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かぶれの世界(新)

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我が家の開花宣言(食卓編)

2019-03-26 10:07:36 | 日記
今朝起きて真っ先に食卓上の一輪挿しをチェック、早速3つの蕾が開花したのを確かめた。3日前に拾って来た時は6つの蕾だったから50%の開花率だ。早速写真を撮って家族に送った。

同じく拾ってきた庭の桜はまだ蕾のままだった。室温は今朝17度、外に出るとまだ肌寒く6度程度だった。その温度差が同じ樹から取った桜の小枝でも開花時期に影響したようだ。

拾ってきた桜の小枝のお蔭で心がホンワリ温かくなり、家族間の会話が増えた。有難う。

私が枝を折ったと疑う向きもあるが、ホントに大きな枝が生垣の上に落ちてました。多分強風のせいです。■
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我が家の開花宣言

2019-03-25 11:52:19 | 日記・エッセイ・コラム
3日前に食卓に桜の枝を飾った時は家族の反応は殆ど無かった。上野公園の桜の開花宣言がされたのに、未だ固い蕾のどこの馬の骨とも分からい桜なんかに格別の興味を持ってくれるはずもないと思った。だが、昨日開きかけた蕾を見た家族は急に注目し始めた。

馬の骨とは、市立の第一小学校と中央郵便局の間の歩道の生け垣の上に捨てられていた大きな桜の枝だ。散歩の途中でその枝の小枝を折っている老夫婦を見つけた。奥さんに咎められ、折れて捨てられた桜の枝を取って何が悪いと開き直って応える夫の声が聞こえた。

その言葉で私も許可を得たような気分になって、残りの小枝を2本折って目立たたない様買物袋に入れ家に持ち帰った。2年前に引っ越し後薄汚れて放置されていた一輪挿しを探し当て洗って食卓の端に置いた。万が一非難された時に備え家内と孫の写真を傍に飾った。

もう1本の枝は南側の狭い庭に植えようとしたが、家の周りは全て砂利が敷かれ、その下は布のような繊維質のものだった。枝を直に差し込めば良いという訳にもいかず、放置してあった薄いプラスチックの花鉢に突き刺し砂利穴に埋め込んだ。こちらはまだ蕾が開く感じがしない。ここまで一銭も使っておらず、桜が咲かなくとも文句の言いようがない。

だが、一両日中に我が家の開花宣言が出来そうだ。多分庭の桜はその2、3日後になるだろう。そうなると現金なもので家内は本格的に庭に桜を植えようと言い始めた。どうせ私にやらせようという魂胆なのは分かっている。だが、私もいい考えだと思っている。花を咲かせ田舎の実家に行く前に桜の小枝を庭に移植して毎年花を咲かせたいと思っている。■
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女の七変化

2019-03-23 22:06:19 | まち歩き
駅前の八百屋で家内に頼まれたバナナを手に取り、レジに向かうと乳飲み子を抱いた若いお母さんがいた。ハッとするような美形の横顔を見て思わず声をかけた。お子さんは何か月ですかと聞くと、昨日1歳になりましたとの答え。タイミングは良かったが、月数を聞いたのは拙かった。

返事を聞いて彼女の横に回り正面から赤ちゃんを見ると、母親に似ても似つかないごつい顔だった。前から見ると確かに大きいねと私は挽回の言。やっとつかまり歩きを始めたと彼女が嬉しそうに反応してくれた。もうすぐ歩き始めるから、あちこち動き回ってお母さんは大変になるよと私は応じた。そうなんですよーと彼女は嬉しそうだった。

彼女の支払が終わり笑顔で軽く会釈して去って行った。それにしても綺麗で感じの良い人だった。自宅に戻り八百屋で凄い美人に会ったが、連れていた赤ちゃんが彼女と全く似てない顔で驚いたと家内に報告した。娘が幼児の頃不細工で将来が心配だったが、小学に入った頃から足が長くなり突然変異の様に凄く可愛くなったのを思い出したよと付け加えた。

家内によると良くある話だという。成長期は体の部位の成長速度が異なるので、骨格のバランスが崩れることもあり不思議なことではないと。普段必ずしも理詰めではない家内だが、言われてみると納得できた。中学の頃の娘はとても美人とは言えなかったが、高校になると急に可愛くなった。

