かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

山口県旅行記(0)旅を終えて

2024-07-25 18:44:43 | 旅行
日曜から三日間山口県の萩から下関を経て秋芳洞まで家族旅行をした。旅行中から帰京後にかけて世界中で重大事件が起こり、個人的にも事件が起こり右往左往して楽しい旅の思い出がかき消されそうになった。そこで私が受けた旅の印象より、旅行後の事件をまず報告したい。

旅行2日目に見学した元乃隅稲成神社の長く赤い鳥居の先の岩山で転倒し、右肩や腰に痛みが残った。その日から肩に痛みが生じたが、帰京後翌日すなわち3日目になって腰痛が酷くなり、普通に歩くのも辛くなり散歩や買い物を控えた。だが私には腰痛が改善すれば旅のお土産を渡したいところがあった。

というのは旅行前日の土曜日に皮膚科医に行き薬局で処方された薬を入手後、世田谷で食事会に参加する為に家内や息子と京王府中駅で合流する予定だった。ギリギリの時間になって急ぎ駅に向かった時の事だ。後方から薬局の女性職員が追い駆けて来て忘れた財布を手渡してくれた。財布がなければ旅行に行くことが出来なかったかもしれず感謝した。

そのことを家内に話て旅行のお土産を渡してお礼をしたいと言ったまま、恥ずかしながら私は忘れていた。旅の最終日に家内が気を利かし萩でお土産を買ってくれ、それを持って雷雨が治まったのを見計らって薬局に行き、午前中で仕事を終わり帰宅した彼女に渡すようお願いした。

不味かったのはその後遠回りして大國魂神社を経由して帰宅したことだ。途中から腰痛が酷くなり歩くのも辛くなりやっとのことで自宅に戻った。昨日はその後何もできなくなり、一日中家にこもりテレビ番組を見て過ごすことになった。風呂でシャワーを浴びるのも辛かった。

その間にも世の中は次々と事件が起こった。米国大統領選はバイデン氏が撤退を決め、代わってハリス副大統領が候補者に選ばれた。想定に反して彼女の人気は徐々に高まり、今朝米国から伝わってくる報道では簡単にトランプ楽勝とは言えない情勢という。世の中分からないものだ。

旅行中に次々起こるニュースを見て心配になったのは、運行管理ソフトの変調で世界中の飛行機が飛ばなくなった、新幹線の運行が停まった等と無事帰京できるか不安になった。他にも東北地方に降った豪雨による水害等のニュースに驚かされたが、幸運にも我々が帰京する頃には影響がなかった。リムジンバスで自宅に戻ると、家の中は熱気に包まれ寝室の気温35度に驚かされた。

今朝起きると腰痛の具合も少し改善されホッとした。血圧は旅行然と同じ150弱だった。初めての山口県旅行は楽しかった。次回から山口県の地域ごとに紹介したい。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

皮膚科難民

2024-07-20 21:36:40 | 日記・エッセイ・コラム
帰京する前の6月半ば頃から下半身の恥ずかしい部分が痒くなり、我慢できなくなって皮膚科医に診て貰うことにした。昔から診て貰っていた本町の老婆医の医院に向かったが見つからなかった。駅の西南部のビル周辺を歩き回ったが、医院を示す看板以外にそれらしきものはなかった。

2周足らず探し回ったところでスマホを見ながら歩く中年夫人に声をかけ、病院名を訪ねたが知らないという。彼女は親切にもスマホを検索して、私の探す病院はもうなくなっていると教えてくれた。スマホを使って探すことくらい私も出来たはず、礼を言って別れた。

それから私もスマホで皮膚科を検索して京王府中駅の周辺に何軒かあることが分かった。ケヤキ並木周辺に3-4の皮膚科があったが、毎日のように買い物などで通り過ぎるのに見た記憶がない。後から気づいたのは、病院は全て建て替えられた中高層ビルの中にあるということだ。

