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かぶれの世界(新)

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高齢パソコン若返る

2008-06-17 22:50:54 | デジタル・インターネット

今度は田舎のパソコンが遅くなった!

東京のパソコン環境をUSBメモリ経由で、いつものように田舎のパソコンに移行した。ところが、移行前にウィンドウズなどを最新状態にアップデートする最初の作業から難航した。裏側で走るセキュリティ・ソフトだけでハードディスクが忙しく動き中々作業が進まない。

ハードディスクのクリーンアップやデフラグをやっても殆ど効果がない。先月東京で使用しているパソコンがウィルスに侵され性能が落ちていたと書いたが、今回は、セキュリティ・ソフトは機能しているようだ。ウィルスでなくハードディスクでもないとすると、原因は何だろう。

その後暫くは騙し騙し使ったものの、処理速度がひどく遅い。万が一の事を考えてウィンドウを何個も開くような使い方を避けたが、ウィンドウを切り替えても中々新しい画面が現れず、我慢しきれず次のボタンをクリックして訳が分からなくなり、使い難くてしょうがなかった。

特に苛々したのはセキュリティ・ソフトが動き出すと途端にだんまりになり、ハードディスクだけがジーと音を立てて休みなく動いている時だ。ネットで調べると、こういう現象はメモリ不足の場合に起こり、ウィンドウズのタスクマネージャを調べると状況が分かるという記事を見つけた。

原因はメイン・メモリ容量不足

調べてみると、プログラムを走らせるために必要なメモリ(コミットチャージ)制限値が573MBなのに対し、実際にパソコンに内蔵されているメモリが全体で228MBしかなく、OSやドライバーなどが走るとアプリケーションに利用可能なメモリはたったの95MBしかなかった。

このパソコンは2003年春に八幡山で安く買ったもので、主記憶(メモリ)256MBと当時でも最低レベル、最大実装可能容量も1GBだった。おまけにその一部が画像メモリとして利用され、228MBと半端になっていた。5年間使っているうちにあちこちにゴミが溜まって性能が更に落ちたようだ。 

近場の専門店に行き調べてもらうと、このPCに実装可能なメモリは古い型で512MBでも5700円もしたが、他に選択もなく取り寄せを依頼した。今日やっと届いてこのメモリを購入し、電子マニュアルを見ながら早速実装するとメイラー等インターネットのアプリケーションが嘘みたいに小気味良く動くようになった。特に画面切り替えの速度が速くなった。

テクニカルな数字で言うなら、物理メモリが合計753MB、利用可能メモリが268MB、コミットチャージの制限値が1058MBに増え、結果としてページファイルの使用率が約80%から40%弱まで低下した。分かりやすく言うとメモリが増えたので、比較的遅いハードディスクで補う頻度が減り性能が上がった。

最近は技術的なことを考える機会がなくなり、こんな初歩的な問題ですら解決能力を損なった。先月のウィルス問題がなければ、今回の問題も勘が働かず安易に新機種に乗り換え無駄な金を使った可能性がある。政治やビジネスなら何故か疑問に思うと熱心に調べるのに、最も曖昧さのないはずの技術的な問題を解決しようという気力を保てないでどうするのか、と反省。■

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田舎暮らし雑感08夏(1)

2008-06-15 14:24:36 | 日記・エッセイ・コラム

田舎暮らしの最初の1週間はあっという間に終った。母の入院騒ぎのどたばたと平行して、色々なことが同時に起こった。中でも買ったばかりの車を傷つけた、誰に文句も言えない自分の責任で悔しいことだった。

フリーランチはない

実家に一泊した家内を送る途中、道が予想以上に混んでいて汽車に間に合わないことに気付き直接空港に向かうことにした。国道沿いの駐車場に入り車をUターンさせようとして、ポールにボディをこすって傷つけた。急いではいたが、何で強引に左折しようとしたのかいまだにわからない。

後部ドアとその後ろのボディをひどく傷つけてしまった。家内を送った後保険会社に連絡し指定の修理会社を紹介されたが、隣の市にあり遠過ぎるのでネットで近場の修理工場を探した。土日営業の修理会社に車を持っていき見積もりして貰い、翌月曜日に保険会社に連絡し了解を取った。

交換部品が届いたと連絡を受け水曜日に車を納め、金曜夕方には修理が上がった。知人は別の修理会社を勧めてくれたが、安価だし仕上がりも悪くなかった。後部ドアは前方ドアに比べ事故車から交換部品が手に入り易いらしく、板金の打ち直しと塗装は後部ボディだけで済んだようで、結果的には思ったより少ない費用で修理できた。