その頃になると必ずしも肉体的成長だけじゃなく心の成長も関係したかもと思った。そしてお化粧の仕方でイメージが変わったはずだ。恋人が出来て結婚し子供が出来ると言った経験を積みながら変わって行く。七変化どころではない。家内より娘の方が沢山の変化を見たことになるが、だからと言って女は分からないことに変わりはない。■
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仰天パック旅行後の体力テスト

2019-03-22 16:27:51 | スポーツ
昨日予告した孫との高尾山ハイキングは中止した。家内から高尾で小雨が降ったと聞き、6時過ぎに我が家でも雨がぽつりぽつり。長男に連絡すると大崎でも小雨が降ったという。一時的な雨だと分かっていたが、ハイキングの中止を決めた。どうせなら美しい富士山を見ながら孫と歩きたかった。

中止と決めた直後から皮肉にも天候が回復してきた。そこで急に思いついて久し振りに多摩川沿いを走ることにした。昨年12月初めにジョギング中に軽い肉離れを起こし、回復後はバドミントン練習に参加した。だが、以降3か月間5km以上の距離を走っておらず走力をテストしたかった。

豊洲市場見学のパック旅行後の疲れのようなだるさを感じて、肉離れの再発が怖く1km10分のスローペースで走り始めた。それでも息苦しく調布市との境まで(自宅から約6km)同じペースで走った。パソコンの記録を見返すと、昨年肉離れを起こす直前のペースの方が速かった。

それでも苦しくなって7km地点で歩き始めその後5km続けて歩いた。最後の1kmで自転車にのる若い女性をみて俄然やる気が湧き、最後の坂を全力で走り追いかけた。何だ、気持ちの持ちようで走り続けることも出来るじゃないか!と自らに罵った。

万歩計と時間を見ながら走ると、劇的な脚力の衰えを具体的な数字で突き付けられた気分だった。以前から私がどういう風に老化していくか自ら分析して半ば嬉しがって投稿してきたが、現実にバドミントン練習でリーダーに衰えを指摘された時と同じ位のショックだった。

バドミントンに次ぎ定点観測の走力種目で不合格通知を受けた感じだ。ただ、今日は朝から腿の上側に痛みを感じ、以前に投稿した記事「筋肉の認知症」で筋肉疲労すら感じなくなったとの不安は多少解消された。先月河津桜の見学時に小室山から走って下山した翌日に感じた痛みと同じだ。 

昨日NHKBS番組で四国石鎚山で10才の娘に追いつこうと必死で歩く46才の父親の姿をみた。私の孫は9歳なので次に一緒にハイキングする機会があると、高齢者の私はこんな風になりそうだと想像した。それまでは頑張って何とか元気に孫と歩きたいものだ。■
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豊洲から国会議事堂 仰天パック旅行顛末

2019-03-20 18:42:14 | 旅行記
いざ豊洲市場へ
再び息子の会社制度を利用して、豊洲見学から築地で食事、国会議事堂見学、東京湾クルーズという関連性の薄い組み合わせのパッケージ旅行を家族3人で楽しませて貰った。元々は息子の勤める会社の支援制度に乗って家内が旅行を提案、先月は河津桜を見学し昨日は豊洲市場を見学した。

家内と私は最近になって旅行会社の割安パッケージ旅行の充実ぶりを実感し利用して来た。そもそもはパンフレットで見た豊洲市場見学を私が希望し家族の支持を得た。参加してみて何故こんな考えつかない変な組み合わせの日帰り旅行を考えたのか我が家の疑問は理解できた。

報道である程度予想していたが、豊洲市場は観光客に見せるような考慮は全くされてなかった。商品を扱うエリアは全て衛生的にシールドされている為、通路から見える場所は限られた。市場内だけでなく駐車場からホテル・レストランまで、全ては卸・仲卸とバイヤーの為に最適化され、観光客は広大な市場を外から歩き回るだけ。我々の様な高齢者ツアー客にはタフな見学コースだった。

記憶に残ったのは、過去の水揚げ最大のマグロの模型と屋上からビルの合間に見た丹沢山越えの白く霞んだ富士山と、めげずに歩き回る外人観光客の比率の高い見物客だった。加えて、ワサビというより毒の効いた政治ネタを連発する能弁なガイドと、異常に切り替わりの早い交通信号だった。

