ひとり旅への憧憬

気ままに、憧れを自由に。
そしてあるがままに旅の思い出を書いてみたい。
愛する山、そしてちょっとだけサッカーも♪

猛暑の劔岳:平蔵の頭を越えて(シュルンドが見える)

2018年09月07日 23時33分43秒 | Weblog
ルートロストしてしまった方は自分たちの後を付いてくる形となった。
それは別にいいのだが、他にいた3人グループの人達も「自分たちも初めてなので一緒にいいですか?」と言ってきた。
特に断る理由はないのだが、「何か頼られてるなぁ・・・」というのが正直なことろだった。

「剱は何度目なんですか?」と聞かれ「たぶん14回くらいだと思います。でもいろんなルートから登頂しているので、この別山尾根ルートはその半分くらいです。」と答えた。
「ベテランだぁ~」と言われたので「いえいえ、失敗と怪我の数だけはベテランです。」と笑って返した。

今回は登頂まではAM君に先陣をきってもらっている。
経験値を高めてもらうためである。


先ずは梯子を渡り、岩壁に取り付きながら巻く。


うん、いい調子だ。そうそうマイペースでね。


高巻きを終えたところで自分がスタートした。

前剱の門を過ぎ、ややトラバース。
もう一ヵ所のクサリ場を登れば程なくして「平蔵の頭」へと辿り着く。

後から付いてきている人達にはごく簡単に状況を説明してはいるが、三点支持さへしっかりとしていれば大丈夫とだけ言ってある。
「何か俺、とんでもなく頼られているけどいいのかな? 俺なんかでいいのか?」
こっそりとAM君に言ったが「他にいませんよ」と言われた。
もちろん頼られていることが嫌なのではない。
ただ「何かあったら・・・」という思いがどうしても拭いきれなかった。


AM君が平蔵の頭を登る。
登り切ったところで自分が続いた。


後の人達にはホールド・スタンスポイントだけを良く見ていてほしいと伝えた。
そして(「どうか滑落だけはしないでくれよ。俺責任持てないから」)と、切に願った。


頭に登ると「平蔵谷」が見えた。
赤い矢印が下山予定のコース。

「下山はあそこだよ。どのイルンゼの間を通るかは行ってみなけりゃわからないけどね。」
「えっ、本当にあんなところを下りるんですか? 大丈夫なんですか?」
と聞いてきたのは若い3人グループの一人だった。
ニヤッとだけ笑って答えた。

平蔵谷は二度登ったことがある。
だが下りるのは初めてだ。
不安はないと言ったら嘘になる。


平蔵の頭を下りる。
「ルンゼをうまく利用してください。」と言い残し先に下りたのはいいが、途中で「ルンゼって何ですか?」と聞かれ、思わずずっこけて落ちそうになってしまった。
「溝です。この溝にはよく見ればスタンス・ホールドポイントがあるから大丈夫です。」
そう答えたのはいいが、「ルンゼ」の意味を知らない人達を先導することが怖くなってきた。

平蔵谷の雪渓が間近に見えた。
「やっぱりか・・・」
見事なまでの亀裂(シュルンド)が走っていた。


幸い目視できるシュルンドは一本だけだったが、ここからではその深さがどれ程のものなのかまでは分からなかった。

「AM君、ほら、あれ・・・。巻いて下りられればいいけど、最悪の場合ザイルで壁を下りるしかないと思うからそのつもりでいてほしい。」
「了解です。でも深さが分からないですね。」
彼も彼なりに不安なのだろう。
一応20メートルのザイルを持ってはきたが、果たして・・・。

本峰南壁、タテバイとAⅢの間あたりであろうと思われるポイントにあるでかいシュルンド。
あそこさへ越えれば楽になる。
そう信じたい。

猛暑の劔岳:いつも感じることだが・・・

2018年09月03日 22時20分31秒 | Weblog
大岩のポイントを超えれば、程なくして左(西)へとコースを曲げ、再び右(東)へと曲がれば前剱てっぺんへと近づく。


ここを登り切って右へ曲がれば前剱頂上までもうすぐ・・・のはずだ。

記憶が正しかったことが少しだけ嬉しかった。
右へとコースを取り、僅かに広くなったポイントへと出た。
前剱のてっぺんがすぐ目の前に見えてきた。
「やっと一息つけるな・・・」
そう思っていた時のことだった。

前剱の頂上から先は、ほぼフラットに近いルートを進み、鉄梯子のあるポイントへと下って行く。
そのフラット状のルートは、自分が今いるポイントからは目視できないし、ましてや登山者の姿も同じなはずだった。
だが、独りの登山者の姿がはっきりと見えているではないか。
「はて、俺の記憶違いだったかな・・・」
とも思ったのだが、或いはひょっとしてルートを間違ってしまっている可能性も否定できなかった。

しばらく様子を見ていたが、あきらかに動きがおかしい。
進んだかと思えば逆戻りしてみたりと、その繰り返しだった。
「あの人、完全にルートロストしてしまったな」
そう確信した。

距離的にはおそらく自分の声は届く。
「戻ってください! 前剱の頂上まで戻ってください! でも道が分からなかったら絶対にそこから動かないでください!」
大声でその登山者に伝えた。