板金打ち直しはさすが職人技と思わせる仕上がりで、修理箇所とそれ以外の区別が全くつかず満足した。修理中の代車は母親の入院騒動で活躍、助かった。だが、保険会社から来年保険更新時は3等級下がって保険料金が上がりますといわれた。フリーランチはないということだ。

田植えの時期

家内が東京に戻った夕方、堤防を軽く走った。家に戻る途中我が家の田んぼのそばに車を止めて様子を見ている中年男性を見かけた。多分母が毎年稲作を依頼しているKさんだろうと思って挨拶すると、想像通りだった。昨日田植えしたので様子を見に来たそうだ。今は田植えの時期だ。

品種は秋田小町、昨年やむを得ず除草剤を使ったが、今後も出来るだけ無農薬稲作で行く積りと意欲満々だった。Kさんは52歳、まだまだ若い。しかし、後継者がいないのは何処も同じで、将来この辺の稲作をまとめて引き受ける会社組織のような形を考えたらどうかと水を向けたが返事がなかった。

この田んぼの隣は我が家の畑で、昨年まで母が芋や豆などの野菜を作っていた。母の体力が衰え手入れが行き届かず、任された私は昨年除草でてこずったところだ。畑の2/3は昨年撒いた除草剤が効いて雑草が少ないが、残りはヒエみたいな根の強い雑草が腰の高さまで伸びていた。

雑草との戦い

放置すると大変なことになるのは昨年の経験で分かっていた。今の時期はドンドン成長するので、何とかしないと更に大きく伸び処置に困る。百姓は雑草との戦いだという。一坪農園の管理とは違う。だが、私には農業に対する情熱も知識もない。ただ周りに迷惑を掛けたくないというだけだ。 

隣のオバサンに聞くと、雑草の花が種になるまでに早く除草したほうが良い、今なら土地が柔らかく根が張っていないので手引きでやれるはずと教えてくれた。その後雨の日を避け、晴天が続いた2日目の早朝病院に母を見舞った後、スポーツドリンクを抱えて水分補給しながら除草を開始した。その日は暑く、たった半日で日焼けした。

ふと見ると、田植えされたばかりの例の田んぼに苗を抱えて入っていく女性が眼に入った。挨拶すると、Kさんの奥さんだった。「機械植え」だと苗が浮き上がってしまうものが出てくるので、「手植え」で補植するのだそうだ。Kさんは普段は会社勤め、稲作の面倒見は主婦業の奥さんの役目らしい。田んぼ専用のゴム長を履かず、裸足が一番良いと動き回る奥さんの姿がやけに若々しかった。

農業相談役

昨日は引き続き昨年まで家庭菜園の延長で茄子、芋、南瓜など野菜と、地続きのその先にお茶と梅を育てている麓の畑の除草をやった。まだ母が元気だった2月頃植えた南瓜がいくつか実をつけていた。昨年は梅もミカンも豊作だったが、聞くと今年は何処の家も梅の出来が悪いそうだ。

不作の梅だが枝葉だけは盛んに伸びて道路側にはみ出しており、剪定する時期かどうか馴染みのオジサンの助言を求めた。梅はそろそろ剪定の時期、だが木によって時期は違うそうだ。家の庭木も森のように盛り上がっているが、例えば柿の木は秋に切れと言われた。

2日目の除草が終わり昨日病院に言って母に報告すると、庭木の手入れや山の草刈と合わせて梅の剪定も毎年お願いしているYさんに頼めという。だが連絡先が判らない、何とか調べないと。いずれにしても、入院した母が2日目にして落ち着きを取り戻し、少しでも相談できるのは助かる。

除草に励んだこの2日間は晴天だったので家中の雨戸を開け、風通しを良くした。敷物や座布団、座椅子などを全て天日干した。家中じめじめしていたのが、少しはすっきりした気がする。今日は一転、終日雨。一休みできるが慣れない農作業で体がだるい。食事は簡単に作れるウドン、ソバ、パスタと麺類ばかりでうんざりしてきた。■

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私的・後期高齢者

2008-06-13 23:50:46 | 日記・エッセイ・コラム

兆は1ヶ月前頃からインターネット・カメラから覗かれる母の生活に変調を感じたことだった。今まで決まった時間に起床し就寝、食事をしていたのに時間が一定しなくなり、暗い居間で座椅子に寝転がっている時間が増えた。起きている時は口を動かし何かを食べている時が多くなった。

母の異変を感じて今年はいつもより1ヶ月早く田舎に行く事にした。田舎での生活が長くなることを覚悟し今回は事前に中古車を購入した。東京から愛媛まで家内と運転を交代しながら先週金曜日に帰省した。途中家内の母が直前に入所した松山市郊外にある介護院に立ち寄り見舞った。

