かぶれの世界(新)

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政治の季節-政変前夜にすべきこと

2009-07-11 23:23:12 | 国際・政治

間直に迫る総選挙の前哨戦として東京都議選がいよいよ明日投票日を迎える。注目すべきは都議選そのものよりも、結果がそのまま総選挙に反映される可能性が極めて高いと見られているからだ。しかも、今回政権交代の可能性が高い。

麻生内閣の支持率は最低レベルにあり、主要な自治体の首長選で連敗が続き、自民党の敗北の趨勢は最早決定的のように見える。都議選の結果次第で衆院選を誰の下で戦うかまで戻り、政局は一気に流動化する可能性がある。

だが、私はこの状況のまま政局になると、「いい加減にしろ」と言う気分になる。日本にとって最悪の選択をすることになると憂慮する。

状の衆院議員勢力は小泉内閣の郵政選挙に対する国民の判断を反映した結果である。だが、後に続いた3代の内閣が国民の判断を聞かずなし崩しに改革を骨抜きにし、その度に支持率を下げた。3代の内閣は政策より国民に人気があるかどうか、党内人気投票で決まったと言ってよい。

「いい加減にしろ」と言うのは、今回もこのままでは下手をすると人気投票的な選挙になる恐れがあるからだ。マニフェスト選挙と言いながら、民主党は出来ることなら財源を明確にしない曖昧アプローチで済ませようとしている。自民党に至っては右往左往で真面目なマニフェストなど論外のように見える。

タレント知事と言われる東国原氏や橋下氏がこの機会を利用して、自民、民主に明確な形でマニフェストに主張を入れさせるのは、私はそれ程悪いことではないと思う。政策が曖昧なまま投票日を迎えた従来の選挙と一線を画し、政権政党候補に少なくとも地方分権政策を確約させるには良い方法だ。

メディアはタレント知事の売名行為だとか、自治体と国家の運営は違うと概して冷ややかな反応のように感じる。だが、そうかと言って政策として妥当かどうかについては殆ど議論が見られない。この人達は具体的な政策など興味が無い、もしくは理解出来ないで報道しているのかもしれない。肝心なところでメディアの見識を示せないでいる。

配なのは、都議選が終ったら日本のメディアは政局に熱中し、政策論が吹っ飛んでしまうのではないかということだった。今週イタリアで行われたG8/G20の報道で、中国の存在感と麻生首相の存在感の無さの指摘を見かけたが、日本報道の存在感の無さは絶望的だ。それに気が付いてないのでは悲劇的でありさえする。

国際競争に晒されたことの無い政治家と官僚とマスメディア、このドメスティック3兄弟が日本をミスリードしているとの指摘(財部誠一氏)の中で、私は最近のメディアの大衆迎合的傾向が日本の政治状況を必要以上に悪化させていると思う。

今、政変前夜と思える時期だからこそ、メディアはもっと政策を語るべきである。自民・民社両党のマニフェストを徹底分析し、その違いを明らかにし、国民に分かりやすく示す責任がある。現状の報道は概して感情的に過ぎ、日本を軍国主義化し太平洋戦争に導いたのと同じ体質を感じる。

一部の悲惨な状況を取り上げてそれが全てのような報道は国民をミスリードする。猪瀬副知事の記事だったと思うが、この手法を使って小泉改革の失敗という考えを国民の間に浸透させたという指摘に思い当たる節がある。この決め付けには、客観的なデータと時間軸で大局を把握し国民に示すところから始めた様子を感じないのだ。

大の(国内)政治テーマは、「誰からどれだけ税を取り、誰にどれだけ配分するか」である。年金などの社会保障も突き詰めればこの問いかけにどう答えるかであり、そのビッグピクチャーを示して国民的合意を得えるべきものだ。貧困層の悲惨さだけを訴え政治に対策を求めても解決しない。

その意味で、今日の日本経済新聞が「生涯を通じて負担する税金などと社会保障の受益の損得計算で、世代間の差が深刻」(内閣府研究所試算)という記事を注目すべきだ。それによると財政赤字のツケを支払うためゼロ歳世代が巨額の負担を強いられると報じている。

