通でがんす

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かきうち通り 江波

2016年05月09日 | 見て歩き
江波(えば)ぶらり(その1)

江波

広島湾に面する街






今回から、広島市の南部にあって、

広島湾に面する江波を

ぶらぶらと歩いてみようと思います。





まずは、江波をご存じない方のために、

江波の紹介から…。







江波は中区でもっとも古い町のひとつで、

広島城築城以前から漁村として存在していました。

「エバ」と呼ばれはじめたのはいつごろかはっきりしませんが、

「安芸国神名帳」(鎌倉時代末期)に、

今の「衣羽明神」の名があります。

鎌倉時代またはそれ以前から、

このあたりが「エバ」と呼ばれていたことがわかります。

また、芸藩通史(巻43)によると

「此地の民専ら魚餌を取を以、人これを餌場(えば)とよぶ、

古文書に衣羽とあり、今は専ら江波の字を用ふ」とあり、

住民が魚の餌を採って暮らしていたので「餌場」と

呼ぶようになったともいわれています。



福島氏時代には広島の外港として知られるようになり、

江戸時代の干拓および昭和初期の埋立てにより

現在のまちが形成されました。



現在、地区の中央を南北に縦断する通りが「おさん通り」で、

本川沿いが「かき打ち通り」、

天満川沿いが「気象館通り」です。

地区内には二つの山(江波山・江波皿山)があり、

花見の名所としても有名です。

また、江戸時代中期から昭和初期かけてカキやノリの養殖が盛んで、

現在も江波港周辺にはカキ打ち場が立ち並んでいます。



(看板「Forever ほぉ~江波!」より)

(この写真のみ、撮影日:2015年11月23日)








江波の東側を流れる本川(ほんかわ。旧太田川)に架かり、

吉島西(よしじまにし)と舟入南(ふないりみなみ)を結ぶ、

吉島橋。







ここから約1キロメートル下流で、

本川は広島湾に注ぐ。





画面中央奥に見えるのが、

広島湾に浮かぶ似島(にのしま)。





島の北側にある山は、その形が富士山に似とるところから

「安芸小富士(あきのこふじ)」とも呼ばれとるんじゃ。







江波の東側、本川沿いを通る道路が

かきうち通り。





かき(牡蠣)をむき身に加工することを

「かき打ち」と呼ぶんじゃの。





↓かき打ちについては、こちら↓

「かき打ちについて」広島市水産振興センター







市道・霞庚午線(かすみこうごせん)線から1本南にあって、

舟入と江波の町堺を東西に走るこの道は、

かつて「横堀」と呼ばれとったそうじゃ。





江戸時代も終わりに近い

文化8年(1811年)に築かれた丸子(まるこ)新開と、

それまであった舟入沖新開との間には運河があった。





その運河が1869年(明治2年)に埋め立てられて、

「横堀」「横切」「横土手」などと呼ばれるようになったんじゃの。







ここから南北に走り、横川まで続く道は

かつてのメインストリートじゃそうな。







横堀は、舟入通りの江波西1丁目交差点を通って

舟入神社あたりまで続く。







この石垣を見ると、

むかしの堤防がこのあたりにあったのでは

と思わせる。








坂を上っていくと…、







かきうち通りに出る。







本川を上っていく船。





今年(2016年)の秋に公開予定の

アニメ映画『この世界の片隅に』(監督・脚本:片渕須直)

のロケーションマップで、

主人公・すずが舟に乗せてもらう道

と紹介されとるのが、このあたりになるんじゃの。





↓映画『この世界の片隅に』については、こちら↓

映画「この世界の片隅に」公式サイト





訪問日:2016年5月5日





【参考文献】

(下中邦彦/編『日本歴史地名大系35 広島県の地名』平凡社 1982年)


 



今日は、江波ぶらりということで

江波の東側にあるかきうち通りと、

運河のあった横堀について話をさせてもらいました。



次回からは、江波湾散策コースを

ぶらぶらする予定じゃ。





ほいじゃあ、またの。


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