大10同好会

普通の高齢者の生活と情報

感動の表現と共有(土井)

2008年09月26日 12時13分28秒 | Weblog
先日、古賀武陽君から彼の俳句と短編小説の載った同人句集と同人誌を送って頂きました。
地元のTVにも出ているそうで相変わらずのマルチな活躍ぶりに感心します。
小説はノースカロライナ州での体験が題材になっています。
彼はその体験を気の効いた会話や微妙な心理描写も含めて見事な短編に纏め上げています。文才の為せる技でしょう。

小説だけでなく、絵画、彫刻、書、詩、俳句その他どんな作品でも作者の創作意欲から生まれます。
自分の体験や感動を、我一人の内に留め置くのではなく、自分なりに表現して、それを周囲の人に伝え、その喜びを共有したいという願望は誰にでもあります。
唯その方法が人様々で、各種の作品になったり、パフォーマンスになったり、会話になったりします。

スポーツ番組はTVで見ても十分楽しめますが、金と時間を掛けて競技場まで足を運ぶのはその生の感動と興奮を、自分一人ではなく、周囲の大勢の人と一緒に味わいたいが為に他なりません。

この感動を共有したい思いは、それ程大げさなものではなく、日常茶飯にもよくあります。
二人か数人で居る時でも、美しいものや珍しいものを見つけると「おぃ、あれを見ろ!」と自然に、必ず呼びかけます。
感動は共有することにより更に大きくなることを本能が知っているからだと思います。

私の場合、俳句はそれなりに詠んでいますが、23日の同窓会は懐かしく、楽しく
ある種の感動ものでした。想いを共有出来たからだと思います。
そしてこれも感動の表現と、共有したい願望の一例といえると思いますが、24日、出席者の内の数名(女性も含め)から電話が掛かってきました。
私も数名(女性も含め)に電話しました。