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宮島の管弦祭で御座船を曳く役目を務めているのは、どこ?

2010年07月30日 | 広島の話題

宮島の管弦祭(かんげんさい)は「日本三大船神事」のひとつで、他には、大阪天満の天神祭(てんじんさい)、 松江のホーランエンヤがあるんじゃのう。



【問題】
宮島の管弦祭で御座船(ござぶね)を曳く役目を務めるのは、呉市の阿賀(あが)と、広島市のどこでしょうか?

1.宇品(うじな)
2.江波(えば)
3.舟入(ふないり)
4.吉島(よしじま)









【正解】
2.江波




【解説】
世界遺産・厳島神社(廿日市市宮島町)の管絃祭が28日、神社沖の大野瀬戸であった。
平安時代に平清盛が都から伝えたとされる日本三大船神事の一つ。
約7千人が「平安絵巻」を楽しんだ。

祭りは午後4時ごろ、神社本殿の神事で幕開けし、ご神体が乗ったみこしを神職たちが御座船に移した。
笛や琵琶 、太鼓などを船上で奏(かな)で、江波漕伝馬(こぎてんま)保存会(広島市中区)と阿賀漁協(呉市)の3隻のこぎ船に引かれて大鳥居沖を出発した。

途中で雨が降り出したものの、御座船は対岸の廿日市市の地御前(じごぜん)神社までの約6キロを往復。
島内にある長浜神社や大元神社前を巡り、深夜に大鳥居をくぐって厳島神社へ。
見物客の前で回転し、管弦を奉納すると歓声が上がった。

(「宮島で管絃祭 7000人楽しむ」中国新聞 2010年7月29日)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201007290044.html



なぜ、御座船を曳くのが阿賀と江波になったかというと、1701(元禄14)年、御座船が嵐にあって遭難しかけた時、阿賀村と江波村の船が御座船を救助した。
それ以来、この2つの村がこぎ船を奉仕することになったそう じゃ。



今日は、「準備」「管弦祭」「関連行事」について調べてみようかの。



まずは、準備について。

何をするにも、まずは準備が必要ですの。
管弦祭が行われるのが、毎年、旧暦6月17日(2010年7月28日 )。

まず、旧暦6月5日(7月16日)に「市立祭(いちだてさい)」がある。
管弦祭が無事に行われるように祈願するそうじゃ。
本殿での祭典が行われた後、舞楽が奉納された。
かつては、夏市が開かれ、芝居や見せ物小屋が立ち並び、たいへんにぎわったということじゃ。

旧暦6月11日(7月22日)は「御洲堀(おすぼり)」。
大鳥居から社殿までの水路や、社殿周辺の砂浜を清掃するというものじゃ。
これは、大竹市、廿日市市、広島市の人たちによって奉仕される。
御洲堀の後は、拝殿に立ててある榊(さかき)の枝を持ち帰る。
これを田の畔(あぜ)に立てて田の神さまに供えておくと、稲に虫がつかず、豊作になるといわれとったそうじゃ。

旧暦6月15日(7月26日)に、「御船組(おふなぐみ)」を行う。
呉市の倉橋から曳(ひ)かれてきた和船3隻をつないで、その上に屋形(やかた)を置くと、御座船が完成するそうじゃ。

そして、旧暦6月16日(7月27日)には、「御試乗式(おしじょうしき)」がある。
組み立てた御座船の出来栄(できば)えを確かめたり、大鳥居をうまく漕ぎ抜けることができるかを試してみるそうじゃ。



次に、管弦祭について。

奈良・平安のころ、貴族が池や川に船を浮かべ、管絃を奏(かな)でて遊んでおられた。
平清盛(たいらのきよもり)はこれを宮島に移し、厳島の神を慰めるために、管弦祭を行うようになったということじゃ。

