7/20の日本経済新聞のG8サミットにおける福田首相を評価する囲み記事「風見鶏」は、日本の主要メディアの典型を見るようで、私には大変興味深いものだったので敢えて一言補足したい。
その趣旨は洞爺湖首脳会議を議長として仕切った福田首相は、専門家の間では概して良い評価を得ていると紹介する一方で、それで支持率が上がらなかったのは福田首相の肉声が聞こえてこない、支持率を上げるためには首相はメモを見るのではなく思いのたけを自分の言葉で語れというものだった。
極端に言うと、内容はともかく海外トップはメモを見ないで喋るから良いと。ある意味ポイントを付いた指摘であると思う。ということは、記者自身も議長役を果たした福田首相を評価していると理解でき、それなら先ずはもっと素直に評価してやったらどうかと思わずにはいられなかった。
囲み記事は続けて、専門家の間で評判が良い例として「サミット研究の権威であるカナダのトロント大学G8リサーチグループは、福田氏の采配ぶりに「A評価・85点」をつけたと紹介している。しかし、併せて国内の各種世論調査では、1/4しか首相の指導力を認めなかったとも伝えた。
だがそうだとしたら、実態と国民の理解の間のギャップを埋める役割を文字通りメディアが果たしても良かったのではないか、と私は思う。もしくは、メディアは事態をきちんと評価する専門家の眼力を持って報じなかったが後から言直すのも嫌だということか? 時間を置いてでも再評価すべきではないだろうか。
確かに問題は大きく、G8で残された課題は山ほどある。だが、状況を正しく認識しその中で最善を追求する現実感を損なわず、「本質は何か、何がなされて何がなされなかったか、なされなかったのは何故・誰が問題だったか、その評価の判断基準は何か」等々、現実(事実)を伝えるのがメディアの役目ではないのか。その中で専門家の視点を国民に伝えることが民度の向上に貢献することにならないか。
私は今回のテーマで合意を得るのが厳しい情勢という認識と予想通りの成り行きを見て、首脳国宣言が出た時から福田さんは良く頑張ったなという印象を持った。だがメインストリームの報道は、共同宣言は具体的な目標設定に失敗し玉虫色になったという基調に終始しそれが国民の低評価につながった。せめてもう少し幅を持った報道で国民に考えさせることは出来なかったか。
そういう見方からの情報を国民に伝えるメディアがせめて日本に1社でもあればと今回思わずにはいられなかった。誤解しないで欲しいのは、私は就任前からずっと福田首相に批判的であり、ヨイショをするつもりは全く無い。だが時折感じるこのギャップは捨て置けない違和感がある。■