義母は家に篭るようになってから長いが、最近ベッドから落ちて腰の骨を折り寝たきりになった為、家族の手に余るようになり入所したという。彼女の顔つきとか会話は依然しっかりしているように感じたが、体全体がとても小さくなった感じを受けた。

家内に言わせると、義母はここから生きて出ることは無いという諦観のようなものが表情に出ていたといっていた。将来私の母が利用することを考え、担当の方に時間を頂いて施設の紹介、入所の条件やサービスと費用などについて説明を受けた。

その後、実家に戻ると母の見る影も無い姿にショックを受けた。顔全体がむくみ表情が乏しく反応が遅い。上記の介護院にいた年寄りの方の方が余程生き生きしていた。家の中は湿っぽく何だかションベン臭かった。土曜日に一泊した家内が東京に戻る為空港に向かう途中、実家のトイレの床やスリッパが濡れていたと教えてくれた。

の問題がどうも母の変調のキーワードだった。家内を空港に送って帰宅後、その気になって調べると、トイレだけでなく家中のあちこちに「下の問題」の痕跡が見受けられた。

一方、食事は、月水金はケータリング・サービス、火曜日は介護ヘルパーさんの料理を食べ、残りの木土日を自炊にしていた。だが実際はご飯を炊く以外いわゆる調理はせず、ヘルパーさんが買ってきてくれた豆腐をそのまま奴で食べるといった食事で済ませていたようだ。

しかし、食欲はきわめて旺盛で、家内の実家で持たせてくれた買い物袋一杯の蜜柑とかビワ1箱を5日間くらいであっという間に食べてしまった。一度外食した時は東京のお店の1.5倍くらいの量がある天麩羅うどんを残さず食べた。この傾向は今年の年末年始にもあった。

ところが食後に服用していた薬やインシュリンを打っている様子がなかった。聞くと暫く医者に行ってないという。いつも口をもぐもぐさせており、歯がひどく悪くなっているらしい。かかりつけの医者や歯医者に行こうというと、いやだという。何時から悪くなったか聞くと覚えていないという。

状況が思ったより悪い。少し様子を見てと思っていたが、早めに専門家の意見を聞くべきと考えていつもの介護センターに連絡し昨日午前中に来て頂いて相談にのって頂いた。元看護婦さんだったベテランのカウンセラーMさんを含む二人の方と話すうちに、母は失禁するようになったことを認め少しずつ話してくれるようになった。

カウンセラーのMさんは一通り聞いてくれた後、母は歩いてトイレに行け食事も出来るので、微妙なところだが総合して介護保険の適用の申請をしてもいいレベルにあると判断してくれ、申請の手続きの書類を頂いて依頼する旨サインをした。しかし、その前にかかりつけの先生に診てもらって状況を説明することとした。

その後直ぐカウンセラーの方に教えてもらったオムツを買いに近くのドラッグストアーに行った。色々種類があって何を買っていいのか分からず、店員の助言で成るべく長く使えそうなパンツ型の紙オムツと4回分の尿を吸収するパッドを買った。レジの若い女の子の前ではチョット気恥ずかしい、僕のじゃないよと言わなくても良い馬鹿な言い訳をし、彼女が照れ笑いするという変な事態になった。

要介護から即入院に

その日の午後、カウンセラーに言われてその気になった母を連れて、急遽掛かりつけの先生に診て頂いた。先生は最後に診たのが4月10日で1ヶ月分薬を出していたから、約1ヶ月薬を飲んでないことが分かった。

血糖値が597と異常に高く「即入院」、その後の尿検査でケトン(KET)が出ていた為「今すぐ入院」、他のものは後で良いから取りあえず寝巻きと歯磨きをもって直ぐ入院しなさいといわれた。実は4月に入院を勧め母は断わっていたらしい。

先生は後で私を呼んで「きちんと薬を飲み、食事をコントロール出来ないことが入院の理由」と言われた。やや医者の怒りのようなものが感じられた。その後市立病院の先生に紹介状を書いて頂き、一旦実家に戻り入院に必要なものを準備して車で急いだ。といっても実は出かける前に化粧品を取りに車と家の間を何度も往復し、結局バック2つの荷物と紙おむつのパック2つを車に積み込んだ。

市立病院に到着すると既に連絡が付いており通常の窓口の手続き、内科の手続き、入院の手続きを順番に行いやっと4人部屋のベッドにたどり着いた。窓側の2ベッドは塞がっており、自宅と同じむきになるベッドを選び、荷物を整理して備え付けのもの入れに収納した。