ネットで一番人気の皮膚科病院は薬品販売店の隣のビルの6階にあった。6階に行きエレベーターをおりると病院の待合室をはみ出すばかりの長い列があり、その横の受付に行くと予約が必要だという。列の患者は殆どが若い女性ばかり、ここは美容がらみの皮膚科だと理解し即諦めた。

次の病院は私が帰京時に偽痛風の治療を受けたところだと思い出した。先生に丁寧な説明を受けた所だったが待合室の患者数がとても多く、皮膚科の治療を受けるのは最初から忌避した。徐々に選択肢が限られ探し回るのに疲れてきた。先生が偉そうでも治療を受けるしかなかった。

交通整理をしている老人にその病院を聞くと、初めは頭をひねっていたがスマホの地図を見せると、ケヤキ並木を横切る旧甲州街道に面するKビルに行ってみろと言ってくれた。指摘通りそのビルには各種病院や薬局等があり、目的とする病院も2階にあった。だが、そこも待合室から列がはみ出していた。

窓口に行くと予約があるのか聞かれたが、ないと答えると午後の診察予定は3時からなので4時半に来てくれといわれ、メモに名前等を記入していったん帰宅した。後から気付いたのは、長い列は先日受けた健康診断の為で、私のような治療を受けるための患者はそれ程いなかった。

午後指定の時間に病院に行き治療を受けると、先生はパンツを下ろした私の恥部の周りを見た瞬間「」だと断定した。以前の先生は何だと言ったか聞かれ「白癬菌」だと答えると、こんなにひどくなる前に早く診て貰うべきだったと言われた。この早い的確な治療が人気のない理由かもしれないと思った。

その後医療費を支払いビルの反対側の薬局に行き処方薬を出して貰った頃には夕方6時近くだった。お金を支払って慌てて駅ビルの階段に向かって走り出すと、後ろから追いかけてくる薬局の若い女性が私の財布を持って追いかけて来た。お礼を言って駅に向かうと予定より一本遅い急行電車の先頭車両に乗ったとメールが入りホッとした。

それから家内と息子に合流し、世田谷のすし屋で娘家族と一緒に江戸風の寿司を楽しく頂いた。そして明日から山口に飛び、松下村塾や秋吉台を観光する予定だ。忙しい1か月の帰京が続く。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京郊外の生活2024(2)

2024-07-18 20:44:39 | 日記・エッセイ・コラム
8日に帰京以来早いものであっという間に10日経った。その間に新大久保で家族パーティをやり、市の健康診断を受け、2回に分けて多摩丘陵の約30キロを歩き、取引先の担当者と会議を開いた。更にもう一度パーティをやって、家族で山口県に旅行し今回の帰京日程を終える。

といっても帰郷後も、旅行中の子供の家族達と松山で合流して食事をする予定だ。お墓参りとかお盆の行事は私一人で済ませる積りだ。せっかくの夏休みの旅行なので無理な日程を組まず、広島とかしまなみ海道などに行き子供達の良い思い出を作ってやれと言ってある。

昨日受けた健康診断は今迄の係り付け医ではなく、近所の大き目の病院で健康診断のセカンドオピニオンを受けることにした。元々は整形外科の専門医院で若い時にバイク事故、昨年は左肩の石化の治療を受けたところだ。数年前に気が付くと内科が増設され救急病院になっていた。

待合室は殆ど老人の患者ばかりだったが、元整形外科院だったこともあり車椅子や松葉杖の患者を沢山見かけた。最初に自前で血圧を測り、レントゲン写真、身長体重腹囲と心電図、尿採取、採血と口頭の診察を受けた。夫々のパートが終ると待合室でスマホをいじくり、テレビを見ながら呼び出されるのを待った。

昨日は偶然にもMLBのオールスター戦中継があり、運よくリアルタイムで大谷のホームランや今永の好投ぶりを見ることが出来、待ち時間が全く気にならなかった。診察室に入って先生や看護婦に大谷がホームラン打ったよと報告でき話が弾んだ。

