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報道失格・かも知れない症候群

2015-11-18 11:04:39 | ニュース
パリ同時テロの深層に切り込む報道を期待して、3日後の昨夜普段は見ないテレビ朝日のニュースステーションを見た。それまではリアルタイムで圧倒的な情報量のCNNが主な情報源で、補足としてBBCや日本マスコミなどを確認していた。慌てて記者一人を送り込む程度の日本マスコミが事件をカバーできるはずがないからだ。どうせ欧米メディアの報道を拾ってきてまた聞きのニュースを流すだけだ。

今朝もドイツで予定された国際サッカー試合が中止になったりとテロの余波が続いている。だが、表に現れて来る事実関係の情報でテロの全体像が徐々に見えてきたところで、ニュースステーションがどう報じているか聞いてみたくなった。報じられたニュースをどう料理して伝えるかも興味があった。だが番組を見て私の目には、テレ朝が報じたパリ同時テロ関連のニュースはお粗末そのものに映った。

最大の問題はキャスターとコメンテーターが「かもしれない」とか「…と思う」といった個人の感想を垂れ流し凡そ事実を伝えるニュース番組とは思えない内容だった。「かもしれない」を連発するコメンテーターが以前いたが、実は昨夜は「かもしれない」はあまり聞かれず「・・・と思う」連発だった。具体的にXXやYYという事実からZZである可能性があるというべきで、根拠を示さず「かもしれない」はジャーナリストとして無責任で恥ずべき表現だ。

裏付けとなる事実や具体的な根拠のない自分の思いを表現する為、「かもしれない」とか「…と思う」を多用する報道を「かも知れない症候群」と名付ける。思いばかりが先行して根拠の薄い意見をまき散らす三流ジャーナリストがかかる病気だ。昨日見たテレ朝のニュースステーションは重症の「かもしれない症候群」にかかっていた。

報道において自分の意見を言う替りに、出来るだけ多くの事実を拾い集めて見る人に結論を出させるべきだ。その基本が出来てないのは報道失格であり、ジャーナリスト失格だ。その国を代表する主流メディアは謙虚に我が身を振り返るべきだ。「かも知れない」は免罪符ではない。どうしても自己主張したければ簡単な方法がある。放送局はニュース番組という看板を「XXはこう考える」という意見番組に架け替えればよい。

ところで、今回の報道を見て私にも根拠は明確でないが意見がある。一つはテロと戦い勝てるのは欧米的民主主義ではなく、イスラム内の過激派対スンニ・シーア連合の謂わば内戦であるという思いだ。イスラム社会ががテロを根絶すると本気にならない限り終わらない。貧困や差別という西欧民主主義の物差しでは解決できない。

もう一つは「国際的インテル(情報)連合」だ。ISはSNSや暗号などのITを駆使してテロを計画実行した。米政府の情報部門は今回のテロ攻撃をある程度把握していたと言われている。テロはシリアで計画し、ベルギーでヒトモノカネを準備し、パリで実行したと言われる。繋いだのはITだ。テロを防ぐ鍵は事前にその動きを把握してテロの芽を摘み取ることで、世界的な情報の連携を構築すべきであると考える。■

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