その間に掛かりつけの医院での測定から始まって血圧が180210158と目まぐるしく乱高下した。母もよほど不安だったのだろう。内科の担当の先生は昨年2月に入院したときと同じ方で少し安心した。カルテを覗き込むと母の体重がその時37kg、今回48kg、1年半足らずで11kgも増えたことになる。

結果的に異常な食欲を放置したのが悔やまれる。食べ過ぎをたしなめると母は手がつけられなくなるほど酷く不機嫌になって、年寄りの唯一の楽しみを奪えないとの理屈で妥協してしまった。その場に直面すると難しい。

余談

母の変調の原因は「下の問題」が原因ではないかと思う。洗濯物は全て家の廊下に干し乾燥機で乾かすようになった。廊下の干し物を見ると下着が黒く汚れていた。この1-2ヶ月くらいで状況が悪化し、失禁を恐れて外に出なくなり、掛かりつけの医者に行かなくなったのではないだろうか。

若干「認知症」の気配を感じた。掛かりつけの先生は一度専門の先生に診てもらえと薦めて頂いたが、市立病院では反応はハッキリしていると言われた。年をとれば失禁になっても可笑しくないと言い、履きやすいオムツを買ってきてくれる身内もいなかった。申し訳ない気がした。

市立病院はいわゆる総合病院だがどの自治体も赤字経営で困っているはずと、上記の介護センターのカウンセラーの方に聞いてみると、先生の数がかなり減っており介護の面からも不安に思うことがあるといわれていた。

市立病院内には産科があったが、看護婦さんに聞くとある意味予想通り産科は閉鎖したという。市内には個人経営の産院が2、3残っているだけという。産科が減少しているという報道は私の田舎も例外ではなかったようだ。

母の保険証は悪評高い後期高齢者保険だった。数日前に母に来た基礎年金の通知には2000円の天引きがあった。2ヶ月に一度なので年間12000円の保険料となる。母は天引きされていた事すら知らず、その旨教えても特に怒ることもなかった。■

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コンビニ的書店経営が出版業界を変えた

2008-06-09 14:50:17 | 社会・経済

先週、車で田舎に戻った。途中京都の義妹夫妻宅に一泊させてもらい、近くの東福寺など境内の散策を楽しんだ。その後、介護院に入所した義母を見舞い、大洲市の実家に戻ると、予想以上に衰弱していた母の姿を見てショックを受けた。今後どうするか少し様子を見て決めようと思う。

そんなこんなで遅ればせながら一週遅れのネタを一つ。先週NHKの番組「クローズアップ現代」を見た。近年の読者の書籍購読決定プロセスの変化が書店経営と出版業界に大きな影響を与えているというもので、大変興味深く思った。

年読書人口減少による出版不況が続き、出版業界・書店ともに苦境に陥っている。ところが総部数は減っているにもかかわらず、出版された本はこの数年で6万から8万に増えているという。書店が仕入れた本は半年程度の短期間に売れないか判断し返本され、出版業界はその収入減の穴埋めの為に代わりの新刊本を送りつける、この自転車操業的サイクルが総部数減と新刊点数増を生んでいるというものだった。

その背景の一つとしてランキングを見て本を買う読者が増えた、しかもベストセラー1位の本ばかり売れると報じられた。年に数冊しか読まない人にとっては、ベストセラー1位の本を読めば今年はそれで終わり、みたいなことなのだろう。結果としてランキング2位以下の本はランキング発表後も変わりなく売れないのだそうだ。まさにウィナー・テイクス・オール(一人勝ち)状態だ。

この番組を見て常々疑問に思っていたことが一つ理解でき、出版業界の経営思想の変化のようなものを感じた。

私は定期的に古本屋を利用するが、最近出版されたばかりと思われる本を見かけることが増えたような気がしていた。良く利用する古本屋のチェーン店は棚に並べて一定期間が経過すると価格改定をする。本の内容より在庫回転を優先する、換言すると資金の回転効率を上げるキャッシュフロー経営をして成功した。そのお陰で私は古本屋で良い本を安価に入手できるというわけだ。

型書店は近年その種の経営に転換し、本の知識豊かな昔ながらの書店が無くなりつつあるという。新刊本にはスキャナーで読み取れるコード(名前)が付いており、それで平積みするか何処の棚に並べるか決め、売れるたびにレジでコンピューターに入力され、本毎の売れ行きがリアルタイムで捕捉される。一定期間の売れ行きを管理し、売れる本を目の付き易い棚に並べ、売れない本を返本する。その管理サイクルがドンドン短くなってきた為、返本数と発刊数の両方ともに増え、返本された本が逸早く古本屋の棚に並ぶという仕掛けだ。

