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)→健脚の神様でもある。

みつばつつじ?

登山道と言うより参道の雰囲気の所が多い。気候も良く程よい汗を掻く程度で行ける(私の場合は)

一丁目からあ始まり五十丁目まである。途中も東屋や神社、馬の背などありそれなりに楽しめる。
約1.5時間で奥宮到着。

奥宮で神頼みをし、本宮山山頂へ向かう。

山頂の立派な『三角点』

立派な『天測点』
※天測点とは天文測量を行うための基準点で三角点の補正をする役目。

立派な『アンテナ』

ん・・ちょっと残念な『山頂標識』
山頂でお湯を沸しおやつタイムとする、隣のお姉様と山野草や花の話でトドクロちゃんと盛りあがり山話で私と盛り上がる。
このお姉様、トレーニングで訪れていた。

下山後は『本宮の湯』で炭酸泉の温泉と食事。
ここで地元直産の大根とカリモリの漬物を調達。

本宮の湯から30分程度車を走らせ『長篠城址史跡保存館』へ (日本百名城)

※「長篠の攻防」と「設楽原の決戦」
天正3年(1575)5月、武田信玄のあとをついだ武田勝頼は西へ勢力を伸ばすために重要な拠点となる長篠城を1万5千の軍を率いて包囲し攻撃しました。城主奥平貞昌以下500の兵は、よく攻撃に耐えましたが、大軍に抵抗するにも限界となったため、織田信長、徳川家康へ救援を請うため鳥居強右衛門を岡崎へ遣わせました。5月18日、信長3万、家康8千の援軍は城の西方約4キロメートルにある設楽原に到着して陣を築きました。武田軍は20日、長篠城の包囲を解いて設楽原へ進出し、21日の夜明けとともに織田・徳川軍の陣地に突入して壮絶に戦いましたが、大量の火縄銃の攻撃にさらされ歴戦の武将を多く失った勝頼は、数騎の味方に守られて敗走しました。



※鳥居強右衛門(とりいすねえもん)とは
武田軍に囲まれた長篠城を脱出し徳川家康、織田信長に救援を求め快諾された帰途に捕えられ、武田勝頼に援軍は来ないから降参するよう強要されたが、最初から死を覚悟していた強右衛門は、城内に向かって「あと二、三日のうちに織田・徳川の援軍が来る。それまでの辛抱である」と、勝頼の命令とは全く逆のことを大声で叫んだ。これを聞いた勝頼は激怒し、その場で強右衛門を磔にして殺した。
しかし、強右衛門の命を賭した忠義と壮烈な死に様を見届けた長篠城の城兵たちは、強右衛門の死を無駄にはしないと大いに士気を奮い立たせ、援軍が到着するまでの二日間、武田軍の攻撃から城を守り通す事に成功した。

陣羽織でコスプレ写真

Bring it on!
かかってこいやー

で豊川IC近くの砥鹿神社里宮へ
時はすでに夕暮れ時となっていた。

三河国一之宮は砥鹿神社。
尾張国一之宮は真清田神社です。


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