心電図を撮って貰った部屋では私好みの看護婦さん(多分)に優しく対応して貰い、その後尿採取に苦労した私を彼女が何度か助けてくれた。うろうろしてる私を見つけて助言してくれた。彼女の笑顔が可愛かった。病院でなければ食事にでも誘いたくなるところだった。

最後に診察してくれた先生に、高血圧の治療中でかつて尿酸の治療を受けた掛り付け医を報告すると、先生は必ず健康診断結果を係り付け医に報告するよう念を押された。左肩の石化の治療後、田舎で右肩の石化の異なる治療を受け、医者間でカルテが交換して見れると効果的な治療が出来たと指摘した。先生はその通りだが個人情報を守る必要もあるともっともらしく答えてくれた。

今日から関東地方の気温が上がるので熱中症に気をつけろという天気予報を受けて、その前に多摩丘陵の南側を歩こうと思い、昨日健康診断を受けた夕方に山歩きに出かけた。私の思い付きの判断は正しかった、もし今日多摩丘陵を歩いたとすると真夏の暑さで大変だったと思う。昨日の午後3時にスポーツドリンクを持って出かけた。

府中街道から是政橋を渡り多摩川下流に向かって歩いた。橋や堤防の木陰を吹く風は涼しくとても気持ち良かったが、風が停まると蒸し暑さで気持ち悪くなった。稲城大橋から町田に向かって歩き途中から向陽台に向かう坂を上った。思ったより脚力が回復していて坂が苦痛ではなかった。向陽台から府中街道を経て自宅に戻り、帰京時の個人目標を達成することが出来た。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

40年ぶりの新大久保

2024-07-15 16:42:38 | 日記・エッセイ・コラム
昨日長男の嫁さんの提案で新大久保の韓国料理屋さんに家族全員が集合して孫の誕生会を開いた。40年前と言っても、大体その頃かなという程度の好い加減なもので、何十年も前の事で正確にいつ頃か記憶が定かでない。その頃は新宿より先には滅多に行かない、山手線の駅の一つだった。

ところが、昨日昼時に新宿で山手線外回り乗り換えると車内は大袈裟に言うと若い女性で満員、そして新大久保駅で全員下車した印象だ。今や若者に人気なのは渋谷でも新宿や原宿でもなく、一番人気は新大久保なのだそうだ。下車して階段を下りて見た街の景色は全く記憶がなかった。駅前の狭い道を歩く人は殆ど若者達、特に若いお洒落な女性達だった。

予約したお店まで息子の後をついて歩くだけ、同居の息子も40を過ぎ初めてだったがスマホを見ながら苦も無くお店に着いた。お店は中々予約が取れない人気の店で、店内は若いお客で一杯だった。聞くと店員は若い韓国女性が殆どだったが、当然ながらお客は殆ど日本人だという。お客の大声で交わす会話や笑い声で騒々しかった。私の好みではなかった。

店の一番奥にある部屋に案内されると娘の家族は既に到着、暫くして長男家族も参加してパーティは始まった。30-40年前に仕事で何度か韓国に出張したが、接待で出されるままに宮廷料理を頂き具体的な記憶がない。今回も子供達がオーダーした良く知らない料理をただ食べた。

子供たちは孫のことを考えてなるべく辛くないものをオーダーしてくれたので、私も嫌ではなかったが積極的にまた来て食べたい程のことはなかった。かつて私は仕事上の接待で宮廷料理を食べたので一般の韓国料理はよく分からないということにしてる。だが、若い人たちには人気のようだ。韓国料理の価格が安いのもその理由かもしれない。10人分を支払うと2万円余だった。

