かぶれの世界(新)

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衆院選は民度のテスト

2017-10-22 10:05:47 | ニュース
衆院選を私はどう予測するか、先日親しい友人に聞かれた。唐突な質問に私は答えに窮した。「どのマスコミも与党の大勝を予測している、反対する特別な情報も持っていない。」と答えた。解散総選挙の有無に拘らず今まで政治情勢を見て来たが全く分からない。与党の大勝から大敗まで全てあり、というのが私の印象だ。

まず私の目に映るのは「政治の劣化」だ。安倍内閣側近が関わった疑いのあるモリカケ問題に重要政策が先送り、民進党のゴタゴタを狙い解散。野党は野党で解散が迫り慌てて希望の党が生まれ、民進党が突如希望の党に合流決定、と思ったら安全保障政策の踏み絵に反発し立憲民主党が誕生、今度は小池代表の排除発言で希望の党が失速・立憲民主党が浮上したという。この連中が国政を預かる政治家だと思うとがっかりする。

政策云々より国中で数合わせに熱中している印象だ。私に言わせれば心配するには及ばない、政治の劣化は日本だけではない。価値観が安定しているはずの先進国で、米国民は支離滅裂な大統領を選び、英国民は無謀なEU離脱を求め、スペインではカタロニア州民が身勝手な独立を求め混乱に陥った。全ては国民の判断だ。人権も言論の自由もない共産独裁国の方が見かけ上安定している皮肉な状況になっている。

先進国の一つである日本の衆院選も、地球規模で見た時に「国民が何を選択するか」が問われている様に私は感じる。バカな選択をして大混乱に陥るリスクがあると私は不安になる。小池代表の「排除発言」で風向きが変わり支持が立憲民主党に向かった。議員も議員なら「政策抜きで簡単に右から左に支持を変える」選挙民も選挙民だ。こういう人達が「風」を受けて投票し日本の政治が動くのかと思うと結果如何に拘らず無力感がある。

つまり「問われているのは政治家ではなく民度」なのだと私は思う。「政治は民度の現れ」というではないか。看板の架け替えや失言・不倫の類で支持が左右されるから、それにおもねる政治家や政党が出て来るのだ。マスコミにはこの政治の劣化に大きな責任がある。だが、それも我が国の哀しい現実。

加えて今日の選挙は超大型台風21号が日本列島を直撃する最中に実施される。18,9才の若者の初の選挙権行使と高齢者及び無党派層の投票率が悪天候下で変わるだろう。投票率が低下する可能性がある一方、史上最多の事前投票数はどちらに向かうか。従来なら投票率が低い時固定票の多い共産党と公明党が強かったが今回はどうか。

こうした中で日本国民が総意としてどう判断するか、混乱の中でも健全で適切な判断が出来る国民であると示せるか。選挙に負けて国会内で与党に対抗する為かつて野党は「数の暴力」と主張したが、それは国民の判断は間違いと言いがかりをつけることになる。仮に選挙の結果で政治が混乱しても、国民は世界的傾向の一環と言い訳するのだろうか。そこから前向きな動きが生まれればいいと私は願う。かくいう私は田舎で投票できない。■
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