間直に迫る総選挙の前哨戦として東京都議選がいよいよ明日投票日を迎える。注目すべきは都議選そのものよりも、結果がそのまま総選挙に反映される可能性が極めて高いと見られているからだ。しかも、今回政権交代の可能性が高い。
麻生内閣の支持率は最低レベルにあり、主要な自治体の首長選で連敗が続き、自民党の敗北の趨勢は最早決定的のように見える。都議選の結果次第で衆院選を誰の下で戦うかまで戻り、政局は一気に流動化する可能性がある。
だが、私はこの状況のまま政局になると、「いい加減にしろ」と言う気分になる。日本にとって最悪の選択をすることになると憂慮する。
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状の衆院議員勢力は小泉内閣の郵政選挙に対する国民の判断を反映した結果である。だが、後に続いた3代の内閣が国民の判断を聞かずなし崩しに改革を骨抜きにし、その度に支持率を下げた。3代の内閣は政策より国民に人気があるかどうか、党内人気投票で決まったと言ってよい。
「いい加減にしろ」と言うのは、今回もこのままでは下手をすると人気投票的な選挙になる恐れがあるからだ。マニフェスト選挙と言いながら、民主党は出来ることなら財源を明確にしない曖昧アプローチで済ませようとしている。自民党に至っては右往左往で真面目なマニフェストなど論外のように見える。
タレント知事と言われる東国原氏や橋下氏がこの機会を利用して、自民、民主に明確な形でマニフェストに主張を入れさせるのは、私はそれ程悪いことではないと思う。政策が曖昧なまま投票日を迎えた従来の選挙と一線を画し、政権政党候補に少なくとも地方分権政策を確約させるには良い方法だ。
メディアはタレント知事の売名行為だとか、自治体と国家の運営は違うと概して冷ややかな反応のように感じる。だが、そうかと言って政策として妥当かどうかについては殆ど議論が見られない。この人達は具体的な政策など興味が無い、もしくは理解出来ないで報道しているのかもしれない。肝心なところでメディアの見識を示せないでいる。
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配なのは、都議選が終ったら日本のメディアは政局に熱中し、政策論が吹っ飛んでしまうのではないかということだった。今週イタリアで行われたG8/G20の報道で、中国の存在感と麻生首相の存在感の無さの指摘を見かけたが、日本報道の存在感の無さは絶望的だ。それに気が付いてないのでは悲劇的でありさえする。
国際競争に晒されたことの無い政治家と官僚とマスメディア、このドメスティック3兄弟が日本をミスリードしているとの指摘(財部誠一氏)の中で、私は最近のメディアの大衆迎合的傾向が日本の政治状況を必要以上に悪化させていると思う。
今、政変前夜と思える時期だからこそ、メディアはもっと政策を語るべきである。自民・民社両党のマニフェストを徹底分析し、その違いを明らかにし、国民に分かりやすく示す責任がある。現状の報道は概して感情的に過ぎ、日本を軍国主義化し太平洋戦争に導いたのと同じ体質を感じる。
一部の悲惨な状況を取り上げてそれが全てのような報道は国民をミスリードする。猪瀬副知事の記事だったと思うが、この手法を使って小泉改革の失敗という考えを国民の間に浸透させたという指摘に思い当たる節がある。この決め付けには、客観的なデータと時間軸で大局を把握し国民に示すところから始めた様子を感じないのだ。
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大の(国内)政治テーマは、「誰からどれだけ税を取り、誰にどれだけ配分するか」である。年金などの社会保障も突き詰めればこの問いかけにどう答えるかであり、そのビッグピクチャーを示して国民的合意を得えるべきものだ。貧困層の悲惨さだけを訴え政治に対策を求めても解決しない。
その意味で、今日の日本経済新聞が「生涯を通じて負担する税金などと社会保障の受益の損得計算で、世代間の差が深刻」(内閣府研究所試算)という記事を注目すべきだ。それによると財政赤字のツケを支払うためゼロ歳世代が巨額の負担を強いられると報じている。
政府機関の試算など信じられないと言う声(悲しいかなそういう歴史があった)を否定できないが、このように問題の全体像を具体的データで明らかにして、データの妥当性も含めて配分を議論し最終的に政治決定(投票)できる材料を国民に提示すべきである。
その時は民主主義のルールに基づき多数決になるのはやむを得ないが、少なくとも選挙を通じて得られた結果との理解が進むはずだ。政局重点報道は国民の興味の行き着くところと言えばそうかもしれないが、それは戦争を煽ったと同様のやり方で民度を貶めることになると思うべきだ。■