元々は家内と息子が25日に予め休暇を取り、旅行に行きたいと言っていたことから始まった。そんな時、酒好きの家内にオイスターバーで美味しいワインを飲もうと提案した。それを聞いたカキ好きの娘が伊勢志摩か仙台に美味しいカキを食べに行こうと提案して、娘の夫君の会社から補助が出る旅館のある南鳥羽に行くことになった。
一昨日の早朝娘夫婦の家に行き、そこで車を軽から普通車に乗り換え予定通り7時過ぎに東名高速に乗った。最高の天気で所々で見える富士山がいつもより鮮明で近くに見えた。中央高速から見る富士山とは形が違い頂上がより平たく見え真近に迫り新鮮だった。
計画より順調に距離を稼いだので、昼食は浜名湖の名物ウナギが四日市の炭焼きウナギに変わった。名古屋を境にウナギを焼く料理法だが、関東風の蒸したウナギみたいに柔らかかった。お店によると炭焼きが秘密で表面が少し焦げ気味で、これが意外に美味しかった。娘は今迄食べた中で一番美味しいとべた褒め、私は四万十のウナギも美味しいと思った。いずれにせよ皆満足した。
その後東名阪から伊勢自動車道を一路南に下り1時間余りで伊勢に到着、お伊勢参りを1日早め内宮に向かった。天候が悪くなりそうだからやれることは全てやっておこうという訳だ。神社に近づくと駐車場に向かう車で大混雑の道を進んだ。駐車場の中に町があるという感じだった。駐車スペースを探して車で溢れた駐車場の間の道を進み、最終的に五十鈴川の河川敷の端にやっと駐車できた。
河川敷を歩き途中から参道に入ると物凄い人混みでうんざりしたが、とりあえず順路に従い正宮に参拝してお決まりの記念写真を撮った。お正月の明治神宮といった混み具合だった。これが年中続くというから凄い。伊勢に来たら伊勢神宮参拝するといういわば定番の行事を済ませたという感じだ。余りにも人が多くて感激よりやっと終わったという思いが強かった。
後は最終目的地の旅館に向かうだけ。鳥羽市市街を通り抜け南に向かい小高い山道を通り抜けて的矢湾に面した畔蛸町の小さな料理旅館に宿泊した。季節外れの為か湾沿いの宿泊施設風の建物の半分くらいは、車が1台も駐車しておらず営業している様子は伺えなかった。港から海岸線を散歩したが会うのは地元の人らしき数人でうら寂しい寒村という印象だった。
仲居によれば土曜日の一昨日はお客が多く、もう少し賑やかだったという。近くの温泉からお湯をひいたというお風呂を浴び、この旅の目的だった漁師料理を頂いた。元々「カキが食べたい」から始まった旅行だが、今年は海温が高いのでカキが育ってなく実が小さい、来年の2月頃が旬だという。だが、焼きカキと天ぷらはそれなりに美味しかった。女性陣はベストだと言った。娘も家内とそっくり「温泉付きのグルメ旅行好き」という立派な中年女性になった。
他にタイのおつくり、あら煮、お酢で煮た揚げた小あじ等盛り沢山だったが、この土地の名物というアオサが凄く美味しかった。私はアオサがこんなに美味しいものだとは知らなかった。あら煮は子供の時食べた懐かしい味で骨以外全て食べた。翌朝の赤出汁のように、名古屋圏の特徴の若干濃くて重い味付けというのが家族の一致した感想だった。どうしても味噌カツの印象が残る。
翌日(昨日)は打って変わって悪天候で、早めに帰路に就くことにした。パールラインを通って国崎展望台に行き、強風下の伊勢湾と対岸の伊良湖岬を見た。家内と娘はお土産を買い(何故か男子は興味ない)、その後は高速道路をブッ飛ばして一路東京に向かった。娘夫婦の車は高速度を感じさせない作りで安定感があり、軽自動車に乗り慣れた我々には至極快適だった。
だが、四日市から愛知県海側を走る伊勢湾岸自動車道に続く数本の長く高い橋は、海からの強風にあおられ時速50kmの速度制限が出て落ち着かなかった。殆どの車は時速80-100kmで走り、時折風で車がスライドしたり前方の高い荷台のトラックが蛇行したりと、ひやひやだった。
それでも新東名に乗った頃から風が弱まり、雨もさほど酷くなく5時過ぎには無事東京に戻った。東京はニュースが伝えたより風は酷くなかった。今朝リハビリに行き先生に聞くと風邪が一番強かったのはとっくに自宅に戻っていた夜9時頃だったらしいが、酒のせいか全く気が付かなかった。
娘と別れ自宅に帰る車中で夕食を何にするか議論になった。私は家で落ち着きたかったが、伊勢志摩の新鮮な海鮮料理を頂いたのに息子と家内は何故か回転寿司が食べたいと言い出し、私も付き合った。伊勢志摩旅行の締めは回転寿司という予想外の終わり方であった。■
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