かぶれの世界(新)

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メディアの変節

2005-11-25 10:59:08 | ブログ
自民党圧勝に終わった衆院選後小泉政権の批判勢力だった評論家たちのテレビの出番が急激に減っていると嘆いている森永卓郎氏の記事を読んだ。金子慶大教授など他の反小泉評論を繰り返す人達も状況は同じだそうだ。私もなんとなく顔を見なくなったなと思っていた。

衆院選で示された民意を見てテレビはさっさと転向した。どう聞いても深みの無い受け売りの批判を繰り返していたキャスターなどは論外として、中央・地方に関らず議員・評論家の多くも転向し、自説を守った人達が取り残されている格好だ。出番が減り収入がなくなって困っている人もいるらしい。一方、転向したある評論家は出番が増えているという。

しかし評論家がテレビ出演で食っていたのなら、テレビにはその程度の節操しかないことは承知していたはずだ。小泉氏が圧倒的支持で首相になった時「朝日芸能」や「東スポ」でしか森永氏の批判は扱ってくれなかったという経験をしていたのだから。彼らには視聴率しか頭にない。

正直に言うと、私も森永氏や金子氏の政権批判はまるで昔の社会党みたいに「反対のための反対」をしているように聞こえ顔も見たくない。改革の結果が中途半端というなら、改革の足を引っ張った側の問題を取り上げより良い結果を出す提案をすべきと思うのだが、こういう人たちは改革推進側の方を非難した。

今まで誰も切り込めなかった政官財の既得権益の構造改革に反対していると見做された。民意は「向こう傷はかまわない、やってくれ」という強い意志だったのにである。それを小泉劇場だけで片付けてしまえば民意(視聴者)を馬鹿にすることになりテレビが敬遠したのである。政府の弾圧でないと森永氏も認めている。

私は民間の会社に長く勤めたが、この手の人達は批判のみ繰り返し建設的でないとして意思決定やプロジェクトから遠ざけられることが多かったように思う。時には非常に貴重な意見を言っている場合もあるのだが、理論展開が一方的でただ揚げ足取りの反論をしているように聞こえ共感を得られず無視されることが多かった。

反論に耐える敬意を受ける少数意見を貫くには人徳も必要である。今回、厳しい批判はしても目標に大きな差は無かったように思う。だとすれば転向ではなくとも反対論を形を変えて前向きに示せば人は耳を傾けてくれるようになるはずだ。その姿勢を貫けば時が経ち又出番が出てくるだろう。■


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