かぶれの世界(新)

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田舎暮し雑感10秋(終)

2010-12-19 11:16:18 | 日記・エッセイ・コラム

アラ、太ったわね。ダメよ、メタボになっちゃ。口の悪いバドミントン練習の仲間が、私を一目見て放った言葉だ。彼女の眼力は的確で、昨日私は誰とパートナーを組んでも全ての練習ゲームに負けた。全て完敗だ。ゴメン、ゴメンと何度もミスを謝りながらやるのはチョット惨めだ。だが容赦なくやってくれるお陰で、バドミントン練習が毎回東京に戻ってきて体力の衰えを実感させてくれる最高の指標だ。まだ帰ってきたばかりだからと最後に彼女は慰めてくれたが。It’s time, maybe.

昨日は最高の晴天だった。バドミントン練習から帰ると、思いついて家内と末の息子と連れ立って富士五湖巡りに出掛けた。夫々の湖から見る富士山はどれも美しかったが、月並みだが河口湖畔から見る富士山は雄大な裾野が迫ってくる感じが好きだ。千円札に刷られている本栖湖の富士山ビューポイントでは最もカメラマンが多かったが、静かに退いた感じの富士山で迫力が無い。

帰り道、田舎では思いつきで富士五湖巡りに行く贅沢はないと思った。こちらでは高速道路は2-3車線あって、いつも周りに気をつけながら運転しなければいけない。私の田舎を走る高速道路は1車線だから流れに乗れば気楽に運転できる。だが、昔の中央道みたいに対向車線のライトが目の前に迫ってくる夜の運転は怖い。昨日は八王子を過ぎて渋滞に入りノロノロ運転、これも田舎ではないことだ。何かと田舎生活と比べてみる私だった。

この1週間は、東京に戻り生活をアジャストする時間だった。田舎では初めて会う人でも大抵は挨拶するし、実際私を知っている。正しくは、私の夫母や祖母を知っていて最近姿を見せない母の様子を聞いてくる。東京に戻ると近所の数軒にお土産を持って行き、挨拶する程度だ。その代わり豊富な蔵書がある図書館の近くに住む生活も捨てがたい。何といっても子供達の家族が都内に住んでいるというだけで心が落ち着く。

生活という点では、全国に展開するフランチャイズのお陰で田舎でも大抵の買物は用が足りる。ネットで買うことも出来る。数年前心配した東京と田舎を行き来する生活の不便さは全く気にならなくなった。技術が進んだお陰でネットを経由してつながる世界は東京と田舎に違いはなく、以前は結構大仕事だったパソコンや外部との繋がりの変更は実に簡単になった。上記のように寧ろ人と人の繋がりの確認作業であり、私自身の切替えだ。

今回はバックアップなしでUSBメモリーにパソコン環境を書き込み移動した。郵便転送のネット申請は今回改善され使い易くなった。新聞配達のネットでの住所変更もスムーズに行ったし、宅急便の転送も電話で依頼出来た。ネット取引に制約のあった地方銀行のシステムも大幅にアップグレードされたし、アカウントマネージャは私が東京と田舎を行き来するのを心得て連絡に困ることもなくなった。政府が検討している社会保険或いは納税番号が導入されれば、確定申告などの処理ももっと便利になるはずだ。私が元気な間に導入されるだろうか。

広い実家で一人住み考えていたのは、近所の付き合いや田畑の手入れではなかった。何百年も続いて来た実家と山林田畑やお墓などをどうやって子孫に伝えていくのがいいのか、答えのない問いを繰り返すことだった。詳細は急がないが皆が共通の理解とするフレームワークを創りたいのだが。だが、不思議なことに東京に戻ると状況は何も変わってないのに余り考えなくなった。これを書きながら、人は状況だけで変わると、我ながら考える軸が曖昧なことに情けないと思った。

食事も変わった。家内の作る食事は、私が野菜をやたら滅多ら入れて味噌とか出汁入り醤油で味付けする鍋に比べると、昆布や炒り子で出汁をとり調味料を使って味付けする立派な料理だ。私のは、食えればいいという栄養補給が主目的の食事だった。だが良いこともあった。そのお陰で田舎にいる間ずっと快便が続いた。食事は変化したが、今日までまだ体調に変化はない。■

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