その後気築地に連れていかれ(気持ち的には)、棒になった足を引き摺り小さなお店を見て回った。買物する家内だけ元気を取り戻した。1時頃にやっと築地本願寺前の料亭で海鮮丼を頂いた。明らかに作り置きご飯の状態だったが、それでも刺身ネタは新鮮に感じそれなりに美味しかった。

初めての国会議事堂
少し元気を取り戻したところでバスは皇居前を通り国会議事堂に着いた。長く東京に住んだが初めての経験だ。議会が終わった直後で予定通り西側裏の衆院本会議場の見学者の為の通用門から入り、空港並みの身体検査を受け本会議場に導かれ説明を聞いた。正にテレビで見る景色だった。印象深かったのは戦前の天皇の為の政治を行う議事堂の作りが、敗戦を経てそのまま残されていたことだ。

見学が終わり正門に向かうと国会訪問したVIP(インド議会副議長)が出て行くところに出くわした。正門には日本とインドの国旗が掲揚され、そのうち門が開かれストッパーが下がり黒塗りの車が数台出て行った。正門が開いてVIPが出入りする風景を見るのは珍しいとガイドは言った。正門の周りには警備の人達が何人もいて、我々の他愛ない質問にも答えてくれた。

劇的な風景の変化
最後は日の出桟橋から遊覧船に乗り20分足らずの東京湾クルージング、お台場に向かった。30年余り前に何度か晴海の見本市でショーをやった時、勝鬨橋からの道路が大渋滞で海上バスで会場に向かった記憶がある。ツアー全体を通して感じたのは高層ビルが360度林立した風景の変化だ。

その集約が遊覧船から見た風景だった。当時晴見より先は何も無く浦島太郎感覚に陥った。目印だった東京タワーや東芝・NECの本社ビルも最早高層ビル群の一部だった。朝往路で老婦人が埋もれた感のある東京タワーを見て、「随分チンケになったのねー!」との言葉は私も実感として感じた。

最後のドラマ
その後は首都高から中央高速を通り予定より30分余り遅れて立川に戻った。実は最後のドラマが待っていた。立川駅に戻りスマホがないことに気付いた。家内のスマホを使い旅行会社のコールセンターに連絡も営業時間終了、緊急連絡先に事情を伝え改札を通り過ぎた時、添乗員から息子に連絡が入った。

息子が事情を話し、添乗員がスマホを見つけ、駅まで持参してくれると話は一気に進展した。家内を先に返して駅構内のカフェで息子とコーヒーを飲んで待った。約40分待ってスマホを手にした時はホントに救われた気がし、添乗員にはお礼のしようもない程感謝した。スマホで重要な処理はしないとはいえ高齢者にも生活必需品になった。

ドラマは続く
ここでドラマは終わってなかった。添乗員と別れ1階のホームに向かう途中、大きい荷物を抱えて階段で立ち往生している白髪の老婦人を見つけ手助けした。手押し車のついた荷物は重く私も抱えた瞬間階段でふらついた。彼女に感謝され満員の電車に乗り込み暫く走ると、彼女が目の前の客に大声で席を要求した。私は様子を見守るばかりだった。

サラリーマン風の若い男性客は困惑した様子で直ぐに席を立って譲ったが、二駅目で下車すべく彼女が立ち上がり又もや車内中に響く大声で出口を開けろと要求した。周りの人達は一言も発せず少しずつ隙間を作って出口への道を作った。滅多に見ない風景だった。

考察
彼女の異様に見える振る舞いについて息子と話した。私の仮説は老人や幼い子供連れ等を助ける姿を余り見かけない日本の社会が彼女の様な人を作った、異常に重いバッグがもしかしたら彼女の全財産かもと。息子は余り同情を示さず、異常な振る舞いをする老婦人が京王線で車掌に降ろされたと聞いたことがあると言った。多分そうなんだろう。そうかも知れない。

何れにしろ想定外の事件も含めた刺激満載の豊洲市場・築地場外での買い物と食事・国会議事合見学・東京湾クルージングツアーであった。万歩計はバドミントン練習日より多い19,200歩を示してた。今朝から1日中身体がだるい。明日は孫と一緒に高尾山ハイキングの予定、ちょっと不安。■
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