政府機関の試算など信じられないと言う声(悲しいかなそういう歴史があった)を否定できないが、このように問題の全体像を具体的データで明らかにして、データの妥当性も含めて配分を議論し最終的に政治決定(投票)できる材料を国民に提示すべきである。

その時は民主主義のルールに基づき多数決になるのはやむを得ないが、少なくとも選挙を通じて得られた結果との理解が進むはずだ。政局重点報道は国民の興味の行き着くところと言えばそうかもしれないが、それは戦争を煽ったと同様のやり方で民度を貶めることになると思うべきだ。■

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伊予の早曲がり

2009-07-07 16:24:45 | 日記・エッセイ・コラム

昨年、母の介護で田舎暮しが長くなるのを見越して、中古車を買った。車を買って改めて田舎暮しには車が必要と実感した。日常は安易に車に乗らないよう気をつけている。母の病院通いと雨の日以外、5km以内の近場は歩いて用を足している。実際、車に乗るのは週1、2回だ。

先日、ラジオを聴いていたら「伊予の早曲がり」という言葉が耳に入り気になった。調べてみると、信号が切り替わった時、反対車線の右折車が対向車の鼻をかすめて右折する愛媛県のドライバーを言うのだそうだ。そういえばちょくちょく見かける。

格別に愛媛県のドライバーの交通マナーが悪いとは思ってなかった。気になっていたのは路地から突如飛び出して本道に入ってくる車が多く、一瞬ハッとしてブレーキを踏む事がしょっちゅうあることだ。もう一つ言うと、黄信号で止るかどうか迷うが、エイッとアクセルを踏んで通り過ぎた時、バックミラーを見ると先ず8割がた後続の車がいるのは驚きだった。

交通マナーの悪さを他の土地名を被せて揶揄することは良くある。台湾、香港など中国系の国の運転の乱暴さは半端じゃなかった。かつて勤めた会社では出張者は当然だが、現地駐在者も運転は禁じられ、タクシーか現地のドライバーの車に乗るルールがあった。韓国も同じ扱いだったが、後部の座席から見た限りそれ程乱暴とは思わなかった。

米国では自分の車を持っていいし、他の都市ではレンタカーを借りて単独で動けた。しかし、ニューヨークは特別で、タクシーに乗ることが勧められた。中国系の国よりは余程マシだが、カリフォルニア州の交通マナーも評判が悪かった。ウィンカーを出さずに高速道路のレーン変更するのは当たり前、ウィンカーが出たが反対側に曲がった事もあるというから、というゾッとする。

ワシントン州に住んだ時、パトカーに止められ直ちに州の免許証を取るよう命じられ、日本でペーパードライバーだった私は2度も失敗してやっと免許証を取った。最初は一時停止を完全に止まらず左右確認だけして右折し、「ローリング・ストップ」といわれ不合格になった。

友達はそれを「カリフォルニア・ストップ」と言うんだと教えてくれた。米国版「伊予の早曲がり」みたいなもんだ。ワシントン州では色んなことでカリフォルニアの評判が良くなかった。カリフォルニアと聞くとチクリと嫌味を言うのを何度か聞いた。劣等感の裏返しだと地元の新聞が書いていた。

日本でも三河ナンバーや泉州ナンバーの運転が荒っぽいというのは有名だ。他の土地の名前を使って交通マナーの悪さを揶揄するのは世界共通の心理かもしれない。概して日本のドライバーのマナーは良いと思う。東京のドライバーは世界一かも。例外は、工事等で車線が減るなどの状況で、米国のほうが自然に譲り合い交互に車が流れて行ったと記憶している。■

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田舎暮し雑感09夏(3)

2009-07-05 18:40:29 | 日記・エッセイ・コラム

1週間前までは梅雨になったというのに雨が降らず、ローカルテレビは水不足のニュースを連日流していた。今週前半は二日連続で土砂降り、残りの日も断続的に雨が降った。今にも底が見えそうだった石手川ダムの水位は例年の80%まで戻り、松山市の断水は解除された。