先ずは自分たちが頂上まで行くことにした。
やや急ぎ足で辿り着いたが、ルートロストしてしまった人はまだ右往左往している様子だった。
「あれ、やばいなぁ。西に落ちたら一発でアウトだぞ。」
AM君にそう言い残し、その登山者のいるポイントまで急いだ。
「そこから動かないでください。今そっちに行きますから。」

声は届いているようだった。
ハイマツ帯の中に踏み入れなんとか近づくことができたが、本来のルートからは大きく左に逸れてしまっていたようだ。
と言うことは、崖のすぐ近くにまで来てしまっていたということになる。

「危なかったですよ。もう数歩左に寄っていたら落ちてましたよ。」
顔では笑って教えてあげたが冷や汗ものだった。
「すみませんでした。ありがとうございます。よく探したつもりだったのですが・・・」
何度も頭を下げお礼を言われたが、とにかく無事でなによりだった。

「地図は持ってますよね?」と聞くと、「はい。でもよく分からないんです。右とか左とかは分かるんですが・・・」

開いた口がふさがらない!

「なんでその程度の知識で剱に来たんですか!!!」
とは言えなかった。
今この人はかなり不安な気持ちで一杯なはずだし、怖さを味わっていた。
そんな人にこれ以上きつい言葉はかけない方がいいだろうと思った。
これ以上ネガティブな気持ちになったら、こんな場所から進むにしろ戻るにしろ下手すれば気が滅入りそれが原因で・・・ともなりかねない。

「ここ(前剱頂上)でもう一度ゆっくりとしてから平蔵の頭へ向かった方がいいですよ。」
とだけ言った。


前剱の頂上。


そして前剱から望む剱岳本峰。

煙草をふかし、眼前に迫る本峰を見た。
「問題はその先だ。今年のバリエーションは果たしてどうなっているのか・・・」

休憩をしながら思った。
「これで何度目だろうか。体力、持久力、知識、技術、経験に見合っていない登山者に会うのは。」

ここに来ることは自由だし、誰にも止める権利はない。
だからこそ自己責任の持つ意味は果てしなく大きい。
劔岳に登るということは、自分の命がかかっていると同じ意味だということが本当に分かっているのだろうか。
分かっていたのなら来るはずはないし、来てはならない山だ。

ため息が出そうになってしまった。

いや、他人のことを偉そうにとやかく言える程のものは持ってはいないが、それでも自分の身の丈に合った登山はしている。
だからといってお説教なんぞ言うつもりはない。
ただ・・・ただ「何故来たんだ」その理由が知りたい。

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嘗て自分の同僚に、体力はない、知識も技術もない、経験値もない、という初心者がいた。
一つの実例として、コースタイムは自分のほぼ倍かかる。
つまり体力や持久力がない。
地図は「読む」のではなく「見る」ことしかできない。
もちろん磁北線は知らないしコンパスの使い方も知らない。
ロープワークは一つもできない。
他にも挙げればきりがない初心者だった。
しかし本人一人だけはそうは思ってはいなかった。

こんなことがあった。
単独で上高地から入り槍ヶ岳を目指した彼だったが、なんと途中で道迷いをしてしまったのだ。
あり得ないことだ。
何故あんな簡単なルートで道迷いを・・・。

途中で道に迷ってしまったことに気付き、あわてて地図を開いたが現在地が分からない。
幸いすれ違った登山者に聞き、事なきを得たようだった。

たとえ北アルプス初心者コースであっても、何故まともに地図読みができない奴が北アルプスに行ったのか・・・。
その理由はあまりにも馬鹿馬鹿しいものであることを後で知った。
「プライド」である。

「槍に登れば自分も中級者と見なされるし、初心者と思われることもない。」そう思って臨んだらしい。

あまりにも愚かな考えだ。
「先ずは槍か・・・。 なるほどなぁ、初心者ほど考えそうなことだ。」
と思った。

確かに槍ヶ岳は有名な山である。
だが、技術を必要とするのは肩の小屋から頂上へ向かうほんの20分程度の岩稜区間だけであり、彼が通った槍沢コースというのは時間さへかければ子供でも行けるコースだ。
だから槍ヶ岳は「登った」ということよりも、「どのコースで槍に向かったか」の方が遥かに重要なのだ。

それでも彼にとっては精一杯だったのだろうが、登りたくて登ったのではなく、「周囲からのステイタスを得るために登った」ということを他の同僚から聞いた時には妙に納得してしまった。
もちろんその後も彼は地図を読むための学習はしなかった。

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話を戻そう。

「自分の身の丈に合った山を登るべき」ということをこのブログでも何度か綴ってきた。
どれだけ自分自身を客観的に見つめ、下駄を履かせることなく冷静に実力を見極めることができるか。
登山はそこから始まる。

ベテランでも事故は起きる。
だが、その確率は自分を見つめようとしない輩と比べれば極めて低い。
単独で挑むのであれば、尚のこと己自身を知っておくべきだ。
くだらないプライドなんぞ何の役にも立ちはしない。
生きて戻ってこれたのは、単にラッキーが続いただけに過ぎない。

そして「ラッキーは二度目はない」ということを肝に銘じるべきだ。