かぶれの世界(新)

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毎日がテスト

2011-07-04 11:12:00 | 国際・政治

昨日市が主催する親子バドミントン大会に誘われて参加した。参加者は小学生と若い親子、大会に参加しないレベルの中高年の男女のペアでチームを構成し、5チーム総当りの団体戦だった。実は少し気になることがあった。金曜日の朝右目に糸くずが見えて医者に診て貰うと、年齢のせいで異常なし・糸くずはそのうち慣れるという診たてだった。処方箋もなし。バドミントンはそのテストみたいだったが、全く気にならずホッとした。

何だか、毎日テストを受けているような気がする。私の老化と健康は私だけの試練だが、今最も大きなテストを受けているのは東日本大震災の被災者とともに国や自治体、企業だろう。「大胆占い見直し」で一昨日投稿したように、元々強かった日本企業は驚異的な回復の一方、元々いわゆる弱者だった地域産業の回復は長引きそうだ。

松本新復興相は昨日、東日本大震災復興で岩手宮城県知事と会談し「知恵を出さないやつ(自治体)は助けないぐらいの気持ちを持って」「こっちも突き放すところは突き放す」「あれが欲しいこれが欲しいはダメ、知恵を出せ」と厳しい口調で注文を付けたのは当然だと私は思う。

ボランティアや政府支援のみに焦点が当っているが、私は地域毎に復興競争が起こる状況になった時地域の本当の復興が始まると思う。同じように比較できないことは明らかだが、今驚異的な回復を見せている企業は震災の翌日から復興に向けて活動し始めたことは忘れないで欲しい。

被災者の「我慢」「仕方が無い」、「互いを思いやる心」は日本人の美徳であり誇りに思う。先週、東京大空襲で数十万人が死んだ翌日地方に疎開する人達が上野駅に整然と並び黙々と列車を待つ姿に涙して、この日本人と一緒に生きたことを誇りに思うと書いた高見順の日記を読んで、感動したというDキーン博士を紹介するNHKの番組を見た。

今回の震災ではこの日本人の美徳は世界中に知れ渡ったが、それとは比べ物にならない悲惨な戦時中でも日本人の美徳が発揮されたのを番組で知って、普段から天邪鬼の私もいささか感動した。だが、物事には全て光と影がある。

番組では光にのみ焦点を当てたが、同じ時に愚かな戦争に駆り立てたのも同じ日本人だし、今も危機にある国政が機能してない。この国では、これではいけないと立ち上がり(スタンダップ)あるべき姿を主張しそれに多くの人が耳を傾け賛同することが起こらない。米国で働いた時、スタンダップする人は尊敬される文化を見て羨ましく思った。だが、今回も出る釘は叩かれた。

数日前、昼食をしながらテレビ朝日のニュースバラエティ番組に出演して、自民党を離党して政務官になった浜田参院議員の言い分を聞いた。彼は与野党の別なく復興の為に尽くす時であり、その為に国際政治学者としての自分の能力を使いたいとの説明は私には説得力があった。

同席した同じ政治学者出身の猪口議員も言葉を選びながらではあるが、浜田氏の決断に対して一定の理解を示した。一方、レギュラーのコメンテーターである川本氏が色々な角度で質問し問い詰めた。一言で言えば永田町の論理に反するのではないかと迫った。これ見て私は違和感を持った。なんか変だなと。

永田町的論理で動く政治に対し国民の目線でたしなめるのがニュースバラエティ番組の売りと思っていた。必ずしも全体利益に一致しない時が多いが、それはそれとして理解できた。だが、コメンテーターが永田町論理を振り回してスタンダップした議員を青臭い理想論のように非難するのは何か変だった。彼は正に「出る釘叩き屋」で、番組はそれを全国に報じていた。

流れでどうにでも意見を変える能天気のキャスターもこのままではまずいと思ったのか、番組の最後に国民にとって重要なのは早く復興を進めることだと慌てて付け加え辻褄を合わせた。その後も一体この番組は何だったか考えてみたが、そんなものは元々無かったのかもしれない。

浜田氏を理由としてこの後国会の議論がどう進展するか、夫々の立場でそれをどう評価するか、夫々の価値観を浮き上がらせる分り易いリトマス試験になるかもしれないと私は予測する。毎日テストは続く。■

コメント
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