実はこの「キャッシュフロー管理」は他の業界ではずっと前から採用されてきた経営手法だ。コンビニがPOSを利用して一品一品の売れ行きをリアルタイムで把握し、そのデータを下に商品の仕入れや棚管理を始め、24時間営業で何時行っても欲しいものが手に入る街角の便利屋さん的存在になった。家電製品も需給管理を月次管理から週次管理にした。もしかすると今は更に短縮されているかも知れない。在庫をきめ細かく短いスパンで管理する経営手法は、IT導入と合わせて大きな効果が実証されている。テレビで見た大型書店経営もビジネスである限り同じ発想のようだ。

この傾向は昔からの出版業界にいた人達にとっては割り切れない気持ちになるだろう。良い本を作る為にじっくり時間をかけて作り、発刊後も長い間書店の棚に並べて本の良さを分かってもらう、本の内容が売れ行きの全てだと信じていた人達には辛いことだろう。その一例として番組では草思社の経営破綻を報じていたのは私にもショックだった。この出版社は素晴らしい本を何冊も出してきた、私に言わせるととても良心的な出版社だった。

それに代わって以前「国家の品格批評」で紹介したような短期間で素早く新刊本を発行する、プロジェクト的な高速出版プロセスが可能な出版社でないと今は生き残れない。一方、書店は売れ行きにあわせ売れる本だけを棚に並べ棚効率を上げないとやって行けなくなった。時間をかけて中身で勝負したら最早生き残れないのだろうか。

最後に、読者のランキング依存がこの変化を引き起こしたというのは、チョット言い過ぎではないかというのが私の感想だ。良くも悪くもアイテム管理的経営手法と読者のランキング依存が両輪となって変化を引き起こしているということではないだろうか。しかし、ランキング自体は決して悪いことではないと思う。むしろ日本には色々な分野で信頼できる独立した評価機関が不足している。番組ではオリコンが分野別の書籍ランキングを始めたという。ランキングビジネスは有望な商売になる可能性は十分あると思う。■

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籔睨み08大統領選(6)

2008-06-04 12:44:44 | 国際・政治

ラリー・クリントンが、最後の予備選が終わりサウスダコタで勝ったもののオバマが過半数の代議員を確実にした直後のNYでの演説で、撤退宣言をしなかった。CNNは彼女の演説後、ミネソタ州セントポールでオバマの演説も引き続き流した。特にヒラリーの演説を注目して聞いた。

3月にテキサス州でヒラリーが勝ったのを最後に、オバマの優勢は徐々に揺るぎ無いものになった。大きな争点が無いまま、二人の有力候補は互いの細部のミスをあげつらい支持層にどれだけ食い込めるかだけが注目され、私にはつまらない予備選になったと感じていた。

ヒラリーの演説は、総得票数(人気投票という)ではオバマを上回り予備選史上最大の1800万を得た、依然として最適な大統領候補であることを言外で強調した。この先どうするかは投票してくれた1800万人の意を汲んで、国と民主党の為に何がベストかじっくり考えて決断したいといった。

彼女のハードコア支持層は同年代、つまり50-60代の女性達で、かつての女性解放運動を戦った世代で、ヒラリーは考えうるベストの候補だった。ヒラリーでなければ生きているうちに女性大統領を見ることはないと考えている熱烈な支持者を前に簡単に撤退宣言できなかったと思う。

バマには聞きたくない内容だったが、今日はコンセッションしないとヒラリー陣営から予め連絡しているとのCNNコメンテーターの言は尤もらしい。つまり、私には1800万の票があると高く売りつけているという見方だ。嫌でもヒラリーを副大統領候補にせざる得ない可能性はかなりある。

直後のオバマの演説は(過度と思われるほどに)ヒラリーに気を使って称える内容であった。1800万票が何処に行くかが大統領選の命運を握っているのは誰の目にも明らかだ。周辺からタテマエとホンネが断片的に聞こえてくる微妙な神経戦が既に始まっているように感じる。

一方、大統領選と平行して実施される議会選挙では民主党が大勝すると予測されている。大統領予備選の激戦が続き、結果として全米の州に民主党の熱気が行き渡り民主党票が掘り起こされ、予備選の投票総数は共和党を遥かに上回った。これ程効果的な選挙運動があったろうか。

いずれにしても、史上初の黒人大統領候補が確定した歴史的な日と米国メディアが興奮して伝えた瞬間に、地球の裏側にいてもライブで立ち会ったと思うとある種の感慨があった。■

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