実は驚いたのは3人の孫が全て別々の席に座り、殆ど会話を交わすこともなかったことだ。一番上が中2、真ん中が小5、下の子が小3で、全員誰とも言葉を交わさずスマホをいじくりプレゼントの漫画を見ていた。2年前まではそうではなかった。今回は大人が言葉をかければ返事するが、それ以外に何も話さなかった。元々子供達に経験をさせようと思って全員揃って誕生会を始めたが、徐々に自分たちの趣味や友人との交流の方が楽しいようだ。そういうもんだと思ってる。

お店を出て駅周辺をそぞろ歩きしていると、見覚えのある景色に出会った。道の上を走るJR電車ののガードレールの下を通り過ぎて後ろを見た時だ。多分、かつて新宿から電車に乗らず西武新宿駅を過ぎて新大久保迄歩いていた時に見た景色だろうと思う。私は湿度の高い暑さと大勢の人息に疲れたのか、夫々に分かれて先に自宅に帰ることにした。疲れたが、楽しかった。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脚力回復もボケ進行

2024-07-13 18:37:51 | 日記・エッセイ・コラム
月曜日に帰京以来ずっと東京の暑さで体が参ってた。何ともやる気が起こらない。こういう時でも私のやり過ぎ性格はまだ残っていた。田舎にいる時と違って家事をやる家内がいるからだと思う。少し熱中症を気にしたが、思い付いて水曜日から3日続けて10キロ以上歩いた。多摩川沿いの河川敷の補強工事は完了し、林立していたクレーンの跡は広い草原になっていた。

3日目は馴染みの鎌倉街道を通り聖跡桜丘から川崎街道を辿り、南多摩から府中街道を通り帰宅する馴染みの12キロを歩いた。春に歩いた時は若葉台までの多摩丘陵の緩やかな坂を歩くだけで足に疲れを感じて難儀をした。今回は疲労を感じることもなく歩き続けることが出来た。6月頃に田舎で何度かジョギングをトライし、その度に距離を伸ばし脚力を回復させた効果が大きい。

脚力回復をで得た体感は個人的には素晴らしかった。だと言って全てが良くなった訳ではない。帰京後は毎朝計測する血圧が一気に高くなった。高血圧が150台半ば、低血圧が90台前後になった。気温の上昇に連れ例年夏に血圧が上ってたが、今年は7月第1週の田舎の朝の気温が25度台で高血圧が130前後から、8日から帰京し室温が30度以上で体が驚いたのだと思う。

更に驚いたのが昨日息子が買ってくれた「アレクサ」だ。名前を聞いた時私は何か全く分からなかった。いまだに的確な説明は出来ないが、ネットでは「Amazonが開発したバーチャルアシスタントAI技術の端末」、と説明されてもよく分からない。何でも質問してAI技術で答えてくれる。例えば、気になるニュースとか食事のメニュー、好きな歌を聞きたいと言うと、速攻で答えてくれる。

だが、その前に私のIDやパスワードが中々思い出せず、アレクサに入力して初期設定し動き出すまでに30分以上かかった。一旦動き出すと家内が次々と質問を連発して私を驚かせた。それに倣い私の問いかけにも直ぐに答えてくれた。そういえば、家内は以前からスマホの入力を音声でやっていた。小3の孫はアレクサを使い回し、家内はWiFiが利用できるか聞かれ驚いたという。

昨朝は所用で外出時に通信会社の前で呼び止められ、スマホの通信契約を安価なものに切り替えないか勧誘された。最近の私はスマホやタブレットなどは家族にプレゼントされ、実際に利用するまでのアレンジは全て息子がやってくれていた。正直説明はチンプンカンプンだった。よく理解しないまま契約変更を了承したが、自宅に戻って説明すると息子から待ったがかかった。

勧誘員の話を聞き成程と思い、息子の待ったを聞き成程と思った。昔はITの専門家だなんて恥ずかしくて言えないと痛感させられた。田舎にいる時にプレゼントされたタブレットも使いきれず、東京に戻って息子に設定してもらった。子供でさえ自由に使えるITを理解できないなんて、私のボケはかなり進行したと思う。脚力とボケのプラスマイナスはどうか、考えると辛い。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする