かぶれの世界(新)

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田舎暮らし雑感(4)-あの世からの声

2007-08-25 16:58:48 | 日記・エッセイ・コラム

田舎暮らしもあと数日で終る。ある意味老いていく母と彼女が住む地域に対して、息子として最低限の義務を果たそうとした2ヶ月だった。ぶっちゃけ長くて退屈な2ヶ月だった。

あの世からの声にたじろぐ

退屈な毎日でも予想もしない意外なことがあった。梅雨が明け暑さにうだった8月の初めのある日電話が鳴り、かなりの年齢を感じさせる老婆の声が、「ターちゃんはおいでるかい」と聞いてきた。親しい人から呼ばれていた父の名前を久しぶりに聞いいた。

電話の主の母は私の曽祖父の娘で、彼女が幼い頃からしょっちゅう私の家に来て遊んでいた、曽祖父や祖母に可愛がってもらったと言った。私の家が最も盛んだった戦前の話だ。92歳だというから、父より2歳年上の幼友達だった。N家に嫁ぎ神戸に住んだが、戦後田舎に戻ったという。

全ての話が余りにも古くて私はただただ聞くばかりだった。しかし幼い頃時々聞いた記憶のある遠い親戚の名前であることを思い出した。後から聞くとそれは旧姓Oだった。父は三十数年前に死んだというと、それは知らなかった、誰も教えてくれなかったとがっかりした声が返ってきた。

彼女は突然こんな話をして済まなかったと言って電話を切った。その日の夜母に話すと、彼女が遠い親戚で昔は良く祖母の所に来ていた。会ったこともある。名前はSさんといい地方の資産家に育ったが何かの理由で没落したらしい。 

今は付き合いがなく消息も分からなかったという。母は父の死後も電話の登録はそのままにしていたので、多分電話帳で父の名前を見つけ電話されたのだろうと。80歳の母ですら、50-60年以上も前のことを聞いて驚きまるであの世からの電話のような不思議な気持ちだといった。

その後もう一度彼女から電話があった。父が死んだことを確認したかったようだ。父の死が本当に残念そうだった。その時母が教えてくれたことも二三聞いて確認できた。その後二度と電話はなかった。理由は分からないが多分あるとすればこれが物悲しいという気分だろうか。

灯篭見舞いと格差問題

母の名代で昨日これまた遠い親戚の灯篭見舞いに行った。祖母の弟の息子の奥さんの初盆で、私が学生の頃時々自宅に伺ってご馳走になったことがある。祖母の実家の親戚、といっても勿論子供や孫が久し振りに顔を合わせた。

一通り式次第が終ったあと家に戻り、子供の数が減った、30代になっても結婚しない息子や娘の話になった。この田舎でも少子化は例外でなく社会的傾向であることを実感した。私も子供はいるしいつか孫も出来るだろうが田舎の家やお墓、山林田畑を誰が見てくれるか全く先が見えない。

それは私だけの事情ではないので誰にも同情されなかった。話は地域の子供の数がドンドン減っているという方向に向かった。最近新築した小学校が生徒がいなく3年後にもう廃校になるという。それが一校だけではないらしい。どうしてか。

3年後5年後にはどうなるか分かっているのに補助金があるからという理由で決まったという。住民も地域が寂れるというセンチメントで支持した。この手の無駄使いが他にもあるという。一方で河口の砂利採集の補償金が続いた3年間パチンコ屋が繁盛し、補助金が切れるとパチンコ屋は引っ越して行ったという。

年金が入るとパチンコ屋で使いきり次の年金が出るのを待つ、最近はそれを夫婦でやってる人達がいるという。何故止められないかというと、たまに勝つとその味が忘れられないという。これらのお金は全て国税から出たお金だ。補助金を出し無駄なハコモノ作りを奨励していた。これだけ無駄遣いをして国の経済が停滞しないはずがない。

私には地方の格差問題といってもこういう話を沢山聞いているからイマイチ信じられないで来た。本当に困っている人達には大変申し訳ないけど、格差問題の議論の中でこういう愚かな強欲が隠されているようにいつも感じる。ポピュリズムが蔓延りモラルハザード一歩手前の怖さを感じる。

介護未満は続く

いよいよ東京に戻る日が迫ってきたので、いつもお世話になっている在宅介護センターの担当の方に一昨日来て頂き、近況を報告し私がいなくなった後どうすべきか相談にのって頂いた。母は不安そうだったが、暑さに慣れたのかこのところ食事を作ったり庭の手入れをして汗をかき少し顔が締まってきた感じがしていた。

結論は週1日ヘルパーに来てもらって買い物や食事の準備をして頂く、週3日は給食サービスを受け配達時に様子をみて異常を連絡して頂く事にした。懸案の買い物は母の楽しみでもあるので、タクシーを利用して大変でも母が行くこととした。

母も入れての三者面談で、押し付けではなくて母が何とかやってみようという気持ちになって決めた。このあと10月初め頃には大阪にいる妹と家内が様子を見に帰ってくれることになっている。担当の方は介護にはならない状況、つまりまだ元気だということだった。6月末に母の顔を見たときはどうなるかと思ったが何とかここまで来た。

プチ農業+読書=精神の堕落?

以前は母に言われて(嫌々)田を耕し、種まきを手伝った。しかし今回は母の代わりに私の判断で近所の人やお店の人の話を聞いて畑の手入れをした。車は自分で運転しないと道を覚えられないのと同じで、自分でやると除草一つとっても簡単ではなかった。しかしそれでも、母を安心させる為にやったのであり、これで農業を好きになるかというとそうでもない。

読書のペースはひどく落ちた。読みたい本が手元になかったということもあるし、涼しい時間帯は農作業に振り向けたこともある。最早退職後感じた田舎暮らしの刺激を感じなくなったことにもある。音楽も癒してくれなかった。今までより人肌恋しくなった。

バドミントンは週2回練習し、大会にも参加した。そこで誘われてカヌーで15kmの川下りをやってみた。川面の目線から見る肱川は素晴らしい景色で楽しかった。しかし、照り返しが暑く何度もやりたいとは思わなかった。マウンテンバイク登山は体力に自信がなくなり一度もチャレンジしなかった。

田舎生活に飽きて何もやる気がしなくなると松山に出て行き、退職後は一度も行かなかったお酒と脂粉の漂う店に一人で行ってしまった。小一時間で行けると思うと自制が効かなかった。それですっきり気分転換になるのだから言い訳は出来そうにない。東京に戻ってもこのモードが続くとすれば、終に精神の堕落が始まったか...■

コメント
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