なぜ、旧暦6月17日なのかというと…。



管絃祭の日時を旧暦の6月17日としたのは、海上の神事であるから潮の干満を考慮したからです。
上げ潮の高い季節は旧暦の7月・8月頃ですがそのころは台風の季節に当たるためにこれをさけ、しかも大潮ということになると旧歴の6月になります。
夕方日が傾く頃に出御(しゅつぎょ)して夜半に還御(かんぎょ)となると17日ということになり、このころは夜になってほぼ満月に近い月が昇り瀬戸の海を明るく照らします。
絶好の条件が整うわけです。

(「管絃祭について」社団法人宮島観光協会)
http://www.miyajima.or.jp/event/event_kangen.html



管弦祭当日の予定は、以下のとおりじゃ。



16時/発輦祭(はつれんさい)
17時/御本殿出御(しゅつぎょ)
17時40分/大鳥居前の儀
19時/火立岩(ほたていわ)
19時50分/地御前(じごぜん)神社
21時/長浜神社
21時40分/大元神社
22時/火焼前(ひたさき)
22時30分/客(まろうど)神社前
23時/御本殿還御

(同上)



社殿で雅楽を奉納し、祝詞(のりと)を奏上(そうじょう)した後、御祭神が御鳳輦(ほうれん)に遷され、御座船まで運ばれるんじゃ。
御座船は大鳥居をくぐって、対岸の地御前に向かって漕ぎ進んでいく。

その途中に、火立岩があるんじゃが、今はない。
かつては、ここで管絃祭の船が火を灯(とも)したことから、「火立岩」と呼ばれるようになったそうじゃ。

宮島の対岸にある地御前神社で御座船は引き返すんじゃが、この神社は厳島神社の外宮(げくう)として造営されたそうじゃ。

引き返してきた御座船は、長浜神社、大元神社をめぐったあと、大鳥居をくぐって本社に戻っていく。
そして、枡形に入っていき、御座船を3回廻しながら管絃を奏上して、管絃祭もおわりとなる。



↓管絃祭について、くわしくはこちら↓

「厳島神社 管絃祭」瀬戸内和船工房
http://wasen.survival.org/setokaiji/kangensai/index.htm

「37.管絃祭 水面を渡る厳かな調べ ~ 神宿る みやじまの素顔」中国新聞
http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/miyajima/37.html



最後に、関連行事について。

管絃祭にちなんだ行事としては、「おかげんさんまつり」がありますのう。



とうろうをともした麦わら船を川に浮かべる伝統行事「おかげんさんまつり」が、江田島市江田島町の切串(きりくし)地区であった。
願い事を託したわら船が、川面に幻想的に浮かび上がった。

地区の中心を流れる長谷(ながたに)川に、住民が手作りした全長60~150センチのわら船約80隻を持ち寄った。
日没前、短冊や折り紙などで飾り付けした船のろうそくに灯をともした。

(「川面照らす麦わら船80隻」中国新聞 2010年7月27日)
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201007270071.html



県北の北広島町では、“陸の管絃祭”として有名な八重(やえ)管絃祭がある。
むかしは宮島の管絃祭と同じ、旧暦6月17日じゃったが、現在は7月の最終土曜日に開催されとるそうじゃ。



瀬戸内海を代表する海の祭り「宮島管絃祭」にならった八重管絃祭は、北広島町の伝統的な風物詩で芸北地域を代表する夏祭りの一つ。
芸北地域の夏祭りでは最古の歴史を持つとされ、厳島神社の渡海(とかい)に対して“陸の 管絃祭”として有名です。
同じ山間部の安芸高田市吉田町や三次市にも同様の行事は伝わり、川に管絃船を浮かべる形式と異なる陸船は県内でも非常に異色なものとされています。

八重管絃祭では、旧千代田町の地区名を冠した“有田丸”“十日市丸”“新地丸”の3隻陸船が、子どもたちを従えながら有田地区から新地地区まで勇壮な道行きを披露します。

(「八重管絃祭」広島県商工会連合会アクティブヒロシマ)
http://www.active-hiroshima.jp/gyoji/index.php?id=475



今日は、「準備」「管弦祭」「関連行事」について勉強をさせてもらいました。
今日もひとつ勉強になったでがんす。



ほいじゃあ、またの。


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