典型的な梅雨模様で家の中が一気に湿っぽくなった。谷間の奥にある実家は風の通り道で、朝夕の谷風は心地良い。だが、雨が降ると他所より湿った空気が家を通り抜け家中湿っぽくなる。台所の水きり辺りから、クロークの中のスーツまでカビが生える。今はまさにそういう季節だ。

一方、この季節は畑の雑草には最高の季節だ、日に日に伸びて行くのを感じる。直前に数日かけて畑を耕したが、たった一夜の雨で雑草が生き返る。今年はそれまで乾燥した日が続いたので草の根が深く、鍬が入りにくく手ごわかったというのに。

連日の雨の後、雑草の生き生きとした姿を見てギブアップ。実際、見回して誰も鍬で畑を耕している農夫などいない。散歩の途中、たまたまトラックターで畑を耕す隣の農夫の息子を見つけて、うちの畑もやってくれと頼んだ。正直ほっとした。私には百姓の真似事は続けられない。

楽しみもあった。先週の日曜日、車で小一時間の漁港の小さな町で行われたバドミントン大会に参加し、男子複3部で優勝した。殆どの参加者は初心者だがそれでも嬉しかった。パートナーは奇遇にも父が勤めていた市役所の同僚で、もうとっくに定年退職され地元協会の会長だった方だ。私たちの合計年齢はゆうに130歳を超え、圧倒的に最高齢チームだった。

昨年、毎日食後に散歩し始めた頃からハードな運動後の膝の痛みが軽減され、大会の日も最後の試合まで動けたのが勝因ではないかと思う。こちらのクラブではバドミントン練習を週2‐3回やっている。体力的には目一杯だが、その方が少なくとも翌日の血圧は低い。

散歩の途中いつも橋の上からチェックしていた鯉を見かけなくなった。土砂降りが続いた日から川は増水、水が少し退いた今でも濁ったまま底が見えない。3日前だったか、別の場所で数匹見つけたが以前ほどの数ではない。どこに行ったのか、梅雨が明ける頃には分かるだろう。■

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悲しきデジャヴ

2009-07-02 18:25:23 | 国際・政治

麻生首相は1日閣僚の補充人事を発表した。この内容だけを取り上げれば、至極普通の人事だ。しかし、このところメディアを賑わしていた党役員人事を党内の反対で断念した、求心力の一層の低下が避けられない、というほうが新聞・テレビ報道にとって見ればニュースバリューがあった。

人事や重要政策の観測記事が飛び交い永田町が騒然となるが、その後首相は「そんなこと一言も言った覚えが無い」というインタビューが流れ落着する、メディアは同じ決まり文句「求心力の低下」と論評し次の話題・事件に移る。こんなパターンを繰り返し見せ付けられるとうんざりする。

仮に最終決定が上記の如く常識的なものであっても、その政治決定プロセスが余りにも稚拙だと失望してしまう。オバマ米国大統領は就任以来、国論が分かれる際どい政治的判断もしていると思うが、そのやり方は巧妙で多数派の支持を得る政治手法を心得ているように感じる。

麻生首相は来るべき衆院選に備えて選挙態勢を整えたかったようだが、最大派閥の町村派の反対にあって断念したと伝えられている。その人事の妥当性はさておき、私はかつて自民党の派閥政治が跋扈した時代を思い出した。

派閥の領袖が首相を選び、党の部会を通して政策を決定した。派閥の指示を受けて閣僚が反対し、伝家の宝刀の解散すら出来ないと報じられた事件を記憶している。今回は、弱小派閥の麻生派では最大派閥の反対にあうと手も足も出なかった。先祖帰りしたのか。

麻生内閣誕生の経緯から、支持率が10-20%台に低下した時はこうなるのは必然だった。麻生氏の資質はかなり最初から話題になったが、それをいうならそういう資質の人を選んでしまう自民党もしくは日本のリーダー決定プロセス、それを許す政治風土、が最大の問題だと考える。■

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