(『サンダーバード55/GOGO』のムビチケ)
今日、1月7日から
日本語劇場版
『サンダーバード55/GOGO』
が上映される。
↓『サンダーバード55/GOGO』については、こちら↓
日本語劇場版『サンダーバード55/GOGO』公式サイト
『サンダーバード』は、
1965年から放送された
イギリスの特撮テレビ番組。
日本では、翌1966年から
NHKで放送された。
わしの年代にとっての
サンダーバードは、
手に汗握って見る特撮番組であり、
カッコいい主題歌であり、
そして、スマートなメカニックを
再現したプラモデルじゃった。
そのプラモデルの
ボックスアート(箱絵)を
描いておられたのが、
2001年に86歳で亡くなられた
小松崎 茂(こまつざき しげる)さん
である。
今日は、
小松崎 茂さん
についての話でがんす。
小松崎さんは、1915(大正4)年
東京生まれ。
絵が上手だった小松崎さんは、
堀田秀叢(ほった しゅうそう)さんに
弟子入りしたのち、挿絵画家の
小林秀恒(こばやし ひでつね)さんに
に師事する。
挿絵画家になるには、
人物の一瞬の動きを的確にとらえる
描写力を持たなくてはならない。
小松崎さんは、
映画館通いを始める。
まず最初、映画を見る。二度目は場面場面を暗がりで描きまくる。そして三度目に補足して仕上げる。
(根本圭助『異能の画家 小松崎茂-その人と画業のすべて』62頁 光人社NF文庫 2000年)
1940(昭和15)年、『機械化』という
当時としては科学性の高い
総合科学雑誌が創刊された。
小松崎さんは本名のほか、
三村武、最上三郎のペンネームで
表紙や挿し絵、図解などを描く。
「一度、三人で座談会を…」という話が持ちあがり、茂をあわてさせた一幕もあった。
(同上 107頁)
1948(昭和23)年から連載を始めた
SF冒険活劇物語『地球SOS』は
空前のヒットに。
1950(昭和25)年、
西部劇『大平原児』の連載開始。
この二作が
小松崎さんの代表作となる。
この絵物語ブームでは、
『少年王者』『少年ケニア』の
山川惣治(やまかわ そうじ)さんと
人気を二分した。
1951(昭和26)年、東京の駒込から
千葉県の柏に引っ越す。
引っ越した理由というのが、
すごい。
”広島級”の原爆が東京駅に落ちても、柏は被爆範囲のやや外で辛うじて大丈夫
(同上 184頁)
関東大震災、太平洋戦争の戦災を
体験した小松崎さんは、
1950(昭和25)年に始まる
朝鮮戦争に神経をとがらせていたため
といわれる。
兵器イラストを数多く手掛けたため「軍国主義的」と批判されることもあったが、彼自身は兵器の機能美・造形美を愛していた。何より戦争体験者として戦争を忌み嫌い、一貫して反戦と平和を訴え続けていた。
(「小松崎茂」ウィキペディア)
兵器の機能美・造形美を愛していた
ことに関して、
次のような話がある。
太平洋戦争中、
アメリカのB29(ビーにじゅうく)が
撃墜される絵を描いてほしいと
陸軍の航空本部から依頼され、
当時としては珍しいB29の写真を
見せられた小松崎さん。
居並ぶ将官の姿も忘れ、茂は思わず、「いい飛行機だなア-」とほめてしまった。
(根本圭助『異能の画家 小松崎茂-その人と画業のすべて』115頁 光人社NF文庫 2000年)
漫画、劇画に押されて、
絵物語ブームが終わりを告げた
1960年ころ、子供たちの間で
戦記物ブームが起こる。
少年時代から軍艦や飛行機を描き、
戦時中は『機械化』でも描いていた
小松崎さんは、
戦記物画家として活躍。
水木しげるさんが手がける
貸本用雑誌『少年戦記』にも描いた。
水木さんといえば、
『ゲゲゲの鬼太郎』で有名。
貸本ブームが一段落したあと、
水木さんは小松崎さんに頼んで
「少年マガジン」に紹介して
もらったという。
「テレビくん」が好評で、これが「墓場鬼太郎」へつながり、「ゲゲゲの鬼太郎」の連載となる。
(同上 269頁)
1957(昭和32)年、
「特撮の神様」と呼ばれた
円谷 英二(つぶらや えいじ)さん
からの依頼を受けて、
映画『地球防衛軍』の
デザインを手掛ける。
茂の自宅前に大きな外車がとまり、柔和な顔の男が降り立った。これが円谷英二との出会いとなり、その後、何本かの特撮映画に、茂は陰の戦力として協力することになった。
(同上 277頁)
デザインといえば、
「世界のホンダ」の創業者
本田 宗一郎(ほんだ そういちろう)
さんも、
小松崎さんにデザインを頼んできた。
設計中のオートバイの後部のデザインが、どうもうまくいかない。画家の目でアドバイスしてほしい…
(同上 236頁)
小松崎さんが仕事の合間に
スケッチを描いて送ると、後日、
本田さん自身がお礼に来たという。
1960年代後半から1970年代にかけて、
プラモデルが普及し始め、
小松崎さんは、そのボックスアートを
手掛けることになった。
たとえば、キャラクターものであれば、
似ている似ていないもあるが、
描き手の個性が前面に出てしまうと
困ることがある。
そんな中で、大評判を得たのが
サンダーバードの一連の
ボックスアート。
このイラストは完全に原作を超えた。
(同上 284頁)
そのとおり!
わしらの世代は、
サンダーバードそのものと、
プラモデルのボックスアートに
影響を受けた世代。
キャプションにあるとおり、
小学生のころから
このサインに胸躍らせたものである。
以下、余談。
わしの弟は小さいころ体が弱く、
月に1回くらいは病院に通っていた。
病院から帰ってきた弟の手には、
たいていプラモデルがあり、
中でもサンダーバード2号と、
サンダーバード秘密基地が
多かったと記憶する。
サンダーバード2号は
胴体にコンテナを持ち、
そのコンテナの中には
ジェットモグラをはじめとする
数々のメカニックを搭載していた。
ちなみに、わしが好きなのは
可変翼(かへんよく)で飛行する
サンダーバード1号じゃ。
以下、さらに余談。
わしにとっての
小松崎さんのボックスアートは、
マイティジャック。
大小合わせて3種類くらい
プラモデルを買ってもらった
記憶がある。
(『ぼくらが大好きだった 特撮ヒーローBESTマガジン VOL.10 怪奇大作戦・マイティジャック』15頁 2006年 講談社)
今日は、
小松崎 茂さんについて
話をさせてもろうたでがんす。
ほいじゃあ、またの。